絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

エル

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 ひとまず、レジスタンスの少女氷魔ダリアが同行する事になったが、ルテニカとプミラはまだこの礼拝堂が気になるようだった。
「プミラ。やはりあの像が気になります」
「そうですね。何か得体の知れない気配というか」
 二人は、首のない女性の像を見上げると、礼拝堂の中を見渡した。天井が高いせいで広く感じるが、実際の面積はそこまで広くはないようだ。
 二人に合わせて壁や天井を見回していたリリィは、何か不自然なものがある事に気がついた。
「ねえ、あれ何だろう」
 リリィが指さしたのは、像の足元の3箇所に置かれた何かだった。それは椅子の下や柱の陰のくぼみ等、見えにくい所に意図的に置かれており、今まで誰も気付かなかったのだ。大きさはバスケットボールくらいある。
 他の三人が見守る中でそれをリリィが確認すると、全員があっと声をあげた。
「なっ、何これ!?」
 それは、少女氷魔の頭部だった。当然ながらすでに息絶えており、単なる極低温の氷塊である。
「まだ新しいね。見て、この首の断面」
 リリィが首を傾けてその断面を示すと、それはついさっき砕けたか、斬られたような断面だった。他の2つも同様である。
「ダリア、これってあなたがここに来た時からここにあったの?」
 リリィが訊ねると、ダリアは首を横に振った。
「わかりません…私は、ただ身を潜める事しか頭になくて。その像も気味が悪いので、近寄らないようにしていました」
「なるほど」
 加えてダリアは逃げ延びてきて動転していたとすれば、隠すように配置してある首など当然見えようがなかったのだろう、とリリィは考えた。
「これ、どう考えても普通じゃないよね。像の手前左右に2つ、左後ろに1つ。この室内で戦闘が行われた形跡もない以上、これは何者かが意図的に、像の周囲に首を配置したとしか思えない」
 リリィの指摘に、ルテニカとプミラは頷いた。
「問題は、誰が何のためにこんな事をしたのか、です」
「あなたは何かわからないの、ルテニカ」
 すると、ルテニカは一瞬プミラと視線を交わして、何かを確認し合うような素振りを見せた。
「わかりません。何となく儀式的なものかとは思いますが、これがなんの意味を持つのかは不明です」
「これが、幽霊氷魔と何か関係してるって事はない?」
「仮に霊体を使役する何者かがいたとしても、こんなふうに首を思わせぶりに配置する事には、何の意味もありません。つまり、魔術的な効果は何もない、ということです」
 ルテニカはそう断言した。
「つまり、これは私達が今直面している問題とは、関係ないという事?」
 リリィが確認するように訊ねると、ルテニカとプミラは同時に頷いて答えた。
「そうです」
「じゃあ、気味が悪いけどこれは無視していいってことね」
「頭部だけでは、敵の氷魔だったのか、レジスタンスの誰かだったのかもわかりません。可哀想ですが、このまま置いておく他はないでしょう」
 ルテニカは跪いて、せめてもの慰めにと髪を整えて祈りを捧げた。他の三人もそれに倣う。礼拝堂は遺体を安置する場所ではないが、無機質な通路などよりはずっと相応しい。

「やはり、ここにいても意味はなさそうね」
 リリィに、ルテニカ達もようやく同意して頷いた。
「そうですね。移動するとしましょう」
「そうなると、どこへ移動するべきか、ですが」
 三人が考え込んでいると、ダリアがおずおずと手を挙げた。
「あの…私と同じロークラスのレジスタンスの子たちが、まだ潜んでるエリアがあるんですけど」
「ロークラス…つまり、あなたを含めて移動していた子たちとは別のチームってこと?」
 リリィが訊ねると、ダリアは小さく「はい」と答えた。
「他のクラスの人達は知らない場所に隠れてるので、その…来ていただけますか。心配なので」
「そうね。時間を無駄にするくらいなら、少しでも仲間の安全確保に動くべきだわ」
 リリィが同意を求めると、ルテニカ達も異論はなかった。
「そうですね。アイスフォンの件もありますし」
「決まりね。行きましょう」
 リリィは白銀のロングソードを構えると、ダリアの背中を軽く押して出口に向かう。その後ろを、数珠を握って警戒しながらルテニカ達が続いた。


 他方、リベルタ達は正体不明の氷魔たちと戦った直後のこともあり、また何か現れないかと慎重に通路を進んで行った。通路は丁字路に差し掛かり、左右どちらに行くか、と三人は立ち止まった。
「こっちに行くとハイクラスの人達が潜んでるエリアだけど、どうする」
 氷扇を棒状に畳んだヒオウギが、トントンと肩を叩きながら、もう片方の手で丁字路の右方向を指す。リベルタとフリージアは、腕組みしてうーんと唸った。
「この際だ、私的感情は捨てるか」
「行きたくない、って顔に書いてるよ」
 フリージアは笑いながらリベルタの頬を指でついた。だがその時、左手方向から足音が近付いてくるのに三人は気付いた。
「!」
「この足音は…」
 それは、床を踏み鳴らすような威圧的な足音だった。リベルタは、制服を来た少女氷魔でない事をいち早く察知すると、無言で二人に合図を送り、右手方向に足音を立てないよう移動した。

 大きな壺が飾ってある窪みを見つけると三人はそこに身を隠し、簡易魔法で壁面の幻影を張って、何者かが通り過ぎるのを待った。
 リベルタが予想したとおり、それは城の正規の兵士たちだった。ナロー・ドールズより大きな体躯で、手にした剣や槍、装甲の強度も段違いである。何より、明確な知性を持っているのが厄介だった。それが三体、無言で通路を巡回にあたっていた。
 やがて足音が去ると、三人はほっと胸を撫で下ろした。
「危なかったわね」
 壁の幻影が見破られた時に備え構えていた小剣を、リベルタは鞘におさめた。
「戦って勝てないわけではないけど、正規兵となると簡単にはいかない。城側に通報されたら厄介だわ」
「ディジットをリリィが倒した件もあるし、警戒が強まってるかも知れないわね」
 フリージアは、前後の通路を交互に睨んだ。今の所、さきほどの兵士たち以外に敵がいる気配はない。
「ねえ、なんか変じゃない」
 ぽつりとヒオウギが呟いて、二人は振り向いた。ヒオウギは難しい表情で、跪いた姿勢で下を向いて考え込んでいる。フリージアが、少し呑気な調子で訊ねた。
「なにが?」
「さっきの、私達が倒した少女氷魔たちよ。私達を狙って攻撃してきたって事は、仮にその身体を操られていたにせよ、それを差し向けたのは城側の何者かって事でしょ」
「まあ、そうでしょうね」
 フリージアとリベルタは、ヒオウギが言わんとするところを掴み兼ねて首を傾げた。しかし、ヒオウギは不意に立ち上がると二人を見て言った。
「おかしいわよ。だとしたら、いま通り過ぎた兵士達が、私達に倒されたあの少女たちを探している素振りも見せないのは、なぜ?」
「あっ」
 今度はリベルタ達も、なるほどと考え込んだ。
「そういえばそうだね」
「ただ普通に巡回してます、って感じだった」
 リベルタとフリージアは、ヒオウギのカンの鋭さに尊敬の眼差しを向けたが、当のヒオウギは小さく頷くだけだった。
「でしょ。そうなると、一体あのゾンビのような少女氷魔たちを差し向けたのは何者なのか、という話になる」
「そうね。私達レジスタンスを狙っているのは間違いないにせよ、城の巡回兵士とまるで無関係に行動している、というのは理解できないわ」
 では、一体何が起きているのか。それを考える余裕は、次の瞬間になくなってしまった。
『うおおっ!!』
『なっ、何者だ貴様ら!!』
 巡回兵士たちが去った方向の奥から、反響でぼやけているが、はっきりとそう叫ぶ声がしたあと、ガシャンと何かが倒れる音がした。
「なに!?」
「まさか、さっきの…」
「行ってみよう!」
 リベルタが率先して、小剣を手に駆け出した。慌ててフリージア達も続く。

 それは、奇妙な光景だった。ついさっき、リベルタ達の前を通り過ぎた城の正規兵たちが、何かと戦った形跡もなく、糸の切れた人形のように通路に倒れているのだ。
「どういうこと」
「ねえ、似てない?さっきの猫レジスタンスが伝えてくれた話と」
「あっ」
 リベルタは、即座に合点がいった。オブラが伝えた所によると、リリィ達もこの兵士たちと同様に、争った形跡もなくアジト内で倒れていた、レジスタンスを発見したのだ。その直前に悲鳴を聞いているのも同じである。
「いよいよ私達も、幽霊とやらと戦う羽目になるってことか」
「そうなると危険だね。リベルタ、あなたは多少対抗できるかも知れないけど、私達は幽霊相手じゃ分が悪い」
 ヒオウギは、フリージアの肩をポンと叩いて渋い顔をした。リベルタは顎に指を当てて思案した末、「よし」と頷く。
「この付近のハイクラスチームに、まずアイスフォンの件と、幽霊の件を報告する。そのあと、速やかにルテニカ達と合流する」
 ヒオウギも同意したが、フリージアはまだ不安があるようだった。
「合流するのはいいけど、六人中の三人だけでしょ、幽霊に対抗できるのは」
 すると、リベルタがだいぶ悩んだ末に、ぽつりと呟いた。
「やむを得ないか」
「え?」
 何がやむを得ないのか、フリージアには解りかねた。
「やむを得ないって、何の話」
「…合流したら説明する。いずれ明かすつもりではいたんだけど」
 だから、何の話だ、と訊ねるも、リベルタはそれ以上説明してくれないのだった。

 ハイクラスの少女兵士達は、基本的に下のクラスとの関わりを持たない。稀に例外もあるが、全体としては交流じたいが希薄であり、それはレジスタンスでも同じだった。
 その中で比較的物わかりがいいというか、少なくとも階級の違いで、交流じたいを突っぱねるような事はしないチームがいた。リベルタやフリージアも顔見知りで、実力も当然それなりに高い。
「いるかな」
 極端に細い通路の真ん中あたりで、三人は立ち止まる。リベルタの大きな弓は、携帯用に縮めた状態でも動くのに邪魔になるほどだった。
 一見何もない壁の、ある一点をフリージアはノックした。おなじみの、魔法で隠したアジト入口である。
 しかし、中からは何の反応もなかった。
「留守かな」
「あの慎重な人達が、完全にアジトを空ける事はないと思う」
「そうだね」
 リベルタの意見にフリージアはもう一度、壁をノックしてみる。しかし、やはり反応はなかった。これは何かおかしい、と思い始めた、その時だった。壁の奥から微かに、何かがドサリと倒れる音がした。
「!」
 瞬間的に何かを察知した三人は、頷き合って行動を決めた。
「フリージア、やれる?」
「…やってみる」
 フリージアは、ヒオウギに自信なさげに答えながら、戦闘用ナイフを構えて見えないドアの前に立った。
 普段なんとなく温和そうに見えるフリージアの目つきが、狙撃手のように研ぎ澄まされた。壁面を無言で睨むと、ある一点に視点を定め、ナイフを視認不可能な速度で突き出した。
 フリージアの長く鋭いナイフの切っ先が、楔のように壁面に穿たれる。すると、その一点を中心に、一瞬で壁面全体に、放射状に亀裂が走った。
「やばっ」
 フリージアが焦った次の瞬間、魔法で形成されていたドアが姿を現し、ガシャーンと盛大な音を響かせて粉々に割れてしまった。これはフリージアの特技で、魔法で施錠、隠匿されたドアなどを破壊できるのだ。ただし、破壊したら二度と元には戻せない。また、フリージアの力を超える強固な魔法には歯が立たない、という弱点はあった。
 加えて静かに開ける事が不可能な点も問題で、もし、近くに城の巡回兵士でもいたら、即座に飛んでくるに違いない。三人は床に散乱したドアの残骸を見つめながら、足音が近付いてこない事を確認すると、胸に手を当てて安堵した。

 三人は慎重に、ハイクラスのレジスタンスが潜むはずのアジトに足を踏み入れた。そもそも今の騒音でも誰も出て来ない時点で、何か起きているらしい事は明白である。
 リベルタが、ゆっくりと室内の様子を確認する。だが、そこには観察するまでもない光景があった。
「あっ!」
 三人は一様に驚いた。またしても、先程の巡回兵士たちのように、レジスタンスの少女たちが三人、倒れていたのである。一人はテーブルに突っ伏すように、あとの二人は床と壁に、投げ出されるように倒れていた。すでに死んでいる事は、一目見ただけで確認できた。
「これは…」
 リベルタは、床に倒れている少女を確認した。武器は持っていない。よく見ると、長大な剣が壁に立てかけてある。そもそも戦闘などは行われていなかったらしい。
 他の二名も同様で、装備品が乱れた様子もなく、ただ単にその場で倒れてしまった、という様相である。オブラからの情報と照らし合わせると、やはり件の幽霊による魂への攻撃、という可能性が高そうだと全員が同時に考えた。
「リベルタ、もう猶予はない。やっぱり、一刻も早くルテニカ達と合流しよう。あたし達も、この人達と同じ目に遭う事になる」
 ヒオウギは冷徹に言い放つ。リベルタもフリージアも、やむなしという顔をしていた。
 そうして三人が、哀れに倒れているハイクラスの少女達を置いて立ち去ろうとした、その時だった。
「ん?」
 リベルタが、何かに気付いて立ち止まった。
「どうしたの」
 ヒオウギが振り返ると、リベルタはテーブルに伏せる少女の手元をじっと見ていた。
「何かあるの?」
「見て、これ」
 リベルタが指し示したのは、倒れた少女の指先にあるテーブルの面だった。そこには、引っかき傷で「L」という文字が書かれていた。
「これは…文字?」
「人間の、アルファベットだね。"エル"」
  氷魔は基本的にあまり文字を必要としないが、情報伝達など必要な時には、アルファベットを基にした氷魔文字を用いる。時にはアルファベットをそのまま用いる事もあった。
「どういうこと?」
 ヒオウギは怪訝そうにその文字を睨んだ。倒れている少女は、どうやら今際の際に自分の指で、テーブルに引っかき傷で文字を書き残したらしい。
「どうやら、何か死に際に伝えたかったらしいわね」
「見て。エル、の続きを書こうとしてたみたい」
 アルファベットのLの右にも、続く文字を記そうとしていた形跡はあった。しかし、そこで力尽きたのか、二文字目は微かにテーブルを傷つけただけで終わっていた。
「どういう意味かしら。エル、って」
 リベルタは首を傾げた。
「ま、単純に考えるなら犯人の名前よね」
「単純すぎない?」
 フリージアがヒオウギの説に異を唱えるも、リベルタは「なるほど」と答えた。
「死に際に、あれこれ複雑に考える余裕なんてないはずよ。だからこれは敵の名前とか、ごくシンプルな意味だと思う」
「じゃあ何?敵の名前は、イニシャルが"L"の何者かって事?」
 ヒオウギの問いに、リベルタは「うーん」と首をひねった。そんな名前はいくらでもありそうだ。
「リベルタ、あんたの名前のイニシャルだってLだよ」
「あっ」
 人間のアルファベットだと、リベルタの綴りは"Liberta"となる。だからといって、自分が犯人です、などという馬鹿な話があるはずもない。
「リリィもLでしょ。"Lily"」
 今度はリベルタも言い返す。
「だったらルテニカは?」
「残念。"Ruthenica"でした」
 フリージアが意地悪っぽく返す。緊迫しているはずの場面で、どうにも低次元なやり取りが始まったところで、三人は何やらどっと疲れがきて、とにかくそのルテニカ達と合流しよう、という事になったのだった。
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