絶対零度女学園

ミカ塚原

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氷晶華繚乱篇

亜空間

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 そこは、百合香にとってなぜか既視感のある空間だった。

 地面があるのかないのか、紫色の煙のようなものに覆われた茫漠たる大地が広がり、空は同じように紫色のオーロラが、どこまでも広がっていた。

 侵入する前に見上げた氷巌城は、まるで町ひとつを覆わんばかりの大きさに見えたが、それにしてもここまでの広大な空間を内包できるとは思えない。あの、謎の闇に飲み込まれたあと、いったい自分はどうなったのか。
 見渡しても仲間の姿は見えない。そして、さらに深刻な事態に百合香は気付いた。
「…瑠魅香?」
 百合香は、背筋に戦慄が走るのを感じた。いつも共にあり、身体を共有している瑠魅香の存在が、百合香の中から消え去っているのだ。
「瑠魅香!」
 蒼白になって、百合香は虚空に叫ぶ。今までずっと一緒にいて、文字通り一心同体だった瑠魅香が、いなくなってしまった。それは、リベルタ達の姿が見当たらない事も忘れるほどの恐怖だった。
 だが、零れそうになった涙が、背後からの声の驚きで引っ込んだ。
「落ち着け」
 その冷たい声色に、百合香は一瞬で警戒し、自分でも驚くほどの反射神経で剣を抜き放ち振り返った。
 百合香の剣は、やんわりともう一本の湾曲した剣で受け止められた。その剣を握るのは、つい先刻まで戦っていた長髪の隠密、エレクトラだった。
「あっ…あなたは!」
「リリィとか呼ばれていたな」
 百合香の剣を必死に抑えつつ、エレクトラは言った。
「これは、あなたの仕業!?みんなはどこ!」
「落ち着けと言っている。剣を下ろせ」
 刃を放して一歩下がると、エレクトラは自分から剣を鞘に納めてみせた。百合香は面食らい、剣を向けたまま訊ねる。
「…どういうつもり」
「どうもこうもない。今、お前と剣を交えたところでどうにもならない、ということだ。それとも、お前はこの空間の正体を知っているとでもいうのか?」
 エレクトラは、わざとらしく両手を広げて背後の空間を示してみせた。相変わらず、どこまでも同じ空間が続いている。
「あの闇の渦に巻き込まれたあと、気付いたらこの空間にいて、お前が倒れていた。かれこれ2時間は経つ」
「…どうして、その間に私の首を刎ねなかったの」
「ふっ、綺麗な顔で物騒な言葉を吐くやつだ。もちろん、考えたとも。お前のような厄介そうなレジスタンスは、この機会にさっさと始末すべきだとな。だが」
 エレクトラは諦めたように座り込むと、片膝を立てた。
「こんな奇怪な空間は、私も知らぬ。たとえお前が敵であろうと、この状況で一人になるのは得策ではない、と判断したまで」
「一時休戦、手を組もうということ?」
「ばかを言え。私はお前を利用するだけだ。何かあった時の保険としてな。お前も私を利用するといい。だがこの空間から抜け出したら、即座にその首は貰う」
 エレクトラは人差し指で、百合香の首をかき切る真似をしてみせた。百合香は面白くなさそうに、自らも剣を納める。
「わかったわ。気は進まないけど」
「それでいい」
 エレクトラは立ち上がると、腕組みして周囲を睨んだ。
「それはそれとしてだ。お前と束の間手を結んだところで、このわけのわからぬ空間から出られる手立てが見つかったわけではない」
「あなたはほんとうに知らないのね?ええと…」
「エレクトラだ」
 百合香を見るでもなく、エレクトラは名乗りながら再び剣を抜いた。一瞬警戒した百合香だったが、エレクトラは剣で地面を打ち鳴らしていた。
「妙な霧に覆われているが、下はどうやら堅固な岩場…いや氷のようだな」
「つまり、ここはやはり氷巌城の中?」
「それはあり得まい。この広い空間を見ろ。いかに氷巌城が広大とはいえ、こんな空間を収められる筈がないのは自明の理だ」
 百合香がさきほど考えた事を、エレクトラは述べた。百合香も自らの剣を逆手に握り、地面に突き立ててみる。だが、アグニシオンをもってしても、砕くのは容易ではなさそうだった。
「エレクトラ、聞いて。実は私達、何時間か前に、これと全く同じではないけれど、似たような目に遭ったの」
「なに?」

 あてもなく歩きながら百合香は、アルタネイトと名乗った額縁の姿の氷魔と、奇怪な聖母像が立つ礼拝堂の事をエレクトラに説明した。敵であるエレクトラに、こちらが得た情報を話すのは気が引けたが、百合香としてもこの空間から脱出する事が最優先に思えた。瑠魅香もそうだし、姿が見えないリベルタ達も気にかかる。
「聖母像だと?」
 怪訝そうにエレクトラは訊ねた。
「それが、先刻のあの奇妙な鳴動と関わっているというのか?」
「間違いない。あの聖母像は、アルタネイトが集めた氷魔エネルギーで再生を続けていた。けれど、アルタネイトはなぜか、完全な再生は意図的に止めていたみたい」
「つまりリリィ、お前達の観察が正しければ、その聖母像が完全に再生したことで、この奇怪な現象が起きた事になるな」
 エレクトラはそう断言した。百合香も頷く。
「ええ。そしてあのアルタネイトという氷魔が、聖母像を完全に再生させなかったのは、この事態を避けるためだった。そう考える以外にない」
 もう隠しても仕方ないと、百合香はエレクトラの目を見て言った。琥珀色の視線が、百合香の紅い瞳と交差する。
「なるほど。推測するに、そのアルタネイトとかいう氷魔は、聖母像の持つ魔力を自分のために利用していた、ということだな」
「けれど、私達に敗北した悔し紛れに、あいつは死ぬ前に聖母像を完全再生させてしまった」
「その結果が、このざまというわけか」
 やや自嘲ぎみにエレクトラは苦笑した。百合香はふと気になって、ひとつ質問した。
「あなたは本当に知らないの?これだけの力を持った氷魔の存在について」
 すると、エレクトラはふいに立ち止まり、再び剣を鞘におさめて腕組みした。
「私は主の命によって、正体不明の鳴動について調査に訪れただけだ。主すら知らぬ事を、私が知るはずもない」
「主って誰?氷魔皇帝ラハヴェのこと?」
 百合香がそこまで言うと、エレクトラはきっぱりと言い返した。
「リベルタという奴にすでに話した。敵であるお前に、ことさら私の立場を説明して何になる」
「あんた、隠密っていうわりに口数多いよね」
 その一言がエレクトラの何かを刺激したのか、エレクトラは眉間にシワをよせて百合香の眼前に一歩迫った。
「わたしにそれ以上、馴れ馴れしくするな。さっきも言ったとおり、ここを脱出した瞬間に、きさまの首をもらう」
「脱出する手立てはあるの?」
「ないからこうして、お前なんぞと並んで不毛な空間を歩き回っているんだ!」
 突然憤りをみせたエレクトラの様子が可笑しくて、百合香は思わず吹き出してしまう。エレクトラはさらに声を上げた。
「何がおかしい!」
「ううん、なんだかあなた、私の相棒と似てるなと思って」
「お前の相棒など私が知るか!」
 まるで何を言っているのか理解できない様子で、エレクトラは百合香に迫った。だが百合香は、瑠魅香がいなくなった事を思い出し、ふいに立ち止まってかがみ込んだ。エレクトラは仁王立ちして百合香を見下ろす。
「おい」
「…何でもない」
「何でもないなら立てばいいだろう」
 敵にデリカシーなど期待するのも無駄だが、そのエレクトラの傍若無人な言い草も、百合香の不安を鎮めることはできなかった。
 瑠魅香はいったい、どうして消え去ってしまったのか。それとも、この空間のどこかにいるのか。
「さっきお前が叫んでいた名前か。ルミカ、とか言っていたが」
 エレクトラは立ったまま訊ねた。百合香は小さく頷く。
「さっき、リベルタのもとに駆け付けた連中の中にいたのか?お前の相棒というからには、そいつもそれなりに腕が立つのか」
 エレクトラの口振りは、隠密というよりはむしろ、好戦的な戦士のそれを思わせた。
「ならば、そいつも見付けしだい、早急に首を刎ねてやらねばならんな。あのリベルタといい、厄介なレジスタンスは一人でも、減らしておくに越したことはない。瑠魅香だな、覚えたぞ」
 そのエレクトラの挑発するような態度に、百合香はわずかに苛立ちを覚えた。首を刎ねる、首を刎ねると、いま一時的にでも手を組んだ相手に向かって言うことか。そう思うと、知らず知らずに百合香は立ち上がっていた。
「…あんたごときに、瑠魅香が負けるはずないでしょ。あいつは強いわ。私なんかよりもね」
「ほう。ますます手合わせしてみたくなった。お前では私の相手になど、なりそうもないからな」
「バカにしないで!」
 次の瞬間、剣の噛み合う音が不毛な暗闇に響きわたった。聖剣アグニシオンと、湾曲した剣がぶつかり合う。
 剣の速さではわずかに、エレクトラが勝っていた。だが、一撃の重さでは百合香に分があった。両者の剣は、ほぼ互角と言えた。
「そうだリリィ、お前の本当の力を見せてみろ!」
「のぞむところよ!」
 両者は大きく後退し、百合香は大上段に、エレクトラは居合いのように低く水平に、互いにタイミングをはかった。わずかの時間差もなく、同時に両者の技が放たれる。
「ゴッデス・エンフォースメント!」
「シャドウ・パルサー!」
 聖剣アグニシオンから放たれた重力の刃と、エレクトラが放った電撃の刃が、真っ向から激突した。その瞬間、互いの身体は恐るべき衝撃にさらされた。
「うっ!」
「ぐああっ!」
 互いに吹き飛ばされるか、さもなければ身体が砕けるかというほどの衝撃だった。互角。そう、いま百合香とエレクトラの力は、完全に互角だった。
 両者の激突は、広大無辺に思われる闇の大地をも、揺るがさんばかりに思えた。否、事実それはこの大地を揺るがしていた。エレクトラは百合香に向かって言い放つ。
「それがお前の最大の力か!あの、リベルタの弓ほどではないようだな!」
「なめるなーっ!」
 百合香は何もかもを吐き出すかのように、アグニシオンのエネルギーを振り絞った。

 その時。

 突然の出来事に、ふたりは放っていたエネルギーを解き、距離を取ってその場を離れた。
「なっ、なに!?」
「慌てるな!」
 エレクトラは、百合香に動かないよう合図した。そこで百合香はようやく、エレクトラの目論見に気がついた。
 百合香とエレクトラは、互いが放ったエネルギーの余波が、空間全体に散るように消えて行くのを見た。その光景に、百合香は既視感があった。
「これは…あの時の!」
 百合香は、アルタネイトとの戦闘中に、聖母像にエネルギーが吸収されてゆく現象を思い出していた。いま起きているのはまさに、その様子に酷似しているのだ。
「聖母像だと?」
 エレクトラが確認すると、百合香は頷く。
「似ている…私達のエネルギーは、まるで避雷針に雷が吸い寄せられるように消え去ってしまったの」
「やはりな」
 エレクトラは得心がいった様子で、消えてゆくエネルギーを見つめていた。百合香が訊ねる。
「わざと私を挑発して、技を撃たせたのね。これを確かめるために」
「それだけでもない。お前の力のほどを、確かめておきたかったからな」
 剣をおさめると、エレクトラは地面や空の様子を確かめた。全ては再び、もとの空虚な闇の空間に戻ったようだった。
「リリィ。お前からの情報と、いま起きている事を総合する限り、やはりこの異空間は、お前の言う聖母像とやらに関係があるらしいな」
「いったい、あの像は何なの?氷魔なの?何か知っているなら教えて」
 百合香も、エレクトラにはめられた事への苛立ちを多少見せつつ、剣を納めて歩み寄った。エレクトラはかすかに笑みを浮かべる。
「さっきも言ったとおり、私には何もわからん。だが、ここは想像を飛躍させる必要がありそうだ」
「飛躍?」
「そうだ。この広大な空間が、氷巌城の中に現れるはずがない。だとすればここは、何らかの魔法のような力で創られた、一種の亜空間とでも理解すべきなのではないか」
 亜空間。その言葉で百合香は、以前瑠魅香から言われたことを思い出した。
「精霊の住む世界みたいな?」
 その問いに、エレクトラはハッとして百合香を見た。何か思い至ったような表情だ。わずかに目を見開いた様子を見せたのち、黙り込んでしまう。気になって、百合香は問い詰めた。
「なに?何か思い当たる事でもあったの?」
「敵のお前に、話す必要はない」
「けち」
「お前―――」
 いよいよ素の感情らしきものを見せたエレクトラが、ふいに冷静な表情に戻ると、静かに剣に手をかけた。百合香はまたも警戒するが、すぐにエレクトラの視線が百合香以外に向けられている事を理解した。
「リリィ、剣を抜け」
 エレクトラに言われるまでもなく、百合香もまた聖剣アグニシオンを抜き放つ。ゆっくりと振り返り、エレクトラの視線の先にあるものを百合香は見た。
「なに…!?」
 驚愕する百合香の視界に入った、剣を携えたふたつの影。それは全身が漆黒に彩られた、百合香とエレクトラだった。
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