~【まおうすくい】~

八咫烏

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第48話『酒宴』

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衛兵さんの案内で、クレアの待つ部屋の扉の目の前までやって来たユーカとヴェルは、衛兵さんに確認もとらずに扉に手をかけて踏ん張り、その手に力を込めた。

「ふんっ!」

薄々気がついてはいたが、ユーカは扉を開ける際にはまったく戦力にならないので、ほとんどヴェルがひとりで開けている様なものであった。
しかし、気がついていても何も言わないのが、ヴェルの優しさなのだ。

「なによ?」

目は口ほどに物を言う。それはヴェルにも当てはまった様で、ヴェルの視線に気がついたユーカは腹立たしげにヴェルの事をギロりと睨み返した。
すると、部屋の奥の方から笑い声が聞こえてきた。
笑い声はしばらく続き、笑いすぎて呼吸ができなくなり、笑い声の主が咳き込んだ事でようやく収まった。

「はぁ…ふぅ。いやぁ、君たちは相変わらずだね。」

笑い声の主であるクレアは、部屋の奥に設置された玉座で、偉そうに踏ん反り返ってユーカとヴェルを迎えた。

「お帰り。」

「ただいま。」

「うむ。」

3人は軽く挨拶をすませると、クレアはすぐに、部屋の中にいたボディガードや他の偉そうな人たちを追い出した。

「本当は執務室でも良かったんだが、使者の帰還だからココでやれってうるさくて、ね。」

クレアは完成したばかりの部屋をぐるりと見渡した後、肩をすくめておどけて見せた。
今日のクレアは使者の出迎えと云う名目なので、男装して礼服に身を包んでいる。

「格好良いの!」

以前にもクレアの男装は目にしていたはずなので、クレアは今頃その姿を褒められた事に違和感を覚えたが、鋭いユーカはヴェルの言わんとしている事が簡単に分かった。

「あなたには似合わないわよ。」

ヴェルの発言をさまたげるかの様に、ユーカは先回りして核心を突く。

「むぅ…。」

ヴェルはすんなりと引き下がり、しょんぼりして左手の掌にぐるぐると右手の人差し指で円を描いている。

「あとで貸してあげるよ…。」

今度はクレアもヴェルの心が読めた様で、苦笑いしながらもヴェルの希望を叶える事にした。

「甘やかせないでよ。」

ユーカはため息とともに首を左右に振るが既に手遅れであり、ヴェルはにぱっと顔を上げてクレアに笑顔を向けると、ユーカに向けてガッツポーズを取って高らかに宣言した。

「押してダメなら引いてみろ作戦、成功じゃ!」

ユーカは先ほどよりもさらに大きなため息をついて、ヴェルを宥めた。

「クレアは分かってたわよ。」

「むぅ?」

そんなはずがないだろうと、ヴェルは驚きよりも疑わしさの方が優った表情をしてユーカを見た。
当のクレアはただただ嗤っているだけで、ユーカの言葉を否定も肯定もしなかった。

「まぁ…そんな事よりも、早速で悪いけど魔王領での出来事を報告してもらっても良いかな?」

このままでは、なし崩しにグダってしまいそうだったので、クレアは表情を引き締めてユーカとヴェルに報告を促した。

「むぅ、約束じゃからな。」

ヴェルはむっつりと唇を尖らせて言うと、難しい話題はユーカに丸投げするかの様に、ユーカの肩に手を置いた。
ユーカはその手をぎゅっと抓ってヴェルを睨んでから、クレアに報告を始めた。

「魔王領の情勢は至って穏やかね。はいコレ。」

ユーカは手に持っていたフェリスの親書をクレアに渡す。カバンは持って入る訳にはいかなかったので、手に持っていたのだが、いつの間にか握りしめてしまったらしく、少しクシャっとなっていた。
一応は大事なものなので、クレアは少しだけ眉を顰めたが、特に何も言わずに受け取り、封を破いた。

「ここで読むの?」

ユーカはてっきり自室に戻ってからゆっくり読むものだと思っていたので、ユーカとヴェルの前で開けるとは思わず、クレアの行動に驚いて言った。

「どうせ君たちの事が書かれているんだ、気になるだろ?」

クレアはニヤリと悪人の様な笑みを浮かべ、ユーカとヴェルを順番に見た。
確かに、フェリスがクレアに宛てて書いた親書の内容は気になるが、だからといってソレを読んでいい理由にはならない事くらいは、ユーカとヴェルにも分かっていた。
そのため、ふたりは返答に困り、ただ素っ気なくひと言発する事しか出来ずにいた。

『別に…。』

ユーカとヴェルが同時に口を開いてそれだけを言うと、クレアは満足したのか、開いた親書を読み始めた。
書面とにらめっこをしているクレアを、ユーカとヴェルは固唾を呑んで見守る。ふたりは、フェリスが変な事を書いてない様にと祈りながら、クレアが読み終わるのを待った。

しばらくすると、顔の前でキープしていた親書を膝の上に下げ、クレアが顔を出す。
クレアはフウっと肺に溜まっていた空気を吐き出すと、ジト目でユーカとヴェルを見る。

「君たち…。」

ユーカとヴェルから視線を外すと、首を左右に振りながらクレアは言った。

「教会で憑き物を落としてもらった方がいいんじゃないかな?」

ユーカとヴェルを見るクレアの瞳は、憐れみと慈愛で満ち溢れていた。

「私じゃなくてヴェルね。と言うよりも、むしろヴェルね。」

「誰が貧乏神かっ!」

珍しく高度な会話についてこれたヴェルは、さりげなく罪をなすりつけるどころか、原因そのものにするユーカに遺憾の意を全身で表明する。

「私、今年の運勢は良いはずだもの。」

何を根拠に発言しているのか、クレアは心底不思議に思ったがそこには突っ込まずに、ヴェルの反応を待った。
ヴェルはヤイヤイとその場に寝っ転がって全身をばたつかせていたが、ユーカの今年の運勢を聞いてピタりと動きを止めた。

「なん…じゃと!?」

「つまりあなたが貧乏神なのね。」

先ほどは遠回しに言ったが、今度はストレートに貧乏神と表現する。

「うむぅ…。」

ヴェルは本気で気を落とし、耳をひょこひょこと動かしている。

「まぁ、あなたが貧乏神でも私は気にしないわよ。」

気落ちしたヴェルを励ますかの様に、ユーカはヴェルの肩に手を置いて、ポンポンと叩いた。
ヴェルは顔を上げてユーカの顔を見上げると、ユーカはニヤリと笑いながら、今年の自分の運勢を自慢する様な顔をした。

「むっきゃーっ!おぼえておれぇえ!」

今度こそヴェルの止まらないジタバタが始まり、しばらくユーカとクレアは顔を見合わせて笑いあった。


ヴェルは尚もプリプリとしていたが、クレアのひと言によって一瞬のうちに機嫌を直した。
その魔法の言葉は、機嫌を悪くしたヴェルにとっての唯一の特効薬なのかもしれない。

「今夜はヴェルのために焼肉パーティだよ!」

クレアがそう言うと、ヴェルは目を輝かせてクレアに突進する様に抱きついた。

「最高じゃ!クレアは分かっておるの!」

思わず興奮してしまったヴェルは、無意識にツノが顕現してしまい、そのツノも嬉しそうに動いている。

「じゃ、お肉の調達は君たちに任せるね。」

クレアはもののついでに軽く頼むかの様に、ユーカとヴェルに任務を課した。

「うむ、任せておくのじゃ!」

肉と云うワードしか聞き取っていないヴェルは、素直にクレアの頼みを承るが、ユーカはそうはいかなかった。

「ちょっと…。私たち帰って来たばっかりなんだけど?」

強く断るわけではなかったが、何か裏がありそうだと思ったユーカは、やんわりと探りを入れる。
すると、クレアは観念するかの様に両手を頭の上に挙げて降参のポーズを取った。

「いやぁ、敵わないなぁ。」

魔王領に行っても、ちっともブレないユーカを再確認し、クレアは嬉しそうに優しい笑みを浮かべて言うった。

「帝都の人も巻き込んで、酒宴でも開こうって感じかしら?」

「さすがだね、その通りだよ。」

「都の復興の慰労が目的ね?」

ユーカは確認を取る様にクレアに尋ねると、クレアもその通りだと首肯する。
ヴェルは肉さえ食べられれば良かったが、さらに酒宴と云うワードも耳に飛び込んで来たので、今夜は肉と酒とバカ騒ぎが楽しめると云う考えに収束した。

「今夜は最高じゃな!」

嬉しそうに鳴くヴェルを横目に、ユーカは食べることができる野生動物が棲む場所を頭に思い浮かべて、いくつか候補地を決める。

「まぁ…仕方ないわね。」

自分が住んでいた土地をめちゃくちゃに破壊し尽くされても、大きな混乱も起きずに立て直したのは、ひとえに住民たちの協力があったおかげだろう。そう思ったユーカは結局、クレアの頼みを受ける事にした。

「ほら、いつまでヨダレ垂らしてるのよ。」

「みゅっ?」

ヴェルにくっ付かれていたクレアは、せっかくの男装の衣装をすっかりヴェルのヨダレによって汚されていた。

「むぅ…すまぬ。」

最後にクレアの袖でヨダレを拭くと、ヴェルはユーカに続いて部屋から退出した。
残されたクレアは、ヴェルのヨダレにまみれた服を見て呆然としながら、閉まる扉を見送った。



「して、我らは何をすれば良いのじゃ?」

話を半分どころか一部分しか聞いていなかったヴェルは、とことことユーカの後ろを追う。さすがに興奮は冷めた様で、ヴェルのツノは消えていた。
ユーカは最初に通された部屋に戻り、カバンを肩に掛けると、横に置いてあったヴェルのとんがり帽子を掴んで、ヴェルの頭に乱暴に載せた。

「お肉を獲りに行くのよ。」

「ふむ…。」

キョトンとしているヴェルに、ユーカは諭す様な声で言った。

「今夜の酒宴に供されるお肉を私たちが獲りに行くの!」

「なんと…早くせねば酒宴に遅れてしまう。」

ヴェルの心配するポイントは少しズレていたが、事の重大さは伝わったので、ユーカは少し満足そうに頷く。
そして、ユーカとヴェルのふたりは、地下空間から地上に出る道を足早に歩んだ。

「しかし…よく一度で覚えられるの。」

行きは衛兵さんが案内してくれたが、複雑な経路は、とても一度通っただけで覚えられる様な代物では無かった。それをいとも容易く進んで行くので、ヴェルはユーカが迷っているのではないかと心配になった。

「迷ってなんかないわよ!」

口には出さなかったはずなのに、心のなかで思っていた事をピンポイントに指摘され、ヴェルは慌てて違う話題をユーカに振った。

「どこで狩るのか目星はついているのかや?」

平静を装ってはみたものの、少しだけ声が上ずってしまったかもしれないと、ヴェルはビクビクしながらユーカの返事を待った。

「まぁ…一応はね。」

話題の転換に成功したヴェルは、ホッとして顔を緩めた。

「あなたにはビシバシ働いて貰うからね。」

しかし残念。複雑な経路を一度で覚えられるユーカが、少し前の出来事を忘れる事などあり得るはずもなく、ヴェルはがっくりと肩を落としつつ、通路の先からこぼれて来た光に目を細めた。

「さてと…。とりあえず王都から少し離れましょ。」

帝都がドラゴンの手によって壊滅したのは揺るぎない事実であり、いくらユーカとヴェルが恩人だからと言って、この地でドラゴンを翔ばすのは少し抵抗を感じた。
そのため、ふたりは徒歩で帝都から離れ、そこからドラゴンに変身したヴェルの背に乗りかかり、目的地へと向かった。

今回もユーカは隔絶結界には篭らず、ヴェルの自慢のふさふさとしたタテガミを掴んでいる。
どうもユーカは、ニャールタカ城の執務室に張られていた隔絶結界が引っかかっている様で、謎が解けるまでは隔絶結界を使う気になれないのであろう。

「コノアタリニクルノモ、ヒサカタブリジャノ。」

「えぇ、何も変わってないわね。」

ふたりは深い森林のあるカムスカ地方に向かっていて、その道中の景色には見覚えがあった。
帝都の街並みが消失したり、魔王領の南部地域を代表するニャールタカ城が崩壊したりと、人の手によってつくられたモノが朽ちて行く中、自然だけは姿を変えずに残っている。

「そろそろ良いかしら…。」

「ウム。」

しばらくすると、地面は緑一色の深い森に覆われて、たくさんの動物たちが気配の感知にかかった。
ヴェルは適当な場所を見つけて降りると、ユーカもヴェルの背中から飛び降りた。
ヴェルはユーカの着地を確認すると、自身もドラゴンからヒト型へと姿を変えて、森の中で小回りが利く様にする。

「うむ、準備完了じゃ!」

目の前に広がる深い森に、ヴェルは冒険心がくすぐられすっかりその気になっていた。

「仕事はしっかりとしてよね。」

ユーカはヴェルに釘をさす様に、ここまで来た目的をもう一度ハッキリと告げた。

「夜ご飯のためのお肉をできるだけたくさん集めるのよ。食べられるやつね!」

残念ながらヴェルは、ユーカの言葉を聞き終わる前に飛び出してしまい、最後の方の内容は耳に入ってなかったかもしれなかった。
ユーカは目の前に広がる森林に負けないくらいの深い溜息を吐くと、ヴェルを戦力外と考えて行動する事に決めた。
肺に溜まっていた空気をすべて吐き出すと、森の中の新鮮な空気を吸い込み、気を落ち着かせて精神を集中させた。
限界まで張り詰めた神経で感知した対象の中から、現在地に近くてかつ反応が大きいものに狙いを絞る。

「先ずはあそこね。」

誰かに言ったわけではなく、ユーカもヴェルと同様に気分が高揚していて自然に出た言葉であった。




西の空が赤みを帯び、東から静寂が訪れようとしていた頃、ユーカとヴェルは互いの戦果を確認しあっていた。

「何よこれ?絶対お腹壊すじゃない。」

「喰らってみねば分からぬであろう!」

紫色をした毒々しい大きなカエルを見てユーカは、ヴェルを戦力外と判断した事は正しかったと心の底から思った。

「これとコレ、それからこれも。」

ユーカはヴェルの戦果のうち、明らかに食すのには適さないものを魔法で燃やすと、手を合わせてから灰になったそれらを森に蒔いた。

「むぅ…。」

ヴェルは少し不服そうにしていたが、それらを口にしたせいで帝都の住民に被害が出たら取り返しがつかないので、灰を蒔くユーカを手伝った。
蒔いた灰は木々の養分になり、豊かな森を育んで行くだろう。

「さてと、それじゃ戻りましょうか。」

3割ほど減ったヴェルの戦果と、ヴェルの分まで頑張ったユーカの戦果を合わせると相当な量になり、ユーカはサラりと軽く言ったが、これらのすべてを持ち帰る役割を担うヴェルは思わず汗が頬を伝った。
ヴェルはチラりとユーカの顔を盗み見ると、ユーカの目とバッチリあってしまう。
ユーカはヴェルの目の色からすべてを悟り、ヴェルが何かを言うよりも前に釘を刺しておく。

「任せたわよ。」

「ぐぬぅ…。」

ヴェルは苦い表情をすると、意を決してドラゴンの姿へと変身する。

「ドウヤッテハコブノジャ?」

ユーカひとりが乗るときよりも数倍の大きさになったヴェルは、運ぶ方法はともかく、運べるようにはなった。

「縄で縛ってあなたのしっぽにくくり付ければ良いでしょ?」

そう言うと、ユーカはどこからともなく縄を取り出し、ヴェルのしっぽとふたりの戦果を結び始めた。
ヴェルは次々としっぽにくくり付けられる縄を、悲しそうな表情でおとなしく見守る。

「なによ?」

ユーカがその視線に気づき、ヴェルの方を睨むと、ヴェルはさっと視線を逸らせた。
しばらくユーカの格闘がつづいたが、それもやがて終わり、ユーカはヴェルの背中に登るとタテガミのあたりまで進み、ヴェルの首筋に触れて言った。

「ほら、間に合わなくなっちゃうわよ。」

「ムゥ…。マカセテオレ。」

いつもよりも大きい羽根を、力強くブワリと羽ばたかせると、ゆっくりと空へと浮かび上がると、よたよたといつもは見せない不安定さで帝都を目指した。
普段のヴェルは、飛翔時にはしっぽの動きで空中での制御をしていたのだが、今回はしっぽを動かす事が叶わないので、まったく姿勢が安定しなかったのであった。
結果から言うと、帝都に着く頃にはユーカはヴェルの背中でぐったりとして、ピクリとも動かなかった。
その為、ヴェルはドラゴンのまま帝都の近郊の林の中に降り立つ事になるのだが、幸いな事に、誰にも見つからずにそこまで移動することができた。
ヴェルは自慢のツメでしっぽに結んであった縄を全て切り離すと、背中で横たわるユーカを慎重に地面に下ろして自身もヒト型へと姿を変える。
いつもはユーカが服を渡してくれるのだが、今のユーカは完全に電源が落ちているので、仕方なくヴェルはユーカのカバンを漁った。
手早く着替えると、落ちている棒切れを拾い上げ、頑張って運んできた獲物のすべてをぐるりと囲むように地面に線を引いた。

「これで完璧じゃな。」

本来であればユーカが結界を張っていたはずだが、今は動けるのがヴェルだけなので、自分の好きな様に結界を張れたのであった。

「やはりフンイキと云うものは大事じゃな。」

満足そうに腕を組んで鼻から荒く空気を放出すると、片手にユーカをひょいっと担ぎ上げてクレアの元へと向かった。
しかし、ヴェルは宮殿へと向かう途中にすれ違った青年からポンポンと肩を叩かれたので、その足を止めて振り返る。するとそこには、青年に扮装したクレアが立っていた。

「なぜこんなとこもがっ…!」

「しぃーっ!声が大きいよ、って…。」

クレアは瞬時にヴェルの口を塞ぐと、担がれたユーカを見て口をあんぐりとさせた。

「どどど…どうしたの??」

「実はかくかくしかじかでな…あぁ、それより!」

説明する気がないヴェルは、本当に声に出してかくかくしかじかと言うだけで、本題を切り出した。

「あぁ、手配するよ。ユーカは休ませてあげたらどうかな?」

「心配は要らぬぞ。防衛本能が働いただけじゃからな。」

「そう…。」

クレアはなおも心配そうに、ヴェルに担がれているユーカを見つめていたが、ヴェルはまったく心配していない様子なので、クレアも心配は必要なさそうだと判断した。

「それじゃあ少し戻って運搬の手配をしてくるよ!」

「うむ、よろしく頼む。」

何のために市井の人の格好までしていたのかを聞きそびれたヴェルは、いい暇つぶしができた程度にしか思わずに、ぼんやりと考え事をしながらタイルさんの営む宿屋へと足を向けた。
もしもユーカが起きていたら、間違いなくクレアに確認を取るか、思考のループに陥る案件ではあったが、楽観的なヴェルは屋台を3件ほど通り過ぎた辺りで考えるのを止め、刺激され続ける己の食欲に抗うために注力した。

タイルさんの宿屋の前に到着すると、ヴェルはドアを開けて中へと入った。
中へ入ると、ドアに目を向けたタイルさんがヴェルに気がつき、目を丸くさせた。

「お久しぶりです!お部屋を用意致しましょう!」

ほとんど同じタイミングでテーブルを拭いていたフローラさんも気が付いて言った。彼女はタイルさん夫人であり、今日も綺麗な赤い髪をポニーテールにしている。
ユーカとヴェルがふたりで揃って初めて帝都に訪れた際、帝都はある事件を抱えており、フローラさんもその事件の被害者のひとりであった。
幸いにも事件は解決がなされたが、悲しく醜い歴史として、皇帝領の歴史の一文を綴ることになるだろう。

「そうして貰えるとありがたいの。」

ヴェルは入り口からカウンターの方へ近づくと、ユーカのカバンから宿泊料を出そうとした。すると、ヴェルの服のポケットがチャリンと音を立てたので、不思議に思ってポケットに手を入れる。手はポケットの中でひんやりとした何かに触れ、ヴェルはそれを掴むとポケットから手を出した。
掌を開くと、そこにはこの宿のふたり分の宿泊料が一泊分入っていて、身に覚えのないお金をカウンターの上に乗せた。

「ヴェル様とユーカ様であればお代は…!ユーカ様!?」

タイルさんは、そこでようやくヴェルに担がれたらユーカに気づき、先ほどよりもさらに目を丸くさせた。フローラさんも同様に、手で口を覆っている。

「あぁ、心配は必要ないのじゃ。」

ヴェルはタイルさんからカギを受け取ると、部屋の場所を聞いてそこへ向かった。
部屋に着くまでに、ヴェルはポケットに入っていたお金のおおよその見当をつける。

「クレアが入れたか…?つまり我等が帝都に留まるのは明日まで?」

ぶつぶつと言いながら部屋の前まで来ると、鍵を開けて中へ入った。
ぶんぶんと首を振ると、ゆーかをベッドの上に寝かしつけ、ヴェルも脇に置いてある椅子に座って考え事に勤しんだ。

(それを伝えにひとりで出歩いた?危険すぎる…。)
(しかし、この宿屋の宿泊料金を把握している人物とは…?)
(クレアには監視が付いていて、聞き耳を立てられると困る事を我らに依頼しようとした、のか?)

ヴェルはユーカが眠りについている間に、出来るだけ彼女の負担を減らそうと知恵を絞った。最近はおバカな子として見られる事が多くなってきたが、エンペラードラゴンであるヴェルのポテンシャルは高く、また、齢を重ねているため、恐ろしいほど膨大な知識量も誇っていた。
普段はそんなヴェルよりもさらに上を行くユーカがいるので、ヴェルが霞んでしまっているが、ヴェルもやろうと思えば出来ない事も無いのである。しかし、ヴェルはユーカを信頼して任せっぱなしにしている為、周囲からは誤解されてしまうのであった。

ヴェルはしばらく真剣に思案していたが、睡魔に襲われて次第に重くなる瞼に抗えなくなり、ユーカの寝ているベッドに頭から突っ込んで動きを止めた。


その日の夜は、主役が不在のまま酒宴の席が設けられ、帝都の住民や滞在者は大量の肉料理に舌鼓を打ちながら、呑めや喰らえやの大騒ぎで朝まで活気が衰えなかったという。








次回:第49話『空』
お楽しみにお待ちください。

6月24日 21時を更新予定にしております。
感想や誤字脱字の指摘などなど
よろしければお願いし申し上げます。


近日中に加筆する予定です。
大変申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。


大変お待たせしてしまい、誠に申し訳ありません。
6月21日 19:30頃に加筆作業が終了致しました。
加えて、修正作業も致しました。
タイトルの変更にご注意下さい。

これからもよろしくお願いします。
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