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2巻
2-1
しおりを挟むプロローグ
それはまだ、僕――クルト・ロックハンスがハスト村以外の場所を知らない時。
ある日、村の外から行商人の親娘が訪れた。
村で唯一の雑貨屋の店主さんと、その行商人のおじさんが渋い顔をして話し合っていた。
「だから、なんで包丁がオリハルコンでできているんだ? こんなもの持って帰れるわけないだろ。鉄の包丁はないのかい?」
「鉄って、そんなもんで包丁を作ればカボチャを切るのも大変だろ? それに百年もすれば刃こぼれしたり錆びたりするじゃないか」
「研げばいいだろう。というか、普通の鉄の包丁は百年どころか一年も使えば刃こぼれや錆びが出てくるんだよ。あぁもう、なんでこの村の人間は常識がないかな」
行商人のおじさんがいろいろと注文をつけているので、雑貨屋の店主さんは困っているようだった。
やっぱり都会の人の注文に応えるのは大変なんだろうな、なんて、僕は子供心に思ったものだ。
「……あれ?」
雑貨屋の横に、僕より少し年上の、見たことのない紫色の髪の女の子がいることに気付いた。たぶんあの行商人のおじさんの娘さんだろう。
短剣と木片を握って、何かを彫っている。
僕は興味を持った。
彼女が何をしているのかも気になったけれど、それよりも歳が近い女の子に会うのが初めてだったから。
「こんにちは。僕はクルト。君の名前は?」
僕がそう挨拶すると、彼女は一瞬こちらを見て、すぐに視線を手元に戻した。
「何をしているの?」
「……」
「綺麗な角だね」
「……」
「行商人さんの娘さん?」
「……」
「この前、山で虹色の花を見つけたんだよ」
「……」
「い、いい天気だね」
「……」
「……一緒に話そう?」
「……」
立て続けに声をかけたものの、やっぱり反応してくれない。
幼い僕には、女性を振り向かせる話題なんて簡単に見つかるわけがなかったけど、必死に声をかけ続ける。
でも結局、全部無視されるだけに終わってしまった。
それで思わず彼女の横で泣きそうになったんだけど……
「……お父様にこの村の人とは話すなって言われているの。この村の人は少し変わっているから私に変な影響があったら困るって。これは独り言」
おもむろに彼女が言った。僕はそれが嬉しかった。
「僕の名前はクルト。これは独り言だよ」
「私の名前はヒルデガルド。これも独り言」
「なにを作ってるのか気になるなぁ、これも独り言」
「お父さんにプレゼントを彫ってるの。独り言ね」
僕達は、会話ではない独り言を楽しんだ。
だから、彼女が村を去った時は寂しかった。
ヒルデガルドちゃんが再び村に来たのは一ヶ月後だった。
「私は胃薬が欲しいと言ったんだぞ。なんで万能薬が出てくるんだっ!?」
「だって、万能薬があれば胃も治せるだろ?」
「しかも、効果が十年間続くってどういうことだ」
「予防薬の効果もあるからな。そこは問題ないだろ?」
「薬を卸した病院から、患者が誰もいなくなって大損害だってクレームが入ったんだよ」
今日も大人達は難しい話をしている。
かなり無茶な注文をされているみたいだ。胃をピンポイントで治す薬って難しいよね。だって、薬って大抵なんでも治るものだし。
そうそう、今度はヒルデガルドちゃんと会話することができた。
彼女のお父さんが、僕と話してもいいって言ってくれたらしい。
「ねぇ、クルト。前に私が来たとき、虹色の花が咲いているって言ってたよね」
「うん、聞いていたんだ、ヒルデガルドちゃん」
「ええ、あれだけ大きな声で言っていたらね。その花の生えている場所ってここから近いの?」
「歩いて三十分くらいだよ」
「なら往復一時間ね。ねぇ、クルト、そこに案内して」
「わかった」
僕は笑顔で頷いた。
「――ねぇ、クルト。ひとつ聞いていい?」
「なに? ヒルデガルドちゃん」
「……ううん、やっぱりひとつだけじゃ無理かも」
「いくつでも質問していいよ」
僕がそう答えると、ヒルデガルドちゃんは一瞬難しい顔をしてから聞いてきた。
「なんで私達、歩いてないの?」
「え? だって子供の足で山登りって大変でしょ? だから大人の足だと思って」
「大人の足って、これ、大人じゃないよっ! ゴーレムだよねっ!? なんで私達、その肩の上に乗ってるの!?」
「あぁ、都会の人ってゴーレムはあまり見ないんだっけ? 子供とお年寄りがひとりで山に入るのは危ないから、必ずゴーレムに乗って移動しないといけないって決まりがうちの村にはあるんだよ」
これってたぶん田舎だけの風習なんだと思う。
たしかに結構遅いもんね、ゴーレムに乗って移動するのって。
でも、山の中には極稀に凶悪なゴブリンが出てくるからね。
ゴブリンなんかに出くわしたら、村一番の戦士のおじさんでも敵わない。ゴブリンの持っている棍棒の前じゃ、オリハルコンの剣でさえも役に立たないよ。
でも、ゴブリンってゴーレムを見つけると逃げ出すから、子供やお年寄りじゃなくても、ゴーレムに乗って出かけるのが普通なんだ。
野生のゴーレムは、山でたまに見かける鉄の塊で、鉱夫さん達はそのゴーレムを見つけると、喜んで採掘する。
ゴーレムから採れる鉄は質がよく、行商人のおじさんが高値で買い取ってくれるからだ。その辺を掘れば手に入るミスリルのほうが硬くて丈夫で使い勝手がいいと思うんだけど、なんでか行商人のおじさんはひきつった笑みを浮かべて買わないんだって。
でも、あまりにもみんなが採掘するものだから、行商人のおじさんが買っていく以上に供給されてしまう。しまいに村の倉庫に入りきらなくなって、そのうち誰かが、壊れたやつを修理して村のみんなのために動くように設定し直した。
それからは、みんなで一からゴーレムを作って戦わせたりして遊ぶようになり、年に一度はゴーレム相撲大会っていう行事も行われている。
僕も一度、自分で作ったゴーレムで参加したけれど、一回戦で負けちゃった。
「便利だよ? ほら、前カゴがついているから、荷物とか入れられるし、夜はライトも点けられるんだ。あと、これが凄いんだよ」
僕はゴーレムの脇についているレバーをヒルデガルドちゃんに見せた。
それを見て彼女は訝し気な顔をする。
「引いてみて」
「…………本当に凄いの?」
「うん、凄いから」
「危なくない?」
「危なくないよ」
僕が即答すると、ヒルデガルドちゃんは表情を変えないまま、目をつぶってレバーを引いた。
――チリンチリン~♪
小さなベルの音が山に響いた。
「ね、魔法を使わないのにこんな綺麗な音が鳴るんだよ! 凄いでしょ! これで大きな声を上げなくても、道を塞いでいる人がいたら避けてくれるの」
「……心配して損した。本当に損した」
「あはは。ねぇ、質問は終わり?」
そう問うと、ヒルデガルドちゃんはジト目を向けてくる。
「ええ、なんで山の道がゴーレムが通れるように綺麗に整備されているのかとか、あちこちにとっても綺麗な石が落ちていることとか、気になることは山のようにあるけれど」
「今いるのが山だっていうのとかけてるの?」
「だまらっしゃい!」
「はいっ!」
僕は怒鳴られて背筋を伸ばした。
バランスを崩して背中から落ちそうになったけれど、ゴーレムがそれを察して手で背中を支えてくれる。
あぁ、びっくりした。
「お父様がこの村の人と話さないようにって言った理由が、少しわかってきたわ」
そう言って、ヒルデガルドちゃんは、今日も短剣で木を彫る。
前よりも形になってきていた。たぶん、ウサギなんだろうな?
本物のウサギとはだいぶ形が違うけれど、そこに味があって可愛らしいと思う。
楽しそうだな、僕も彫ってみたいな。
あとで、誰かに木材を貰って彫ってみようかな……って、考えたら僕、短剣も彫刻刀も持っていないや。
まずは鍛冶師のおじさんのところに行って、自分で道具を作らないといけないね。
「ねぇ、クルト。虹色の花はこのあたりにあるの?」
「うん、この崖の上だよ。ヒルデガルドちゃん、口は閉じてね。舌を噛むから」
僕が頭をポンポンと二回叩いてやると、ゴーレムは崖を見上げ、大きくジャンプした。
崖上までの高さは、およそ十メートル。
今度はヒルデガルドちゃんが落ちそうになったけれど、ゴーレムは優しく支えてくれた。
「跳ぶなら跳ぶって……先に言って……はぁ……はぁ……」
「ごめん、言うの忘れた。でも、見てよあれ」
僕は謝りながらヒルデガルドちゃんにそれを見せた。
虹色に光る花。
元々はこのあたりでたまに見かける花だったんだけど、薬の材料になるから、みんな根こそぎ採っちゃって。
一応、一部の花は人工受粉させた後、実にして種を蒔いたから、来年にはまた生えてくるだろうけど、今現在、この花はきっとここにしか咲いていないと思う。
「なんて綺麗な花なの……ねぇ、クルト、摘んでもいい?」
「ん? んー、いいよ」
本当はそのままにしておいてほしかったけど、でもヒルデガルドちゃんが喜ぶのなら別にいいかって思った。
この崖の上にはいろいろな植物が生えている。
そうだ、今日の晩ご飯になりそうな野草でも摘んでいこうかな?
「あら、美味しそうな木の実」
僕が野草を摘んでいると、ヒルデガルドちゃんも木の実を採り始めたようだ。
(え? 木の実?)
ふと引っかかってヒルデガルドちゃんを見ると、彼女は青白い顔でその場に倒れていた。
彼女の傍らには、猛毒を持つパープラベリーがいくつか落ちていた。
僕は慌てて駆け寄り、ヒルデガルドちゃんの容体を見る。顔色の悪化、荒い呼吸にもかかわらず落ちていく心拍数、体温も下がっていく。
パープラベリーを食べたのは間違いない。
このままでは、彼女はあと四十分で死ぬ。
四十分、その時間はあまりにも残酷だった。
三十分あれば、ゴーレムにヒルデガルドちゃんを乗せて村に戻れる。そうすれば雑貨屋にある万能薬を飲ませて、ヒルデガルドちゃんは助かるだろう。
十分も余裕がある計算だ。
しかし、四十分とは安静にしていたらの話である。
ゴーレムに乗せて移動したり崖の上から飛び降りたりすれば、その時の振動や衝撃が、彼女の寿命を縮める。
十分、いや、下手をすればそれ以上。
間に合う可能性が、百パーセントから著しく低下し、その確率は半分以下になる。
ここまで考えるのに十秒。その十秒程度の迷いが、ヒルデガルドちゃんの生き残る確率を蝕んでいく。
僕がその時選んだのは、自分勝手な選択肢だった。
制限時間以内に村に辿り着くかに賭けるのではなく、村に頼らずに自力で彼女を救うことを選んだのだ。
「ゴーレムっ!」
僕はヒルデガルドちゃんをその場に残し、ゴーレムに飛び乗ると崖から飛び降りた。
衝撃吸収機能のあるゴーレムだけど、僕の体が大きく揺れる。
僕はゴーレムに命令して、まずは大きめの木の実を採って、割らせた。
ふたつに割れた木の実は、中をくり抜けば容器になる。
次に泉に向かって、綺麗な水を確保する。木の実を元通りくっつければ、水が零れる心配はない。
その後、いろいろな草や枝を採取。
そして再びヒルデガルドちゃんの元に戻る。
ここまでで十三分。当然、もう村に戻る時間はない。その選択肢は残されていない。
だから、僕が作るしかない――万能薬を。
核となる素材は目の前にあった。
その素材とは、虹色の花。
(薬を作ったことは一度もないけど、物心ついた時から、薬を作っている村のみんなを見てきたし、やり方は教わっている)
万能薬を作るには、聖なる力が必要になる。
僕はその力を持ってないけど、それはゴーレムの中にある照明――魔法晶石を使えば代用できる。
虹色の花と集めてきた素材を調合する。一グラムでも誤れば、薬は毒になる。
大丈夫、僕ならミリグラム、うん、その百分の一単位で調整できる。
難しいのは薬を煮る時の温度の調整――竈を即席で作ったけれど、木の枝のみでの温度調整には気を抜けない。
枝の中に含まれる水分、それまで把握しないといけないから。
「短剣を借りるね、ヒルデガルドちゃん」
僕はそう言うと、虹色の花を切り刻んだ。
それから十分後。
できた――できあがった。
僕が生まれて初めて作った万能薬が。
一部、本来使う素材が見つからなくて僕なりに計算して作ったから、不安はある。
でも、苦しむヒルデガルドちゃんを見て、僕は悩むことをやめた。
今から正しい素材を集め直し、薬をもう一度作り直す時間は残っていないのだ。
僕は意を決して、自作の薬を飲ませることにした。
しかし、ここで思わぬ誤算が襲いかかってきた。
残っていなかったのだ、彼女に自力で薬を飲むだけの力が。
もし冷静だったなら、植物から管を作り出し、直接彼女の食道に薬を流し込むことを思いついただろう。
しかし、この時の僕にはそこまで考えが至らなかった。
僕はヒルデガルドちゃんの上体を少し起き上がらせて気道を確保してから、薬を自分の口の中に含んだ。
そして――
「ごめんね、ヒルデガルドちゃん」
「そればかりね、クルトは」
「本当にごめん」
山の上からの帰り道、僕はヒルデガルドちゃんに謝っていた。
彼女を救うためとはいえ、僕はヒルデガルドちゃんに、その……
「あれは緊急措置よ」
「緊急措置、うん、そうだよね」
僕がほっと一安心すると、ヒルデガルドちゃんに頭を叩かれた。
「なんで叩くのさ」
「なんとなくよ」
「なんとなくってひどいよ」
でも、よかった。
ヒルデガルドちゃんが無事で。
「クルト、その短剣だけど」
「あ、ごめん。勝手に使っちゃって」
「いいの、お父さんのプレゼントは完成したし、その短剣はクルトにあげるわ」
「え? でも――」
「命を助けてくれたお礼。ありがとう、クルト。何年か先、私が大きくなったら……」
「ヒルデガルドちゃんが大きくなったら?」
「ううん、その時になったら言うね。改めて、クルト。助けてくれてありがとう」
ヒルデガルドちゃんがニッコリと笑った。
お礼を言うのは僕の方だよ――助かってくれてありがとう、ヒルデガルドちゃん。
この時に起こった事件は、僕とヒルデガルドちゃん二人だけの秘密にした。
そして僕達は無事に村に戻り、ヒルデガルドちゃんは帰っていった。
その三週間後、突然村ごと引っ越すことになり、それきりヒルデガルドちゃんと会うことはなかった。
「――おーい、クルト。そろそろ着くから起きろよ」
白色の髪の美人な女性――ユーリシアさんに声をかけられ、僕は夢を見ていたことに気付いた。
十年前に出会った女の子との思い出。あれからもう会っていないけれど、彼女は元気にしているだろうか?
おっと、過去の思い出に浸っている場合じゃなかった。
これから、僕とユーリシアさん、そして冒険者パーティ「サクラ」のみんなで、工房を代表して仕事をしに行くんだった。
うん、気を引き締めないといけないよね。
きっとユーリシアさんも同じことを思っているだろう。
僕は隣で短剣の手入れをしている彼女を見て、そう思った。
第1話 辺境伯の爆弾とクルトの卵
私の名前はユーリシア。
とある工房で働く冒険者達のリーダーをしている。
「工房」ってのはアトリエとも呼ばれる、薬品や魔剣、魔道具などを製造、販売する施設のことだ。
色々あって今は工房の専属となってるんだけど、以前は王家直属冒険者として働いていた。その時は白き女剣士とか呼ばれていて、さらにその昔は白髪の悪魔だとか、白髪の清楚なイメージを潰すギャップ萎え女だとか言われて――言われていたよ、チクショーっ!
まぁ、そんな私も今は工房で、人々のために身を粉にして働いている。
私の隣で、寝ぼけ眼から一転、やる気を見せているクルトと一緒に。
――これは、私が偉大な工房主とともに様々な問題を解決していく物語だ。
『水不足で作物が育たない』
村に辿り着いて早々すがりついてきた村長の長い話を要約すると、つまりそういうことでいいんだよね。
私達は、依頼を受けてこの村に来た。一応私が工房に所属する冒険者の筆頭なので、代表して一人村長宅で話を聞いていたのである。
昔の武勇伝とか話し始めた時はこのまま帰ろうかと思ってたけれど、ようやく話が終わった。
「たしか、こういう時のために、丘の中腹にため池を作っているんじゃなかった?」
「よく御存知で。仰る通り、作るには作っていたのですが、それでも水量が足りなくて」
「なるほどね――隣の村に、もう少し大きなため池があったよね? 水路も繋がっているはずだし、そちらから融通してもらうのは?」
「何度も交渉しましたが、やはり私どもでは。そこで、貴族様と同等の力がある工房主様に是非とも交渉をお願いしたいのです」
「……はぁ、なるほど。仕方ないねぇ」
こういうことは、王家直属冒険者として働いていた時もちょくちょく行ってきた。
日照りが続いて水が必要なのは隣村も同じだろうけれど、まぁ、そこは交渉の腕の見せ所だな。
最悪、水の使用料を支払うことになったら、値引き交渉くらいまではしてあげよう。
私は村長宅を出た。
「ダンゾウ、待たせたね……あれ? カンスとシーナ、それにうちの工房主はどこに行った?」
家の外では、「サクラ」のメンバーの一人で私の部下であるダンゾウが待っていた。
「彼等でしたら、丘の上に行ったでござる。なんでも鳥の管理をしていたお爺さんがギックリ腰らしく、話し合いの間だけでも鳥達の世話を手伝いに行ったのだとか」
鳥? あぁ、鶏小屋か何かか。
「なるほど。まぁ、鶏小屋の掃除くらいなら問題ないね」
もっとも、そのギックリ腰も私達の工房主が作った湿布を使えば一瞬で治ってしまいそうな気がするけど。
「じゃあ、護衛は任せたよ。私は隣村までちょっと行ってくるけど、すぐに戻ってくるって伝えておいて」
隣村は丘の反対側にある。
ただ、馬で行くには丘は急斜面だったので、迂回して隣村へと向かった。
交渉をすぐに終わらせて戻る――そのつもりで。
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