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6巻
6-1
しおりを挟むプロローグ
諸島都市連盟コスキートのパオス島で開催された武道大会に参加していた僕、クルトが、同じ工房の仲間のリーゼさん、ユーリシアさんと工房に戻ってから一週間が過ぎた。
帰ってきた僕たちを待ち受けていたのは、有角種で僕の幼馴染のヒルデガルドちゃん。
彼女は仲間のソルフレアさんと、パオス島で僕たちを色々手伝ってくれたチッチさんと一緒にいたんだけど、なんと僕たちの娘のアクリが、人工精霊だと教えてくれた。
そしてアクリのことを詳しく調べるために、僕たちにとあるお願いをしてきた。
それは、時間を越えて過去のハスト村――僕の故郷に行ってほしいというものだ。
それからヒルデガルドちゃんは、何か急ぎの用事があったらしく、割とすぐに工房を去ったんだけど、あれから何の連絡もない。
時間を越えるっていうのがどういうことなのか、僕にはわからなかった。
今あるシーン山脈のハスト村じゃなく、ハスト村が引っ越し前にあった場所ってことかな?
リーゼさんは太守としての仕事で、そしてユーリシアさんはその護衛ということで、しばらく留守にしているから相談もできない。
一方の僕はと言えば、工房の仕事をしているだけで……僕だけこんな日常でいいのだろうか? なんて思ってしまう。
庭の洗濯物を取り込んでから、近くのベンチに座ってボーっとしていた僕は、そんなことを考えながら呟く。
「このままでいいのかな?」
「……いや、よくないと思うぞ?」
そう言ったのは、さっきやってきて隣に座ったばかりの工房の専属冒険者パーティ「サクラ」の一員、カンスさんだった。
「やっぱりよくありませんよね」
「ああ……俺は練習用の木刀を貸してくれって言ってお前にこいつを渡されたわけだが、なんだ、これは? 軽く素振りしただけで地面が抉れたぞ?」
「え? 普通の木刀ですよ?」
「素材は?」
「ニーチェさんから貰った枝を使っています」
僕がそう言うと、庭を通りかかった緑髪の少女……ニーチェさんが返事をした。
「はい、私の枝を使っております」
彼女は工房の果樹園に住む、緑色の髪に褐色肌、碧眼の少女だ。
しかし、その正体は、大精霊ドリアードの分身である。
実はパオス島を出る時、ドリアードから、器となっていた大樹の枝を貰っていた。
言われた通りに工房の果樹園で接ぎ木したところ、あっという間に成長して、そこから現れたのがニーチェさんだ。
彼女はパオス島のドリアードと繋がっているらしく、時折ユーリシアさんが、コスキートの重鎮であるローレッタ様からの伝言を受け取っている。
そんなニーチェさんを見ながら、カンスさんがため息をつく。
「原因はそれか……接ぎ木したドリアードの枝から作った木刀とか……そんなもん練習用の木刀どころか、一撃でアイアンゴーレムを粉砕できるぞ」
「アイアンゴーレムを粉砕するだけなら、この物干し竿だけでも十分ですよ」
僕は笑って言って、洗濯物を取り込んだあとの物干し竿を振り回して、「えいや」と突く真似をした。
アイアンゴーレムは金属系ゴーレムの中でも脆い部類だから、簡単に対処できる。
「アイアンゴーレムを物干し竿でか。本当にそれができるのなら凄いが……どうだ? 模擬戦でもやってみるか? もちろん、寸止めでだがな」
カンスさんも別の物干し竿を手に取り、僕に提案した。
模擬戦!
そうだ、武道大会で成長した僕の姿をカンスさんに見せてみよう。
「はい、お願いします!」
僕はそう言って頭を下げた。
――この物語は、武道大会に出場し、半人前ながらも戦士となった少年の物語だ。
「では、立会人は私がさせていただきます」
僕とカンスさんが物干し竿を構え、ニーチェさんがそう言った直後、僕は動いた。
試合では二種類の戦い方がある。
じっくりと相手の出方を見るのが一つ。
そしてもう一つは先手必勝、試合開始と同時に動く方法だ。
僕は武道大会では、先手必勝で動いてきたから、今回も同じように動く。
「えーいっ!」
物干し竿による、僕の突き。
しかしカンスさんは、それを呆れた様子で見ていた。
僕もやってしまったと思う。
だって、物干し竿は勢い余って僕の手から離れ、カンスさんに当たるならまだしも、あらぬ方向に飛んで行ったのだから。
「あ、しまった! 誰かに当たったら大変だ! すみません、急いで取りにいってきます!」
僕はカンスさんとニーチェさんに頭を下げ、物干し竿の飛んで行った方向に走った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ミミコがこっちに来るのも久しぶりだな。アクリも喜ぶよ」
「ユーリシアちゃんにそう言ってもらえると嬉しいわ。私もアクリちゃんに会いたかったし」
私――ユーリシアは王都からミミコを連れてヴァルハの工房に戻ってきた。
ミミコは第三席宮廷魔術師。今は諸事情でリクルトの学校で教師をしているんだが、私とリーゼがコスキートでの出来事を報告しに行くタイミングで王都へ戻っていて、今回私が工房に戻るのに付いてきた形だ。
今回何かと役に立った諜報部隊ファントムのトップでもある彼女は、本当は私たちが帰ってきたその日にも話を聞きたかったそうだ。ただ、私とリーゼがずっと王宮に拘束されていたせいで、そうもいかなかった。
そんなわけで、合流してからここまでの道中、コスキートで起こった出来事を根掘り葉掘り聞かれたのだった。
私は工房が見えてきたことに安堵しながらため息をつく。
「それにしても、リーゼの奴が三日もクルトに会いに戻らないなんて、頑張るよな。てっきり毎日城を抜け出しては工房に来ると思っていたんだが」
「ユーリシアちゃん、リーゼロッテ様に対して馴れ馴れしすぎるんじゃない? 一国の王女なのよ」
「ミミコにしてはまともなことを言うな。リーゼがクルト離れしていることといい、こりゃ槍でも降るんじゃないか?」
私が軽い口調で言うと、ミミコは空を見上げた。
「物干し竿なら降ってくるみたいよ?」
「え?」
ミミコの言葉に反応して空を見上げた直後、私の少し手前に一本の棒――物干し竿が落ちてきて、私の前に突き刺さった。
なんで物干し竿?
どうも工房の方から飛んできたみたいだけど。
私が物干し竿を持って首を傾げていると、家事中だったのかエプロンをつけたクルトが走ってきた。
「すみませーん! 怪我はなかったですか?」
「クルト、これ、お前が投げたのか?」
「はい。果樹園でカンスさんと物干し竿で模擬戦をしてたら、手からすっぽ抜けて。あ、ミミコさん、いらっしゃいませ。すみません、こんな格好で」
「ううん、似合ってるよ、クルトちゃん」
たしかに似合っていた。クルトの奴、エプロン姿にますます磨きがかかってるな。
その時、ポツリと雨が降ってきた。
「あ! 洗濯物、カゴに入れたままだ! すみません、失礼します」
クルトはそう言うと、物干し竿を持って戻っていく。
「慌ただしい奴だな。もっと落ち着けば、戦闘でも力を発揮できるはずなんだが」
「ねぇ、ユーリシアちゃん。果樹園からここまでってどのくらい距離がるの?」
「ん? 三百メートルくらいじゃ……あ」
世の中には、竿ではないが、槍を投げる戦術は存在する。
ホムーロス王国で一番の槍の名手といえば、王国遠征部隊第一将軍のサンノバ・リストカッツだろう。馬術と槍術にかけては右に出る者がおらず、また馬上から槍を投げて、五十メートル先の敵国の指揮官の心臓に突き刺したという逸話は、王国の兵の中でも知らない者は少ない。
だが、そんな彼でも百メートルも槍を投げることはできないだろう。
「相変わらずクルトの奴、能力がちぐはぐ過ぎるな」
しかし、クルトの戦闘能力が皆無と呼ばれるのも今日までだ。
なにしろ、こっちにはミミコが作った秘密兵器があるのだから。
雨が本降りになりそうなので、私とミミコも急いで工房に戻ることにした。
私とミミコが工房に到着してしばらくして、クルトが私の部屋にやってきた。洗い終えていたものの、私の部屋には勝手に入れないからとため込んでいた洗濯物を持って来てくれたのだ。
どうやらお昼寝の時間が終わったらしいアクリも一緒だ。
「おいで、アクリ」
私がそう言うと、アクリが転移して私に抱き着いてきた。
「よかったね、アクリ」
クルトはそう言って、洗濯物を私のタンスの中にしまっていく。
もちろん、下着は自分で洗っているのでこの中に含まれていない。下着だけは自分で洗っている。それが私の望みであり、クルトの望みでもあった。
しまい終えたのを確認して、部屋のソファでくつろいでいたミミコが、例の物を取り出した。
「これはクルトちゃんのために作った新しい武器なの」
そう言ってミミコがクルトに渡したのは、先端が筒のようになっている魔道具だった。
「新しい武器ですか? 僕のために?」
「そう。クルトちゃん、剣も槍も斧も弓矢も棒も拳も杖も、全部適性Gランクでしょ? だから、全く新しい武器なら使えるんじゃないかって思って」
「ミミコさん、僕のためにそんなに考えてくれていたんですね」
クルトが感動で震えている。
「パパ、ないてるの? ミミコおねえちゃん、パパをいじめたの?」
「違うよ、アクリ。僕は嬉しいんだよ……ありがとうございます、ミミコさん。それで、これってどうやって使うんですか? 見たところ、魔力を筒の中から打ち出す道具みたいですけど」
「クルトちゃん、見ただけでそれがわかるんだ。うん、これは魔力を込めて放つ、魔力銃ってものなの。クルトちゃん、魔法を使えないだけで、魔力は人並み以上にあるでしょ?」
「え? そうなんですか?」
クルトは目を丸くしているが、相変わらず無自覚だな。
こいつ一人の魔力で、ドリアードの元となる大樹を育て上げたというのに、まだ自分の凄さを理解していないのか。
まぁ、理解してしまったら昏睡状態になって記憶を失うのだけど。
「そうなの。この魔力銃は使用者の魔力を使って、疑似的に魔法を使えるものなんだ。生憎の天気だけど、外で試し撃ちしてもらってもいい?」
「はい、構いませんよ」
私たちは工房の裏庭に移動した。雨が降っているので、アクリには猫をモチーフにしたレインコートを着させている。
裏庭で待っていたのは、「サクラ」の一員であるダンゾウと、布で覆われた荷物だった。
「ダンゾウちゃん、お仕事お疲れ様。例のもの、問題はない?」
「もちろんでござる」
ダンゾウはそう言うと、布を取っ払った。
そこにいたのは、簀巻きにされた――
「ゴブリン!?」
そう、ゴブリンだった。
ミミコの奴、ダンゾウにゴブリンの捕獲を依頼していたようだ。
『グギャグギャ!』
口をふさがれていないゴブリンは必死に暴れているが、しかし解放されることはない。
「じゃあクルトちゃん、早速ゴブリン退治をしてみようか。この引き金を引くだけでいいから」
「ま、待ってください、ミミコさん。いくらなんでも、いきなりゴブリンを相手にするだなんて」
相変わらず、クルトのゴブリンに対する苦手意識は半端ないな。
まぁ、子供の頃からゴブリンにはいろいろと苦汁を飲まされているそうだから仕方がない。
それに、ゴブリンが苦手なのはクルトだけじゃない。
なんとか捕獲に成功したようだが、ダンゾウのゴブリンを見る目は普通の冒険者とは違うものがある。前に「サクラ」とクルトを助けに向かったことがあるんだけど、その時はかなりの数のゴブリンに囲まれて絶体絶命だったから、ちょっとした苦手意識があるんだろう。
そんなクルトやダンゾウの様子を気にすることもなく、ミミコは口を開く。
「安心して、あのロープは千切れないから。クルトちゃんは緊張して変なところに攻撃する癖があるみたいだけど、まず、このスコープ――ガラスの筒を覗いて、ゴブリンを捉えたらこのボタンを押すの。そしたら、自動追跡装置が作動して、ターゲットと弾道の角度の誤差が上下左右十三度未満なら、自動追尾するようにできてるから」
「うっ……わかりました」
簀巻きにされているので襲われることはない。
それを理解したクルトは、緊張しながらもミミコに言われた通りにゴブリンに魔力銃を向けた。
「うん、じゃああとは引き金を引いて」
「わかりました」
『最弱の冒険者クルトV.S.簀巻きにされたゴブリン』という、武道大会でも存在しなかった勝負の火蓋が今、切られようとしていた。
クルトが息を呑み、そして引き金を引くと、光の玉が魔力銃から発射された。
……発射され……た?
「かわいいの!」
アクリが嬉しそうに言った。
銃口から飛び出したのは、シャボン玉みたいな光の玉。それがふわふわと、ゴブリンに向かっていく。
アクリは喜んでいたが、私とミミコは意味がわからなかった。
しかし、魔力はしっかりとゴブリンを捉えて飛んでいき、その顔に近付き――
『フッ』
ゴブリンの息によって吹き消された。
って蝋燭の火かっ!
「そんな……理論上、クルトちゃんの魔力量なら一瞬でゴブリンを破壊できるはずなのに」
「やっぱり僕には無理ですよ。いくらミミコさんの道具が凄くても、ゴブリンを退治するなんて」
クルトはそう言うけれど、私は気になったことがあった。
「クルト、その魔力銃、ちょっと貸してくれる?」
「はい、どうぞ」
さて、ミミコの理論が正しければ、この魔力銃の中にはクルトの魔力が、それこそゴブリンを一瞬で破壊できるような魔力が充填されている。
しかし、先ほど放たれたのは、ゴブリンどころかスライムすら倒せなさそうな光の玉だった。
なら、この魔力銃には、使われなかった魔力が残っているのではないだろうか?
私は試しに、空に向かって魔力銃の引き金を引いた。
そして――頭上の雨雲に巨大な穴が空き、太陽の光が差し込んできた。
「晴れたの!」
アクリが喜んで駆け寄ってきたが、私は喜べそうにない。
私はクルトにアクリを預け、ミミコと密談を開始する。
「ミミコ、わかっていると思うが――」
「もちろん、このことは報告できないわ。魔力銃の想定最大出力の千倍くらいの威力だもの。こんなの世間に知られたら、クルトちゃん、魔力銃の充填係として兵器生産工場の歯車になっちゃうわ。クルトちゃん以外の誰が引き金を引いても同じ威力になるのならなおさら」
「クルト以外……か」
私はそう言うと、魔力銃を持ってクルトに近付いた。
「クルト。さっきの要領で、今度は私のように空に向かって魔力銃を使ってみて」
「わかりました」
クルトはそう言ってアクリを私に預けると、空に向かって魔法を放った。
すると、先ほどよりもさらに高出力となった光の線が飛んでいった。
「あ、できました! ユーリシアさんのアドバイスのお陰です。これでゴブリンも倒せますね。空に向かって放ってから、軌道修正をしてゴブリンに当てればいいんですから」
「まって、クルトちゃん。自動追跡ができる角度は十三度未満。空に向かって放っても自動追跡できないよ」
「そうですね。ちょっと改造させてもらいます」
クルトはそう言うと、鞄の中の工具箱を取り出してなにか細工をした。
「これでどこに放っても自動追跡できるようになりました」
「え? うそ、この一瞬で?」
「はい、ではいきます!」
クルトはゴブリンに標的を合わせたあと、空に向かって魔力銃を放った。
クルトの言う通り、その攻撃は空中で急激に角度を変え、ゴブリンに向かって飛んでいく。
『ふっ』
そしてその攻撃――光の玉はゴブリンの息によって吹き消された。
クルト決死の試合は、近年まれにみるドタバタ劇で幕を閉じるのだった。
×この物語は、武道大会に出場し、半人前ながらも戦士となった少年の物語だ。
〇この物語は、武道大会に出場しても何も変わっていない奇想天外な少年の物語だ。
第1話 遺跡の調査
私、リーゼロッテ・ホムーロスはもう辟易していました。
王宮に呼ばれて以来、コスキートで起こった出来事を一から十まで(クルト様の力のことを極力隠し)報告したのは、これで何度目でしたでしょうか。
時と場合によっては戦争の兵器となりうる大精霊ドリアード、その召喚に成功した今回の事件を放っておけないのは十分に理解しています。ですが、しかし、クルト様やアクリとの大切な時間をこうして何日も奪われるのは困りものです。
クルト様から預かったこのハンカチがなければ、私はもう意識を失っていたかもしれません。
私が王宮に出向く日、クルト様がこのハンカチを私に下さった時のことは今でも忘れられません。
『あ、リーゼさん。ハンカチを忘れたんですか? よかったら僕のを使ってください』
そう言って渡してくださったこのハンカチには、クルト様の優しさが詰まっています。
ハンカチを大事に抱え、側仕えと共に王宮の廊下歩いていると、反対方向から見知った顔の女性たちが歩いてきました。
すれ違う前に、私は頭を下げます。
「御無沙汰しております、イザドーラお義母様。イザベラは元気にされていますか?」
「お久しぶりね、リーゼロッテ。ええ。イザベラは元気にしているそうよ」
「それはなによりです。私の大切な妹ですから」
「用事はそれだけかしら? それでは失礼しますね」
私の前で立ち止まっていたイザドーラ義母様は、こちらの返事を待たずに歩み去りました。
私に背を向けた後、イザドーラ義母様が浮かべた怨嗟に満ちた表情は、昔の私なら恐怖したでしょうね。
なぜ、歩み去っていくイザドーラ義母様の顔を、私は見ることができたのか?
それは、イザドーラ義母様と話していた私は、クルト様からいただいた魔法剣、胡蝶によって作り出された幻影で、本物の私は少し離れたところを歩いていたからです。
どうも最近、イザドーラ義母様の様子がおかしいという話をミミコ様から聞いていた私は、彼女と直接顔を合わせないよう、蜂合わせる可能性がある場所では、幻影に少し前を歩かせるようにしていました。
イザドーラ義母様だけでなく、側仕えや護衛の兵すらも欺くことができるこの胡蝶の力は、さすがクルト様としか言いようがありませんわね。
私は胡蝶の幻影と重なるように移動してから、そして幻影を解除します。
「どうせ恨みを買うのなら、第三王女の座をイザベラに明け渡してもよろしいのですけどね」
私が思ったことを口に出すと、側仕えが周囲を見回し、小声で私を窘めてきました。
「リーゼロッテ殿下。誰かの耳に入ったら一大事です。あなたは王国と帝国の血を継ぐお方、両国における平和の象徴なのですから。それに、イザドーラ様に実権を持たせられないのは殿下もご存知でしょう」
「そうでしたわね」
イザドーラ・アークママ。
この名前は本来妙なものです。
なぜなら、彼女は王家に嫁いできた女性であって、イザドーラ・ホムーロスと名乗るべきだからです。
しかし、それを許さなかったのは元老院です。王家の古いしきたり、伝統、その他様々な理屈をこね、彼女を王族にすることを許しませんでした。
一番の理由は、彼女が流浪の民の出身だからでしょう。
流浪の民――自らの国を持たず、家も持たず、地位も身分も持たない。ただ、風のように旅をし、町から町、国から国へと移動する民のことです。本来、流浪の民は国家というシステムとは相容れない存在。流浪の民という民族は存在せず、他国の諜報員であると言う有識者すらいます。
そんな民族の人間が王族の正式な一員になることに、元老院は納得できなかったのでしょう。
しかし、彼女が嫁いでくることを認めないわけにはいきませんでした。
なぜなら、彼女の弟――ヴィトゥキント・アークママは、王国、帝国を含めた七つの大国に認められ、それぞれに工房を持つ工房主なのですから。
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