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第一幕
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第一幕
時代は江戸時代後期。古びた寺『光流寺』の墓地。舞台背後には字の薄れた卒塔婆や、角の取れて丸くなった墓石が立ち並ぶ。上手には寺の境内へ抜ける門。舞台中央には比較的新しい墓石。線香や黄色い花が添えられている。
その脇には大きな松の木が生えている。下手には寺の奥へ続く門が建っている。
幕が開くと舞台は暗闇。
にいにい蝉の鳴き声の中、ゆっくりと刀を抜く音と、男の低い気合い。そして肉に突き刺さる音。
上手照明が溶明すると遠くから読経の音。
舞台上手、加賀十四郎と名和文吾が苛々した様子で墓石の前に立っている。二人とも二十代で月代を剃っており、袴をつけた侍姿。剣客か浪人といった風体。腰には大小二本の刀を差している。十四郎は背の高い、落ち着いた雰囲気の美男子。目を閉じて舞台中央の墓に手を合わせている。文吾はがっしりとした体つきで、色は白く、剽軽な顔立ち。手桶と花束を持ちながら、墓の前を往復する。時折立ち止まり、首を左右に振る。
文吾 (歩きながらつぶやくように)遅すぎるな。あいつ。うむ。遅すぎる。
何を考えているんだ。あの阿呆は。
文吾は立ち止まり、足下の小石を蹴り飛ばす。かつんと小石が転がる音がする。
十四郎 (合掌を解き、文吾に向き直る)落ち着け文吾。先生の前だ。
文吾 (立ち止まり)そんなことは分かってる。だがな、いくら何でも遅すぎるぞ、宗助の奴。約束の刻限よりもう半刻は過ぎているぞ。ああ、くそ熱い。
文吾が額を拭う。そして袴の裾を掴み、風を袴の中に入れるべくばさばさと扇ぐ。
十四郎 お役目で何か不都合があったやも知れぬ。
文吾 今日は非番だろうが。あいつは。
十四郎 宗助でなければいかぬ仕事やも知れぬ。あやつも忙しい身だからな。
文吾 百姓の畑見回るのがそんなに大事か。
十四郎 (溜息一つついて)お前も知っているだろう。三ヶ月前の大雨で田畑が流されたと思ったら、今度はこの日照り だ。お前、伊月川が干上がったなどと今まで見たことがあったか? 嘘だと思うならそこらの年寄り捕まえて聞いてみろ。きっとこう言うだろうな。「このようなことは伊那川藩始まって以来」と。
文吾 そんなに酷いのか。
十四郎 米の飯が食えるだけ有り難いと思え。川上の方では草まで食い尽くして、木の根っこまで食べている村もあるらしい。宗助はそういう村を見て回らねばならぬのだ。あやつの苦労察してやれ。
文吾 確かにな。近頃野良犬も見ないし、きっと腹を空かせた百姓どもが犬鍋にでもして食っているんだろうな。
十四郎 そうかもな。
文吾 旨いのかねえ。犬鍋。飼い犬ならともかく、野良犬なんぞ食った日には腹を壊すんじゃないか。この前、宗助が食ったらしいが、あいつ肉が固いだの、筋か張ってるとか、旨いとは一言も言わなかったな。十四郎、お前、食ったことあるか?
十四郎 ないな。
文吾 そういえば赤犬が旨いという話だが、本当なのかね。考えていたら俺まで腹が減ってきた。(腹を抱えてしゃがみ込む)おかしいな。さっき握り飯五六個平らげてきた筈だが。
十四郎 (苦笑して)食い物の話はそれくらいにしろ。先生の前だぞ。
文吾 しかしだな。高原道場の三羽烏が二羽しかおらんのでは先生に顔向けが………。
十四郎 もうしばらく待ってみよう。それで来なければ二人で墓の掃除を済ませて帰るよ。住職に先に帰ったと伝えていただければ良い。
文吾 それでいいのか?
十四郎 借りは後できっちり返して貰う。そう苛々するな。それよりも、お前こそ先生に手を合わせたらどうだ。墓の前でうろうろするな。埃が立つ。
文吾が不承不承といった様子で手桶を足下に置き、手を合わせる。
文吾 (何度も頭を下げながら)申し訳ありません。先生。宗助の阿呆めが遅れております。後で私が二度とこのような不始末の無きよう叱りつけておきますので、どうぞご勘弁下さい。(手を合わせながら十四郎の方を向き)何をしている、十四郎。お前からも先生にお願いしろ。
十四郎 (笑いを堪えながら)分かった。
その時、遠くから二人に声がかかる。十四郎と文吾が振り返ると、門をくぐり抜けて羽村宗助が走って現れる。年頃は十四郎、文吾と同じくらい。中肉中背で、肌の色は日焼けして浅黒い。
二人の前で立ち止まると体をくの字に曲げて激しく呼吸する。
宗助 (息を切らしながら)すまん。遅くなった。
文吾 何をしておったのだ。先生の三回忌を何だと思っている。
宗助 (呼吸を整えつつ)お役目でな。申し訳ない。
十四郎 また、随分趣味の悪い着物だな。お前、そんなの持っていたか?
宗助 全部洗ってしまってな、これしかなかった。
文吾 全く、どれだけ待たされたと思っておるのだ。謝れ。
十四郎 謝るなら先生にだろ、文吾。そのくらいにしておけ。ほれ、お前も先生にご挨拶しろ。
十四郎の勧めに応じて宗助が体を起こそうとして、前につんのめって倒れる。
十四郎 大丈夫か。宗助。
十四郎が宗助の手を取る。立ち上がらせると宗助についた埃を手で払いのける。
文吾 凄い汗だな。ほれ、これで汗を拭け。
宗助 すまんな、十四郎、文吾。
文吾が懐から取り出した手拭いを渡す。宗助はそれを受け取り、額や首筋を丹念に拭き取る。
十四郎がそれを呆然と見ている。
宗助 (手拭いを文吾に差し出す)ほれ。文吾。(手で払いのける)洗って返せ。
宗助は懐に手拭いを入れると墓の前に近づき、手を合わせる。十四郎、文吾も改めて墓前に立ち、頭を下げる。
文吾は墓に花束を添える。三人揃って目を閉じて恩師の冥福を祈る。にいにい蝉の声が鳴り響く。
文吾 (手を合わせながら)先生のご恩に応えるべく我ら三人更なる精進を重ねていく所存ですので、どうか………
十四郎 (合掌をといて)それでは先生。また参ります。
文吾 先生、お願い致します。
宗助 申し訳ありません。先生。
三人は墓に向かって一礼した後、上手の門の前まで移動する。
十四郎 (背伸びして)さて、これからどうする。
文吾 知れたこと。この近くに旨い酒を飲ませる所がある。
宗助 まだ日も高いのにか。
文吾 充分だ。
十四郎 俺は………遠慮しておく。そういう気分じゃあない。
文吾 そう言うな。あそこの酒は旨いんだ。御笠屋といってな。肴もいけるんだ。鮎の干したのが、絶品でな。
宗助 そうだな。藩の大事なときに我々が呑気に酒かっくらっている訳にもいくまい。
文吾 (宗助をにらみつけながら)お前までなんだ。
宗助 (ぽつりと)おとよが身売りすることになった。
十四郎 (はっとなって宗助を見る)おとよというと、昔お前の家で奉公していたあの甚助の娘か。
宗助 (頷いて)年貢が払えんらしい。甚助だけじゃない。あの村だけでも六人も娘が売られていく。
十四郎 惨い話だな。
宗助 (十四郎に食ってかかるように)好きで娘を売りとばすと思っているのか? どの村も飢饉で苦しんでおる。己の食い扶持すら事欠くというのに。(唾を吐く。舞台中央に歩いていく)
文吾と十四郎が何か言いかけるが言い出せないまま、宗助の言葉を聞いている。
宗助 (語気を荒く)みんな年端もいかぬ子供だ。甚助の娘などまだ十四だぞ。これから江戸に行って吉原で客を取るために修行させられるそうだ。お前ら知っているか。女衒という奴らはな、買った娘をまず自分で手込めにするんだ。そいつらの言いぐさはこうだ。(嫌らしく媚びたような口調で)「今から江戸で高い金で買って頂くんだ。売り物の味も知らないで売ったとあっちゃあ申し訳がねえ。こいつばかりは試してみねえとわからねえ。何ならお武家さん。買ってくれやすか。まけときやすぜ」だとさ、糞!
(地面の小石を蹴り飛ばす。小石が硬いものに当たって転がっていく音がする)
宗助 それもこれも年貢が払えぬせいだ。
文吾 (怖ず怖ずと)おい、止めとけ。
宗助 (無視して)年貢年貢。百姓から油粕も出ぬほど取り立てて、家中の者も禄の半分も召し上げだ。
文吾 (先程より語気を強く)止めろ。宗助。
宗助 ご自身は楽だろうな。遊郭に入り浸って、吉原にも何日も通い詰めらしい。
(嘲るように)さぞ驚かれるだろうな。江戸で領民の娘を抱くことが出来るんだからな。
お国が懐かしくなるやもしれんぞ。
文吾 (泣きそうな声で)止めろと申すに。
宗助 領地は領地で家中の娘や女房を手込めにして回るか。全く精力逞しいことであらせられるな、我が藩の殿様は。
十四郎 (遮るように大声で)そこまでだ、宗助!
宗助と文吾が驚いた様子で十四郎を見る。
十四郎 (必死に)それ以上は言うな。頼む! 分かるだろ、俺もお前も伊那川藩に仕える身だ。微禄だろうと先祖代々鹿島家から扶持を頂いている。主君の侮辱はお家全体の侮辱、それ以上言えば………(刀の柄に右手を添える)だから頼む。言うな!
宗助は黙って十四郎を見つめる。文吾は慌てて十四郎と宗助の間に入り、どうして良いか分からず二人の顔を見比べる。十秒ほど見つめ合った後、宗助が溜息ついて項垂れる。
宗助 すまん、十四郎、文吾。
十四郎 (ほっとして刀から手を離す)ああ。
文吾が取り繕うような笑顔で二人の間に入る。
文吾 まあ、二人とも。ここはだな、先生の墓前だ。
三人並んで門の前まで移動する。
十四郎 (顔色を窺うように)村の様子はどうだ。
宗助 飢え死にする者も出始めている。お救い小屋の粥も追いつかぬ。
文吾 (腕組みしながらしきりに頷く)そうか、うん。そうだ。(宗助の方を振り返って)おい宗助、やはりお前、飲みに付き合え。
宗助 だから俺は。
文吾 お前が百姓の暮らしを案じておるのは分かる。しかしだ、お前一人で唸ったところで百姓の腹が膨れる訳でもあるまい。
宗助 それはそうだが。
文吾 (じれったそうに)ああ、鬱陶しい。理屈なぞどうでもいい。とにかく、お前は今日俺と、酒を飲め。それしかな い。そう決めた。
宗助が文吾を見てくすりと笑う。
宗助 分かった。
文吾 (ほっとした様子で)そうだ。それがいい。(十四郎の方を向いて)十四郎、お前もつきあうよな。
十四郎 仕方ないな。
文吾 おお、高原道場の三羽烏が久々に揃ったんだ。今日は飲むぞ。
宗助 (冷やかすように)まだそんなこと言っておるのか。お前、俺から一本でも取ったことがあるか? 舌切り雀の間違いだろ。
文吾 ぬかせ!
宗助 第一、お前の剣は馬鹿正直なんだよ。駆け引きも何もあったもんじゃない。本人はわざと隙を作って誘っているつもりらしいが、あれは自分から叩かれに言っているようなものだ。
十四郎 剣術というのは使い手の気質がよく出る。それだけ文吾が気持ちの真っ直ぐなな男だということだ。
宗助 馬鹿なだけだ。
文吾 この野郎。
文吾が宗助の首を脇で絞める。
宗助 (笑いながら)悪かった、参った。降参だ。
文吾 (宗助を解放する)分かれば良い。
宗助 まあ俺と十四郎でやれ竜虎だの双璧だの、と呼ばれたこともあったが。
文吾 うむ。宗助は太刀筋が速いからな。防ぐのが精一杯だ。十四郎など、いくら打ち込んでもかすりもせん。
宗助 ああ、何度攻めても防がれる。そしてこちらが攻め疲れたところに、強烈なのが来る。いつもあれにやられるんだ。
十四郎 そうでもない。宗助は技も速いし旨い。ただ、少々動きに雑なところがある。先生もそこを直せばもっと強くなると言っておったろう。
文吾 (十四郎を見て)来月か。御前試合は。
宗助 高原道場の門下生だった者で出るのはお前だけだからな。頑張れよ。
文吾 おう、勝てば殿から直々に褒美が戴けるというからな。
十四郎 ああ、(間を置いて)絶対に勝ち残る。
宗助 呑気なものだ。百姓は飢えておるというのに。
文吾 止めろ。宗助。
宗助 (ふて腐れたように)分かってるよ。
三人とも上手まで移動する。
文吾 (歩きながら)十四郎はいいな。剣の腕は立つし男前だ。家に帰れば美しいご新造が待っておるし、羨ましい限り だ………。
宗助 (たしなめるように)文吾!(肘で文吾の脇をつつく)
文吾 あ(足を止め、十四郎の方を向く)
少し離れた場所で十四郎は立ち止まる。笑っているが無理に作っている様がありありと見える。
文吾と宗助は顔を見合わせ、十四郎に近付く。
文吾 (頭を下げる)すまん。十四郎。
十四郎 いや、構わぬ。
宗助 (十四郎の顔色を窺うように)雪江殿の病気はまだ治らぬのか。
十四郎 ああ。
宗助 胸の病と言ってたな、お前。そんなに悪いのか。
十四郎 滋養のあるものを食って養生するしかないと医者に言われてな。平沢の方に湯治に行かせた。
宗助 そうか。あれほどの美しい方がな。半月程前、覚えているだろ。この寺の夏祭りだ。あの時見かけたときには元気そうにしておられたが。分からぬものだな。人のさだめというのは。
文吾 ああ、吉乃がな。ほれ俺の妹がだな、一度見舞いにと言っておるのだが。
十四郎 すまん。勘弁してくれ。
三人とも黙り込んでしまう。
文吾 まあ、何だ。今お前がなすべき事は御前試合に勝つことだ。そうすれば、ご新造も喜ぶだろう。病など吹き飛ぶに違いない。
宗助 そうだ、絶対勝て。
十四郎 ああ。勝つ。(しばし間を置いて)命に代えても。
文吾 そうだ、その意気だ。
宗助 今日は飲むぞ。こういうのは騒いで忘れるに限る。ほれ、文吾。さっさと案内しろ。
十四郎 そうだな。行くぞ。文吾。
文吾 (振り向いて)吐くまで飲ませてやるからな。ん?
文吾が立ち止まる。遠く下手の方をうかがっている。
十四郎 どうした、文吾。
文吾 (下手奥を指さしながら)いや、あそこに何か変なものが………。(下手の方に歩いていく)あれは、人だ。人がうずくまっているぞ。
宗助 墓参りだろ。邪魔をするな。
文吾 いや、違う。あれは………。
文吾が慌てて走り出し、下手から退場する。文吾を追って二人も退場する。
幕
時代は江戸時代後期。古びた寺『光流寺』の墓地。舞台背後には字の薄れた卒塔婆や、角の取れて丸くなった墓石が立ち並ぶ。上手には寺の境内へ抜ける門。舞台中央には比較的新しい墓石。線香や黄色い花が添えられている。
その脇には大きな松の木が生えている。下手には寺の奥へ続く門が建っている。
幕が開くと舞台は暗闇。
にいにい蝉の鳴き声の中、ゆっくりと刀を抜く音と、男の低い気合い。そして肉に突き刺さる音。
上手照明が溶明すると遠くから読経の音。
舞台上手、加賀十四郎と名和文吾が苛々した様子で墓石の前に立っている。二人とも二十代で月代を剃っており、袴をつけた侍姿。剣客か浪人といった風体。腰には大小二本の刀を差している。十四郎は背の高い、落ち着いた雰囲気の美男子。目を閉じて舞台中央の墓に手を合わせている。文吾はがっしりとした体つきで、色は白く、剽軽な顔立ち。手桶と花束を持ちながら、墓の前を往復する。時折立ち止まり、首を左右に振る。
文吾 (歩きながらつぶやくように)遅すぎるな。あいつ。うむ。遅すぎる。
何を考えているんだ。あの阿呆は。
文吾は立ち止まり、足下の小石を蹴り飛ばす。かつんと小石が転がる音がする。
十四郎 (合掌を解き、文吾に向き直る)落ち着け文吾。先生の前だ。
文吾 (立ち止まり)そんなことは分かってる。だがな、いくら何でも遅すぎるぞ、宗助の奴。約束の刻限よりもう半刻は過ぎているぞ。ああ、くそ熱い。
文吾が額を拭う。そして袴の裾を掴み、風を袴の中に入れるべくばさばさと扇ぐ。
十四郎 お役目で何か不都合があったやも知れぬ。
文吾 今日は非番だろうが。あいつは。
十四郎 宗助でなければいかぬ仕事やも知れぬ。あやつも忙しい身だからな。
文吾 百姓の畑見回るのがそんなに大事か。
十四郎 (溜息一つついて)お前も知っているだろう。三ヶ月前の大雨で田畑が流されたと思ったら、今度はこの日照り だ。お前、伊月川が干上がったなどと今まで見たことがあったか? 嘘だと思うならそこらの年寄り捕まえて聞いてみろ。きっとこう言うだろうな。「このようなことは伊那川藩始まって以来」と。
文吾 そんなに酷いのか。
十四郎 米の飯が食えるだけ有り難いと思え。川上の方では草まで食い尽くして、木の根っこまで食べている村もあるらしい。宗助はそういう村を見て回らねばならぬのだ。あやつの苦労察してやれ。
文吾 確かにな。近頃野良犬も見ないし、きっと腹を空かせた百姓どもが犬鍋にでもして食っているんだろうな。
十四郎 そうかもな。
文吾 旨いのかねえ。犬鍋。飼い犬ならともかく、野良犬なんぞ食った日には腹を壊すんじゃないか。この前、宗助が食ったらしいが、あいつ肉が固いだの、筋か張ってるとか、旨いとは一言も言わなかったな。十四郎、お前、食ったことあるか?
十四郎 ないな。
文吾 そういえば赤犬が旨いという話だが、本当なのかね。考えていたら俺まで腹が減ってきた。(腹を抱えてしゃがみ込む)おかしいな。さっき握り飯五六個平らげてきた筈だが。
十四郎 (苦笑して)食い物の話はそれくらいにしろ。先生の前だぞ。
文吾 しかしだな。高原道場の三羽烏が二羽しかおらんのでは先生に顔向けが………。
十四郎 もうしばらく待ってみよう。それで来なければ二人で墓の掃除を済ませて帰るよ。住職に先に帰ったと伝えていただければ良い。
文吾 それでいいのか?
十四郎 借りは後できっちり返して貰う。そう苛々するな。それよりも、お前こそ先生に手を合わせたらどうだ。墓の前でうろうろするな。埃が立つ。
文吾が不承不承といった様子で手桶を足下に置き、手を合わせる。
文吾 (何度も頭を下げながら)申し訳ありません。先生。宗助の阿呆めが遅れております。後で私が二度とこのような不始末の無きよう叱りつけておきますので、どうぞご勘弁下さい。(手を合わせながら十四郎の方を向き)何をしている、十四郎。お前からも先生にお願いしろ。
十四郎 (笑いを堪えながら)分かった。
その時、遠くから二人に声がかかる。十四郎と文吾が振り返ると、門をくぐり抜けて羽村宗助が走って現れる。年頃は十四郎、文吾と同じくらい。中肉中背で、肌の色は日焼けして浅黒い。
二人の前で立ち止まると体をくの字に曲げて激しく呼吸する。
宗助 (息を切らしながら)すまん。遅くなった。
文吾 何をしておったのだ。先生の三回忌を何だと思っている。
宗助 (呼吸を整えつつ)お役目でな。申し訳ない。
十四郎 また、随分趣味の悪い着物だな。お前、そんなの持っていたか?
宗助 全部洗ってしまってな、これしかなかった。
文吾 全く、どれだけ待たされたと思っておるのだ。謝れ。
十四郎 謝るなら先生にだろ、文吾。そのくらいにしておけ。ほれ、お前も先生にご挨拶しろ。
十四郎の勧めに応じて宗助が体を起こそうとして、前につんのめって倒れる。
十四郎 大丈夫か。宗助。
十四郎が宗助の手を取る。立ち上がらせると宗助についた埃を手で払いのける。
文吾 凄い汗だな。ほれ、これで汗を拭け。
宗助 すまんな、十四郎、文吾。
文吾が懐から取り出した手拭いを渡す。宗助はそれを受け取り、額や首筋を丹念に拭き取る。
十四郎がそれを呆然と見ている。
宗助 (手拭いを文吾に差し出す)ほれ。文吾。(手で払いのける)洗って返せ。
宗助は懐に手拭いを入れると墓の前に近づき、手を合わせる。十四郎、文吾も改めて墓前に立ち、頭を下げる。
文吾は墓に花束を添える。三人揃って目を閉じて恩師の冥福を祈る。にいにい蝉の声が鳴り響く。
文吾 (手を合わせながら)先生のご恩に応えるべく我ら三人更なる精進を重ねていく所存ですので、どうか………
十四郎 (合掌をといて)それでは先生。また参ります。
文吾 先生、お願い致します。
宗助 申し訳ありません。先生。
三人は墓に向かって一礼した後、上手の門の前まで移動する。
十四郎 (背伸びして)さて、これからどうする。
文吾 知れたこと。この近くに旨い酒を飲ませる所がある。
宗助 まだ日も高いのにか。
文吾 充分だ。
十四郎 俺は………遠慮しておく。そういう気分じゃあない。
文吾 そう言うな。あそこの酒は旨いんだ。御笠屋といってな。肴もいけるんだ。鮎の干したのが、絶品でな。
宗助 そうだな。藩の大事なときに我々が呑気に酒かっくらっている訳にもいくまい。
文吾 (宗助をにらみつけながら)お前までなんだ。
宗助 (ぽつりと)おとよが身売りすることになった。
十四郎 (はっとなって宗助を見る)おとよというと、昔お前の家で奉公していたあの甚助の娘か。
宗助 (頷いて)年貢が払えんらしい。甚助だけじゃない。あの村だけでも六人も娘が売られていく。
十四郎 惨い話だな。
宗助 (十四郎に食ってかかるように)好きで娘を売りとばすと思っているのか? どの村も飢饉で苦しんでおる。己の食い扶持すら事欠くというのに。(唾を吐く。舞台中央に歩いていく)
文吾と十四郎が何か言いかけるが言い出せないまま、宗助の言葉を聞いている。
宗助 (語気を荒く)みんな年端もいかぬ子供だ。甚助の娘などまだ十四だぞ。これから江戸に行って吉原で客を取るために修行させられるそうだ。お前ら知っているか。女衒という奴らはな、買った娘をまず自分で手込めにするんだ。そいつらの言いぐさはこうだ。(嫌らしく媚びたような口調で)「今から江戸で高い金で買って頂くんだ。売り物の味も知らないで売ったとあっちゃあ申し訳がねえ。こいつばかりは試してみねえとわからねえ。何ならお武家さん。買ってくれやすか。まけときやすぜ」だとさ、糞!
(地面の小石を蹴り飛ばす。小石が硬いものに当たって転がっていく音がする)
宗助 それもこれも年貢が払えぬせいだ。
文吾 (怖ず怖ずと)おい、止めとけ。
宗助 (無視して)年貢年貢。百姓から油粕も出ぬほど取り立てて、家中の者も禄の半分も召し上げだ。
文吾 (先程より語気を強く)止めろ。宗助。
宗助 ご自身は楽だろうな。遊郭に入り浸って、吉原にも何日も通い詰めらしい。
(嘲るように)さぞ驚かれるだろうな。江戸で領民の娘を抱くことが出来るんだからな。
お国が懐かしくなるやもしれんぞ。
文吾 (泣きそうな声で)止めろと申すに。
宗助 領地は領地で家中の娘や女房を手込めにして回るか。全く精力逞しいことであらせられるな、我が藩の殿様は。
十四郎 (遮るように大声で)そこまでだ、宗助!
宗助と文吾が驚いた様子で十四郎を見る。
十四郎 (必死に)それ以上は言うな。頼む! 分かるだろ、俺もお前も伊那川藩に仕える身だ。微禄だろうと先祖代々鹿島家から扶持を頂いている。主君の侮辱はお家全体の侮辱、それ以上言えば………(刀の柄に右手を添える)だから頼む。言うな!
宗助は黙って十四郎を見つめる。文吾は慌てて十四郎と宗助の間に入り、どうして良いか分からず二人の顔を見比べる。十秒ほど見つめ合った後、宗助が溜息ついて項垂れる。
宗助 すまん、十四郎、文吾。
十四郎 (ほっとして刀から手を離す)ああ。
文吾が取り繕うような笑顔で二人の間に入る。
文吾 まあ、二人とも。ここはだな、先生の墓前だ。
三人並んで門の前まで移動する。
十四郎 (顔色を窺うように)村の様子はどうだ。
宗助 飢え死にする者も出始めている。お救い小屋の粥も追いつかぬ。
文吾 (腕組みしながらしきりに頷く)そうか、うん。そうだ。(宗助の方を振り返って)おい宗助、やはりお前、飲みに付き合え。
宗助 だから俺は。
文吾 お前が百姓の暮らしを案じておるのは分かる。しかしだ、お前一人で唸ったところで百姓の腹が膨れる訳でもあるまい。
宗助 それはそうだが。
文吾 (じれったそうに)ああ、鬱陶しい。理屈なぞどうでもいい。とにかく、お前は今日俺と、酒を飲め。それしかな い。そう決めた。
宗助が文吾を見てくすりと笑う。
宗助 分かった。
文吾 (ほっとした様子で)そうだ。それがいい。(十四郎の方を向いて)十四郎、お前もつきあうよな。
十四郎 仕方ないな。
文吾 おお、高原道場の三羽烏が久々に揃ったんだ。今日は飲むぞ。
宗助 (冷やかすように)まだそんなこと言っておるのか。お前、俺から一本でも取ったことがあるか? 舌切り雀の間違いだろ。
文吾 ぬかせ!
宗助 第一、お前の剣は馬鹿正直なんだよ。駆け引きも何もあったもんじゃない。本人はわざと隙を作って誘っているつもりらしいが、あれは自分から叩かれに言っているようなものだ。
十四郎 剣術というのは使い手の気質がよく出る。それだけ文吾が気持ちの真っ直ぐなな男だということだ。
宗助 馬鹿なだけだ。
文吾 この野郎。
文吾が宗助の首を脇で絞める。
宗助 (笑いながら)悪かった、参った。降参だ。
文吾 (宗助を解放する)分かれば良い。
宗助 まあ俺と十四郎でやれ竜虎だの双璧だの、と呼ばれたこともあったが。
文吾 うむ。宗助は太刀筋が速いからな。防ぐのが精一杯だ。十四郎など、いくら打ち込んでもかすりもせん。
宗助 ああ、何度攻めても防がれる。そしてこちらが攻め疲れたところに、強烈なのが来る。いつもあれにやられるんだ。
十四郎 そうでもない。宗助は技も速いし旨い。ただ、少々動きに雑なところがある。先生もそこを直せばもっと強くなると言っておったろう。
文吾 (十四郎を見て)来月か。御前試合は。
宗助 高原道場の門下生だった者で出るのはお前だけだからな。頑張れよ。
文吾 おう、勝てば殿から直々に褒美が戴けるというからな。
十四郎 ああ、(間を置いて)絶対に勝ち残る。
宗助 呑気なものだ。百姓は飢えておるというのに。
文吾 止めろ。宗助。
宗助 (ふて腐れたように)分かってるよ。
三人とも上手まで移動する。
文吾 (歩きながら)十四郎はいいな。剣の腕は立つし男前だ。家に帰れば美しいご新造が待っておるし、羨ましい限り だ………。
宗助 (たしなめるように)文吾!(肘で文吾の脇をつつく)
文吾 あ(足を止め、十四郎の方を向く)
少し離れた場所で十四郎は立ち止まる。笑っているが無理に作っている様がありありと見える。
文吾と宗助は顔を見合わせ、十四郎に近付く。
文吾 (頭を下げる)すまん。十四郎。
十四郎 いや、構わぬ。
宗助 (十四郎の顔色を窺うように)雪江殿の病気はまだ治らぬのか。
十四郎 ああ。
宗助 胸の病と言ってたな、お前。そんなに悪いのか。
十四郎 滋養のあるものを食って養生するしかないと医者に言われてな。平沢の方に湯治に行かせた。
宗助 そうか。あれほどの美しい方がな。半月程前、覚えているだろ。この寺の夏祭りだ。あの時見かけたときには元気そうにしておられたが。分からぬものだな。人のさだめというのは。
文吾 ああ、吉乃がな。ほれ俺の妹がだな、一度見舞いにと言っておるのだが。
十四郎 すまん。勘弁してくれ。
三人とも黙り込んでしまう。
文吾 まあ、何だ。今お前がなすべき事は御前試合に勝つことだ。そうすれば、ご新造も喜ぶだろう。病など吹き飛ぶに違いない。
宗助 そうだ、絶対勝て。
十四郎 ああ。勝つ。(しばし間を置いて)命に代えても。
文吾 そうだ、その意気だ。
宗助 今日は飲むぞ。こういうのは騒いで忘れるに限る。ほれ、文吾。さっさと案内しろ。
十四郎 そうだな。行くぞ。文吾。
文吾 (振り向いて)吐くまで飲ませてやるからな。ん?
文吾が立ち止まる。遠く下手の方をうかがっている。
十四郎 どうした、文吾。
文吾 (下手奥を指さしながら)いや、あそこに何か変なものが………。(下手の方に歩いていく)あれは、人だ。人がうずくまっているぞ。
宗助 墓参りだろ。邪魔をするな。
文吾 いや、違う。あれは………。
文吾が慌てて走り出し、下手から退場する。文吾を追って二人も退場する。
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歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
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