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第一章 学生服を脱がさないで

第4話 裸商売は甘くない

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   第4話 裸商売は甘くない

 一年生の試験の日、諭吉とトムは学院の裏手にいた。先日、アダムと待ち合わせた森の付近である。荷車を改良した屋台には予想問題や、一年生向けの学科参考書を積んである。トムと諭吉で苦労して書き写したものだ。

 長椅子に並んで座りながら客が来るのを待っていた。
 今は一時間目、『現代西方語』の試験の真っ最中である。

 既に試験の前日に教室に乗り込み、予想問題を配り終えている。一年生の反応は芳しいものではなかった。

 それはそうだろう、と諭吉は思う。試験には彼らの人生が掛かっている。問題が解けるか、暗記が頭の中から抜け落ちやしないか、ケアレスミスをしないか、緊張でいっぱいのはずだ。そこに上級生が乗り込んで自作の問題配った挙げ句に商売の話をされたのだ。白い目で見られても無理はない。
 だがそれも試験を受ければ評価は変わるはずだ、と信じている。

「来てくれるかな」
「当たっていれば必ず、な」
「外れてたら」
「お前の右手の痛みは全部無駄になるな」

 トムの手には包帯が巻かれている。張り切って書き写したために手を痛めてしまったのだ。そこまでしなくてもいい、と諭吉は何度も言ったのだが聞く耳を持たなかった。

「あんまり無理するなよ。お前の勉強だってあるんだからな」
「ユキチのためだもん。平気だよ」
「止めろ」
 お願いだから手を胸の前で合わせた上に、頬を朱に染めながら上目遣いで瞳を濡らすのは勘弁して欲しい。

「そろそろだ」
 試験終了を告げる鐘が鳴った。五分ほど経っても誰も買いには来なかった。

「もしかして、ハズレちゃったのかなあ」
「そんなはずはないんだが」
 まさか、出題傾向が変わったのだろうかとも思ったが、『現代西方語』の担当教諭は、典型的な前例主義者だ。今更変えるとは考えにくい。

 もしや諭吉の知らない事実があって、今回から傾向が変わってしまったのか。
「まずいな」諭吉はちらりと隣にいるトムの右手を横目で見た。このままでは諭吉の努力もトムの苦労も水の泡だ。
 何がダメなのか直接聞いて回るか、それとも今回はあきらめて次回に持ち越すか。

 そんなことを考えていると、不意に足音が聞こえた。反射的に顔を上げると、ゆるやかなアッシュブロンドの女の子が走ってくるのが見えた。白い修道女《シスター》のような制服は、間違いなくイースティルム学院の生徒の証だ。胸に付けている校章からして一年生だ。

「あ、来たよ」
 トムが声を弾ませながら立ち上がる。女生徒は屋台の前で立ち止まると、肩で息をしながら言った。

「あの、試験の問題は、ここで……」
「はい、いらっしゃい。ええ、ここですよ」
 諭吉も商売人の顔を取りつくろいながら立ち上がる。見れば、かなりの美少女だ。確か、昨日無料で配った時にもいた子だ。余程急いで来たのか、まだ息が荒い。

「どの科目にしますか」たった一人であろうと客は客だ。次の試験まであまり時間もない。

「『天文学一』ですか。それとも『歴史一』の方ですか」
 女の子は返事をしなかった。呼吸を整えると、いきなり諭吉の手を両手で挟み込むようにつかんだ
「すごかったです!」
「は?」

「昨日いただいた予想問題と、今日の試験がもうほとんど一緒だったんです。問題の出し方とか、選択肢とかももうぴったりで。こんなことあるんだって。わたし、もうびっくりして。おかげで合格点が取れそうです。わたし、全然自信なかったのに。本当にありがとうございます」

「はあ、ありがとうございます」

 予想しなかった熱意ある賞賛に、気圧される。諭吉の仕事ぶりに感動してくれたらしい。褒めてくれるのは嬉しいのだが、買ってもらわないと利益にならない。

「えーと、それで、どの科目にしますか」
「あの、それが……違うんです」
「は?」
「すみません。理由は後でご説明します。ですから今日のところは、一度帰っていただけますか」
 諭吉はもう一度間の抜けた声を上げた。

「えーと、どういうことですか?」
「詳しい事情を話している時間はありません。でも、早くしないと」
「何をしている、リリー一年生」
 遠くからとがめ立てするような声がした。振り向くと、学院の方から銀髪の教師が歩いてきた。

「ドナルド・デッカー先生だ」
 トムがまずい、と言いたげな顔でユキチに耳打ちした。

「一年の『現代西方語』の担任だよ」
「知っているよ」

 諭吉は顔をしかめた。昨日配った予想問題がドナルドの耳に入ったのだろう。自分の作った問題と類似していることを知って、買わないように一年生に歯止めを掛けたに違いない。

 授業こそ受けてはいないが、何度か見かけている。二メートル近い身長に制服の上からでもわかる分厚い胸板、歩き方も颯爽としていて、四十歳になるかならないか、にしては若々しい。だが、美形と言える顔には「驕慢」の文字を貼り付けている。

 ドナルドは威圧感に満ちた目でリリーと呼ばれた少女を見下ろす。頭一つ分も上の大男ににらまれ、身を縮こまらせながらその場に立ち尽くしている。

「試験が終わったら教室に待機しているように言っておいたはずだ」
 リリーを片手で突き飛ばす。か細い悲鳴とともに白い制服が地面にこすれる。

「何をするんですか!」
 たまりかねた様子でトムが叫んだ。あわてた様子でリリーの元に駆け寄り、助け起こす。
「貴様には関係ない、トム四年生」

「何の用ですか?」諭吉は訊いた。
「もちろん、これだ」と指さしたのは、荷台に並べた予想問題やテキストだ。

「これを作ったのは貴様か、ユキチ四年生」
「はい」
「そうか」
 ドナルドが予想問題に手を伸ばす。反射的に諭吉はその手首を掴んでいた。

「何のマネだ」
「先にお代をいただきませんと。一部五〇ネイだから、五種類で二五〇ネイに。参考書もいりますか?」
「ねぼけるな」
 ドナルドは諭吉の手を振り払った。

「これは全部没収する。貴様らが問題を盗んだ証拠としてな」
「人聞きが悪いですね。何を証拠に」
「証拠はこれだ」
 と諭吉に一枚の紙を押しつける。『現代西方語・一』の問題用紙だ。

「私が作った問題と、昨日貴様が作った問題と八割以上も同じだ。こんな偶然は、問題を盗み見る以外にあり得ない」
「もちろん偶然じゃありませんよ」
 諭吉は毅然とした態度で言った。

「俺が過去の出題傾向から練り上げた予想問題です。当たってくれないと困ります」
 むしろ二割も外したのか、と密かにがっかりしたくらいである。

「では、あの問題は自分で考えたと?」
「ですからそう申し上げています」
「この前、夜中の職員室に合鍵を使って忍び込んだ者がいる」
「ほう」内心の動揺を悟られないよう、諭吉は平静を装う。

 大丈夫。平気だ。バレやしない。だからそんなわかりやすく顔を青くするんじゃない、トム。
 幸いにもドナルドはユキチを問い詰めるのに夢中で、トムの狼狽に気づいた様子はない。

「盗まれたものはなかった。だが、試験問題は職員室の奥に保管してあった。その時に侵入者が書き写すか、暗記するかして、盗み見た可能性は充分ある」
「この学院に生徒が何人いるかご存じの筈ですが」

「同じ日の夜、守衛が居残った教師と出くわしている。守衛の話によるとその教師は、貴様のような東方人だったそうだ。だが、いくら調べてもその日に居残った東方人の教師はいない」

「守衛さんが見間違えたんでしょう。なんでしたら面通ししていただいても構いませんが」

 諭吉が強気に出たのは、ばれないという自信があるからだ。学生と同様、この学院の人間は、諭吉のようなモンゴロイド系(この世界でいう東方人)の顔立ちを見慣れていないようだ。くわえて学院の教師は強い権力を持っているため、守衛もまた教師陣を畏怖している。事実、守衛たちはろくに諭吉の顔も見ていなかったし、髪型も変えていた。他人の空似でごまかせる。

「どうしても罪を認めないつもりだな」
「テストを予想するのが罪なら、生徒はみんな犯罪者になってしまいます」
「ほう、言ったな」
 ドナルドが勝ち誇った笑みを作ると、袖から小さな指輪を取り出した。

「これは『偽りの指輪』と言ってな。この指輪を前にウソを付くと、赤く光るのだ」
「へえ」
 そんなものがあるのか、と諭吉は感心する。さすが異世界だ。

「一日一回しか使えないが、その分効果はお墨付きだ。その減らず口、指輪を前にしても言えるかな」
「構いませんよ」
 諭吉は胸を張って言った。

「俺は、合鍵を職員室に忍び込んでいませんし、の問題用紙なんて触るどころか見てもいません」
 静寂が流れる。誰かの唾を飲み込む音がした。指輪は何の反応もなかった。

「なん、だと?」
「どうやら決まりですね」
 諭吉はにやりと笑った。尻尾を掴まれないような言い回しは、テレビの国会中継で散々見せられている。

「誤解も解けたようですし、どうぞお引き取りを」
 ドナルドは真っ赤になった顔を引きつらせ、憎々しげに睨み付ける。

「ま、待て!」
「まだ何か?」

「えーと、その……そうだ。貴様ら、その格好はなんだ?」
「なんだ、と言われましても」
 いつもどおり学校の制服である。

「神聖な制服で商売をするとは何事だ! いやしくも王立イースティルム学院の生徒ならば準貴族としての誇りをだな」
「えーと、何か勘違いをされているようですが」
 諭吉はむしろ哀れみをこめた声を作ってなだめる。

「トムは、商売とは関係ありません。同居しているので様子を見に来てくれたんです」
「ユキチ!」
 抗議の声を上げようとしたトムの口を両手でふさぐ。

「それと、俺の着ている服は、制服ではありませんよ」
「バカを言うな。どこからどう見て……も?」
 ドナルドの反論が止まった。
 諭吉の姿は、黒いズボンと長袖のシャツである。制服ではない。

「ま、待て。いつ着替えた、ユキチ四年生!」
「着替えたも何も、今の今まで向かい合って話していたじゃありませんか。いつ服を脱ぐヒマがあったんですか?」
 歯がみして黙り込む。事実ドナルドは目を閉じるどころか、逸らしてすらいない。せいぜい瞬き程度だろう。

 それもこれも『早着替え』のスキルがあってこそだ。ストップウオッチもハイスピード撮影の出来るカメラもないので、正確な速度はわからないが、体感では瞬きよりも早い。

「確かに真っ黒な服ですから遠くから見たら制服に見えたかも知れませんが、一応これ私服です」
「バカな……」
「なあ、トム。この服、制服に見えるか?」
「え、いや。ううん。違う、と思う」
 トムは訳が判らない、という顔をしながらもぎこちない仕草でうなずいてくれた。

「ほかに何か? 誤解も解けたようですので、もしなければ、外していただけますか。商売の妨げになりますので」
「……わかった」
 苦々しげにドナルドは言った。

「確かに私の勘違いだったようだ。謝罪しよう」
 謝罪を口にするものの、その目からは炎のような敵意は消えてはいなかった。

「だが、まだ指導すべき生徒が残っている。君だよ、リリー一年生」
 急に話の矛先を向けられて、リリーが落ち着きを失う。

「私は、諸君らに教室で待機しているように言っておいたはずだ。なのに、君は教室を抜け出した挙げ句、ここに来ている。どういうことだね」
「その……」
「ほかの先生方も聞いている。入学以来、君の成績は伸び悩んでいる。優秀な姉上と違ってね。そこで、ほかの者たちが足止めをくらっているのをいいことに、抜け駆けしてユキチ四年生の予想問題を手に入れようとしたわけだ」

「違います!」
「何が違うというのだね」
「いや、その」

 リリーがたまりかねた様子で叫んだがそれ以上、反論出来ずに口の中でつぶやくだけだった。

 まずいな、と諭吉は舌打ちする。
 リリーが教室を抜け出してここに来た理由はほかでもない。ドナルドのイチャモンから諭吉たちを逃がすためだ。本人の前で言えるわけがない。言えばますます立場は悪くなる。それは、教師であるドナルドに反旗を翻す行為だ。

「君は私の指示を無視して教室を離れた挙げ句に、不正の疑いのあった教材を無断で購入しようとした。これは許されざる行為だ。リリー一年生、私の権限で君を一週間の停学にする」

 有罪判決にリリーが顔面蒼白になる。よりにもよって試験日に停学となれば、今回の単位取得は絶望的である。
「待って下さい!」
 今にも崩れ落ちそうなリリーをかばうように、トムが前に進み出る。

「停学だなんて、いくらなんでも」
「私の決定に不服なのかね、トム四年生」

 ぎろり、と睨まれてトムはたじろいだもののぎゅっと拳を握りながらそれでも、と言った。

「ユキチの作った問題におかしなところはない、とたった今証明されたばかりじゃないですか。それなのに、停学だなんておかしいですよ」
「ユキチ四年生の予想問題とやらが不正かどうかは、関係がないのだよ」
「え?」

「問題は私の指示に従わず勝手な行動を取ったことだ。ここは学院で私は教師だ。規律を守り、守らせる義務がある。もし従わないのであれば、そんな生徒は学院に必要はない」
 リリーの体が弾かれたように震える。

 諭吉は胸の奥が黒雲のような怒りが込み上げてくるのを感じた。ドナルドが言っているのは正論である。だからこそ、胸糞が悪い。

 正論は凶器にもなり得ると、諭吉は元の世界でイヤと言うほど見てきた。その陰に隠れた醜い本音が、諭吉には透けて見える。要するに、自分の作った問題を当てられて気に入らないのだ。諭吉をへこませるのに失敗したので標的をリリーに変えた。それだけだ。ふざけやがって。

 こうなったら奥の手を出すしかない。正論が論理以外の要因にねじ曲げられるのも元の世界で散々見てきた。
 最悪、学院にいられなくなるが、構うものか。

 指先に意識を集中させた時、不意に声が聞こえた。
「ドナルド先生、そんなところで何を?」
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