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第一章 学生服を脱がさないで
第3話 衣食足りて礼節を知る
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第3話 衣食足りて礼節を知る
王立イースティルム学院では毎月、月始めに試験が行われる。
試験に合格すれば、学科の単位が取得できる。単位を一定数取れば翌月から進級する。逆に言えば、単位を取らなければ何年経っても一年生のままだ。
六年生になって規定の単位を全て取得すれば、官僚になるための試験、通称『高等官吏試験』の受験資格を得る。『高等官吏試験』の合格者は毎年三人から五人程度。狭き門なのである。
その試験が再来週に迫った日の放課後、諭吉が帰り支度をしていたところにトムが話しかけてきた。
「ユキチは今度何受けるの?」
「『上級魔法生物学』と『近代王国経済史』、『基礎神学講座・三』だろ、それと『シーノ神学』に『神学論争史』かな。神学系は単位あんまり取ってないから。まとめて取っておこうと思ってよ。お前は?」
「えーと、『数学』の一と二、それから『東方語』の一と二と、あと、『古典文学』の二と三……と、あとは」
「詰め込み過ぎだろ」
テストは学科ごとに教室が分かれており、何の学科の試験を受けるかは、生徒の自由に委ねられている。試験は一日六科目を二日間。最大十二科目受けることも可能だが、その分試験範囲は広くなる。そのため、五科目か六科目に絞るのが通例になっている。
「でも、僕あんまり余裕がなくってさ」
「単位なら取っているだろ?」
四年生ともなれば難易度も上がり単位も取りにくくなる。だがトムの場合、退学を心配するような単位数ではない。
「いや、そっちじゃなくってこっちの方……」
トムがおずおずと自分の財布を指さす。諭吉は顔をしかめた。
進級もいいことばかりではない。教科の難易度が上がれば、勉強時間や学ぶべき書物の購入費も右肩上がりに増えていく。中には学院とは別に『高等官吏試験』専門の私塾に通っている者もいる。そうなれば講師への月謝もかかる。
トムはアルバイトをしながら生活費を稼いでおり、今もかつかつの生活を続けている。実家も田舎の小作人で、仕送りなど望むべくもない。長くいればいるほど金は消えていく。かといってアルバイトを掛け持ちすれば、勉強する時間が減っていく。
「少しでも早く進級しないと」
「だからって無理に詰め込んでも落っこちるだけだぞ」
「わかってるよ、でも」
トムはそこで後ろめたそうに目を逸らす。
「この前、母さんから手紙が来たんだ」
「何だって?」
「『見込みがないようなら帰って来い』って。四年生まで行ったなら地主さんのところで雇ってもらえるかも、だって」
諭吉には実感がないのだが、イースティルム学院に入学出来たという時点で田舎ではエリート扱いされるらしい。たとえ『高等官吏試験』に合格できなくても六年生まで行って卒業できれば地方領主の官僚としては引く手数多だという。
「異世界に来ても金、金、金か」
諭吉は天井を見上げた。金がないばかりに進学を諦めなくてはならないのは、異世界でも変わらないらしい。そんなところばっかり元の世界と共通していなくてもいいだろうに。
学院では奨学金という制度もあるのだが、取得できるのはごく一部の成績優秀者である。残念だが、トムの成績は中の上か上の下といったところだろう。
ならば、と成績を上げようとすれば、今度は生活費が削られる。身分に関係なく優れた人間を集めるための制度のはずなのに、いつの間にか金持ちが有利な仕組みになってしまっている。その不公平や矛盾を解決する施策を王国も学院も取ろうとしていない。
「だから、せめてお金のある間に少しでも単位を取っておきたいんだ」
「気持ちはわかるけどな」
無理をしていたらうまくいくものも行かなくなってしまう。
諭吉は溜息をついた。結局、金が全てか。どうせくれるのなら『早着替え』ではなく、名前みたいにお金でも生み出す能力にしてくれればいいものを。神様だか悪魔だか知らないが、融通が利かない。
「仕方ないな」
もう少し準備する時間が欲しかったのだが、いい機会だ。『スキル』では制度は変えられないし学院の生徒全員は救えないが、せめて同居人くらいは助けてやりたい。
「トム」諭吉は立ち上がりカバンを背負い直した。「儲け話に付き合わないか」
学院では人目もあるので、下宿に戻り話を再開する。
「それで、儲け話ってなんなの? もしかして危ない仕事なんじゃ」
「別に違法でもなければ、倫理に咎めるような話でもない。ちょっとした商売だ」
危ない橋を渡るのならトムを誘いはしない。
「商売って何を売るの? もしかして古着かな」
「おかみさんの商売敵になってどうするんだよ」
諭吉のやれるだけのノウハウは全て実践している。今更古着で儲けられるとも思えない。
「俺たちがやるのはな、これだよ」
とカーテンの奥に入り、『クローゼット』の中に入れていた紙の束を取り出す。この世界でも早くから植物由来の紙が使われている。製紙技術が未発達なためか、ごわごわして使いにくい。その分、安価なので庶民をはじめ広く出回っている。紙に目を通しながらトムが不思議そうな顔をする。
「これって、試験の問題だよね。一年生の」
「そう」諭吉はうなずいた。「俺たちが作るのはな。試験の『問題集』だ」
イースティルムでお金を落としてくれるのはなんといっても学生である。それ故、学生専用の下宿屋があちこちにある。商店街に立ち並ぶ店も古着屋だの文房具屋だの古本屋だのといった学生相手の商売が多い。マスマーケットを狙うのは商売の基本だ。
「ダメだよ」
トムが哀れみをこめた目をしながら首を振る。
「前の問題用紙を手に入れて売れば、売れるって思ったんでしょ。それなら、みんなとっくにやっているよ。僕も買ったことがある」
過去の試験問題、いわゆる過去問題集は既に学生の間で広まっている。問題用紙そのものは試験後に回収されるが、記憶力のいい者が密かに書き写し、後輩やこれから受ける者に販売している。その用紙も書き写され、更に別の人間に売られている。コピーのコピーのそのまたコピーまで出回っているのだ。新規参入したところで旨味は少ない。
「ちゃんと人の話を聞け。俺は『作る』って言ったんだ。俺が考えているのは過去問じゃない。ずはり『予想問題集』だ」
「予想って……ユキチが問題を考えるってこと?」
「ああ」
「出来るわけないじゃないか」
「出来る」
ピン、と羊皮紙を指先で弾く。
「ここ数年の問題傾向見てはっきりした。ここの教師は、同じ問題を五年から十年単位で使い回している」
おそらく出題用のアンチョコがあって、それを元に問題を作成しているのだろう。そこから選んだ問題を適当にシャッフルしながら試験を作っている、と諭吉は確信している。でなければ、出題文の誤字まで一致するわけがない。学習指導要領くらいはあるかもしれないが、ろくに改訂もされていないのだろう。
「あとは教師の傾向を掴めば、問題文くらいは予想が付く。まあ、七割から八割ってところだな」
「でも、試験問題って学科ごとに違うんだよ。ユキチ一人で無理だよ」
「だから今回は一年生用の科目に絞る。一番多いのは一年生だからな」
学院の性質上、生徒の人数はピラミッド式になっている。全学年の約半数が一年生である。時間も無いため、一番多い客層を狙う。
「上手くいけば、二年三年の問題も作っていく。最終的には『高等官吏試験』の問題も手に入れて、そっちの予想問題集も出すつもりだ。高く売れるぜ」
にやり、と諭吉は頬が自然と緩むのを感じた。元の世界でも、一流予備校の問題集や模擬試験のプリントがネットオークションなどで高額で取引されている。成功のためなら金に糸目を付けないのは、世界が違っても変わらないようだ。
「あとはジャンルごとに参考書も作っていこうと考えている」
学院の教科書はクソ過ぎて、学生に理解させる気があるとは思えない。要点や単語を絞ってわかりやすくまとめた本があれば、そちらに飛びつくはずだ。予習復習やアルバイトと、忙しい学生に、難解な言い回しの教科書に割いている時間などあるものか。
「参考書って……ユキチが? 『ローディ神書講義』みたいな?」
「あんなものは参考書とは言わない」
参考書自体は学院の内外にも既に存在している。卒業生がまとめたとされるノートや、私塾の講師が書いたという解説書が複写され、出回っている。教科書よりわかりやすい、と評判だが現代日本の参考書や問題集に触れてきた諭吉に言わせれば、五十歩百歩だ。
「今から作るの? さすがにそんな時間は……」
「というか、もうある」
また紙の束を手渡す。手製の『現代西方語』参考書である。製本もされていない紙の束をめくっていくうちに、トムの目が少しずつ輝いていく。
「すごいよ、これ! ものすごくわかりやすい。本当にユキチが作ったの? いつの間に?」
「入学以来こつこつと」
正確に言えば、渡された教科書を読んでからだ。こんな非合理的な教科書を許せず、自分なりに纏めておいた。
自作の参考書なんて、小学生の家庭教師をして以来だったが、反応の良さに心の中でほっとする。
「どうだ、これなら売れるだろ」
「確かにすごいよ。僕でもすんなり頭に入ってくる」
でも、とトムはうかない顔をする。
「学院で生徒の商売は禁止されているけど」
「だから外でやる」
校則で禁止されているのは、あくまで学院内部での商売だ。外の商売については、違法でない限りノータッチである。手作りの弁当を売って生活費を稼いでいる生徒もいる。
「いくらで売るつもりなの?」
「とりあえずは一教科につき五〇ネイだな。参考書はもうちょい高めにしたいけど」
日本円に直せば五〇〇円だ。日本なら格安だが、この町の物価を考えれば高めではある。それでも充分価格に見合う内容だという自負はある。
「この内容なら五〇ネイでも安いと思う。でも、この問題や参考書のすごさを知らないと買ってくれないんじゃないかな。その、作ったのはユキチだし」
「言いたい事はわかる」
ネームバリューの問題だ。日本でも有名塾の講師が監修した参考書が、書店に並んでいる。諭吉は知らないのだが、この町にも私塾の有名講師が何人かいるらしい。だが無名の、しかも現役生徒が考えた問題集や参考書など誰も買おうとはしないだろう。
「だから宣伝も考えてある」
「どうするの?」
「来週末に一年生の試験があるだろ」
前述したように学院では、一年生の数が一番多い。試験準備や採点対応のためか、一年生だけは日程が別に組まれている。
「一限目が『現代西方語』なんだが、教師が来る前にその授業のあるクラスに乗り込む」
そこで諭吉は、手に持った『現代西方語』の予想問題をトムに見せる。
「そこで売りつけるの? いやダメだよ。学院内での商売は」
「売りはしない」諭吉は首を振った。
「無料で配る」
大切なのは「諭吉の作った問題は試験に役立つ」と知ってもらうことだ。それには実際に体験してもらうのが一番である。
「事前に配った問題と比べれば、どれだけ当たるか一目瞭然だろ? 配ってからこう言うんだ。ほかの教科も用意している。次からは有料になる。もし欲しかったら一限目の後に、学園の外に来てくれって、な。もちろん、解答付きだ」
そのため、『現代西方語』以外は、作成する予想問題も二日目の科目に絞るつもりだ。
「でもいいの? それじゃあ儲けが」
「宣伝費と考えれば安い」
諭吉の作った予想問題は素晴らしい、と口コミで広めてくれるのならすぐに元は取れる。
「用紙代とか原価考えたら一クラス三十人以上売れたら元は取れる。あとは作れば作るほど利益になる」
経営学には疎いが、原価計算くらいは出来る。ただし、諭吉の人件費は含まれていない。
「せっかく作っても、みんな書き写しちゃうだろうから、買う人は結局あんまり出ないんじゃないかな」
「だから一日目に売るんだ」
コピー防止のためだ。予想問題を書き写している時間は限られる。
「参考書についてもできれば防ぎたいけれど、価格を下げることで抑止効果になるだろう」
コピー品が出回るのは、原書が高いからだ。原書自体が安ければ、わざわざコピー品に手を出す人間はいなくなる。少なくとも減らすことはできる。
「そこまで考えていたんだ」
トムがしゅんと項垂れてしまう。
「ゴメンね、諭吉はちゃんと考えていたのに僕ときたらケチつけてばっかりで」
「いや、構わない」諭吉はやんわりと慰める。
「むしろ、気づいたことがあったらどんどん言ってくれ。そっちの方が有り難い」
諭吉が異世界に召還されて一年。まだ異世界の常識や慣習に慣れたとは言い切れない。万全を尽くしたつもりでも、どこかに見落としがあったり知らない常識も多々あるだろう。そこを補強できるのは今のところトムだけだ。
「それで僕は何をすればいいの?」
「書き写すのを手伝ってくれ」
この世界にコピー機はないので、印刷物は全て人間の手で書き写している。どこかに活版印刷機くらいはあるか知れないが、学生の諭吉がほいほい使えるようなシロモノではなさそうだ。
「利益が出たらお前と折半だ」
トムは目をみはった。
「問題作ったのもユキチじゃないか。書き写すだけなのに折半だなんて。それに、もしこの商売が上手く言ったとして、毎月試験問題や参考書を作らないといけないんでしょ。そしたらユキチの勉強する時間がなくなっちゃうよ」
「気にするな」
役人になるつもりはないし、そもそも目的は金儲けではない。参考書を作ったのは、あの非合理的で難解なだけの教科書を駆逐したかったからだ。わかりやすい参考書が出回れば、学院の教科書も改訂されてわかりやすくなる、かも知れない。
「参考書は一回作ればいいし、予想問題も受験者数に応じて科目を絞ろうと思っている」
今のところ予想問題を作れるのは諭吉だけだ。ほかにもやらなくてはいけないこともたくさんある以上、あまり手は広げられない。いずれ折を見てトムにもノウハウを教えるつもりだが、当分はその方向で進めていくつもりだった。
「その代わり量をこなしてもらう。とりあえず、予想問題を教科ごとに、とりあえず今回は五種類で各二〇〇枚だな。頑張ってくれ」
トムの顔がひきつった。
王立イースティルム学院では毎月、月始めに試験が行われる。
試験に合格すれば、学科の単位が取得できる。単位を一定数取れば翌月から進級する。逆に言えば、単位を取らなければ何年経っても一年生のままだ。
六年生になって規定の単位を全て取得すれば、官僚になるための試験、通称『高等官吏試験』の受験資格を得る。『高等官吏試験』の合格者は毎年三人から五人程度。狭き門なのである。
その試験が再来週に迫った日の放課後、諭吉が帰り支度をしていたところにトムが話しかけてきた。
「ユキチは今度何受けるの?」
「『上級魔法生物学』と『近代王国経済史』、『基礎神学講座・三』だろ、それと『シーノ神学』に『神学論争史』かな。神学系は単位あんまり取ってないから。まとめて取っておこうと思ってよ。お前は?」
「えーと、『数学』の一と二、それから『東方語』の一と二と、あと、『古典文学』の二と三……と、あとは」
「詰め込み過ぎだろ」
テストは学科ごとに教室が分かれており、何の学科の試験を受けるかは、生徒の自由に委ねられている。試験は一日六科目を二日間。最大十二科目受けることも可能だが、その分試験範囲は広くなる。そのため、五科目か六科目に絞るのが通例になっている。
「でも、僕あんまり余裕がなくってさ」
「単位なら取っているだろ?」
四年生ともなれば難易度も上がり単位も取りにくくなる。だがトムの場合、退学を心配するような単位数ではない。
「いや、そっちじゃなくってこっちの方……」
トムがおずおずと自分の財布を指さす。諭吉は顔をしかめた。
進級もいいことばかりではない。教科の難易度が上がれば、勉強時間や学ぶべき書物の購入費も右肩上がりに増えていく。中には学院とは別に『高等官吏試験』専門の私塾に通っている者もいる。そうなれば講師への月謝もかかる。
トムはアルバイトをしながら生活費を稼いでおり、今もかつかつの生活を続けている。実家も田舎の小作人で、仕送りなど望むべくもない。長くいればいるほど金は消えていく。かといってアルバイトを掛け持ちすれば、勉強する時間が減っていく。
「少しでも早く進級しないと」
「だからって無理に詰め込んでも落っこちるだけだぞ」
「わかってるよ、でも」
トムはそこで後ろめたそうに目を逸らす。
「この前、母さんから手紙が来たんだ」
「何だって?」
「『見込みがないようなら帰って来い』って。四年生まで行ったなら地主さんのところで雇ってもらえるかも、だって」
諭吉には実感がないのだが、イースティルム学院に入学出来たという時点で田舎ではエリート扱いされるらしい。たとえ『高等官吏試験』に合格できなくても六年生まで行って卒業できれば地方領主の官僚としては引く手数多だという。
「異世界に来ても金、金、金か」
諭吉は天井を見上げた。金がないばかりに進学を諦めなくてはならないのは、異世界でも変わらないらしい。そんなところばっかり元の世界と共通していなくてもいいだろうに。
学院では奨学金という制度もあるのだが、取得できるのはごく一部の成績優秀者である。残念だが、トムの成績は中の上か上の下といったところだろう。
ならば、と成績を上げようとすれば、今度は生活費が削られる。身分に関係なく優れた人間を集めるための制度のはずなのに、いつの間にか金持ちが有利な仕組みになってしまっている。その不公平や矛盾を解決する施策を王国も学院も取ろうとしていない。
「だから、せめてお金のある間に少しでも単位を取っておきたいんだ」
「気持ちはわかるけどな」
無理をしていたらうまくいくものも行かなくなってしまう。
諭吉は溜息をついた。結局、金が全てか。どうせくれるのなら『早着替え』ではなく、名前みたいにお金でも生み出す能力にしてくれればいいものを。神様だか悪魔だか知らないが、融通が利かない。
「仕方ないな」
もう少し準備する時間が欲しかったのだが、いい機会だ。『スキル』では制度は変えられないし学院の生徒全員は救えないが、せめて同居人くらいは助けてやりたい。
「トム」諭吉は立ち上がりカバンを背負い直した。「儲け話に付き合わないか」
学院では人目もあるので、下宿に戻り話を再開する。
「それで、儲け話ってなんなの? もしかして危ない仕事なんじゃ」
「別に違法でもなければ、倫理に咎めるような話でもない。ちょっとした商売だ」
危ない橋を渡るのならトムを誘いはしない。
「商売って何を売るの? もしかして古着かな」
「おかみさんの商売敵になってどうするんだよ」
諭吉のやれるだけのノウハウは全て実践している。今更古着で儲けられるとも思えない。
「俺たちがやるのはな、これだよ」
とカーテンの奥に入り、『クローゼット』の中に入れていた紙の束を取り出す。この世界でも早くから植物由来の紙が使われている。製紙技術が未発達なためか、ごわごわして使いにくい。その分、安価なので庶民をはじめ広く出回っている。紙に目を通しながらトムが不思議そうな顔をする。
「これって、試験の問題だよね。一年生の」
「そう」諭吉はうなずいた。「俺たちが作るのはな。試験の『問題集』だ」
イースティルムでお金を落としてくれるのはなんといっても学生である。それ故、学生専用の下宿屋があちこちにある。商店街に立ち並ぶ店も古着屋だの文房具屋だの古本屋だのといった学生相手の商売が多い。マスマーケットを狙うのは商売の基本だ。
「ダメだよ」
トムが哀れみをこめた目をしながら首を振る。
「前の問題用紙を手に入れて売れば、売れるって思ったんでしょ。それなら、みんなとっくにやっているよ。僕も買ったことがある」
過去の試験問題、いわゆる過去問題集は既に学生の間で広まっている。問題用紙そのものは試験後に回収されるが、記憶力のいい者が密かに書き写し、後輩やこれから受ける者に販売している。その用紙も書き写され、更に別の人間に売られている。コピーのコピーのそのまたコピーまで出回っているのだ。新規参入したところで旨味は少ない。
「ちゃんと人の話を聞け。俺は『作る』って言ったんだ。俺が考えているのは過去問じゃない。ずはり『予想問題集』だ」
「予想って……ユキチが問題を考えるってこと?」
「ああ」
「出来るわけないじゃないか」
「出来る」
ピン、と羊皮紙を指先で弾く。
「ここ数年の問題傾向見てはっきりした。ここの教師は、同じ問題を五年から十年単位で使い回している」
おそらく出題用のアンチョコがあって、それを元に問題を作成しているのだろう。そこから選んだ問題を適当にシャッフルしながら試験を作っている、と諭吉は確信している。でなければ、出題文の誤字まで一致するわけがない。学習指導要領くらいはあるかもしれないが、ろくに改訂もされていないのだろう。
「あとは教師の傾向を掴めば、問題文くらいは予想が付く。まあ、七割から八割ってところだな」
「でも、試験問題って学科ごとに違うんだよ。ユキチ一人で無理だよ」
「だから今回は一年生用の科目に絞る。一番多いのは一年生だからな」
学院の性質上、生徒の人数はピラミッド式になっている。全学年の約半数が一年生である。時間も無いため、一番多い客層を狙う。
「上手くいけば、二年三年の問題も作っていく。最終的には『高等官吏試験』の問題も手に入れて、そっちの予想問題集も出すつもりだ。高く売れるぜ」
にやり、と諭吉は頬が自然と緩むのを感じた。元の世界でも、一流予備校の問題集や模擬試験のプリントがネットオークションなどで高額で取引されている。成功のためなら金に糸目を付けないのは、世界が違っても変わらないようだ。
「あとはジャンルごとに参考書も作っていこうと考えている」
学院の教科書はクソ過ぎて、学生に理解させる気があるとは思えない。要点や単語を絞ってわかりやすくまとめた本があれば、そちらに飛びつくはずだ。予習復習やアルバイトと、忙しい学生に、難解な言い回しの教科書に割いている時間などあるものか。
「参考書って……ユキチが? 『ローディ神書講義』みたいな?」
「あんなものは参考書とは言わない」
参考書自体は学院の内外にも既に存在している。卒業生がまとめたとされるノートや、私塾の講師が書いたという解説書が複写され、出回っている。教科書よりわかりやすい、と評判だが現代日本の参考書や問題集に触れてきた諭吉に言わせれば、五十歩百歩だ。
「今から作るの? さすがにそんな時間は……」
「というか、もうある」
また紙の束を手渡す。手製の『現代西方語』参考書である。製本もされていない紙の束をめくっていくうちに、トムの目が少しずつ輝いていく。
「すごいよ、これ! ものすごくわかりやすい。本当にユキチが作ったの? いつの間に?」
「入学以来こつこつと」
正確に言えば、渡された教科書を読んでからだ。こんな非合理的な教科書を許せず、自分なりに纏めておいた。
自作の参考書なんて、小学生の家庭教師をして以来だったが、反応の良さに心の中でほっとする。
「どうだ、これなら売れるだろ」
「確かにすごいよ。僕でもすんなり頭に入ってくる」
でも、とトムはうかない顔をする。
「学院で生徒の商売は禁止されているけど」
「だから外でやる」
校則で禁止されているのは、あくまで学院内部での商売だ。外の商売については、違法でない限りノータッチである。手作りの弁当を売って生活費を稼いでいる生徒もいる。
「いくらで売るつもりなの?」
「とりあえずは一教科につき五〇ネイだな。参考書はもうちょい高めにしたいけど」
日本円に直せば五〇〇円だ。日本なら格安だが、この町の物価を考えれば高めではある。それでも充分価格に見合う内容だという自負はある。
「この内容なら五〇ネイでも安いと思う。でも、この問題や参考書のすごさを知らないと買ってくれないんじゃないかな。その、作ったのはユキチだし」
「言いたい事はわかる」
ネームバリューの問題だ。日本でも有名塾の講師が監修した参考書が、書店に並んでいる。諭吉は知らないのだが、この町にも私塾の有名講師が何人かいるらしい。だが無名の、しかも現役生徒が考えた問題集や参考書など誰も買おうとはしないだろう。
「だから宣伝も考えてある」
「どうするの?」
「来週末に一年生の試験があるだろ」
前述したように学院では、一年生の数が一番多い。試験準備や採点対応のためか、一年生だけは日程が別に組まれている。
「一限目が『現代西方語』なんだが、教師が来る前にその授業のあるクラスに乗り込む」
そこで諭吉は、手に持った『現代西方語』の予想問題をトムに見せる。
「そこで売りつけるの? いやダメだよ。学院内での商売は」
「売りはしない」諭吉は首を振った。
「無料で配る」
大切なのは「諭吉の作った問題は試験に役立つ」と知ってもらうことだ。それには実際に体験してもらうのが一番である。
「事前に配った問題と比べれば、どれだけ当たるか一目瞭然だろ? 配ってからこう言うんだ。ほかの教科も用意している。次からは有料になる。もし欲しかったら一限目の後に、学園の外に来てくれって、な。もちろん、解答付きだ」
そのため、『現代西方語』以外は、作成する予想問題も二日目の科目に絞るつもりだ。
「でもいいの? それじゃあ儲けが」
「宣伝費と考えれば安い」
諭吉の作った予想問題は素晴らしい、と口コミで広めてくれるのならすぐに元は取れる。
「用紙代とか原価考えたら一クラス三十人以上売れたら元は取れる。あとは作れば作るほど利益になる」
経営学には疎いが、原価計算くらいは出来る。ただし、諭吉の人件費は含まれていない。
「せっかく作っても、みんな書き写しちゃうだろうから、買う人は結局あんまり出ないんじゃないかな」
「だから一日目に売るんだ」
コピー防止のためだ。予想問題を書き写している時間は限られる。
「参考書についてもできれば防ぎたいけれど、価格を下げることで抑止効果になるだろう」
コピー品が出回るのは、原書が高いからだ。原書自体が安ければ、わざわざコピー品に手を出す人間はいなくなる。少なくとも減らすことはできる。
「そこまで考えていたんだ」
トムがしゅんと項垂れてしまう。
「ゴメンね、諭吉はちゃんと考えていたのに僕ときたらケチつけてばっかりで」
「いや、構わない」諭吉はやんわりと慰める。
「むしろ、気づいたことがあったらどんどん言ってくれ。そっちの方が有り難い」
諭吉が異世界に召還されて一年。まだ異世界の常識や慣習に慣れたとは言い切れない。万全を尽くしたつもりでも、どこかに見落としがあったり知らない常識も多々あるだろう。そこを補強できるのは今のところトムだけだ。
「それで僕は何をすればいいの?」
「書き写すのを手伝ってくれ」
この世界にコピー機はないので、印刷物は全て人間の手で書き写している。どこかに活版印刷機くらいはあるか知れないが、学生の諭吉がほいほい使えるようなシロモノではなさそうだ。
「利益が出たらお前と折半だ」
トムは目をみはった。
「問題作ったのもユキチじゃないか。書き写すだけなのに折半だなんて。それに、もしこの商売が上手く言ったとして、毎月試験問題や参考書を作らないといけないんでしょ。そしたらユキチの勉強する時間がなくなっちゃうよ」
「気にするな」
役人になるつもりはないし、そもそも目的は金儲けではない。参考書を作ったのは、あの非合理的で難解なだけの教科書を駆逐したかったからだ。わかりやすい参考書が出回れば、学院の教科書も改訂されてわかりやすくなる、かも知れない。
「参考書は一回作ればいいし、予想問題も受験者数に応じて科目を絞ろうと思っている」
今のところ予想問題を作れるのは諭吉だけだ。ほかにもやらなくてはいけないこともたくさんある以上、あまり手は広げられない。いずれ折を見てトムにもノウハウを教えるつもりだが、当分はその方向で進めていくつもりだった。
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トムの顔がひきつった。
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レベルの上がらない世界にダンジョンが出現し、誰もが装備や技術を鍛えて攻略していました。
そんな中、異世界ではレベルが上がることを記憶で知っていた主人公は、手芸スキルと言う生産スキルで異世界に行ける手段を作り、自分たちだけレベルを上げてダンジョンに挑むお話です。
異世界召喚されたけどスキルが地味だったので、現代知識とアイテムボックスで絶品料理を作ったら大商会になっちゃいました
黒崎隼人
ファンタジー
手違いで剣も魔法もない異世界に召喚された、しがない日本のサラリーマン、湊カイリ。
彼に与えられたのは、無限に物が入る【アイテムボックス】と、物の名前が分かる【鑑定】という、あまりにも地味な二つのスキルだけだった。
戦闘能力は皆無。途方に暮れるカイリだったが、異世界の食事が絶望的に不味いことを知り、大きなチャンスに気づく。
現代日本の「当たり前」の知識は、この世界ではとんでもない「宝」なのだと!
「醤油?味噌?そんなものがあれば、この世界の食文化はひっくり返るぞ!」
ひょんなことから出会った没落貴族の美少女・リリアナと共に、カイリは現代知識と地味スキルを駆使して屋台から商売をスタート。
絶品料理で人々の胃袋を掴み、さらには便利な生活用品を次々と発明していく。
伝説の神獣の幼体「フェン」やドワーフの鍛冶師など、頼れる仲間たちも加わり、彼らが立ち上げた「サンライズ商会」は瞬く間に大躍進!
迫り来る悪徳商会や腐敗した貴族の妨害も、現代のマーケティング術と知恵で痛快に打ち破る!
これは、平凡なサラリーマンが異世界の常識を覆し、食と生活に革命を起こして一代で大商会を築き上げる、痛快成り上がりファンタジー!
美味しい料理と、もふもふな相棒、そして仲間との絆。
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