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第二章 異世界人にも衣装

第18話 諸肌を脱ぐ 下

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 第18話 諸肌を脱ぐ 下

 『リターナー』は、全く別の世界の住人だといわれている。『リターナー』のいる世界がどんなものなのか、その生態や文明など、不明な点は多い。確実なのは、およそ三百年周期でこの世界に『転生』し、暴虐の限りを尽くすことだ。

 その性質は卓独行動を好み、好戦的。ある町では一晩で千人以上の住人が皆殺しにされた。かと思えば、別の町では、右目だけを例外なく潰された。

 一万近い町から百人の子供だけ選んで首を刎ねた。そこに憎しみも恨みもない。ゆがんだ正義感に染まった使命感もない。ただ愉悦と快楽を目的に大勢の人間を殺傷する。まごうかたなき、悪魔の所業だった。

 『リターナー』は実体を持たないのか、この世界に直接来ることは出来ない。代わりに、この世に強い恨みとか心残りを残して死んだ人間の肉体と魂を媒介としてこの世界に『転生』する。媒介となった人間は、生前の姿そのままで復活する。記憶も全て引き継がれている。ただ、人格は『リターナー』によって侵食され、跡形も残らない、とされている。少なくとも報告例は一件もない。

「生前の姿っていうなら、あのオオカミさんはどうなるんだ? あの姿で祝日の礼拝で司祭様のお説教に頭を垂れていたとは思えないんだが」
「アレは多分、『上位種トップランカー』だと思う」

 『リターナー』の中でも特別な個体の呼称である。不死や身体能力の高さはもちろん、『転生』した人間の体を作り替え、元の世界の姿を再現しているのだという。乗っ取った人間の姿に再び化けるのも可能だ。

 とはいえ非業の死を遂げた人間が、全て『リターナー』に『転生』するわけではない。『転生』には一定の周期がある。研究者によれば数百年に一度、彼らの世界と波長のつながる時期があるという。その時期が近付くにつれ、『リターナー』となる死者が増えていく。

 歴史上、最初に『リターナー』の存在が報告されたのは九〇〇年前。たった五十人程度の異世界人によって大陸各地に死体の山が築かれた。人口は半分以下にまで減少した。悪魔の殺戮劇は三年ほど続き、いつの間にかぷっつりと途絶えた。『リターナー』の姿はどこにもなかった。彼らの世界に戻ったのだとされている。

 次に現れたのが六百年前。やはり死体の山を量産し、ある時を境に姿を消した。そして三百年前、再び現れた『リターナー』はまたも各地で殺戮を始めた。だが、今度は人間も一方的にやられるばかりではなかった。前回、前々回の侵攻から長きにわたり、その能力を研究していたのだ。

 イースティルムをはじめ、多くの土地が戦場となった。前回に匹敵する被害を出しながらも『リターナー』を撤退させ、あるいは封印に成功した。

 各国の王はいずれ四回目の出現に備え、弱点や死滅させる方法を探らせたが、有効な方法は見つかっていないという。

「そして今回が四回目の侵攻か」
「一年前には王宮にも攻めて来て、大勢の人が亡くなったって……。今の王様も大ケガをしたっていうし。次は……ここなのかな」
「多分な」

 今のところ、イースティルムで発見された『リターナー』は二体・・。単独行動を好む連中が集まってきているというのは、大規模な作戦を企てている証拠だ。

「僕たち、どうなるんだろう。あんなバケモノが何体も現れたら……」
「その時はまたあの黒い騎士が何とかしてくれるんじゃないか? この前だって結構あっさり倒していたし」

「ダメだよ」
 トムは力なく首を振る。腕を伸ばし、ベッドの脇に積んであった本を取り出す。図書館から借りてきた本だ。題名は『イースティルム防衛戦』とある。『リターナー』との戦いを記録した歴史書だった。忙しない手つきでページをめくり、栞の挟んであったページを諭吉に見せるようにして開いてみせる。

「『リターナー』は戦いに負けると、次はもっと強くなるんだ」

 復活までに数日かかるのはそのため、とされている。九〇〇年前や六〇〇年前に大勢の犠牲を出したのは、不死よりもそちらの特性のため、という記録も残っている。それもただ死ねばいい、というわけではないらしい。戦いの中で敗れることで、より強い力を得るのだろう、とは学者の推測である。

「よく調べたな。偉いぞ」
 諭吉が担任ならば合格点をあげているところだ。

「褒めても何も出ないよ」
 トムは疲れたようにため息をはくと、本を元の位置に戻した。

「もし、あいつらが攻めて来たらユキチはどうする? 東方には帰らないの?」

 東方のアシハラやシシンは、過去三回とも『リターナー』の被害が少なかったという。王宮への襲撃事件以来、東方に避難する人も増えている。もし『リターナー』の侵攻がより本格化すれば、そちらに逃げる人はさらに増えるだろう。

「帰らねえよ」
 東方の地域は諭吉の故郷ではないし、日本は次元を越えた先にある。帰りたくとも帰れない。

「『リターナー』が出なくってもバケモノみたいなのはどこにでもいる」
「ユキチの故郷にも、あんな怪物出たりするの?」
「ああ、いるよ」諭吉はこともなげに言った。

「クモやらコウモリやらバッタの顔した怪人どもがそこら中に出て来やがるんだ。だいたい、週に一度くらいのペースかな」
「そんなに?」
 トムが目を丸くしながら身を起こす。

「人間を捕まえては自分たちの手下にしたり、幼稚園バス……小さな子供専用の馬車をおそったり、ダム……大きなため池に毒撒いたり、やりたい放題だな」

 諭吉自身、五歳の頃に、母親と行った百貨店の屋上で遭遇している。イカやヘビやトカゲの怪物に取り囲まれ、泣き喚くばかりだった。

 ああいうのは大人になっても怖い。
「でも、それだと」と言いかけてトムが急に咳き込んだ。

「すまん。喋らせすぎたな。もう休め」
 トムを横に寝かせるとシーツを掛けてやる。 

「焦らずにゆっくり体を休めるんだ」
 風邪が長引いているのも勉強のしすぎで体が弱っていたからだと諭吉は思っている。

「ノートはあとで写してやるからよ。今は勉強も『リターナー』も忘れて寝てろ」
「でも僕が休んだら校外学習どうするの? 明後日だよ」
「そんなのもあったな」

 校外学習は『農地開発計画』の科目で行われる授業である。イースティルム郊外の農村に赴き、村の内外を散策しながら調査する。後日、調査を元に農村の開発計画を立てるのだ。開発方法だけでなく、予算や人手、期間や完成した際の予想収穫高など事細かに立案する。

 無論、実際に開発するわけではなく、役人になった時の訓練を兼ねている。優れた計画を立てれば単位が与えられる。

 開発計画はチームごとに提出することになっている。通常は三人から六人程度なのだが、諭吉と組んでいるのはトムだけだ。『スキルユーザー』と知られて以来、クラスメートもろくに近寄らなくなってしまった。トムが病欠となれば、諭吉一人で農村に行き、調査しなくてはならない。

「まあ、なんとかするさ」

 学院の授業には必ず単位取得を求められる必須科目と、いくつかの授業の中から選ぶという選択科目がある。『農地開発計画』は必須科目である。特に校外学習は単位取得に大きく影響する。単位を落とせば進級が遠のく。再受講は可能だが、当然時間も費用もかかる。

 諭吉はともかく、トムを巻き添えにしたくはない。

「でも小さい村といってもユキチ一人で見て回るなんて」
「お前、俺の顔の広さを知らないだろ」
 わざと大げさに両手を広げてみせる。

「任せとけよ。協力してくれる奴の一人や二人くらい、どうにでもなるさ」
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