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しばらく待ったが、結局ドロシーは戻って来なかった。追いかけるにしても、向かったのは辺境のサーフィスにいるクリスティーナ婆さんのところだろう。
いくら国王陛下が認めたとはいえ領地の授与には相応の手続きがいる。前任が多大な不始末をしでかしたのだから余計に、だ。いずれは王宮に戻ってくるだろうから、待った方がいい。
それまでエクスは手持ち無沙汰になるので、王宮の外に出た。留まっていれば、元同僚をはじめ王宮の者たちがこぞってドロシーについて尋ねてくるだろう。何も知らない連中に質問攻めにされるのは鬱陶しい。
久し振りの王都は惨憺たる有様だった。整然と建てられ、芸術とまで称された街並みが無残に破壊されて、瓦礫の山と化している。建物自体は無事でも家の屋根瓦は剥げ落ち、壁には魔物の爪痕が無残に刻まれている。
ドロシーの魔法でケガ人はあらかたいなくなったが、死人までは甦らない。あちこちの家からすすり泣く声がする。
行く先々で瓦礫の撤去を手伝い、生き埋めになっていた人を救い、亡骸を埋め、食糧を分け与える。寄り道をしたせいで、着いたのは夕方になってしまった。
ピークマン家の屋敷だ。サビの浮いた門柱に古びた屋根、ヒビの入った外壁、色褪せた騎士像、何もかも記憶のままだ。
幸いにもこの辺りは魔物の通り道からそれていたらしく、壊された建物はほとんどなかった。
夕暮れに染まる屋根を見上げながら懐かしさにため息が出る。ほんの半年ほどなのに、何故か十年は来ていなかった気がした。
目の前を豪勢な馬車が通る。とっさに道を上げると、エクスの目の前に駐まった。
「こんなところで何をしているの」
馬車の上から話しかけてきたのは、黒髪をした、三十路を過ぎたばかりの婦人だった。カトリーナ・ピークマン。エクスの元・妻だ。
久し振りに会った妻は幾分肉が付いたのか肌艶も良く、エクスの知る頃より年相応の色気を放っている。結婚生活が上手くいっているのだろう。
「ああ、その。なんだ。久し振りだな。元気だったか」
想定外の出会いにとまどいながら話しかける。
「気安い口調はやめてくれるかしら」
つまらなそうに持っていた扇で口元を隠す。騎士の妻とは思えないような仕草だ。
「あなたとは、もう夫婦ではないの」
「そう……でしたね」
まして相手は他人の妻なのだ。誤解を招く行為は慎むべきだ、と自戒する。
「失礼しました。ピークマン夫人。たまたま王都に戻る用がございましたもので、懐かしさにこの付近を歩いておりました。お目にかかれて光栄です」
片膝をついて騎士の礼をする。言われたとおり、礼を尽くしたがカトリーナはつまらなそうに眉をひそめる。
「あの『酒樽聖女』様の護衛と聞いていたけれど、まだ生きているの?」
そのあだ名を聞いたのも半年ぶりだろうか。
「壮健ですよ。私の護衛など必要ないくらい」
「呑気なものね。王都はご覧の有様だというのに。ヴィストリア様は何をしておいでなのかしら」
さすがに捕まったという情報はまだ届いていないようだ。
「これではまた新しい聖女様になるのも時間の問題かしらね。あ、今のはここだけの話にしてね」
くすりと笑う。武人の家に育ったにしては茶目っ気があって、冗談が好きで、奔放な娘だった。結婚した頃は堅物のエクスにない美点に惹かれたのも事実だ。
「いっそ元のドロシー様に戻っていただくのはどうかしら? ああ、でもあの体じゃあねえ。転がって土地をならすくらいにしか役に立たないんじゃない?」
「……」
エクスは無言を貫いた。本人は面白いと思っているようだが、無神経に人を揶揄し、傷つける言葉が愉快だとはエクスにはどうしても思えなかった。年月が経つと美点だと思っていた部分は色褪せた。騎士の妻にあるまじき幼稚さでいい加減な言葉を使い、ワガママな家付きの嫁にしか見えなくなっていった。
「主人は今留守だけれど、お父様とお母様はいらっしゃるわよ。会っていく?」
「いえ」
恩人ではあるが、今更会いたいとは思わない。カトリーナとの離婚を突きつけられた際に浴びせられた暴言で、払うべき敬意も消え失せた。
メレディスから送られた手紙に寄よれば、新しい婿殿は男爵家の次男だという。しかもカトリーナより二歳年下である。他国の公爵家へ婿に入った第二王子の護衛を務めていたため、婚期を逃したのだ。エクスも知っているが、温厚で剣術も優れている。
エクスへのイヤガラセのために良縁を元妻にねじ込むあたり、メレディスの性格はねじ曲がり過ぎている。とはいえ、別にカトリーナにも婿殿にも恨みはないので、あずかり知らないところで幸せになってくれればそれでいい。
「相変わらずしかめっ面ばかりね。わたし、あなたのそういうところ大嫌いだったの」
「そうですか」
何を言われても今更だ。怒るまでもない。
「平民上がりのくせに、変に騎士ぶっちゃって。食事している時も寝ている時までずーっと鎧兜を着ているみたいだった。おかげで、わたしはあなたのこと全然わからなかった。触れようにもいつも鎧越しって感じ。鎧兜と結婚したのかと思ったくらいよ」
「……申し訳ありません」
思えばあの頃はピークマン家に婿養子に入り、騎士らしくあろうと肩肘を張っていた気がする。平民上がりとバカにされないため、家名を汚さないため、本音を隠し、正しくあろうとして、知らず知らずのうちに妻にすら壁を作っていたのだろう。ただでさえ性格の合わない夫婦が寄り添うことを忘れれば、不仲になるのは当然だ。
「別にいいわ、謝らなくっても。お互い様だもの。わたしもあなたに正論で叱られるのがイヤで逃げ回ってばかりだった。今だから告白するけれど、結婚記念日に忘れて出掛けちゃったことあるでしょ。あれ、わざとなの。あなたと結婚した日なんて、めでたいなんてこれっぽっちも思わなかったもの」
「ははは……」
乾いた笑いが出る。あの時は怒り狂う義父母をなだめるのにどれだけ苦労させられたか。
「忠告しておいてあげる。誰にでもとはいわないけれど、せめて自分の妻の前でくらい鎧を脱がないと。抱きしめたとしても相手が硬くて痛いだけよ」
「ご忠告痛み入ります」
エクスは素直に頭を下げた。
「あら、もう日が暮れるわね。もう行くわ」
馬車の上から握手を求めてきたのでそれに応じる。手袋越しではあるが、懐かしい感触だった。
「久し振りに会えて良かったわ、さよなら。生きていたらまた会いましょう」
一方的に言いたいことを言って、カトリーナの乗った馬車は屋敷の門を潜っていった。
門が閉まるのを見届けてからため息をつく。どっと疲れが出た。前の妻ではあるが、性格が合わないせいか会話に労力を要する。
そういえば、とエクスは改めて思い返す。
ドロシーとはこの半年の間、少なくない会話をかわしてきたが、疲れたと感じたことは一度もなかった。聖女という敬意を持って接してきたし、騎士としての領分を保ってきた。カトリーナがいうところの鎧兜を脱いだつもりもなかった。それでもドロシーとの会話は自然というか、ひだまりのような心地よさあった。
エクスの口下手は変わらないのだから、きっとドロシーの方が気を遣ってくれていたのだろう。ついでに言えばクリスティーナ婆さんも一切遠慮しなくていいので気楽ではあったが。
「ん?」
反射的にエクスは振り返った。誰かの視線を感じた気がしたのだが、誰もいなかった。
首を傾げながらエクスは町の方に向かった。今夜の宿を探さなくてはならない。
風に乗って一瞬、花の香りを嗅いだ気がした。
いくら国王陛下が認めたとはいえ領地の授与には相応の手続きがいる。前任が多大な不始末をしでかしたのだから余計に、だ。いずれは王宮に戻ってくるだろうから、待った方がいい。
それまでエクスは手持ち無沙汰になるので、王宮の外に出た。留まっていれば、元同僚をはじめ王宮の者たちがこぞってドロシーについて尋ねてくるだろう。何も知らない連中に質問攻めにされるのは鬱陶しい。
久し振りの王都は惨憺たる有様だった。整然と建てられ、芸術とまで称された街並みが無残に破壊されて、瓦礫の山と化している。建物自体は無事でも家の屋根瓦は剥げ落ち、壁には魔物の爪痕が無残に刻まれている。
ドロシーの魔法でケガ人はあらかたいなくなったが、死人までは甦らない。あちこちの家からすすり泣く声がする。
行く先々で瓦礫の撤去を手伝い、生き埋めになっていた人を救い、亡骸を埋め、食糧を分け与える。寄り道をしたせいで、着いたのは夕方になってしまった。
ピークマン家の屋敷だ。サビの浮いた門柱に古びた屋根、ヒビの入った外壁、色褪せた騎士像、何もかも記憶のままだ。
幸いにもこの辺りは魔物の通り道からそれていたらしく、壊された建物はほとんどなかった。
夕暮れに染まる屋根を見上げながら懐かしさにため息が出る。ほんの半年ほどなのに、何故か十年は来ていなかった気がした。
目の前を豪勢な馬車が通る。とっさに道を上げると、エクスの目の前に駐まった。
「こんなところで何をしているの」
馬車の上から話しかけてきたのは、黒髪をした、三十路を過ぎたばかりの婦人だった。カトリーナ・ピークマン。エクスの元・妻だ。
久し振りに会った妻は幾分肉が付いたのか肌艶も良く、エクスの知る頃より年相応の色気を放っている。結婚生活が上手くいっているのだろう。
「ああ、その。なんだ。久し振りだな。元気だったか」
想定外の出会いにとまどいながら話しかける。
「気安い口調はやめてくれるかしら」
つまらなそうに持っていた扇で口元を隠す。騎士の妻とは思えないような仕草だ。
「あなたとは、もう夫婦ではないの」
「そう……でしたね」
まして相手は他人の妻なのだ。誤解を招く行為は慎むべきだ、と自戒する。
「失礼しました。ピークマン夫人。たまたま王都に戻る用がございましたもので、懐かしさにこの付近を歩いておりました。お目にかかれて光栄です」
片膝をついて騎士の礼をする。言われたとおり、礼を尽くしたがカトリーナはつまらなそうに眉をひそめる。
「あの『酒樽聖女』様の護衛と聞いていたけれど、まだ生きているの?」
そのあだ名を聞いたのも半年ぶりだろうか。
「壮健ですよ。私の護衛など必要ないくらい」
「呑気なものね。王都はご覧の有様だというのに。ヴィストリア様は何をしておいでなのかしら」
さすがに捕まったという情報はまだ届いていないようだ。
「これではまた新しい聖女様になるのも時間の問題かしらね。あ、今のはここだけの話にしてね」
くすりと笑う。武人の家に育ったにしては茶目っ気があって、冗談が好きで、奔放な娘だった。結婚した頃は堅物のエクスにない美点に惹かれたのも事実だ。
「いっそ元のドロシー様に戻っていただくのはどうかしら? ああ、でもあの体じゃあねえ。転がって土地をならすくらいにしか役に立たないんじゃない?」
「……」
エクスは無言を貫いた。本人は面白いと思っているようだが、無神経に人を揶揄し、傷つける言葉が愉快だとはエクスにはどうしても思えなかった。年月が経つと美点だと思っていた部分は色褪せた。騎士の妻にあるまじき幼稚さでいい加減な言葉を使い、ワガママな家付きの嫁にしか見えなくなっていった。
「主人は今留守だけれど、お父様とお母様はいらっしゃるわよ。会っていく?」
「いえ」
恩人ではあるが、今更会いたいとは思わない。カトリーナとの離婚を突きつけられた際に浴びせられた暴言で、払うべき敬意も消え失せた。
メレディスから送られた手紙に寄よれば、新しい婿殿は男爵家の次男だという。しかもカトリーナより二歳年下である。他国の公爵家へ婿に入った第二王子の護衛を務めていたため、婚期を逃したのだ。エクスも知っているが、温厚で剣術も優れている。
エクスへのイヤガラセのために良縁を元妻にねじ込むあたり、メレディスの性格はねじ曲がり過ぎている。とはいえ、別にカトリーナにも婿殿にも恨みはないので、あずかり知らないところで幸せになってくれればそれでいい。
「相変わらずしかめっ面ばかりね。わたし、あなたのそういうところ大嫌いだったの」
「そうですか」
何を言われても今更だ。怒るまでもない。
「平民上がりのくせに、変に騎士ぶっちゃって。食事している時も寝ている時までずーっと鎧兜を着ているみたいだった。おかげで、わたしはあなたのこと全然わからなかった。触れようにもいつも鎧越しって感じ。鎧兜と結婚したのかと思ったくらいよ」
「……申し訳ありません」
思えばあの頃はピークマン家に婿養子に入り、騎士らしくあろうと肩肘を張っていた気がする。平民上がりとバカにされないため、家名を汚さないため、本音を隠し、正しくあろうとして、知らず知らずのうちに妻にすら壁を作っていたのだろう。ただでさえ性格の合わない夫婦が寄り添うことを忘れれば、不仲になるのは当然だ。
「別にいいわ、謝らなくっても。お互い様だもの。わたしもあなたに正論で叱られるのがイヤで逃げ回ってばかりだった。今だから告白するけれど、結婚記念日に忘れて出掛けちゃったことあるでしょ。あれ、わざとなの。あなたと結婚した日なんて、めでたいなんてこれっぽっちも思わなかったもの」
「ははは……」
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エクスは素直に頭を下げた。
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そういえば、とエクスは改めて思い返す。
ドロシーとはこの半年の間、少なくない会話をかわしてきたが、疲れたと感じたことは一度もなかった。聖女という敬意を持って接してきたし、騎士としての領分を保ってきた。カトリーナがいうところの鎧兜を脱いだつもりもなかった。それでもドロシーとの会話は自然というか、ひだまりのような心地よさあった。
エクスの口下手は変わらないのだから、きっとドロシーの方が気を遣ってくれていたのだろう。ついでに言えばクリスティーナ婆さんも一切遠慮しなくていいので気楽ではあったが。
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反射的にエクスは振り返った。誰かの視線を感じた気がしたのだが、誰もいなかった。
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