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  五


 久しぶりに来た王宮は相変わらず薄気味が悪かった。『魔王』率いるバジリスクの軍勢に攻められた時の修理がまだ終わらないのか、壁にも爪痕が残っていたし、噴水の石像はまだ首が取れたままだった。

 だが気味が悪いと感じているのはむしろそこにいる人だった。侍従や侍女、衛兵に騎士といった連中に生気がないのだ。理由はわかっている。みな、国王に絶望しているのだ。

 国王は有り体に言えば暗愚だった。マイルズたち『勇者』にろくな支援も与えず、『魔王』の脅威に対しても見て見ぬ振りをした。北アーレル王国にはマイルズを含め四人の『勇者』が誕生したが、うち二人は無残な道を辿った。一人は魔物に食われ、もう一人は盗賊に矢で射殺された。周囲も佞臣ばかりで国王をいさめるどころか、女をあてがい、贅沢を極めさせて、馬鹿を促進させていた。

 そのくせマイルズやウィンストンが『魔王』を倒すと、さも国の英雄とばかりに賞賛した。
 クソどもの集まりに来たくもなかったし、クッカを連れて来たくもなかった。

 物陰から覗き見ると、会場である大広間には三列の長机が並べられ、すでに『勇者』たちが到着していた。『旋風勇者』『獣王勇者』『爆飛勇者』『魔道勇者』『甲冑勇者』『戦馬車勇者』『治癒勇者』『錬金勇者』『覇王勇者』……。いずれも過酷な戦いを生き抜いた強者揃いである。まずいことに大半が顔見知りだ。目の前で芸などすれば、見抜かれる可能性は非常に高い。

 壁には棚が置かれ、巨大な石がいくつも飾られている。『魔石ませき』と呼ばれる、魔物の心臓である。ほとんどの魔物の体内にあって、魔力の根源とされている。魔物を討伐した時の証拠にもなっている。

 『魔石』の前には名札が添えられており、ほとんどがマイルズが討伐した『魔王』のもののようだ。ニーズヘッグのものもあるようだが、こちらはウィンストンが後で回収したのだろう。

 大広間の隅にベッドが置かれている。奇妙なことにベッドごと鉄格子で四角く囲われていた。どうやら病気の囚人のようだ。顔は見えないが、それが誰なのかは見当が付いていた。

「あれが、『叡智の勇者』ウィンストンか」
「見たぞ。あのガイコツのような姿。まるで死人ではないか」
「どうやら『魔王』の呪いではないかと言われておるな」
「姫との結婚も決まっていたというのに」
「錯乱して仲間も切り捨てたというではないか」
「どうやら真っ先にあちら・・・の方が使い物にならなくなったらしくてな」
「あちこちの女を抱こうとしたが、うまくいかなかったらしい」
「ははあ、それで逆上して剣を抜いたところで……」
「本来なら死罪のところを功績に免じて、終生牢屋行きというわけか」
「そんな男まで連れて来て、『巫女』様とやらは一体何を考えているのやら」

 『勇者』たちが口々に噂する。
 やはりこうなっていたか、とマイルズは嘆息した。

 ニーズヘッグはただ敗れたわけではなかった。ウィンストンは気づかなかったようだが、敗色濃厚と悟った奴は自身に『呪い』を掛けたのだ。自分を殺した人間を呪い殺すために。『魔王』の力を持つマイルズならいざ知らず、ウィンストンでは抵抗しきれなかったようだ。哀れな奴だ。

 それより気になるのは、罪人となった男までこの晴れの舞台に来ていたことだ。祝いの席と聞いていたが、『巫女』様には何か別の目的があるとしか思えない。この場にいる『勇者』はウィンストンを含めて二十七人。マイルズを含めれば、二十八人。生き残った『勇者』が勢揃いしたことになる。

 マイルズは控え室へと引き返した。もし自分の予感が確かなら『巫女』様の狙いは『勇者』だ。しかも自分が『最強勇者』ノーマンだと気づいている。何をたくらんでいるかは知らないが、クッカを巻き込みたくなかった。せめて彼女だけでも逃がさなければ。

 控え室の扉を開けた。芸人の控え室とは思えないほど豪奢の部屋には誰もいなかった。

「親分?」
 どこに行ったのか、と見回すと机の上に紙が置いてある。嫌な予感がした。恐る恐る手に取る。

「もうお前に教えることは何もねえ。ここでお別れだ。親分子分の縁もこれっきりだ。じゃあな」

 膝から崩れ落ちた。何故、どうして、あり得ない。混乱した頭で、何度も読み返したが間違いなくクッカの字だった。誰かにムリヤリに書かされたのだろうか。違う。字に迷いがない。本人の意思で書いたものだ。

 きっとクッカは前々から考えていたのだろう。マイルズの名声は日ごとに高まっている。芸をすれば観客が集まり、大金を稼ぐ。その一方で、金の卵を独り占めするクッカに悪意が集中していた。人間でないのもそれを助長していた。やれ寄生虫だのコブだのと陰口を叩かれていた。その度にマイルズが黙らせていたのだが、やはり気に病んでいたのだろう。

「親分……」

 体に力が入らない。『勇者』時代には何度も死にかけた。体半分を吹き飛ばされたこともあったが、その時と比べものにならないほど気力を奪われていた。自分がクッカに何を求めていたのか、ようやく気づいた。

 鐘が鳴った。もうすぐパーティの開演の時間だ。我に返り、気を取り直す。クッカがこの場にいないのなら都合がいい。王宮などさっさと抜け出して後を追いかけよう。まだ遠くには行っていないはずだ。廊下に出ると一目散に外へと向かう。

 逃がさぬよ。

 ふと、頭の中で声がした。今のは誰だ? 気にはなったが足を止めている余裕はなかった。長い廊下をいくつも曲がり、扉を開けると、そこは会場である大広間だった。マイルズは困惑した。確かに自分は外に向かっていた。方向感覚には自信があるし、この王宮には何度か来ていて帰り道も知っている。間違えるはずがなかった。

 本当に大広間なのかと見回してみると、異様な光景が広がっていた。『勇者』も国王も衛兵たちも、その場にいる人間がみな虚ろな目をして立ち尽くしていた。立ち上がれないはずのウィンストンさえも。

「ほう、やはりそなたであったか」

 大広間の一番奥、国王が座っている玉座の横に一人の女が立っていた。背中に届くほどの黒髪に、純白のドレス。端正な顔はまるで白い仮面のように体温を感じさせなかった。金色の瞳を愉快そうに見開くと、マイルズに向かってくすくす笑い出した。

「探し出すのに苦労したぞ。混ざり物・・・・はこれだから困る」
「誰だ、テメエは」
 もしかして、こいつが『巫女』様だろうか。

「妾の名はディアドラ。だが、お主にはこう言った方が理解が早かろう」

 人間の・・・『魔王』と。

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