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計 画

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 格子扉が閉められた後カチャリと音がした。
 サリアナたちが去った後、文人はくそ、とやけくそのように寝転がった。

 赤ん坊が成人して親になるまでだと? 冗談じゃない。そんな長い間、いられるものか。ファーリというのが彼らの種族の名前らしいが、寿命が人間の十倍はあるという。千年近く生きるなんてあり得るのかと思ったが、周囲の反応を見る限りその場の冗談ではなく、当たり前のことを当たり前に告げている雰囲気だった。

 十倍が大げさにしてもすぐに出すつもりがないのは間違いなさそうだ。
 そこまで待つつもりもおとなしくするつもりもない。
 脱獄しかないか。

 東南アジアで秘密結社の手下に拘束されたこともある。アメリカでカルト宗教団体への取材中に監禁されたこともある。
 その時は人質交換で解放された。仲間が奔走してくれたおかげで助かったこともある。
 だが、今回は特別だ。文人がおかしな森でとんがり耳族に捕まっているなど、仲間の誰も知らないだろう。

 周囲からの助けは期待するだけ無駄だ。
 自力で脱出するしかない。

 変人だとか変わっているとか頭がおかしいとはよく言われるが、いわれのない容疑で何年もおとなしく牢屋暮らしをするほど酔狂ではない。何より文人は元の世界に帰らねばならない。そうしなければならない理由があの世界にはある。
 腹をくくれば気持ちも楽になった。

 逃げ出す算段は付いている。問題は村を出た後だ。土地勘のない夜の森の中を逃げればすぐに追いかけてくるだろう。振り切る自信はあるが、どこに逃げ出せばいいのかもわからない。人里まで逃げられればいいが、距離も方角がわからない。

「それと持ち物だな」
 財布もカメラもスマホも牢に入れられる前取り上げられてしまった。道具の使い方は知らないだろうが、不審感を抱かせるには十分だったようだ。財布はともかく、カメラには今まで撮った写真のデータも入っている。どうにかして取り返したい。

 さて、どうしたものか。
 頭をひねっていると、また足音が近づいてきた。今度は一人だ。程なくして先程、サリアナの後ろにいた男がお盆を持ってやってきた。
「食え」

 格子の隙間から差し出されたのは、木皿に乗った小さなリンゴに似た果実と、やはり木製のコップに入ったスープだった。覗き込むとどろりとした緑色の液体の中に野菜らしきかけらが浮かんでいる。
「食べさせてくれないか」

 背中で縛られた両手を見せつけながら冗談めかして言ってみたが、男は軽蔑したような目をしたまま無言で去って行った。
「ルームサービスの悪いホテルだ」

 なんにせよ、食事が出るのはありがたい。文人は立ち上がると後ろで縛られた両腕の中にお尻から入るようにして足を通し、腕を前面に回した。これで物を持つ分には何とかなる。さて、いただくとするか。

 食事は正直に言って不味かった。果実はすっぱいし、野菜のスープは塩味が利いてないのか薄味で食べた気がしない。日本なら間違いなくクレームの来る代物だが、贅沢は言うまい。飲まず食わずで砂漠に放り出された時のことを思えば食事が出るだけでも有り難い。

 出された食事を全て平らげると、落ち葉の中にくるまって寝た。

 翌朝、文人は朝食を平らげると格子扉の前に陣取り、行き交う人たちを観察する。まずは情報が欲しかった。

 昨夜はわからなかった集落の中にも新たな発見があった。集落を巨大な木が囲っているのは昨日見たとおりだが、中心部にはさらに巨大な大樹が高層ビルのようにそびえていた。樹上がどこまで伸びているのかは牢屋の中からではうかがい知ることはできない。これだけの木に育つのに一体何千年かかるのだろう。
 しかし、妙だな。

 昨日、木登りしたときにはこんな大木は見当たらなかった。これだけの大木なら絶対に目立つはずだ。木の根元にはほこらのような物が組まれており、台座には果実が置いてある。信仰の対象になっているようだ。もしかしたら集落自体、大木を中心に作られたのかも知れない。大木の周囲には十数メートルの木が何本も生えていて、そこで村人たちは住んでいるようだ。ほかに建造物らしきものは見当たらない。

 確かサリアナは『ファーリ』とか言っていたな。
 とんがり耳族改めファーリの集落は規模から察するに人口は三百人前後。畑が見当たらないから農耕はしていないようだ。昨日のファーリたちも弓矢は持っていたから狩猟と採集が主な産業なのだろう。

 まさに隠れ里だな、と文人は改めて感心させられる。牢屋の中でなければカメラに収めたいところだ。そのためにもカメラがどこにあるか探り出さないといけない。

 幸いにも村外れといっても出入り口に近いせいか、格子扉の前にも往来はあるようだ。
「やあ、こんにちは。調子はどうだい」

 そこで言葉が通じるのを幸いにと片っ端から声を掛けた。

「坊や、元気そうだね。お兄さんと遊ばないか?」
「そこを行くお嬢さん。少しお話しませんか」
「お帰り、その調子だと狩りはうまくいかなかったのかな。気にするなよ、そんな日もあるさ」
「おじいさん、こんにちは。もしよければお話をお聞かせ願えませんか?」

 話しかけるとみなウサギのようにそそくさと通り過ぎてしまうのだが、構わない。最初からうまくいくなど思っていない。少しでも情報が得られればそれでいい。元からこっちは不審者なのだ。今更傷つく名誉もあるものか。

 しかし、大人は露骨に警戒心をあらわにして去って行く。中には「くだばれノーマ」とか「このズバ食いめ」とか「消えろ、このアジロアズバ」などと罵られた。多分、侮蔑の言葉なのだろうが、意味がわからないので傷つきようがない。

 そうこうしているうちにカゴを持った少女が牢屋の前を通り過ぎていく。見た目は十代後半というくらいだが、サリアナの言葉を信じるなら人間よりはるかに長命のため実年齢ははるかに上という可能性もある。

「そこのおきれいなお嬢さん。ぜひ、お話を……」
 そこで急に喉が締め付けられた。また首輪が締まっていた。よく見れば、話しかけた少女? の唇がかすかに動いていた。文人の記憶が確かならば、昨夜サリアナが首輪の魔法を発揮した時の動きと似ていた。

 もしかして、ファーリなら誰でも使えるのか? あるいは首輪を締め付けるためのキーワードがあって村人全員で共有しているのかもしれない。文人がもがき苦しんでいる間に早足で牢屋の前を通り過ぎていった。程なくして首輪も元に戻った。

 一定時間を過ぎれば、もしくはキーワードを唱えた者がある程度の距離を離れると効果は切れるようだ。
 咳き込みながら目にたまった涙をぬぐう。

 どうやら手当たり次第に話しかけるのは止めた方が良さそうだ。ことあるごとに首を絞められたのではたまったものではない。
 やはり、子供だな。

 この集落にも子供はたくさんいるようだ。子供と仲良くなるのは自信がある。
「さて、誰か通りかからないかな」

 遠くからはしゃいだ声はするのだが、近づいてくる気配はない。やはり村の中心部から離れているせいだろう。あるいは、文人が声を掛けまくったせいで、近付かないように注意されているのかも知れない。時間ばかりが過ぎていく。

「さて、どうしたものか」
「どうもする必要はない」
 格子扉の外から声を掛けてきたのは、サリアナだった。

「罪人が手当たり次第に道行く者に声を掛けていると通報があった」
「まだ罪人と決まっていない」
 疑わしきは被告の有利に、が近代法の原則のはずだ。

「貴様のような怪しい者が声を掛けまくること自体がもはや犯罪だ」
 まさか異世界まで来て不審者扱いされるとは思わなかった。

「とにかく、話しかけることは金輪際止めろ。声を掛けられても返事をするな」
「はいはい」
 首輪が締まった。

「返事は一度だけ。簡潔にだ」
「了解であります。軍曹殿」
 また絞められた。

「訳のわからぬあだ名で呼ぶな、うつけが」
 サリアナは苛立たしげな足取りで去って行った。

「このままじゃあ首長族の仲間入りだな」
 首をさすりながら独りごちる。釘を刺された以上、手当たり次第に話しかけるのはまずい。相手を選んで話しかけなければまたサリアナに通報されてしまう。

「まったく怖いお姉さんもいたものだ……ん?」
 足音とは違う、リズミカルな音がした。音のした方を向くと、小さな女の子が手鞠をついて遊んでいる。昨日キノコ狩りをしていたあの子だ。

「やあ、君。元気かな」
 文人が声を掛けると、手鞠を受け止め、格子扉の方を向いた。
「こんにちは、お嬢さん」

 文人が笑いかけると女の子は、はにかむように微笑んだ。
「あなた、喋れたの?」
「おかげさまでね」

 いたずらっぽく肩をすくめる。
「俺は中村文人。文人でいいよ。君は?」
「ティニ」元気よく答えた。

「そうか、ティニか。いい名前だ」
 格子の隙間から頭を撫でてあげる。
「ちょっと待ってて」

 せっかくのチャンスだ。何か子供の気を引く物が欲しい。何かないか、と服装をあさる。上着のポケットをまさぐった時、指先に固い物が当たる。写真だった。昔、文人が仲間と一緒に撮ったものだ。この世界に飛ばされた時に無くしたと思っていた。

 写真を見せれば気が引けるだろうか。これだけリアルな絵画技術があるとは思えない。しかし大昔の写真の黎明期のようにかえって怖がられる恐れがある。魂を抜かれる、なんてのもあった。ダメか、としまいかけて文人はもっといい方法を思いついた。

 手にした写真を折り曲げた。三角形を作ると山折り谷折り、翼を作れば紙飛行機の出来上がりだ。
「ほら」
 写真用の紙のせいで少々不格好ではあるが、どうにか形にはなった。

 ティニは手の中の小さな飛行機を目を輝かせて見つめる。
「こうやるんだよ」

 文人はタイミングを確かめて風に乗せて紙飛行機を飛ばす。
 写真で折られた紙飛行機は風に乗ってティニの目の前を滑空する。破顔するティニの鼻先をくすぐるように飛ぶものの、五メートルもいかないうちに失速して頭から地面に落ちた。やはり紙が固すぎるせいか、うまく飛ばないようだ。

「ねえねえ、今のなに。何なの!」
 飛んだ時間は数秒にも満たないが、ティニの興味を引くには十分だったようだ。
「もう一回、ねえもう一回やって」

 駆け足で紙飛行機を取ってくると文人の手に乗せる。まばゆい笑顔で言われると下心を持って近づいた身としては気後れしてしまう。
「ああ、いいよ」

 もう一度飛ばしてみせる。今度はうまく気流に乗ったらしく、三メートルほど飛んだところで上昇を始めた。そのままくるりと弧を描いて一回転して地面を擦るように止まった。
「もう一度、ねえもう一度」

 ティニにせかされるまま紙飛行機を飛ばし続ける。木にぶつかったり、大きく左にカーブしたり、すぐに落下したりと飛び方は様々だったが、ティニはその度に大喜びだった。

「ねえ、それわたしにもできる?」
「もちろんだよ。誰にでも出来るファーリでもニンゲ……ノーマでもね」

 一呼吸着いたところで文人は話題を望む方向へとスライドさせていく。
「君は、俺みたいな奴が住んでいるところを知っている?」
 ティニは首を振った。

「ノーマなら森の東を抜けた荒野の向こうにたくさん住んでいるって聞いているけど、あなたもそこから来たの?」
 東か。
「東ってどっち?」

「うーんと、あっち」
 ティニが指さしたのは集落の出口の方角である。

「荒野までどのくらい?」
「知らない」ティニはまた首を振った。
「でも、荒野を抜けるのに歩いて三日くらいかかるって前に聞いたことがある」

 歩いて三日か。馬が欲しいな、と文人は考える。長距離移動できる乗り物があればずっと楽になる。地球と同じウマ科の生物はいなくても、それに代わる動物ならどこかにいるだろう。ある程度の文明を有した人類なら長距離高速移動の手段を持つのは自然の流れだ。ただ、集落には移動や農耕に使えるような動物は見当たらなかった。森の中に住んでいて、農業もしないのであれば家畜は必要ないのかも知れない。

「ねえ、それよりもう一回やって、もう一回」
 ティニがすっかりよれよれになった紙飛行機を文人の手のひらに乗せる。その瞬間、不意に胸の奥が疼いた。結局は自分も何も知らないティニを利用しているのだ。

 無邪気な催促にため息をつきながら紙飛行機を飛ばそうとした時、咎めるような声がした。
「何やっているんだよ」
 文人は、一瞬サリアナかと思ったが、彼女の声より高く幼かった。

「そのノーマと話しちゃいけないって言われただろ」
 駆け足でやってきたのは、カーロと呼ばれたあの少年だった。
「お兄ちゃん」

 ティニが目を丸くする。どうやら兄妹のようだ。言われてみれば顔かたちも似ている。
「さあ、帰るぞ」
 カーロは妹の手を引き、引っ張っていく。昨夜とは違い、強気だ。妹の前だから虚勢を張っているのかも知れない。

「でも、フミトが」
「ノーマのことなんかほっとけ」
「なあ、君」

 文人は紙飛行機を掲げる。
「君も遊んでいかないか」
「いらないよ」

 ふてくされたように言いながらティニを連れて行こうとしている。ティニは首を振りながら文人の手の中の紙飛行機に手を伸ばす。何かの革で作ったような靴のかかとが地面に二本の溝を刻む。
「ほら来るんだ」
「いーやー」
「おいおい、嫌がっているじゃないか」

 文人が見かねて声を掛けるが、カーロはじろりとにらみつける。
「ところで俺の荷物を知らないか」

「知らないよ!」カーロが喚いた。「どうぜ族長のところだろ」
「族長というのは、この集落の長かい?」
「当たり前だろ」

 カーロはもう一度強く引っ張ると、妹を引き剥がすのに成功した。
「ほら、帰るぞ。また怒られても知らないからな」

 かわいそうなティニは兄に引きずられて木の向こう側に消えていった。
 手の中の紙飛行機を見つめながらたった今得たばかりの情報を整理する。

 人里のある場所と距離も見当が付いた。カメラの場所もある程度は絞れた。兄に叱られた以上、ティニがここに来るのも難しくなるだろう。ティニとのことがサリアナに知られれば監視が強化される恐れもある。脱獄するなら早いほうがいい。

 牢の壁をなで回す。見た目より堅い。瓦なら十枚でも二十枚でも割る自信はあるが、こいつは骨が折れそうだ。格子扉にはカギがかかっている。金属製の錠前だ。少々さびは浮いているが、壊すのは難しいだろう。
 一番の問題は首輪だ。これがある限り、脱獄できたとしても首輪を締め付けられればそこでおしまいだ。力尽くで取り外そうにもびくともしない。牢の前に見張りがいないのも首輪の力を信用しているからだろう。だが首輪の呪文には有効範囲があるようだ。集落を逃げ出してからどこまで距離が取れるかが勝負になる。

 決行は今夜だ。

 そのためには今は体力を温存しないとな。
 文人は目を閉じ、再び落ち葉の中に潜り込んだ。
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