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不 安

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「まずいことになったの」

 事情を聞いた族長は渋い顔をした。あの後、村に戻った文人たちはその足で族長宅に向かった。側にはサリアナがいた。どうやら文人たちがいなくなったことに気づいて報告に来ていたらしい。
 概要は文人が話し、カーロとティニが補足した。

 無理もない。結界がなくなれば、村の守りは裸同然だ。いつ攻めてこられてもおかしくはない。文人には感知できないが事実、結界は弱まっているらしい。理由は当然、角が折れて神獣が力を失ったためだ。いきなり消えてなくなることはないそうだが、それも時間の問題だ。あと数日もすれば、完全に消えてなくなるという。

「悪いのは俺だ。罰なら俺だけにしてくれ」
 何か言いかけたカーロをさえぎって文人は前に出た。こうなった責任は自分にあると思っている。責めは自分が負うべきだ。

 サリアナは立ち上がると無言で拳を振り上げた。文人は避けなかった。
「この大馬鹿者が」
「よく言われるよ」

 赤くなった顔を撫でながら立ち上がると、サリアナが眉を吊り上げて胸倉を掴んできだ。
「お前たちの迂闊な行動のせいでこの集落が、危険にさらされているのだぞ。わかっているのか」
「反省しているよ」

 文人は顔を背けながら言った。
「あの子たちを戦いに巻き込んでしまった」

 自分がもう少し上手くやれていれば、結界が壊れることもなく、ティニも無事だっただろう。
 もう一度殴られた。
「私が怒っているのはそういうことではない。何故、私を呼ばなかった。私でなくてもいい。チェロクスと遭遇した時点で、誰か応援を呼んでいればこんなことにはならなかったはずだ。違うか?」
「それは……」

 反論出来なかった。文人自身、自覚している悪い癖だ。誰かを頼ることなく、自分一人でなんでもやろうとする思考が身に付いてしまっている。
「その辺にしておけ」

 族長は呆れたようにため息をついた。
「今更、お前の首もろうてどないもならんわ。責任云々を言い出すのなら、チェロクスの接近を許したワシじゃ。神獣の力がなくなったとは言え、ベスキオが生き残ったのは幸いじゃった」

「神獣の力はもう戻らないのか?」
「角がまた生えりゃあ力も戻る」
 元々、神獣の角は何十年かに一度、生え替わるものだという。

「じゃが、生え替わるには早くても数ヶ月から数年はかかる。まして今回はムリヤリへし折られたんじゃけえ、何年かかるか見当も付かんわ」
「そうか」

 ベスキオもあの後、巣の中に籠もってしまった。今のところ出て来る気配はない。
「とりあえず、偵察を出しとる。おかしな動きがあればすぐに知らせに来るじゃろう」
「今更こんなことを聞くのもどうかと思うが」

 文人は自身の予想が外れることを願いながら聞いてみた。
「もしチェロクスが攻めてきたらどうする」
「戦うに決まっとるじゃろう」

 何をバカなこと、と緑色の顔は如実に物語っていた。 
「応援を頼むことは出来ないのか? 別の村とか」
「無理じゃろうな」族長は首を振った。

「この森のファーリの集落にそんな余力はありはせん」
 元々、集落同士の交流も少なかった。それがノーマとの戦いで数を減らし、今度のチェロクスの襲撃で残っていた集落も滅ぼされ、連絡も途絶えてしまっている。

「よその森ならまだ生き残っている集落もあるじゃろが、この森の中じゃあ、うちくらいじゃろ。応援なんぞ頼めんよ。むしろ、この集落から応援を出しとったくらいじゃけえ」

「なら、応援に出していた人たちを戻すことは」
「それも無理じゃ」族長の顔に暗い影が差した。「死人が還るのは冥界よ」
「みんな、そうなのか?」

「勇敢な戦士から死んでいきよる。生き残ったのはワシみたいな死に損ないだけよ」
 息苦しい、鉛のような静寂が訪れた。呼吸の音すら耳障りに聞こえる。

「とりあえず今日はもう遅い。帰って休むとええ。また話聞きたくなくなったら呼ぶさけえ、それまで家でおとなしゅうしときんさいや」

 気まずい雰囲気を打ち破るように族長は追い払うような仕草をした。
 ティニもカーロも既に船をこいでいる。二人を家に送り届けた後、文人も家に戻った。

 翌朝、集落の広場には誰もいなかった。昨日までは文人の教えたサッカーに興じていたというのに。
 昨日の件を受けて、朝早くからチェロクスの襲撃に備えるよう、族長から支持があった。
 それを受けて大人たちが外出を禁じているのだろう。
 あるいは大人たちの剣呑な気配を感じ取っているのかも知れない。子供は雰囲気に敏感な生き物だ。

 村の中心部に入っていくと、矢筒を背負った男たちが慌ただしく村の外へと駆けだしていく。
 手にはロープやトラバサミのような金属も持っているのが見えた。
「罠を仕掛けるのか」

「とりあえず、村の周囲に徹底的にな」
 振り返ると、サリアナが不機嫌そうな顔で仁王立ちしていた。

「チェロクス相手にどこまで通用するかわからないがな。村全体を覆う結界と比べれば心許ないが、ないよりはマシだろう」
「いつ頃来ると思う?」
「早ければ、三日後というところか」

 結界が消える正確な日にちは不明だが、チェロクスも逐一チェックしていることだろう。切れたことを確認すればすぐにでも攻めてくるだろうというのがサリアナの見解だった。

「俺はもう少し先だと思う」
 このままではファーリたちは襲撃を備え続けなくてはならない。緊張は続き、精神的にも肉体的にも疲弊していく。疲れたところを襲撃すれば、より簡単に侵略できる。

「だが、やらないわけにもいくまい。そうだろう?」
 結局のところ守勢に回れば不利は免れない。援護も応援もなしに籠城を続ければ待っているのは、飢え死にだろう。

「だからこちらから打って出る」
 文人は足を止めてサリアナを見た。
「勝算はあるのか?」
「わからん」
 サリアナは首を振った。

「だが、結界がなくなった以上、守りに入っては死を待つだけだ。ならば一か八か、チェロクスどもをたたきつぶすしかあるまい」
「俺の生まれた国では、俺の生まれる少し前に大きな戦いがあってな」

 急に話を変えたからだろう。サリアナが戸惑い気味に目を瞬かせる。
「戦況が不利になって、物資も不足すると、偉い連中は飛行機……空飛ぶ鉄の道具を敵の船に突っ込ませた。操縦する人間《ノーマ》と一緒にな」

「それでは操縦するノーマも死ぬではないか」
「昔はそれが正しいと思い込まされていたんだよ」
 文人は暗い顔で笑った。

「だが、結局はほとんど敵は倒せず、多くの若者が無駄に命を落とした」
「……」
「戦うな、とは言わない。殺すなとも言わない。けれど、戦うなら生き残るために戦ってくれ。どうせならみんなで生き残るために戦うべきだ。違うか?」

 サリアナは眉をしかめた。睨み付けるような視線には怒りとも失望ともつかない感情が宿っているように見えた。
「お前のは理想だ」
「そうだな」

 全員を助けようとしても必ず犠牲者が生まれる。それが現実だ。
「理想は常に現実に打ち砕かれる」
「かもな」

 世界中で何度も見てきた。平和を、平等を口にする者は暴力で打ちのめされてきた。
「聞き心地のいい理想ばかりを口にして、現実を見ようとしない者には誰一人救えない」
「知っている」

 誰もが平和を望んでいるはずなのに。もたらされるのは硝煙と血と死体と悲しみばかりだ。
「ならば、何故。そんな理想を口にする!」
「決まっているじゃないか」

 文人は会心の笑みを作ってみせた。
「理想ってのはゴールだ。ゴールを目指さなければ、近付くことさえできやしない。違うか?」

 道のりは遠くても歩き出さなければ何も始まらない。妥協も必要だろう。時として立ち止まることもあるかも知れない。それでも目指すという思いそのものが大事だと文人は思っている。

 サリアナは一瞬、呆気にとられたような顔をしたが、やがて深々と息を吐いた。
「バカだバカだと思っていたが、途方もない大バカ者だな貴様は」 
「自覚はある」

 五十年間、もう耳にたこができるくらい言われ続けてきたのだ。いい加減、自覚ぐらいはする。
「けど、こういう時は笑った方がいい。俺の生まれた国のことわざにもあるんだ『笑う門には福来たる』ってな」

 辛いときこそ笑っていたい。苦しいときこそ笑える男でありたい。それが文人の信条だ。
「お前は……」
 サリアナが何か言いかけた時、乱れた足音と息苦しそうな気配が近付いてきた。

「大変だ」
 振り返ると、ファーリの男が駆け込んできた。確かロッサという若者だ。先程罠を仕掛けに外へ出て行った一人だ。
「まずいことになった」

 彼はサリアナに向かい、緊迫した面持ちで言った。
「チェロクスどもが集落を取り囲んでいる」
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