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第6話 そして、消えてしまった
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「白井くん。私の担当、白井くんで良かったよ。生きてる時にさ、『シノちゃんだったら良かったのに』とか言ったこともあるけど、あれは本気じゃなかった。ちょっと、からかったんだよ。これは嘘じゃない。本当だよ。それでね、最期が近くなってきて、思ったんだ。白井くんの夜勤の日に逝こうって。だから、その日まで頑張ったんだよ。やっぱり白井くんがいいと思ったから。お願いしたいと思ったから」
ノブさんの言葉を伝えると、白井さんが「ノブさん……」と小さな声で言った。
「白井くん。ありがとうね。今日シノちゃんが来たら、もうここに来られなくなると思うから……もう一度言っておくよ。白井くん、ありがとう」
「ノブさん……」
「じゃあ、ほら。もう帰んな」
私が通訳すると白井さんは頷いて、今度こそ帰って行った。ノブさんは、見えなくなるまで白井さんを目で追っていた。
「行っちゃいましたね」
私が声を掛けるとノブさんは、
「行っちゃったね」
何だか寂しそうな顔。やっぱり白井さんを大好きなんだなと思わされた。でも、否定されるから言わないでおくことにした。
それから何分くらい経ってからだったろう。階段室のドアの開く音がして、足音が近付いてきた。鼓動が速くなる。
「相田さん。もしかして……」
そう言う間もなく、彼女が現れた。
「篠原さん。来てくれたんですね」
「あなたが嘘を言ってると思えなくて。今ここにいるんですか?」
辺りを見回すシノちゃん。この人も、やっぱり見えないらしい。私とノブさんは、ほとんど同時に溜息を吐いた。
「私はここにいるんだけどね。何で茉莉ちゃんにだけ見えるんだろうね」
「そうですよね。だから、ややこしいことになっちゃうんですよね」
ノブさんの言葉が聞こえないシノちゃんは、不思議そうに私を見ている。当然だ。一人で話しているようにしか見えないんだから。
「篠原さん。私の左側に、相田さんがいるんですけど、見えませんよね?」
「はい……」
ノブさんが、また大きな溜息を吐いた。会いたかった人に見えないと言われればショックだろう。
「篠原さん。これから相田さんが言うことを、私が代わりに伝えますので、聞いてくださいね」
微かに頷くシノちゃん。私がノブさんを促すと、「頼むね」と言ってから話し始めた。
「シノちゃん。辛い思いをさせちゃって、本当にごめんね。でも、あれは私が悪い。シノちゃんのせいじゃないんだよ。私が勝手にやった。勝手にケガした。それだけなんだよ。シノちゃんが責任感じることないんだよ」
私が伝えると、シノちゃんは首を強く振り、
「私が、相田さんが部屋にいないことをもっと早くに気が付いていたら、あんなことにはならなかったはずです。私が悪いんです」
泣きながら訴える。その気持ち、よくわかる。何かあったら自分のせいだって思っちゃうものだ。わかる。
心の中で同意を示していると、ノブさんがキレ気味の口調で、
「ちょっと。早く通訳してよ」
完全に聞き逃していた。謝罪して、もう一度言ってもらう。
「私のせいで、シノちゃんが異動することになって、悪かったと思ってる。でもさ、介護の仕事は辞めないでね。シノちゃんみたいに優しくていつも笑顔でいてくれるいい人が、ここでは必要とされていると思うよ。みんな、シノちゃんのこと好きだから。もちろん私もだよ」
「相田さん……」
「ありがとうね」
「私の方こそ……ありがとうございました」
「うん。じゃあね。来てくれてありがとう」
私が伝えると、シノちゃんは涙を拭い私に向かって礼を言うと、来た道を戻って行った。ノブさんの方を見ると、今まで見た中で一番すっきりした良い表情をしていた。さよならの時が近付いているのが感じられた。
「茉莉ちゃん。この一ヶ月くらい、相手してくれてありがとうね。おかげで、白井くんにお礼を言えたし、シノちゃんにお詫びの言葉も伝えられた。感謝してるよ」
「相田さん。行っちゃうんですか? 寂しくなっちゃいます」
私がそう言うと、ノブさんは鼻で笑って、
「何を甘えたこと言ってんだい」
「だって、いつも相田さんがいてくれたから」
いつのまにか、この存在が一緒にいるのが当たり前になっていた。これから夜勤がつまらなくなりそうだな、と思った。
ノブさんは、触れられない手で私の頭を撫でるような仕草をした。そうされて私は、触れられてもいないのに、本当に撫でられたような気がした。
「ありがとね」
優しい微笑みを浮かべたノブさんが、少しずつ消えていく。もう会えない。自然に涙が流れ始めた。
「ノブさん、ありがとう」
今まで名字で呼んでいたのに、初めて名前で呼んでしまった。消えていくノブさんが手を振ってくれる。私も必死に振り返す。そして……完全に相田ノブさんは消えてなくなってしまった。
それ以来、彼女は本当に現れなくなった。何で私にしか見えなかったのかはわからないけれど、選ばれたことに感謝している。
ノブさん。出会ってくれて、ありがとう。
(完)
ノブさんの言葉を伝えると、白井さんが「ノブさん……」と小さな声で言った。
「白井くん。ありがとうね。今日シノちゃんが来たら、もうここに来られなくなると思うから……もう一度言っておくよ。白井くん、ありがとう」
「ノブさん……」
「じゃあ、ほら。もう帰んな」
私が通訳すると白井さんは頷いて、今度こそ帰って行った。ノブさんは、見えなくなるまで白井さんを目で追っていた。
「行っちゃいましたね」
私が声を掛けるとノブさんは、
「行っちゃったね」
何だか寂しそうな顔。やっぱり白井さんを大好きなんだなと思わされた。でも、否定されるから言わないでおくことにした。
それから何分くらい経ってからだったろう。階段室のドアの開く音がして、足音が近付いてきた。鼓動が速くなる。
「相田さん。もしかして……」
そう言う間もなく、彼女が現れた。
「篠原さん。来てくれたんですね」
「あなたが嘘を言ってると思えなくて。今ここにいるんですか?」
辺りを見回すシノちゃん。この人も、やっぱり見えないらしい。私とノブさんは、ほとんど同時に溜息を吐いた。
「私はここにいるんだけどね。何で茉莉ちゃんにだけ見えるんだろうね」
「そうですよね。だから、ややこしいことになっちゃうんですよね」
ノブさんの言葉が聞こえないシノちゃんは、不思議そうに私を見ている。当然だ。一人で話しているようにしか見えないんだから。
「篠原さん。私の左側に、相田さんがいるんですけど、見えませんよね?」
「はい……」
ノブさんが、また大きな溜息を吐いた。会いたかった人に見えないと言われればショックだろう。
「篠原さん。これから相田さんが言うことを、私が代わりに伝えますので、聞いてくださいね」
微かに頷くシノちゃん。私がノブさんを促すと、「頼むね」と言ってから話し始めた。
「シノちゃん。辛い思いをさせちゃって、本当にごめんね。でも、あれは私が悪い。シノちゃんのせいじゃないんだよ。私が勝手にやった。勝手にケガした。それだけなんだよ。シノちゃんが責任感じることないんだよ」
私が伝えると、シノちゃんは首を強く振り、
「私が、相田さんが部屋にいないことをもっと早くに気が付いていたら、あんなことにはならなかったはずです。私が悪いんです」
泣きながら訴える。その気持ち、よくわかる。何かあったら自分のせいだって思っちゃうものだ。わかる。
心の中で同意を示していると、ノブさんがキレ気味の口調で、
「ちょっと。早く通訳してよ」
完全に聞き逃していた。謝罪して、もう一度言ってもらう。
「私のせいで、シノちゃんが異動することになって、悪かったと思ってる。でもさ、介護の仕事は辞めないでね。シノちゃんみたいに優しくていつも笑顔でいてくれるいい人が、ここでは必要とされていると思うよ。みんな、シノちゃんのこと好きだから。もちろん私もだよ」
「相田さん……」
「ありがとうね」
「私の方こそ……ありがとうございました」
「うん。じゃあね。来てくれてありがとう」
私が伝えると、シノちゃんは涙を拭い私に向かって礼を言うと、来た道を戻って行った。ノブさんの方を見ると、今まで見た中で一番すっきりした良い表情をしていた。さよならの時が近付いているのが感じられた。
「茉莉ちゃん。この一ヶ月くらい、相手してくれてありがとうね。おかげで、白井くんにお礼を言えたし、シノちゃんにお詫びの言葉も伝えられた。感謝してるよ」
「相田さん。行っちゃうんですか? 寂しくなっちゃいます」
私がそう言うと、ノブさんは鼻で笑って、
「何を甘えたこと言ってんだい」
「だって、いつも相田さんがいてくれたから」
いつのまにか、この存在が一緒にいるのが当たり前になっていた。これから夜勤がつまらなくなりそうだな、と思った。
ノブさんは、触れられない手で私の頭を撫でるような仕草をした。そうされて私は、触れられてもいないのに、本当に撫でられたような気がした。
「ありがとね」
優しい微笑みを浮かべたノブさんが、少しずつ消えていく。もう会えない。自然に涙が流れ始めた。
「ノブさん、ありがとう」
今まで名字で呼んでいたのに、初めて名前で呼んでしまった。消えていくノブさんが手を振ってくれる。私も必死に振り返す。そして……完全に相田ノブさんは消えてなくなってしまった。
それ以来、彼女は本当に現れなくなった。何で私にしか見えなかったのかはわからないけれど、選ばれたことに感謝している。
ノブさん。出会ってくれて、ありがとう。
(完)
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