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未来編
第6話 黒羽 蜜
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「あの……どちらさまでしたでしょう」
ためらいながら、その人に声を掛けると、
「あなた。うちの劇団に来ない?」
「は?」
先頭にいた顧問の先生が、この異変に気が付いて、私の許に駆けて来てくれた。先生はその人に、
「うちの生徒に、何かご用でしょうか」
冷静に訊いた。女性は、先生に向かい強く頷くと、
「先生ですか? この子、うちの劇団に欲しいんですけど」
「あの、急にそんなことを言われましても」
「この子には、才能があります。私にはわかります。是非、お願いします」
興奮気味に訴えるその女性は、カバンの中を探り、メモ用紙に何かを書いて、先生に渡した。
「これ、うちの劇団の連絡先です。私は、団員の黒羽蜜と言います」
「黒羽……蜜?」
先生が、その女性をまじまじと見てから、口許を両手で覆った。
「何で気付かなかったのかしら、私ったら」
先生が、目をキラキラさせて呟くように言った。急にどうしてしまったのだろう。
先生は、私の方に向くと、
「この方、東京の有名な劇団の方よ。ほら、これ見なさい」
さっき渡された紙を、私に見せる。確かに、聞いたことのある劇団名だった。
「私ね、黒羽さんのファンなのよ。それなのに、あまり意外だったから、黒羽さんだと思わなくって。ああ。恥ずかしい」
先生が、黒羽さんの一ファンとしての顔で、私に話す。
「藤田さん。せっかくお声掛けして頂いたんだから、行きなさいよ。行った方がいい。こういうチャンスは、逃しちゃダメよ」
私の両手を握りしめて、説得に掛かる。黒羽さんも、深く頷きながら、
「そうそう。私がスカウトするなんて、滅多にないことなんだから」
「ほら。行くっていいなさい」
私は、どう返事をしていいのかわからず、そばに立っていた加津子を見た。その顔には、何の表情もなかった。救いを求めた私を、見ようともしない。私と加津子の間に、高い壁でも出来たようだった。私は、あわてて彼女から目をそらした。
「黒羽さん。あの……今すぐ返事をするのは無理なので……一週間待って頂けませんか? 必ずお返事しますので」
「わかったわ。連絡待ってるわね」
黒羽さんは、私たちに笑顔で手を振ると、出口の方へ歩き出した。
静寂が支配するロビー。先生が、手を叩き、「はい。じゃ、帰りますよ」と大きな声で言った。先頭に再び移動した先生の後について、私たちは歩き出した。
私の隣を歩く加津子は、全く口をきかず、相変わらずの無表情だった。声を掛けられる雰囲気ではない。いや。絶対声を掛けてはいけない。
加津子が欲しい物を、それが欲しいと考えたこともなかった私の方が、手に入れようとしている。何という皮肉だろう。
一週間後、私はどんな答えを出すのだろう。私は、どうしたいのだろう。
頭の中は、ますます混乱してしまった。
ためらいながら、その人に声を掛けると、
「あなた。うちの劇団に来ない?」
「は?」
先頭にいた顧問の先生が、この異変に気が付いて、私の許に駆けて来てくれた。先生はその人に、
「うちの生徒に、何かご用でしょうか」
冷静に訊いた。女性は、先生に向かい強く頷くと、
「先生ですか? この子、うちの劇団に欲しいんですけど」
「あの、急にそんなことを言われましても」
「この子には、才能があります。私にはわかります。是非、お願いします」
興奮気味に訴えるその女性は、カバンの中を探り、メモ用紙に何かを書いて、先生に渡した。
「これ、うちの劇団の連絡先です。私は、団員の黒羽蜜と言います」
「黒羽……蜜?」
先生が、その女性をまじまじと見てから、口許を両手で覆った。
「何で気付かなかったのかしら、私ったら」
先生が、目をキラキラさせて呟くように言った。急にどうしてしまったのだろう。
先生は、私の方に向くと、
「この方、東京の有名な劇団の方よ。ほら、これ見なさい」
さっき渡された紙を、私に見せる。確かに、聞いたことのある劇団名だった。
「私ね、黒羽さんのファンなのよ。それなのに、あまり意外だったから、黒羽さんだと思わなくって。ああ。恥ずかしい」
先生が、黒羽さんの一ファンとしての顔で、私に話す。
「藤田さん。せっかくお声掛けして頂いたんだから、行きなさいよ。行った方がいい。こういうチャンスは、逃しちゃダメよ」
私の両手を握りしめて、説得に掛かる。黒羽さんも、深く頷きながら、
「そうそう。私がスカウトするなんて、滅多にないことなんだから」
「ほら。行くっていいなさい」
私は、どう返事をしていいのかわからず、そばに立っていた加津子を見た。その顔には、何の表情もなかった。救いを求めた私を、見ようともしない。私と加津子の間に、高い壁でも出来たようだった。私は、あわてて彼女から目をそらした。
「黒羽さん。あの……今すぐ返事をするのは無理なので……一週間待って頂けませんか? 必ずお返事しますので」
「わかったわ。連絡待ってるわね」
黒羽さんは、私たちに笑顔で手を振ると、出口の方へ歩き出した。
静寂が支配するロビー。先生が、手を叩き、「はい。じゃ、帰りますよ」と大きな声で言った。先頭に再び移動した先生の後について、私たちは歩き出した。
私の隣を歩く加津子は、全く口をきかず、相変わらずの無表情だった。声を掛けられる雰囲気ではない。いや。絶対声を掛けてはいけない。
加津子が欲しい物を、それが欲しいと考えたこともなかった私の方が、手に入れようとしている。何という皮肉だろう。
一週間後、私はどんな答えを出すのだろう。私は、どうしたいのだろう。
頭の中は、ますます混乱してしまった。
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