洋館の記憶

ヤン

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第11話 桜内先生

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 ドアを開けると、カウンターの中の人と、ウェイターの美しい男の人が「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた。美しい人が、「お一人様ですか」と訊いてくれる。私は、首を振って奥の方に目をやり、

「えっと、知り合いがあそこにいて、ちょっと挨拶を」
「ああ。そうですか。どうぞ、ごゆっくり」

 客じゃないかもしれないのに、怒らないんだな、と思った。それどころか、その美しい顔で微笑んでくれた。印象的な目。その目で見られると、ちょっとドキッとしてしまう。鼻筋が通っていて、口許には微笑み。透き通るようなきれいな肌。完璧だ。ネームプレートを見ると、『なかた』と書かれていた。

 『なかた』さんから許可されたので、奥に向かった。その人は私に軽く手を振った。そして、自分の正面の席を指して、

「どうぞ、深谷野ふかやのさん」

 私は、言われるままに席に座ると、

桜内さくらうち先生。私のこと、知ってるんだね。まだ、一回しか授業してないのに」

 いきなりタメ口をきいてしまったが、言ってしまったものは仕方ない。先生も、特に気にした様子もなく、ただ頷き、

「そうですね。一応ね、関わる生徒の顔と名前は、授業が始まるまでに覚えるようにしています。それが礼儀かな、と思ってます」

 話し方が、普通だ。これが本当のこの人なんだろう。私は、思わず、

「先生。授業の時と雰囲気が全然違うね。私は、こっちの方がいいけどな」

 先生は、私の言葉に小さく笑ってから、急に話題を変えてきた。

「深谷野さん。何か注文したらどうですか。オレが払うから」
「えっと。それはいけないのでは?」

 一応断って見たが、先生は、

「いいよ。オレ、どうせ変な教師だと思われてるから。今さら、生徒と一緒に喫茶店でお茶を飲んで、支払いしたくらいでは、評価は変わりません」
「へー、そうなんだ。じゃあ、えっと。何がお勧め?」

 先生が右手を軽く上げると、『なかた』さんが私たちの所へ来て、一礼した。そして、微笑とともに、「お呼びでしょうか」と言った。先生は、

「彼女に、メニューをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」

 『なかた』さんがカウンターの方へ向かうのを確認してから、私は、やや興奮気味に、

「あの人、すごい美形だね。びっくりした」

 先生は、私の言葉に微笑みを浮べると、

「そうですね。かなり美形だと思います。彼、うちの卒業生なんですよ。バンドのヴォーカルやってて、この辺では、かなり有名で。あ、これは個人情報ですね」

 そう言っている間に『なかた』さんが戻ってきた。彼は微笑むと、

「桜内先生。一応個人情報ですけれど、そのくらいは構いませんよ。お気になさらないでください。確かにバンドのヴォーカルをやっていて、この辺では有名ですから」

『なかた』さんは、メニューを私の前に出すと、

「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」

 一礼して去って行った。思わず溜息をついてしまう、それくらいの美しさだった。
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