洋館の記憶

ヤン

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第12話 ブラックコーヒー

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 注文を終えて、しばらくすると紅茶が運ばれてきた。本当はケーキも食べてみたかったが、先生に払ってもらうのだからやめておこう、と思って注文しなかった。
 紅茶を一口飲んだ後、先生をじっと見ながら、

「で、先生。何でわざと変な人を演じてるの?」

 先生は俯いてコーヒーを飲んだ。どうやらブラックだ。好きで飲んでいる顔ではない。ちょっと嫌そう? 何故お金を払ってそんな顔をしてるんだろう。わからないことばかりだ。

深谷野ふかやのさん。君、今、オレをすごく観察してたけど、何がわかりましたか?」
「そうだな。無理してそれ飲んでるのかなって。それくらいだよ」
「そうですか。じゃあ、何でそんなことしてると思いますか?」

 私は首を振って、

「わからないから訊いてるんだよ。何か事情があるってことはわかるけど、それこそ個人情報だろうから突っ込んでいいかもわからない」

 先生は黙ってしまった。私も黙って、時々先生を見ていた。本当に普通だ。あの、テンションの高い男は誰だったんだ?

「自分で振っといて、ごめん。今すぐは話せません。だけど、何だか君には、いつか話すかもしれない気がします。何でだろう。誰にも話したことないのに。きっと、君がオレの知っている人に似てるからかもしれない」
「そうなんだ? ま、無理しなくていいよ。いつか話したくなったら話せば。聞くから」
「ああ。そうする。深谷野さん。ありがとう」
「礼を言われることはしてないけど」

 先生はまた顔をしかめながらコーヒーを口にした。見ているこちらもつらくなる。

 ふいに先生が顔を上げて、言った。

「そう言えば、深谷野さんて、こっちに引っ越してきたばっかりなんだってね」

 少し打ち解けてきた。言葉が砕けてきている。が、授業の時のようでもない。普通に友人と話す時とか、そんな感じだ。

「そう。母がちょっと調子が悪くて、母の実家に助けてもらってるんだ。見た目は元気そうなんだけど、ま、いろいろあったんだろうと思うんだ」
「そうか」
「今までアパート暮らしだったから、まだあの大きい家に慣れられなくって。先生、この辺の人? 知ってるかな。嶋田しまだっていう洋風建築の家」

「嶋田?」

 先生はそう言って、目を伏せた。コーヒーカップをソーサーに置き、何か考えているようにも見えた。私は、先生の思いがけないその様子に戸惑った。

「先生。えっと」

 何か言葉を掛けようとしたが、口からうまく出て来ない。困っていると先生が急に立ち上がった。

「深谷野さん。急にごめん。今日はこれで帰るよ」
「先生?」

 先生は伝票をつかむと、振り返ることなく会計をして外へ出て行ってしまった。その姿を目で追っていると、先生のカップを下げに『なかたさん』が来た。一瞬迷ったが、思い切って訊いてみることにした。

「先生、急に帰っちゃったんですけど、私、何かまずいこと言ったんでしょうか」
「まずいこと、ですか? 何を言ったんですか?」
「えっと、私が住んでいる家のこと」
「それが、どうまずいんですか?」
「わからない」

 私の言葉に『なかたさん』は、

「わからないなら、気にしなくてもいいと思います」

 美しい笑みを浮かべて、そう言った。
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