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第56回 決断
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一般人からしてみたら、少し強めの風が吹いたようにしか感じないのかもしれない。俺が全速力で歩道を走っているというのに、すれ違った通行人たちは振り返ることすらしなかったからだ。
それくらいの猛スピードで俺が向かっているのは、病院から3キロほど離れた工事現場だ……って、もう着いてしまった。
病院の窓から飛び降りて以降、1分も経たずに到着するんだから自分の足の速さには心底驚かされる。
現在の数値としては腕力が10、体力が1で、速度にはまだ29ポイントしか振ってないんだが、それ以上のずば抜けたスピードを感じるんだ。
どこかで聞いたことがあるのが、センスというステータスだ。これは数値では測れないのでどれくらいあるかは不明だが、それが高い場合、自分に相応しいステータスを得ると水を得た魚状態になるらしいが、まさかな……。
「「「「「よっこらせっと!」」」」」
お、いるいる。玄さんら、日焼けしたおっちゃんたちが元気に汗を流しているところだ。そんな姿を見ているとこっちまでうずうずしてくるが、今日は挨拶や手伝いをしにきたわけじゃなく、とあるメッセージを届けるためだ。
『またいつかここへ戻って来ますので、それまで待っていてください。あんちゃんより』と……。
午前の休憩時間が始まるのを待って、俺はメッセージ付きの緑茶のペットボトルをいつもの場所に置いた。
玄さんたちと対面して会話なんてしたら決断が鈍りそうだし、こういうやり方でしかお礼ができないのは仕方ない。俺は病院にしばらく残ることに決めたんだ。
これも野球帽の藤賀を危険から守るためで、ああいう場所は嫌いなんだが仕方ない。というのも、羽田が俺の秘密を知りたがっていたことがどうしても引っ掛かるんだ。それなら、パーティーメンバーである藤賀は間違いなく狙われるはず。しかも、記憶を失っているなら尚更。
もしかしたら、あいつが記憶を失った件だって、学校ダンジョンで羽田とその仲間の黒坂にやられたことが影響しているのかもしれない。実際、野球帽はずっと一つの場所にいて、そこからほとんど動いていないように見えた。
風間に守ってもらうということも考えたが、黒坂はともかく羽田が来たら彼一人で太刀打ちできる相手じゃないし、俺もいたほうがいいと思ったんだ。
それに、彼には彼の生活があるし、いつも側にいてくれるわけじゃないしな。何かあったときは、自分がなんとかするしかないという気持ちでいたほうがいいだろう。俺がここまで野球帽を守ることにこだわるのは、あいつのところへ目前まで迫ったときに逃げたのが死ぬほど悔しかったからだ。
すぐに病院へと着いた俺は、周囲を見回して誰か見ていないか確認したのち、三階の病室の窓に向かって大きく飛び跳ねた。
「――ねぇねぇ、お兄さん、どうして、窓から入ってきたの?」
「あっ……」
窓から病室へ入ったところで、小さな女の子に怪訝そうに見上げられたので物凄く気まずかった。
そういや今日から大部屋になったし、ちょうど隣の患者の家族が見舞いに来てたみたいだ。
「あ、あれだよ、ちょっと日向ぼっこをしてたんだよ」
まあ、外で太陽の光を浴びてすぐに戻ってきたわけだし、あながち嘘ではない。
「ふーん……危ないから、もうそんなことをしたらダメだよ?」
「あ、あぁ、これからは気をつけるよ」
上手くごまかせたかな……って、風間が俺のベッドで横たわって雑誌を読んでいた。それも、表紙を見れば一目瞭然のいかがわしい内容のやつを。
「風間さん、俺のベッドでそんなの見ないでくださいよ。しかも近くに小さい子供までいるのに」
「ふわあぁ……佐嶋よ、そうケチケチせんでもよかろうに。それにな、ああいう命を削るような激しい戦いをしたあとだから、癒しが必要だろう、癒しが」
「癒し、ねえ……。あっ、母さん、灯里」
「ぬあっ!?」
「冗談ですよ」
「ぐっ……! び、びびったわい!」
風間の見開いた目が今にも零れ落ちそうだ。すっかり母さんと妹の過剰すぎる世話焼きに対してトラウマになっている様子。
『――患者の皆さまとそのご家族の方々へお伝えします。これより、杜崎教授の総回診です』
お、教授が見回りに来るらしくてアナウンスが流れてきたし、ここは大人しくしておくとしようか。っていうか、俺はもうどこも悪くないんだけどな……。
「って、風間さん、どうしたんですか? そんな青い顔しちゃって」
「い、い、いやっ、な、ななっ、なんでもない……」
「…………」
どうしたんだろう。母さんと妹が来るのは冗談だとわかったはずなのに、風間の顔はまるで死体みたいに青白くなっていた……。
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