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第60回 境界線

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「な、なあ、それさ、自分で治せねえの?」

 病院の消灯時間である夜九時が迫る中、目つきの悪い少女が若干遠慮気味に話しかけたのは、ベッドに横たわるだった。

「体力の数値がそれなりに高ければ、自然治癒能力も上がるから問題ない」

「そうじゃなくてさ、鬼木――いや、ヒーラーがやってるような感じのことはできねえのかなって」

「…………」

「ご、ごめん、鬼木の名前を出しちゃって気に障ったか――!?」

「――念力と神力は内側と外側の力だから相反する。傷つける力と回復する力だから相容れないのだ。それで察しろ、黒坂ぁ」

「あ、そ、そっか。つまり、念力にばかり振って、神力には一切ポイントを振ってねえってことか。それで羽田の念力はあんなにすげーんだな!」

「……フン。誰しもが、念力に特化すれば私のようになれるというわけでもない。も必要だ」

「センスかー。ってことはさ、つまりしばらくずっとその不格好……じゃなくて、包帯グルグルのままってこと?」

「心配するな。明日にもレベルアップクエストをこなし、全回復する予定だぁ……」

「そんじゃー、137から138レベルになるってわけじゃん。すげーなあ」

「耳が痛いから、そろそろ黙っていろ、黒坂ぁ」

「あいあい――」

「――ちょいと、あんたら」

「「……」」

 黒坂と羽田の視線が注がれたのは、カーテンを開けて入ってきた老婆であり、その手には包装された箱があった。

「これ、あんたにやるよ。酷い火傷で大変そうだからねえ。ところで、その子はガールフレンドかい?」

「え、ガ、ガールフレンドって……あたしが? ププッ……」

「…………」

 黒坂が口元を押さえて笑う中、羽田が老婆を睨みつける。

「婆さん、なんのつもりか知らんが、余計なお世話だぁ……」

「そんなこと言っちゃって、内心喜んでるのは丸わかりなんだよ。火傷を負ってるからそんな気分じゃないのはわかるけどね、辛いときこそ、人は人間性が問われるんだよ。お礼は要らないから受け取っときな」

「お、お婆さん、ま、まずいって!」

「何言ってんだい。不味くなんかないさ。とっても美味しいぼた餅なんだからさ」

「いや、そういう意味じゃ――」

「――フンッ、もういい、黒坂。面倒だから貰っておけ」

「は、羽田……?」

 黒坂が唖然とした顔で羽田のほうを見つつ、老婆から箱を受け取る。

「それじゃ、ガールフレンドに渡しとくからね。悪くなる前に、なるべく早く食べるんだよ。それじゃ、お大事にね」

 老婆がその場からいなくなると、羽田が念力で包装を丁寧に解き、箱を開けてみせた。

「うぉー、ホント器用だなぁ。ってかマジでうまそー。羽田も食べる?」

「お前が貰っておけ。今は何か食べると耳に響く」

「そ、それもそうか。それにしてもさ、羽田ってすげー強いし怖いけど、やっぱりいいやつなんだな!」

「馬鹿なことを言うな。私は普段からこうだ。ダンジョン以外では基本的に約束は守るし、ちゃんと礼もする」

「え、えぇ? 意外すぎるぜ……」

「そんなに意外か? 私はただ、に関して妥協を許さないだけで、創作、展示する場所にもこだわりがあるのだ。それ以外はそこら辺にいる一般人と変わらない」

「な、なるほどねぇ。それで、佐嶋がこの病院にいるのに手を出さないってわけか……」

「……黒坂ぁ」

「な、なんだ? 羽田、も、もしかして、佐嶋の名前を出しちゃったから怒った?」

 羽田の声色が変化したことで、ただならぬ気配を感じたのか、黒坂の顔が見る見る青ざめる。

「……退院が少し遅れそうだぁ……」

「え……?」

 白い歯を覗かせる羽田京志郎。そこから発せられた声は、僅かに弾んでいた。



 ◆◆◆



「……はあ……」

 病室のベッドに座って足を揺り動かし、落ち着かない様子で溜め息を繰り返しているのは、短い髪をした中性的な少女――藤賀真優――だった。

(早く自分のことを思い出したいのは山々なんだけど、ダメ。ぜんっぜん思い出せない……)

 そのまま弱り顔で倒れ込む藤賀の脳裏には、見舞いに来た青年のことが浮かんでいた。

(うふふっ……佐嶋康介さん、だったっけ? 頼りがいのありそうな人だったなー。あの人が私の彼氏だなんて、照れちゃう――)

「――チッ!」

 思わず舌打ちをしたため、はっとした表情で飛び起きる藤賀。

(や、やだぁ。私ったら、今なんで舌打ちなんてしたんだろう? すっごくはしたない……)

 それからまもなく、彼女は目をまたたかせて一層不思議そうに周囲を見渡すことになる。

(って、あれ……? なんか、変な感じがする。病院の雰囲気が、今までとような。気のせいかな……)
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