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6-1 陰湿悪役令嬢の修業
しおりを挟む羊の群れは、小高い丘を下って納屋の横の大きな小屋の中へ入っていった。
それを見届けた大柄な男性と白と茶の毛の長い犬がこちらへ戻ってくる。
「クルトは今日も吠えたか? っと、これは失礼しました。若様とお嬢様とお友達がいらしていたんですね」
その男性は牧場主のゲンテル・ファーカーさんだった。
「すみません、驚かせてしまって。毎日こいつが羊を追う、朝と夕方にだけあんなに吠えちまうんです」
そう言いながら傍らの白と茶の犬を撫でる。こちらの犬はマルタという名前らしい。
「そうなんですね。驚きましたけど大丈夫です」
「そいつぁ良かった」
ゲンテルさんがホッとしたその横を、一頭の羊がのんびりと横切った。
――メェー、メェー
「ありゃ、マルタ、また一頭逃げられ……」
――メッ、メェーッ!
さらにもう一頭、今度は横を駆け抜けていった。
どうやらマルタの言うことを聞かず、逃げ出した羊がいるらしい。
「ほら、早く追ってこい」
そう言われて走り出すマルタに向かって再びクルトが吠えた。
「もう、クルト、静かにしなさ……あ、危ない!」
イドナさんが叫ぶ先には、猛烈に吠えるクルトに向かって歩いて行くノワールの姿があった。
「ノワール!」
私が慌てて近付こうとするのをお兄様が止めた。
「コレット待つんだ、お前も危ない」
「でも……!」
牙をむいて吠えるクルトと、その目の前を歩くノワール。
誰もが最悪の事態を覚悟した瞬間。
「ニャァァ~」
ノワールの間の抜けた声が、草原に響いて、それに応えるように一瞬でクルトが大人しくなった。そして
「クゥーン」
と、ノワールに縋るように吠えた。二匹はしばらくそうやって、まるで言葉を交わすかのように鳴き合っていた。
皆には間の抜けた声に聞こえたあのノワールの鳴き声は、私には『どうしてそんなに怒ってるの? ボクが話を聞いてあげるよ』と聞こえた。それに応えたクルトの言葉は私には分からなかったけれど、どうやらあの場でお悩み相談が行われていたらしい。
数分後、私は納屋の前でノワールに事情を聞いた。
「でね、あのマルタって犬の羊追いが全くなってないのに腹を立ててるらしいんだ」
クルトがあそこまで激しく吠え立てる理由は目の前の後輩(?)の職務態度に対する怒りだったようだ。
「しかもあのマルタって犬、可愛い顔して可愛くないらしい。クルトの働きを見たこともないのに年寄扱いするんだって」
「そんなことが……」
犬社会も色々と大変そうである。
「ここの牧場がのんびりしているのを良いことに適当な仕事をしてるだけじゃなくて、それを注意するクルトにうるさいジジイだなんて酷いよね」
「そ、それは酷いわね」
「そろそろ繁殖期だから危険だって知らせてるのに、今日みたいに羊を見逃しちゃって……」
――ワンッ、ウゥゥ~、ワンワンッ
「え? なんだって?!」
私たちが話していると横で寝ていたクルトが突然顔を上げ、大きな声で吠え始めた。ノワールはその声に反応してクルトが吠えている方向へ顔を向ける。
「コレット! あれ見て!」
ノワールの視線の先、小高い丘のてっぺんから少し下った先、境界柵の前に先ほど逃げ出した羊の一頭がいた。そして、大きな野犬が柵の向こう側でその一頭を狙っていた。
「クルト、どうした?」
「ゲンテルさん! あそこに野犬が!」
急に吠えたクルトに驚いたゲンテルさんが羊小屋から出てきたので、丘の方を指差して知らせる。
「マルタ、行ってこい! ゴーッ!」
ゲンテルさんはすぐにマルタに向かって指示を出した……が
――クゥン
野犬を目にしたマルタはその場から動かなかった。
「マルタ! どうした!」
ゲンテルさんが慌てながらも再びマルタに指示を出しても、マルタは尻尾を丸め、その場から動こうとはしなかった。
――ワンッ、ワンワンッ
その間もクルトは激しく吠え続けた。私には何を訴えているのかが分からないので、ノワールの方を見る。
「コレット、クルトが俺が行くって言ってる!」
「クルトが?!」
私の声を聞いたゲンテルさんの判断は早かった。
「クルト、行けるか?」
――ワンッ
すぐにリードを外し、クルトを草原へ放ったのだ。
「クルト、ゴーッ!」
――ワンッ、ワンワンッ
怯えきっているマルタの横を、物凄いスピードで駆け抜けたクルトは、草原が斜度を上げてもそれを緩めることなく、一直線に野犬のいる柵へと向かって走った。
――ウゥーッ、ワンッ
近付きながら、威嚇するような唸り声を上げる。さらにその声に気付いた羊が柵から離れるのを見て柵と羊の間へ身体を滑り込ませた。
――ワンッワンッ!
そして柵の向こう側の野犬に向かって、まるでここから去れと言わんばかりに吠え立てる。一瞬応戦するかのように見えた野犬は、くるりと向きを変え、山の方へ走り去った。
「やった! クルト、よくやった!」
私の横でゲンテルさんが嬉しそうに飛び跳ねた。
「はぁぁ~」
思いの外緊張していたのか、私は肩の力を抜きながらため息を吐いた。
「素晴らしい犬ですね」
いつの間にかお兄様とザック様が外に出てきていた。
ザック様がそう言うと、ゲンテルさんは頭をかきながら笑った。
「いやぁ、お恥ずかしい話、私はあいつがまだあんなに動けるなんて思ってなかったんです」
「そうだったんですか?」
「えぇ、コレットお嬢様があの時クルトの名前を呼んでくれたから、駄目元で行かせてみただけなんです。お嬢様、ありがとうございました。……それにしてもどうしてあの時、クルトの名前を?」
「え、そ、それは……」
まさか本人が行きたがったのをノワールに聞いたなんて本当の事は話せない。
「あぁ、コレットは耳が良いから、犬の鳴き声に何か感じ取ったのかもしれないな」
「耳が?」
これは私の台詞だった。お兄様の助け舟だったが、私の耳は普通の耳だと思う。
「……もしかして気付いていなかったのか?」
「……はい?」
兄妹の間に微妙な空気が流れた。
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