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今日はいつもより、世界が輝いていました。
「相変わらず女々しい奴だなあ、蓮(レン)は」
「うわっ、和樹(カズキ)!びっくりさせないでよ」
僕の手の下にあったノートは、背後から伸びてきた手によってするりと前に抜き取られた。びっくりした拍子に、握っていたシャーペンがノートに線を引いていないことを小さく願う。文字を避けて消すのは骨が折れるのだ。
「中学の頃からだっけ?それ書いてんの」
「うん」
「よく続くよなあ、日記なんて」
「やってみると結構楽しいけどね」
「そうかあ?」
小学校中学年の頃、和樹が隣町から引っ越してきた。僕と和樹はその頃からずっと仲がいい。高校を決めるときも、示し合わせたわけでもなく二人して地元の高校を選んで、二人とも合格して今に至る。
「で、これ何?いつにも増してメルヘン」
「…秘密」
「ふうん?まあいいけどそのうち教えろよ」
和樹は何も聞かずに微笑んだ。恐らくは、僕の書いた一文がどういう意味なのかくらい安易に想像できてしまっているのだと思う。僕は和樹の好意に甘えて、今はまだ秘密にしておくことにした。
「今日も寒いな」
「うん」
今日も寒いな。和樹が言った。僕はそれに頷いて、両手を何度か擦る。和樹がそれを見て笑う日常は、いつも通りでいて全くの別物だった。いつも通りだなんて、そんな風に書く気は起こらない。
何しろ今日は、いつもよりずっと世界が輝いているのだ。
「いつも通り、って書くのが恒例じゃなかった?」
「うん。でもいつも通りじゃなくなったから」
僕は、つい先ほど書いた自分の文字を眺めながら言った。それは僕のものとは思えないほどに跳ねて踊っているようだった。いつもとはまるで違う。和樹は僕に「楽しそうだなあ」と笑いかけてくれた。
この日記を書く少し前。昼休み、和樹とのじゃんけんに負けた僕は二人分の飲み物を腕に抱えて走っていた。和樹は冬になると専らあったかいコーンポタージュを好む。最近では中に入っているコーンの粒を残さずに食べきることが特技になりつつあるらしい。僕は、そのときはまだいつものようにココアを買って手を温めていた。
その道中のこと。
初雪だった。珍しいこともあるものだなあと、しばらく廊下で白い息を吐いていた。そこから見える位置に花壇があったことを初めて知った高校一年の冬。脇に佇む女生徒の後ろ姿が、まるで寒さを感じていないかのように凛としていた。少し窓に近づく。空気はずっと冷たくなったけれど、僕は不思議と寒くなかった。
「がんばれ」
彼女は、花に薄く積もった雪を剥き出しにした指で払っていた。多少の積雪なら大丈夫だよと伝えることもせず、僕は彼女の指が次第に赤くなっていくのを見つめていた。彼女は花にとって、僕にとって、大きな太陽のようだった。
僕はまだ何も知らない。たった一つ、君の温かさしか知らない。それを隣で感じてみたいと思うにはまだ随分と早すぎて、だから僕は、君と話したいと強く思った。
五月一日。清々しい天気だった。爽やかな風が吹き抜ける中、僕の隣を埋める温かさが余計に春を強調しているかのようで。
あれから何度か話をした。花壇の脇に二人してしゃがみ込み、どちらかが手を擦れば教室に戻る。それだけの仲だったけれど、僕は至って幸せだった。それから僕たちは二年生になり、クラス替えがきっかけで彼女の名前を知った。和泉陽(イズミ ヨウ)。僕は思わず呟いた。
和樹とも同じクラスになり、僕は懲りずに日記を書き続けていた。世界が輝いて見えたあの日から、僕は日記に「いつも通り」という文字を書いていない。始業式から1ヶ月。今日は五月一日。僕の想いが恋になった。大切な人ができた。嫌われたくないし、何があっても傷つけたくない大切な人が。陽が傷つくのなら僕が傷ついた方がずっとましだと思う。陽に言えば怒られてしまうので、絶対に口にはしないけれど。
新緑が揺れ、陽の髪が靡いた。陽が僕の手に触れ、その目はいとも容易く僕を捕らえる。柔らかく微笑む陽に僕は言った。
「不思議だね、目が合うなんて」
君も言った。「不思議だよね」
今日はいつもより、輝きが尊いものでした。
例の如く僕の日記を覗き込んだ和樹が、「尊いもの?」と声をあげた。僕は頷きながらシャーペンを走らせる。
僕は冬の間、ココアではなく珈琲を買うようになり、和樹に驚かれた。僕は昔から甘いものが好きだったので、当然といえば当然のことだ。冬休みに入る前に、和樹に訳を話した。今なら応援してくれた和樹に胸を張れる。陽とカフェに入ったとき、カフェラテやアイスティーなどではなく、珈琲を頼めたことは、僕の中で大きな出来事だ。陽はどちらかというと甘いものが好きではないらしい。二人で出かけたとき、スイーツを食べに行ったことは今の所なかった。
僕らはお互いを尊重し合った。陽は委員会活動と部活動を両立していて忙しいので、一緒に居られる時間は少ない。それでも心と心が隣なら少しくらいは大丈夫だと、どこかに傲慢な過信があった。忙しい中にも二人で会えれば、触れ合えれば、まだまだ幸せになれる。夏休みには海を見に行ったし、秋は陽の部活の試合を応援しに行った。冬は二人でみかんを食べながら春には何をしようかと話し合った。一緒にいる時間は短くても、一緒にできることは少なくても、日記に書くことは絶えずたくさんあって。
この先も、溢れんばかりの思い出を紡いでいけるはずだった。
三月十五日。天気は曇り。
僕は大切な人を見つめていた。大切な人は、しばらくしてから僕を見た。光を浴びることのできる何よりも温かい時間。終わるはずのない、終わらせたくなかった時間。陽の視線は僕に向いているだろうか。僕を目に映しながら、別の何かを見ていたのかもしれない。
当然僕は別れなど告げるつもりはなく、押し黙る陽の手に触れた。陽が抵抗しなかったので、僕は触れたそれを強く握った。少しでいい。痛いと思えばいい。僕の気持ちが伝わればいい。いっそ泣いてくれるなら、最後に僕がその涙を拭うのに。
君より先に泣いてしまった僕に、最後の失望をするのだろうか。それでもいいと思った。可もなく不可もなく忘れられるくらいなら、少しでも記憶に残るように。
「寂しいね。でも綺麗だね」
そう僕に言った君は泣かなかった。
僕の日記には、淡い日々がたくさん綴られている。世界が変わったあの日から僕の文字は踊るように見えたのに、今僕が持っているシャーペンの下にある文字はどこか寂しそうで。誰のものかわからないくらい、僕のものとは思えないような、平坦な形をしている。陽が僕に背を向けた理由を聞くことも、もう少しと縋り付くこともしなかった。
あの日からずっと、今も、「いつも通り」は書いていない。陽はいつも通り笑っていた。
九月一日。天気は、雨。
大切な、大切だった人を思った。それは温もりの中にあって、僕はそれに触れることを極端に恐れた。陽は太陽だから、初めから触れてはいけなかったのだ。僕の夢はもう覚めて、太陽は当然のように触れられない場所で輝いている。今もずっと輝いているはずだったのに。
「僕は確かに幸せだったよ」
日記に文字を載せる。涙が落ちた。惜しげもなく精一杯に笑う陽の声が聞こえてきて、頭を何度か振ってみる。
陽は僕に背を向ける瞬間、申し訳なさそうな顔をした。陽は何も間違ってないよ、と声に出せたら少しは格好付いただろうか。今でも悔いは残らなかっただろうか。いくら考えても仕方ないので、僕は空を見上げて太陽を探した。
ああそうだ、雨が降っている。陽の背中をもう一度見ることになったあの日こそ、僕の涙を隠してくれればよかったのに。
「素敵だよね、目が合うなんて」
「相変わらず女々しい奴だなあ、蓮(レン)は」
「うわっ、和樹(カズキ)!びっくりさせないでよ」
僕の手の下にあったノートは、背後から伸びてきた手によってするりと前に抜き取られた。びっくりした拍子に、握っていたシャーペンがノートに線を引いていないことを小さく願う。文字を避けて消すのは骨が折れるのだ。
「中学の頃からだっけ?それ書いてんの」
「うん」
「よく続くよなあ、日記なんて」
「やってみると結構楽しいけどね」
「そうかあ?」
小学校中学年の頃、和樹が隣町から引っ越してきた。僕と和樹はその頃からずっと仲がいい。高校を決めるときも、示し合わせたわけでもなく二人して地元の高校を選んで、二人とも合格して今に至る。
「で、これ何?いつにも増してメルヘン」
「…秘密」
「ふうん?まあいいけどそのうち教えろよ」
和樹は何も聞かずに微笑んだ。恐らくは、僕の書いた一文がどういう意味なのかくらい安易に想像できてしまっているのだと思う。僕は和樹の好意に甘えて、今はまだ秘密にしておくことにした。
「今日も寒いな」
「うん」
今日も寒いな。和樹が言った。僕はそれに頷いて、両手を何度か擦る。和樹がそれを見て笑う日常は、いつも通りでいて全くの別物だった。いつも通りだなんて、そんな風に書く気は起こらない。
何しろ今日は、いつもよりずっと世界が輝いているのだ。
「いつも通り、って書くのが恒例じゃなかった?」
「うん。でもいつも通りじゃなくなったから」
僕は、つい先ほど書いた自分の文字を眺めながら言った。それは僕のものとは思えないほどに跳ねて踊っているようだった。いつもとはまるで違う。和樹は僕に「楽しそうだなあ」と笑いかけてくれた。
この日記を書く少し前。昼休み、和樹とのじゃんけんに負けた僕は二人分の飲み物を腕に抱えて走っていた。和樹は冬になると専らあったかいコーンポタージュを好む。最近では中に入っているコーンの粒を残さずに食べきることが特技になりつつあるらしい。僕は、そのときはまだいつものようにココアを買って手を温めていた。
その道中のこと。
初雪だった。珍しいこともあるものだなあと、しばらく廊下で白い息を吐いていた。そこから見える位置に花壇があったことを初めて知った高校一年の冬。脇に佇む女生徒の後ろ姿が、まるで寒さを感じていないかのように凛としていた。少し窓に近づく。空気はずっと冷たくなったけれど、僕は不思議と寒くなかった。
「がんばれ」
彼女は、花に薄く積もった雪を剥き出しにした指で払っていた。多少の積雪なら大丈夫だよと伝えることもせず、僕は彼女の指が次第に赤くなっていくのを見つめていた。彼女は花にとって、僕にとって、大きな太陽のようだった。
僕はまだ何も知らない。たった一つ、君の温かさしか知らない。それを隣で感じてみたいと思うにはまだ随分と早すぎて、だから僕は、君と話したいと強く思った。
五月一日。清々しい天気だった。爽やかな風が吹き抜ける中、僕の隣を埋める温かさが余計に春を強調しているかのようで。
あれから何度か話をした。花壇の脇に二人してしゃがみ込み、どちらかが手を擦れば教室に戻る。それだけの仲だったけれど、僕は至って幸せだった。それから僕たちは二年生になり、クラス替えがきっかけで彼女の名前を知った。和泉陽(イズミ ヨウ)。僕は思わず呟いた。
和樹とも同じクラスになり、僕は懲りずに日記を書き続けていた。世界が輝いて見えたあの日から、僕は日記に「いつも通り」という文字を書いていない。始業式から1ヶ月。今日は五月一日。僕の想いが恋になった。大切な人ができた。嫌われたくないし、何があっても傷つけたくない大切な人が。陽が傷つくのなら僕が傷ついた方がずっとましだと思う。陽に言えば怒られてしまうので、絶対に口にはしないけれど。
新緑が揺れ、陽の髪が靡いた。陽が僕の手に触れ、その目はいとも容易く僕を捕らえる。柔らかく微笑む陽に僕は言った。
「不思議だね、目が合うなんて」
君も言った。「不思議だよね」
今日はいつもより、輝きが尊いものでした。
例の如く僕の日記を覗き込んだ和樹が、「尊いもの?」と声をあげた。僕は頷きながらシャーペンを走らせる。
僕は冬の間、ココアではなく珈琲を買うようになり、和樹に驚かれた。僕は昔から甘いものが好きだったので、当然といえば当然のことだ。冬休みに入る前に、和樹に訳を話した。今なら応援してくれた和樹に胸を張れる。陽とカフェに入ったとき、カフェラテやアイスティーなどではなく、珈琲を頼めたことは、僕の中で大きな出来事だ。陽はどちらかというと甘いものが好きではないらしい。二人で出かけたとき、スイーツを食べに行ったことは今の所なかった。
僕らはお互いを尊重し合った。陽は委員会活動と部活動を両立していて忙しいので、一緒に居られる時間は少ない。それでも心と心が隣なら少しくらいは大丈夫だと、どこかに傲慢な過信があった。忙しい中にも二人で会えれば、触れ合えれば、まだまだ幸せになれる。夏休みには海を見に行ったし、秋は陽の部活の試合を応援しに行った。冬は二人でみかんを食べながら春には何をしようかと話し合った。一緒にいる時間は短くても、一緒にできることは少なくても、日記に書くことは絶えずたくさんあって。
この先も、溢れんばかりの思い出を紡いでいけるはずだった。
三月十五日。天気は曇り。
僕は大切な人を見つめていた。大切な人は、しばらくしてから僕を見た。光を浴びることのできる何よりも温かい時間。終わるはずのない、終わらせたくなかった時間。陽の視線は僕に向いているだろうか。僕を目に映しながら、別の何かを見ていたのかもしれない。
当然僕は別れなど告げるつもりはなく、押し黙る陽の手に触れた。陽が抵抗しなかったので、僕は触れたそれを強く握った。少しでいい。痛いと思えばいい。僕の気持ちが伝わればいい。いっそ泣いてくれるなら、最後に僕がその涙を拭うのに。
君より先に泣いてしまった僕に、最後の失望をするのだろうか。それでもいいと思った。可もなく不可もなく忘れられるくらいなら、少しでも記憶に残るように。
「寂しいね。でも綺麗だね」
そう僕に言った君は泣かなかった。
僕の日記には、淡い日々がたくさん綴られている。世界が変わったあの日から僕の文字は踊るように見えたのに、今僕が持っているシャーペンの下にある文字はどこか寂しそうで。誰のものかわからないくらい、僕のものとは思えないような、平坦な形をしている。陽が僕に背を向けた理由を聞くことも、もう少しと縋り付くこともしなかった。
あの日からずっと、今も、「いつも通り」は書いていない。陽はいつも通り笑っていた。
九月一日。天気は、雨。
大切な、大切だった人を思った。それは温もりの中にあって、僕はそれに触れることを極端に恐れた。陽は太陽だから、初めから触れてはいけなかったのだ。僕の夢はもう覚めて、太陽は当然のように触れられない場所で輝いている。今もずっと輝いているはずだったのに。
「僕は確かに幸せだったよ」
日記に文字を載せる。涙が落ちた。惜しげもなく精一杯に笑う陽の声が聞こえてきて、頭を何度か振ってみる。
陽は僕に背を向ける瞬間、申し訳なさそうな顔をした。陽は何も間違ってないよ、と声に出せたら少しは格好付いただろうか。今でも悔いは残らなかっただろうか。いくら考えても仕方ないので、僕は空を見上げて太陽を探した。
ああそうだ、雨が降っている。陽の背中をもう一度見ることになったあの日こそ、僕の涙を隠してくれればよかったのに。
「素敵だよね、目が合うなんて」
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