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第8話
ジークハルトが再び『風待ちの庭』を訪れたのは、三日後の夕刻だった。
予告の手紙が先に届いていた。「他に客がいない頃合いを教えてほしい」――簡潔で、丁寧な文面。リリアは閉店前の時間を指定した。
約束の時刻通り、彼は一人で訪れた。今回は旅装ではなく、濃紺の上着に身を包んでいる。胸元には、古びた一冊の書物が抱えられていた。
「お時間を頂戴して、申し訳ない」
ジークハルトは、前回と同じ窓際の席に着いた。
リリアは黙って湯を沸かし、今日の一杯を淹れた。昨日までの彼の疲労は、少し和らいでいるように見えた。だから今日は、心を穏やかに整える類の茶を選ぶ。
「どうぞ」
「かたじけない」
彼は一口含むと、わずかに表情を和らげた。
「本題に入る前に、お伝えすべきことがあります」
ジークハルトは、カップを置いた。
「ヴェルモリアの、王宮の庭――あなたが育てていた場所のことです」
リリアの肩が、小さく強張った。
「あなたが国を出た直後から、あの一帯の草が、急速に枯れ始めているそうです」
リリアは、目を見開いた。
「……枯れる?」
「一夜にして、ではありません。ひと月ほどかけて、少しずつ」
ジークハルトは、静かに続けた。
「それだけではありません。王宮の者たちの間に、原因不明の倦怠感と微熱が広がっている。王太子殿下も陛下も、日に日に体調を崩されているとか」
リリアの指が、膝の上でぎゅっと握りしめられた。
「……そんな」
「あの庭は、ただの薬草園ではなかったのでしょう」
ジークハルトの声は、咎めるものではなかった。ただ、事実を静かに伝える声だった。
「結界と、浄化。――王都全体を守る、古代聖女の仕事。そうではありませんか」
リリアは、俯いた。
自分でも、気づいていなかった。
五年かけて育てた薬草たちが、まさかそこまでの役割を果たしていたなんて。毒を浄め、病を遠ざける。それくらいは感じていた。けれど、王都全体の結界になっていたなど――。
「私、そんなつもりでは」
声が、震えた。
「わかっています」
ジークハルトは、穏やかに言った。
「あなたは、咎められるべき存在ではない。むしろ、あの庭を五年間守り続けてきたあなたこそ、あの国の真の恩人だった」
彼は、持参した書物をそっと開いた。古い羊皮紙の頁が、ぱらりと音を立てる。
「これが、祖母の残した書物です」
リリアは、促されるままに頁を覗き込んだ。
古代聖女、と題された章。そこには、植物との対話を為す者の系譜、その力の本質、そして――彼女たちが「土地を守る」仕組みが、細やかに記されていた。
「聖女の力は、戦うための力ではない」
ジークハルトの声が、静かに重なる。
「大地と共に生きるための力。土地に根を張り、そこに棲む者を守る力。――あなたの力です」
リリアは、頁を追う指を止められなかった。
幼い頃から感じていた「植物の声」。祖母だけが「それはあなたの才能だよ」と言ってくれた。けれど、その才能が何なのか、祖母亡きあとは、誰も教えてくれる者がいなかった。
「……私の力は」
リリアは、震える声で呟いた。
「間違っていなかったんですか」
「ええ」
ジークハルトは、迷いなく頷いた。
「あなたの力は、間違ってなど、いなかった」
その一言が、胸の奥深くに届いた。
五年間、言われ続けた「役立たず」の評価。舞踏会で「偽物」と断じられた夜。そのすべてが、今、静かに上書きされていく。
リリアの目から、ぽろりと涙がこぼれた。拭う間もなく、次の涙が頬を伝った。
「すみません」
彼女は、慌てて顔を背けた。
「いえ」
ジークハルトは、視線を落とし、静かにカップを手に取った。泣いている彼女を見ないでいてくれる、その気遣いが、かえってリリアの涙を止まらなくした。
しばらく、店内には、湯の沸く音だけが響いていた。
やがてリリアは、深く息を吸って、顔を上げた。
「――ありがとうございます」
まだ声が震えていたが、微笑みは浮かべられた。
「私に、このことを伝えてくださって」
「お伝えするのは、私の務めです」
ジークハルトは、穏やかに微笑み返した。
「この書物は、しばらく預けていきます。ゆっくりと、読んでください」
彼は立ち上がり、書物をカウンターに置いた。
扉の前で、彼はもう一度振り返った。
「リリア殿」
「はい」
「また、伺います」
短い言葉だったが、それは約束の響きを帯びていた。リリアは、深く頷いた。
予告の手紙が先に届いていた。「他に客がいない頃合いを教えてほしい」――簡潔で、丁寧な文面。リリアは閉店前の時間を指定した。
約束の時刻通り、彼は一人で訪れた。今回は旅装ではなく、濃紺の上着に身を包んでいる。胸元には、古びた一冊の書物が抱えられていた。
「お時間を頂戴して、申し訳ない」
ジークハルトは、前回と同じ窓際の席に着いた。
リリアは黙って湯を沸かし、今日の一杯を淹れた。昨日までの彼の疲労は、少し和らいでいるように見えた。だから今日は、心を穏やかに整える類の茶を選ぶ。
「どうぞ」
「かたじけない」
彼は一口含むと、わずかに表情を和らげた。
「本題に入る前に、お伝えすべきことがあります」
ジークハルトは、カップを置いた。
「ヴェルモリアの、王宮の庭――あなたが育てていた場所のことです」
リリアの肩が、小さく強張った。
「あなたが国を出た直後から、あの一帯の草が、急速に枯れ始めているそうです」
リリアは、目を見開いた。
「……枯れる?」
「一夜にして、ではありません。ひと月ほどかけて、少しずつ」
ジークハルトは、静かに続けた。
「それだけではありません。王宮の者たちの間に、原因不明の倦怠感と微熱が広がっている。王太子殿下も陛下も、日に日に体調を崩されているとか」
リリアの指が、膝の上でぎゅっと握りしめられた。
「……そんな」
「あの庭は、ただの薬草園ではなかったのでしょう」
ジークハルトの声は、咎めるものではなかった。ただ、事実を静かに伝える声だった。
「結界と、浄化。――王都全体を守る、古代聖女の仕事。そうではありませんか」
リリアは、俯いた。
自分でも、気づいていなかった。
五年かけて育てた薬草たちが、まさかそこまでの役割を果たしていたなんて。毒を浄め、病を遠ざける。それくらいは感じていた。けれど、王都全体の結界になっていたなど――。
「私、そんなつもりでは」
声が、震えた。
「わかっています」
ジークハルトは、穏やかに言った。
「あなたは、咎められるべき存在ではない。むしろ、あの庭を五年間守り続けてきたあなたこそ、あの国の真の恩人だった」
彼は、持参した書物をそっと開いた。古い羊皮紙の頁が、ぱらりと音を立てる。
「これが、祖母の残した書物です」
リリアは、促されるままに頁を覗き込んだ。
古代聖女、と題された章。そこには、植物との対話を為す者の系譜、その力の本質、そして――彼女たちが「土地を守る」仕組みが、細やかに記されていた。
「聖女の力は、戦うための力ではない」
ジークハルトの声が、静かに重なる。
「大地と共に生きるための力。土地に根を張り、そこに棲む者を守る力。――あなたの力です」
リリアは、頁を追う指を止められなかった。
幼い頃から感じていた「植物の声」。祖母だけが「それはあなたの才能だよ」と言ってくれた。けれど、その才能が何なのか、祖母亡きあとは、誰も教えてくれる者がいなかった。
「……私の力は」
リリアは、震える声で呟いた。
「間違っていなかったんですか」
「ええ」
ジークハルトは、迷いなく頷いた。
「あなたの力は、間違ってなど、いなかった」
その一言が、胸の奥深くに届いた。
五年間、言われ続けた「役立たず」の評価。舞踏会で「偽物」と断じられた夜。そのすべてが、今、静かに上書きされていく。
リリアの目から、ぽろりと涙がこぼれた。拭う間もなく、次の涙が頬を伝った。
「すみません」
彼女は、慌てて顔を背けた。
「いえ」
ジークハルトは、視線を落とし、静かにカップを手に取った。泣いている彼女を見ないでいてくれる、その気遣いが、かえってリリアの涙を止まらなくした。
しばらく、店内には、湯の沸く音だけが響いていた。
やがてリリアは、深く息を吸って、顔を上げた。
「――ありがとうございます」
まだ声が震えていたが、微笑みは浮かべられた。
「私に、このことを伝えてくださって」
「お伝えするのは、私の務めです」
ジークハルトは、穏やかに微笑み返した。
「この書物は、しばらく預けていきます。ゆっくりと、読んでください」
彼は立ち上がり、書物をカウンターに置いた。
扉の前で、彼はもう一度振り返った。
「リリア殿」
「はい」
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短い言葉だったが、それは約束の響きを帯びていた。リリアは、深く頷いた。
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