あの夏の嘘つき

suezu

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第10章 抱きしめる

ぷつり

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あ、このビル、見覚えがある。
ふと、足が止まった。
思い出した。涼と一緒に花火を見たあのビルだ。
地下鉄の出口が違ったせいで、ここがこんなに近かったなんて気づかなかった。けれど確かにこのビルなら、あのとき入った花火をみたカフェがある。
とりあえず、そこへ行こう。座って、少し休んで呼吸を整えなくちゃ。

エントランスに足を踏み入れると、空気ががらりと変わった。
白い床に光が反射して明るい。ふっと、街路の喧噪から隔てられた気がした。
一度足を踏み入れたことのあるビルだからだろうか、ほんの少しだけ安心感があった。
息がこれ以上、上がらないように、できるだけゆっくりと白い床を踏みしめて歩く。
確か、エレベーターは左奥だったはず。
飾られているピンク色の胡蝶蘭ごしに視線を向けると、エレベーターホールに向かっていく二人連れの後ろ姿が目に飛び込んできた。

え?
……涼? 涼だ。間違いない。
青いペンキを無造作に塗りつけたような柄のシャツには見覚えがあった。
涼の隣には、少しがっしりとした体格の若い男性。ビジネススーツではなく、ざっくりとした薄手のセーター姿で、鍛えているだろう筋肉がセーターの上からもはっきりわかった。
並んで歩く二人の距離が近い気がする。肩がぶつかりそうな距離だ。
次の瞬間、男の手がゆっくりと涼の背に触れて、トントンと2度ほど叩くと涼が彼を見上げて、すっと笑顔を作ったように見えた。
「あ……」
声にならない声が、口の奥で震えた。

きっと、花火を見た夜、涼が「知り合いがこのビルで働いてる」言っていたその彼だろう。
親しそうだ。顔を見えないのに、距離の取り方、そして何しろ、涼の肩が彼のほうに傾いている。
誰?どうして一緒にいるんだ?

もしかしたら、見間違いかもしれない。千尋は咄嗟にスマホを手にとり、通話ボタンを押した。
二度のコールで繋がった。
視界の先の涼も、同時にデニムの後ろポケットからスマホを取り出し、耳にあてていた。
――やっぱり涼だ。
「あ、涼?」
「ごめん。千尋さん。今、手が離せない用があるから、あとでかけなおすね」
千尋が何も言うまえに、短くそう告げると、ぷつり、と通話は切られてしまった。

えっ?
初めて涼からそっけなくされた。
えっ?今の涼だよな?
あの花火の夜、感じた違和感がよみがえってきた。
恋人?いやまさかな。じゃあ。元恋人?涼のほうから会いにきたわけだ。なんで?
何を考えればいいのか、何をどう思えばいいのか、わからなかった。

頭の奥がくらくらする。ぐらつく視界の中で、逃げ場を探したけれど、どこにも見当たらない。
ヒューヒューと喉の奥で空気が擦れる音がして、呼吸が荒くなる。
近くに涼はいるけど、でも、涼は助けてはくれないんだ。

――まずい。このままじゃ、本当にまずい。
千尋は足を引きずるようにエントランスホールの隅に置かれた椅子へ向かい、なんとか腰を下ろした。背もたれに寄りかかっても、胸の圧迫感は収まらない。
涼と一緒にいるのは誰だろう?どうして二人で会っているのだろう。
ひと夏、一緒に涼と過ごして、わかったような気になっていたけど、まるでわからなかった。
ぐるぐると同じ考えが渦を巻いていく。ヒューヒューと肺が痛くて、からだの中で酸素が足りない。
苦しい。息が苦しい。
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