神に愛されたのは、殺し屋でした

豊口楽々亭

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恋は狂う 9

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数年世界を席捲し、そのあとムーブメントから一つのカルチャーとして定着したEDMのリズムに合わせて躍り狂うムービングライト。
叩き上げるようなリズムは、カウンターに頬を押し付けながら唸り声を上げる青年の頭に響く。

「んんんん、んんん゛ん゛」

「どうしたの?そんなの唸ってさ」

こつり、と硬い音を立てて置かれるロンググラス。
透明な液体の中に浮かぶ氷に、気泡が纏わりついている。
サングラス越しに瞳を向ける青年は、グラスを持つ武骨な指を辿って、筋肉質な肩の上に乗った男の顔を見上げた。
半分剃り下られた頭にムービングライトの光が反射し、今日も目映い光を放っている。
口にする女言葉に反して、男の見た目は内側から奏でられる音と同じように力強く、猛々しく、男らしい。
青年の耳に届く主旋律の分かりやすさだけで判断すれば、竹を割ったような性格に思えた。
しかし、寄り添う副旋律の複雑さが、目の前の男の柔軟さをよく現していた。
そうでなければ、生き馬の目を抜くようなこの国屈指の繁華街で、人気の箱を数箇所も経営するなんてことは、出来ないのだろう。
青年に自分の箱でDJをやらないか。と声を掛けてきたのも、この男が一番最初だった。
思いきりが良く、好奇心旺盛で、繊細な野心家。
この男の音も、青年のお気に入りの一つだった。

「ほら、奢ってやるから。このエンプレス様に吐きなさいよ」

女帝、を自らの通り名として掲げる男は、長く彩った睫毛を歪めて笑った。
頭半分を剃り込み、もう半分を覆うケミカルなピンク色のドレッドヘアを、黒いメッシュトップスの背に流したエンプレスは、カウンター越しに両肘をついて青年との距離を詰めた。
ラージホールに通された大振りなトライバルピアスが無造作に揺れて、光を反射する。
それはエンプレスの内側で輝く、好奇心の音と同じ眩しさだ。

一瞬、青年は考えた。
悩みを口にしてからかわれることと、腹に沈殿する不満を吐き出して軽くすること。
どちらを取るのがマシか、難しい選択だ。
両方を天秤に乗せると、ぐらぐらと不安定に揺れ、最後は不満を吐き出す方に僅かに傾いて止まった。
青年はカウンターに押し付けていた顔を離して、グラスを両手で握る。
まるで祈るような仕草だった。

どんな告白が青年の口から飛び出すのかと、エンプレスに緊張が走る。
思わず表情を引き絞り真剣な眼差しを向けていると、青年は重々しく口を開いた。

「JDが…恋人が…ヤらせてくれない…」

エンプレスは疑った、EDMの旋律によって自分の耳は、馬鹿になったのだろうか。と
鼓膜どころか身体を叩く重低音を考えればあり得ない事ではない。
真剣にそう思うと、耳の穴に小指を突っ込んで、水に深く沈んだ時のように、内側に縮み込んだ鼓膜を正す。
それから、ぐっ、と顔を寄せると大層端正な顔をした青年を正面から捉えた。
鼻先が触れそうな距離に、青年の身体が僅かに後ろに仰け反る。

「恋人が、ヤらせてくれないって。アンタそう言ったの?」

「そうだよ…」

エンプレスが尋ね返すと、決まり悪そうに青年は顔を横に向けた。

落ちる沈黙。

理解するまでの数秒の間を埋めるDJのMCと客の熱狂の声が、今日は間抜けに聞こえた。
零れんばかりに見開かれていたエンプレスの瞳が急激に細められると、比喩でも何でもなく、彼は腹を抱えて笑い出した。

「あっはっはっはっはっ!!!」

「そんなに笑うことないじゃん!!」

綺麗に編み込まれたドレッドの毛先が勢いに跳ね回る。
一緒にカウンターに入っていた売り子が何事かと視線を向けたが、そこに背中を反らして笑うオーナーの姿を認めれば何時ものことか、と言わんばかりにすぐに視線が外された。
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