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根性、友情、気合

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男達が私の甘言に篭絡されたあの日から、正気を保っている人間は一人もいなくなっていた。
全てが、きららを中心にして回る。
限界に達したユーノは、きららの頬を叩いた事件を切っ掛けにして、生徒会室に姿を現さなくなった。

ユーノがいなくなった瀟洒な部屋の中には、きららの呪詛のような呟きと、彼女に注がれる無尽蔵の偏愛だけが低く垂れ込めていく。

「ちゃんと管理しなきゃ、好感度…維持して…、…全員同じにしないと、一人のルートに入っちゃう。みんな救われない…どうしよう。どれぐらいで課金すれば良い?どうやったら皆幸せになれるの?」

私にも理解できない言葉をぶつぶつと繰り返すきららは、椅子に座りながら爪を噛み続ける。その硬く、鈍い音だけが部屋に響いていた。

「ちゃんと、このままみんなと、結婚して…そしたら魔王はアステリオス様に憑かない、それで、それで…ユーノちゃん…ユーノちゃん、嫌わないで…なんで、みんな幸せになれないの…みんな、大好きだよ」

焦燥感に駆られているかと思えば、いきなり顔を両手で覆って啜り泣き始めて見せるきらら。その姿は、情緒不安定を絵に描いたようだ。

どうしようもなく追い詰められるきららの肩に、私の指が触れる。
きららが弾かれたように肩を跳ね上げて、傍らに寄り添う私を見上げた。
淀んだ瞳を通して見える彼女の心は、星屑のように砕けて美しく瞬いていた。

ずっと見詰めていたい。

暗鬱な衝動がつき上がると、私の指はきららの細い顎を捉えて引き寄せた。

「大丈夫だよ、きらら。私がついているから…いつも通り皆に美味しいお菓子を振る舞ってお上げ。きっと上手くいく」

私と溶け合うが、見えない闇を彼女の中に注いでいく。
魔王に抗い、打ち勝つことができるマレビトであっても、心が壊れてしまえば脆い少女でしかないようだった。
きららは無言で頷くと、のろのろと立ち上がる。
彼女がワゴンに乗せて持ってきたお菓子は、前みたいに柔らかくて温かい色をしていなかった。

「ありがとう、きらら。皆も食べようか」

厭らしいほどに七色の輝きを帯びる甘い塊を、私は取り上げる。
口にすれば、溢れ出た多幸感が本当の私を溶かした。
希薄になっていく意識と、私の内側に入り込んだがより深く、混じり合っていく。
私を引き戻してくれていた頭の中の声が聞こえなくなってから、より深度は増していっているようだった。

『私の頭の中の君は、もう消えてしまったのかな…』

いつも騒々しくて、生まれた時から一緒にいてくれた声が聞こえてくることはなかった。
悲しみが突き上げる。それこそ半身を失ったような、喪失感だった。
寄る辺のない私は縋るように、心の中で愛しい人の名前を唱えた。

『…ユーノ』

愛らしい少女の顔が、辛うじて私を引き留めてくれる。
そうやって石に齧りつくように耐え、ついに迫った卒業式前日の夜。
誰もいない自室の鏡の前に立つ私の姿が、目に入った。

「君の頑張りは称賛に値するよ…、…助けてくれていたマレビトも、もういないのにねぇ」

鏡に映る私の顔は蒼白く、憐れな虫を見るように私自身を見下す眼差しは、いっそ慈悲深くさえあった。

『どういう事だ…』

いつの間にか自分の意志で口を開くことが出来なくなっていた私は、私と溶け合って身体を乗っ取ろうとするへと、頭の中で問いただした。

「君にも声は聞こえていただろう。頭の中で…あれが、君を守っていたマレビトだよ。君の弟のイカロスの中から追い出されてから、君の中に入ろうと思っていたのにさ、困ったことに先客がいるじゃないか。心に隙間がなければ、私は人間の中に入れないから…危うく、消えてしまいそうになっていたよ」

絹の寝衣に包まれた肩が軽く竦められると、繰り返しか細く弾む。

「本当に、君の最愛の人のお陰で助かった。あの奇妙な薬で君の心を無防備にしてくれてね。お陰で、入り込む余地ができた。その後は、本当に…ふふ、思い出すだけで気分が良い」

私の肩は、噛み殺した笑いに震えていた。
どうしようもない憎しみが込み上がる。

『それでも、人間かっ…』

「仕方ないじゃあないか、私は君たちのいうところの魔王…、…そもそも人なんかじゃないのだから」

魔王。
時折人の世にさ迷い出て、乱戦という混迷に誘い込み、何百万という人の命を奪う。
イカロスの中からどうにか追い落とした魔王が、私の身体を奪っていた。

「安心していなさい。私はお前、お前は私…必ず皇国の王の座に据えて上げるからね。一緒に人の世を極楽浄土に変えようじゃないか」

私と一心同体になろうとする魔王の子守唄のような囁きは、抗おうとする私の意識を容易く溶かしていくのだった。



千に万に千切れては消える、私の意識。
何の責任も、悲しみも、苦しみもなく、溶けて揺蕩う心地よさがずっと、続いている。
自分の名前も思い出せなくなりそうな最中、長い瞬きを繰り返すようにして、少しだけ景色が見えた。
淀んだ瞳できららを見詰める、男たち。
どこか歯車を欠けたような、歪な媚態を見せるきらら。

着飾った貴族たちの下世話な視線に、私の父と母が見せる驚きと困惑に満ちた顔。
そして、眩いシャンデリアの輝きの下、夜の女王よりも美しく、冬の月より輝くユーノが、私を冷たく見詰めていた。

私の心臓は、悲鳴を上げる。
手放し、委ねてしまい掛けた意識が、怒りと悲しみによって形を再び得る。

『嫌だ、ユーノを傷つけたくないっ』

私を再び溶かそうとする…魔王と呼ばれる粘りつく不定形の闇から、私はもがき、辛うじて抜け出した。

『ユーノは私が守りたい、たった一人の女性ひとなんだ』

必死に、駆け出していく。
行き着く先などない夜の果てのような暗さを、追い付かれないように逃げ続ける。
忍び寄ろうとする闇の気配に怯えていると、遠くに淡い輝きが見えた。

小さく、今にも消えてしまいそうな灯火に私は必死に手を伸ばした。

『助けてくれ…』

必死に駆け寄り、藁にも縋る思いで灯火を抱き締める。

『私は、こんな悲劇を望んでいないっ』

私の腕の中で、思いに応えるように光は波打ち、溢れようとしていく。
明るくて、眩しくて、騒々しい輝きが誰なのか、私には分かっていた。

『ずっと一緒に見守ってきてくれたマレビトの君しか、頼れるものがいないんだ。ユーノを、私は諦めたくない…っ!!』

────しゃらくせぇぇえええ!!!それは私も一緒じゃぁぁああいいい!!!

私が声を張り上げた瞬間、怒声と共にか弱い灯火は白い炎へと変わり、私を飲み込みながら魔王を焼き払う。
闇は悶えるように身をくねらせ、悲鳴にならない断末魔が身体を満たした。
同時に私の意識は、白い炎と溶け合っていくのだった。
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