2 / 48
第2話 幼少期Ⅱ
しおりを挟む
*初めての入院の話
4歳になってからのある日ぼくは高熱が出たため、母に連れられて近所にある共済病院に診察に行った。すると、なんと髄膜炎という病気にかかっており、それからしばらく入院することになってしまった。
両親は妹が生まれてせっかく家族4人で暮らせるようになったのにと嘆いていたのだが、ぼくはなんだか遠足に来ているみたいで、そこまで悲観的にはなっていなかった。
だが、ぼくには一つ嫌なことがあって、それは毎日行われる手の甲に刺す点滴であった。交互に左右の手に刺していたのだが、これが結構痛く、看護婦さんから泣かないことを褒められて嬉しかったのをよく覚えている。
ぼくはこの頃ちょっと舌足らずだったのか発音が悪かったのか、看護婦さんが上手く言えず『監獄さん』と言ってしまっており、それを初めて聞いた人に笑われたりもしていた。
幸いぼくは良性で2週間ほど入院すれば退院できるということだったのだが、中には悪性の子もいて病状が悪化して歩けなくなったり、時には亡くなってしまったりしていた。ぼくはたまたま治る方の側になれただけで、立場が違えば自分もそうなってしまっていたということを幼いながらに強く噛み締めていた。
*幻の入学の話
ぼくが広島の呉市に住んでいた時には、小学校からかなり近い所に住んでいた。ぼくの家のマンションの前の道を200mほど上がって行くと、もう小学校に着いてしまうくらいで、幼稚園年中の時に一度、校庭に行ってサッカーのドリブルの練習をして帰ったことがある。その頃はまだ足元がおぼつかない頃で、ドリブルをしながらサッカーボールにつまづいて、2回もこけてしまったことがある。
この時、自分は“サッカーに向いていないのかな?”と思い、それから千葉に引っ越したこともあってボールを蹴るのはやめてしまった。“もしあの時からサッカーを続けていたら“とふと思うことはあるが、当時はサッカーがそれほど好きでもなかったので、多分それはなかったのかなと考えたりもする。ぼくのサッカー人生は小学校入学と共に幻となってしまった。
*トラックに撥ねられたらしい話
ぼくは1歳の時に母の運転する自転車が信号待ちしていた時にトラックに当たられて頭を強く地面に打ち付け、頭蓋骨にびっしりヒビが入ったことがあったらしい。
ぼくの記憶は2歳から始まっているのでこの時の痛みや恐怖はないのだが、運ばれた病院の医者にそのままでも骨がくっつくと言われて経過観察と診断されたそうだ。
だが、ぼくは記憶に難があり“この時に左脳を打ったからではないか?“という疑念が大人になった今でも拭えずにいる。
このことを通してぼくが言いたいこととしては、子供を自転車に乗せる際には多少忙しくても、お金がなくても『ヘルメットを着用させる』ようにしてほしいということだ。後悔先に立たず、事故というのは不意に起こり予期できないものなのである。
*千葉の幼稚園の話
幼稚園年長の1年だけ父の仕事の関係で転勤があったことで、千葉市緑区あすみが丘の幼稚園に通っていた。その時には、いつもバスが迎えに来てくれて、家の前でそれに乗って通園していた。その中にめぐみちゃんという子がいて、この子とは二人でやった思い出の遊びがある。
「ねえねえ、『セミの目』やってよ」
「うん、いいよ~やったげる」
「うわ~やっぱりおもしろい!」
「そうなんだ。ぼく、自分じゃ見えないからよく分かんないんだよね」
「そうだよね。けど、すっごくおもしろいんだよ」
「そっかー。じゃあ、また見たくなったら言ってよね」
「ありがとう。そうするね」
という具合で話していた。この『セミの目』とはまぶたを裏返して固定してから閉じる目で、その名の通りセミの目に形がそっくりだそうで、これをやるとめぐみちゃんはすごく喜んでくれた。ただ、めぐみちゃんに頼まれて他の子に見せても、
「う、うん。おもしろいね」といったような微妙な反応が返って来るのであった。
また、バスの中では『肝油』というものが配られていて、みんなで何かいいことをするとご褒美に一人一つもらえるのであった。これはアメのようなグミで、ゼラチンに砂糖をまぶしてある、とてつもなくおいしい食べ物であった。もともとは戦後に食べ物が少なかった頃、子供たちが栄養を補うために作られた商品で、簡素なものながらよくできたものであった。
それと、支度が間に合わずバスに乗れなかった子は車で送ってもらうことが多かったのだが、送り迎えの時に母が車のドアをちゃんと閉めていなかったことで、ドアが開いてしまったことがあった。母はかなり焦って叫んでいたが、後ろに乗っていた僕がドアを閉めると、お礼を言ったあと落ち着きを取り戻して、その異様な光景にかなり笑ってしまったことがあった。
*友達100人できるかな?の話
ぼくの通っていた千葉の幼稚園は家からちょっと離れた所にあったため、小学校に入学すると全く知らない人だけの中に放り込まれることになっていた。ぼくは元来人見知りしない性格であったので、ますみくんを始めとして友達作りには不自由していなかった。
日本では『1年生~になったら♪1年生~になったら♪友達100人できるかな?』という歌がよく知られていて、卒業するまでにそれを実現できたらいいなと考えていた。果たしてぼくは100人以上友達を作ることができるのだろうか?
不安と期待が入り混じった思いを抱きながら、ぼくは4月8日の入学式に備えるのであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
ただいま作者の崗本は『賞レース中にて書籍化のチャンス』に直面しております!!
下記サイト(Note創作大賞2023)にて各話♡ハートボタンを押して頂けたら幸いです。
スクロールして行くと下部に次の話のリンクがあります。所要時間5分ほどです。
一人一人の応援が力になります。よろしくお願い致します!!
https://note.com/aquarius12/n/n0bf94361816e
4歳になってからのある日ぼくは高熱が出たため、母に連れられて近所にある共済病院に診察に行った。すると、なんと髄膜炎という病気にかかっており、それからしばらく入院することになってしまった。
両親は妹が生まれてせっかく家族4人で暮らせるようになったのにと嘆いていたのだが、ぼくはなんだか遠足に来ているみたいで、そこまで悲観的にはなっていなかった。
だが、ぼくには一つ嫌なことがあって、それは毎日行われる手の甲に刺す点滴であった。交互に左右の手に刺していたのだが、これが結構痛く、看護婦さんから泣かないことを褒められて嬉しかったのをよく覚えている。
ぼくはこの頃ちょっと舌足らずだったのか発音が悪かったのか、看護婦さんが上手く言えず『監獄さん』と言ってしまっており、それを初めて聞いた人に笑われたりもしていた。
幸いぼくは良性で2週間ほど入院すれば退院できるということだったのだが、中には悪性の子もいて病状が悪化して歩けなくなったり、時には亡くなってしまったりしていた。ぼくはたまたま治る方の側になれただけで、立場が違えば自分もそうなってしまっていたということを幼いながらに強く噛み締めていた。
*幻の入学の話
ぼくが広島の呉市に住んでいた時には、小学校からかなり近い所に住んでいた。ぼくの家のマンションの前の道を200mほど上がって行くと、もう小学校に着いてしまうくらいで、幼稚園年中の時に一度、校庭に行ってサッカーのドリブルの練習をして帰ったことがある。その頃はまだ足元がおぼつかない頃で、ドリブルをしながらサッカーボールにつまづいて、2回もこけてしまったことがある。
この時、自分は“サッカーに向いていないのかな?”と思い、それから千葉に引っ越したこともあってボールを蹴るのはやめてしまった。“もしあの時からサッカーを続けていたら“とふと思うことはあるが、当時はサッカーがそれほど好きでもなかったので、多分それはなかったのかなと考えたりもする。ぼくのサッカー人生は小学校入学と共に幻となってしまった。
*トラックに撥ねられたらしい話
ぼくは1歳の時に母の運転する自転車が信号待ちしていた時にトラックに当たられて頭を強く地面に打ち付け、頭蓋骨にびっしりヒビが入ったことがあったらしい。
ぼくの記憶は2歳から始まっているのでこの時の痛みや恐怖はないのだが、運ばれた病院の医者にそのままでも骨がくっつくと言われて経過観察と診断されたそうだ。
だが、ぼくは記憶に難があり“この時に左脳を打ったからではないか?“という疑念が大人になった今でも拭えずにいる。
このことを通してぼくが言いたいこととしては、子供を自転車に乗せる際には多少忙しくても、お金がなくても『ヘルメットを着用させる』ようにしてほしいということだ。後悔先に立たず、事故というのは不意に起こり予期できないものなのである。
*千葉の幼稚園の話
幼稚園年長の1年だけ父の仕事の関係で転勤があったことで、千葉市緑区あすみが丘の幼稚園に通っていた。その時には、いつもバスが迎えに来てくれて、家の前でそれに乗って通園していた。その中にめぐみちゃんという子がいて、この子とは二人でやった思い出の遊びがある。
「ねえねえ、『セミの目』やってよ」
「うん、いいよ~やったげる」
「うわ~やっぱりおもしろい!」
「そうなんだ。ぼく、自分じゃ見えないからよく分かんないんだよね」
「そうだよね。けど、すっごくおもしろいんだよ」
「そっかー。じゃあ、また見たくなったら言ってよね」
「ありがとう。そうするね」
という具合で話していた。この『セミの目』とはまぶたを裏返して固定してから閉じる目で、その名の通りセミの目に形がそっくりだそうで、これをやるとめぐみちゃんはすごく喜んでくれた。ただ、めぐみちゃんに頼まれて他の子に見せても、
「う、うん。おもしろいね」といったような微妙な反応が返って来るのであった。
また、バスの中では『肝油』というものが配られていて、みんなで何かいいことをするとご褒美に一人一つもらえるのであった。これはアメのようなグミで、ゼラチンに砂糖をまぶしてある、とてつもなくおいしい食べ物であった。もともとは戦後に食べ物が少なかった頃、子供たちが栄養を補うために作られた商品で、簡素なものながらよくできたものであった。
それと、支度が間に合わずバスに乗れなかった子は車で送ってもらうことが多かったのだが、送り迎えの時に母が車のドアをちゃんと閉めていなかったことで、ドアが開いてしまったことがあった。母はかなり焦って叫んでいたが、後ろに乗っていた僕がドアを閉めると、お礼を言ったあと落ち着きを取り戻して、その異様な光景にかなり笑ってしまったことがあった。
*友達100人できるかな?の話
ぼくの通っていた千葉の幼稚園は家からちょっと離れた所にあったため、小学校に入学すると全く知らない人だけの中に放り込まれることになっていた。ぼくは元来人見知りしない性格であったので、ますみくんを始めとして友達作りには不自由していなかった。
日本では『1年生~になったら♪1年生~になったら♪友達100人できるかな?』という歌がよく知られていて、卒業するまでにそれを実現できたらいいなと考えていた。果たしてぼくは100人以上友達を作ることができるのだろうか?
不安と期待が入り混じった思いを抱きながら、ぼくは4月8日の入学式に備えるのであった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
ただいま作者の崗本は『賞レース中にて書籍化のチャンス』に直面しております!!
下記サイト(Note創作大賞2023)にて各話♡ハートボタンを押して頂けたら幸いです。
スクロールして行くと下部に次の話のリンクがあります。所要時間5分ほどです。
一人一人の応援が力になります。よろしくお願い致します!!
https://note.com/aquarius12/n/n0bf94361816e
0
あなたにおすすめの小説
運よく生まれ変われたので、今度は思いっきり身体を動かします!
克全
児童書・童話
「第1回きずな児童書大賞」重度の心臓病のため、生まれてからずっと病院のベッドから動けなかった少年が12歳で亡くなりました。両親と両祖父母は毎日のように妾(氏神)に奇跡を願いましたが、叶えてあげられませんでした。神々の定めで、現世では奇跡を起こせなかったのです。ですが、記憶を残したまま転生させる事はできました。ほんの少しだけですが、運動が苦にならない健康な身体と神与スキルをおまけに付けてあげました。(氏神談)
【親子おはなし絵本】ドングリさんいっぱい(2~4歳向け(漢字えほん):いろいろできたね!)
天渡 香
絵本
「ごちそうさま。ドングリさんをちょうだい」ママは、さっちゃんの小さな手に、ドングリさんをのせます。
+:-:+:-:+
ドングリさんが大好きな我が子ために作った絵本です。
+:-:+:-:+
「ひとりでトイレに行けたね!」とほめながら、おててにドングリさんを渡すような話しかけをしています(親子のコミュニケーションを目的にしています)。
+:-:+:-:+
「ドングリさんをちょうだい」のフレーズを繰り返しているうちに、子供の方から「ドングリさんはどうしたらもらえるの?」とたずねてくれたので、「ひとりでお着がえできたら、ドングリさんをもらえるよ~」と、我が家では親子の会話がはずみました。
+:-:+:-:+
寝る前に、今日の「いろいろできたね!」をお話しするのにもぴったりです!
+:-:+:-:+
2歳の頃から、園で『漢字えほん(漢字が含まれている童話の本)』に親しんでいる我が子。出版数の少ない、低年齢向けの『漢字えほん』を自分で作ってみました。漢字がまじる事で、大人もスラスラ読み聞かせができます。『友達』という漢字を見つけて、子供が喜ぶなど、ひらがなだけの絵本にはない発見の楽しさがあるようです。
+:-:+:-:+
未満児(1~3歳頃)に漢字のまじった絵本を渡すというのには最初驚きましたが、『街中の看板』『広告』の一つ一つも子供にとっては楽しい童話に見えるようです。漢字の成り立ちなどの『漢字えほん』は多数ありますが、童話に『漢字とひらがなとカタカナ』を含む事で、自然と興味を持って『文字が好き』になったみたいです。
ナナの初めてのお料理
いぬぬっこ
児童書・童話
ナナは七歳の女の子。
ある日、ナナはお母さんが仕事から帰ってくるのを待っていました。
けれど、お母さんが帰ってくる前に、ナナのお腹はペコペコになってしまいました。
もう我慢できそうにありません。
だというのに、冷蔵庫の中には、すぐ食べれるものがありません。
ーーそうだ、お母さんのマネをして、自分で作ろう!
ナナは、初めて自分一人で料理をすることを決めたのでした。
これは、ある日のナナのお留守番の様子です。
不幸でしあわせな子どもたち 「しあわせのふうせん」
山口かずなり
絵本
小説 不幸でしあわせな子どもたち
スピンオフ作品
・
ウルが友だちのメロウからもらったのは、
緑色のふうせん
だけどウルにとっては、いらないもの
いらないものは、誰かにとっては、
ほしいもの。
だけど、気づいて
ふうせんの正体に‥。
ぼくのだいじなヒーラー
もちっぱち
絵本
台所でお母さんと喧嘩した。
遊んでほしくて駄々をこねただけなのに
怖い顔で怒っていたお母さん。
そんな時、不思議な空間に包まれてふわりと気持ちが軽くなった。
癒される謎の生き物に会えたゆうくんは楽しくなった。
お子様向けの作品です
ひらがな表記です。
ぜひ読んでみてください。
イラスト:ChatGPT(OpenAI)生成
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる