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第48話 神戸での遠出
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*謎の虫の正体の話
4年生の夏ごろから、家の前の坂で見かけるようになった『虹色の謎の虫』。その虫は虹色に光っていてとても綺麗で、バッタのように跳ねるのだが、とても跳躍力があって羽根を使って3メートルほど飛んで行ってしまうのだった。
その虫のことがどうしても気になって、図書館にクラス全体で行った時に昆虫図鑑で探してみた。すると、数冊読んだ中に『ハンミョウ』という名前の虫を発見した。大きさ、色、形からして、あの虫に間違いなく、見つけた時はクラスの喧騒をよそに密かに感動していた。
仲山第一小学校では2週間に一度本を借りて読むということが義務付けられていたのだが、それから図鑑を借りてくるのが好きになり、全部で10巻あるファーブル昆虫記を5年生の間に借りて来て読破するほどであった。
特に珍しい虫に詳しくなったという程ではなかったのだが、カミキリムシやフンコロガシ、アリジゴクのような変わった虫がいるというのが妙に興味をそそり、運動ばかりしていたぼくにとっては本に触れる良い機会になっていたのかもしれない。
*家の中での遊びの話
雨の日や夜になってしまった日など、家で遊ぶと決めた時には外遊びより多少の制限はかかるものの、工夫とアイデア次第では外よりも楽しめるはずだ。
5年生ともなるともう神戸の家にも慣れたもので、廊下の壁に手足を押し当ててスパイダーマンか忍者のように移動したり、ペットボトルを並べてボウリングをやったり、『スリンキー』と呼ばれるバネのオモチャを階段から落としたりしていた。
あと、目覚まし時計ほどの大きさの容器の中に水と輪っかが入っており、ボタンを押すとぷくぷく浮かんでこれまた容器の中にはり付いている棒に引っかかると得点になるというオモチャがあって、なぜだかこれが好きで風呂の中で遊んでいた。
だが、これよりも当時ブームだったのが、『紙ヒコーキ合戦』だ。これは単純にソファを盾の様に並べて紙ヒコーキを飛ばし合い、当たったらポイントというものであった。大体はぼくVS母と妹という構図でやっていて、目に刺さると危ないからという理由で先を折ったものを使用していた。
当時あった『ヘソクリでも隠してるんじゃないか』という多さの百科事典を置いておく棚の本と本の間にはさまって笑ったり、上にふんわり投げて頭に当たってこれまた笑ったりと楽しいものだったのだが、父が見たら危ないから止めろと言いそうなので、3人で居る時にこっそりやるようにしていた。
*神戸での遠出の話
小学校高学年の時、両親に妹と共に連れられていろいろな所に連れて行ってもらっていた。特によく行ったのが兵庫県加西市にある『丸山総合公園』だった。車で目的地に向かう途中、弁当や飲み物を買うためにスーパーに立ち寄る時、1個だけオヤツを買っていいという決まりがあり、子供ながらに真剣に選んでいた。
『丸山総合公園』に着いてからは、『逆立ち』が何秒できるかとか、土星の環のような形の『フリスビー』で遊んだりとか、『巨大な滑り台』から滑り降りたりしていた。
その中でも特に熱中していたのが『ローラーブレード』だ。今ではやっている人はあまり見かけなくなっているが、ぼくが小学生であった1990年代には、わりと『ローラーブレード』が流行しており、家の周りで気軽にできないこともあって凄く楽しみにしていた。
使い始めたのが5年生になってからだったということもあり、難なく最初から滑ることができたので、学校の校庭より少し広いくらいの大きさの公園中を走り回っていた。
また、冬には兵庫県三田市にある『フルーツフラワーパーク』に連れて行ってもらっていて、専用の手帳にスタンプを押してもらえるのが嬉しかった。ここはヨーロッパにある城のような雰囲気の建物がいくつかあり、その建物の間に庭やスケートリンクなどがあるという施設だった。
そして、ここで『スケート』をやるのが凄く楽しくて、毎週両親にせがんでは連れて行ってもらっていた。勢いよく滑り過ぎて後頭部を強打したり、転んでひざを強く打ったりしてもめげずに遊んでいた。
ここでは昼に食べるラーメンが格別に美味く、食というのは環境に左右され、暑い時には冷たい物、寒い時には熱い物が良いということを強く認識した場所でもあった。そしてもう一つ、アニメのキャラクターの形をした『巨大なバルーン』があって、その中で遊んだのをよく覚えている。確か一回300円ほどで入れて、中がトランポリンみたいにボヨンボヨン跳ねる仕様になっていて、妹と二人で遊んでいた。
ぼくの両親は全国転勤に慣れていたこともあってか、大変だったろうにわりと遠くまでぼくたち兄妹を連れて行ってくれていた。そのことで普段できない貴重な経験ができたことに今でも感謝している。
2010年代に入り日本は未曽有の少子高齢化社会となってしまっているが、不況の世の中であってもなんとか工夫して自分の子供にも同じことがしてあげられたらいいなと思っている。
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今回公開できるのはここまでです。フルバージョンはあと1章(50ページほど)あります。
あと、読んで頂いて面白いと感じて頂いた方は、少しだけ話を聞いてほしいです。
僕は今月36歳になり、作家として活動できる限界の年齢に達してしまいました。
この作品は32歳の時に書き終えたものなのですが、文学賞に応募したり、
出版社に直接送ったりしましたが、未だに全く日の目を見ていません。
そこで、崗本 健太郎の作品が面白かったと周りの数人でもいいので広めて頂ければ幸いです。
皆さま一人一人の力が大きな結果を生み出します。コメントなども頂ければ嬉しいです。
そしてAmazon-kindle、BOOK WALKERで100円で販売しているものを購入して頂けましたら望外の喜びです。
これからも作家として生きて行きたいです。よろしくお願い致します。
4年生の夏ごろから、家の前の坂で見かけるようになった『虹色の謎の虫』。その虫は虹色に光っていてとても綺麗で、バッタのように跳ねるのだが、とても跳躍力があって羽根を使って3メートルほど飛んで行ってしまうのだった。
その虫のことがどうしても気になって、図書館にクラス全体で行った時に昆虫図鑑で探してみた。すると、数冊読んだ中に『ハンミョウ』という名前の虫を発見した。大きさ、色、形からして、あの虫に間違いなく、見つけた時はクラスの喧騒をよそに密かに感動していた。
仲山第一小学校では2週間に一度本を借りて読むということが義務付けられていたのだが、それから図鑑を借りてくるのが好きになり、全部で10巻あるファーブル昆虫記を5年生の間に借りて来て読破するほどであった。
特に珍しい虫に詳しくなったという程ではなかったのだが、カミキリムシやフンコロガシ、アリジゴクのような変わった虫がいるというのが妙に興味をそそり、運動ばかりしていたぼくにとっては本に触れる良い機会になっていたのかもしれない。
*家の中での遊びの話
雨の日や夜になってしまった日など、家で遊ぶと決めた時には外遊びより多少の制限はかかるものの、工夫とアイデア次第では外よりも楽しめるはずだ。
5年生ともなるともう神戸の家にも慣れたもので、廊下の壁に手足を押し当ててスパイダーマンか忍者のように移動したり、ペットボトルを並べてボウリングをやったり、『スリンキー』と呼ばれるバネのオモチャを階段から落としたりしていた。
あと、目覚まし時計ほどの大きさの容器の中に水と輪っかが入っており、ボタンを押すとぷくぷく浮かんでこれまた容器の中にはり付いている棒に引っかかると得点になるというオモチャがあって、なぜだかこれが好きで風呂の中で遊んでいた。
だが、これよりも当時ブームだったのが、『紙ヒコーキ合戦』だ。これは単純にソファを盾の様に並べて紙ヒコーキを飛ばし合い、当たったらポイントというものであった。大体はぼくVS母と妹という構図でやっていて、目に刺さると危ないからという理由で先を折ったものを使用していた。
当時あった『ヘソクリでも隠してるんじゃないか』という多さの百科事典を置いておく棚の本と本の間にはさまって笑ったり、上にふんわり投げて頭に当たってこれまた笑ったりと楽しいものだったのだが、父が見たら危ないから止めろと言いそうなので、3人で居る時にこっそりやるようにしていた。
*神戸での遠出の話
小学校高学年の時、両親に妹と共に連れられていろいろな所に連れて行ってもらっていた。特によく行ったのが兵庫県加西市にある『丸山総合公園』だった。車で目的地に向かう途中、弁当や飲み物を買うためにスーパーに立ち寄る時、1個だけオヤツを買っていいという決まりがあり、子供ながらに真剣に選んでいた。
『丸山総合公園』に着いてからは、『逆立ち』が何秒できるかとか、土星の環のような形の『フリスビー』で遊んだりとか、『巨大な滑り台』から滑り降りたりしていた。
その中でも特に熱中していたのが『ローラーブレード』だ。今ではやっている人はあまり見かけなくなっているが、ぼくが小学生であった1990年代には、わりと『ローラーブレード』が流行しており、家の周りで気軽にできないこともあって凄く楽しみにしていた。
使い始めたのが5年生になってからだったということもあり、難なく最初から滑ることができたので、学校の校庭より少し広いくらいの大きさの公園中を走り回っていた。
また、冬には兵庫県三田市にある『フルーツフラワーパーク』に連れて行ってもらっていて、専用の手帳にスタンプを押してもらえるのが嬉しかった。ここはヨーロッパにある城のような雰囲気の建物がいくつかあり、その建物の間に庭やスケートリンクなどがあるという施設だった。
そして、ここで『スケート』をやるのが凄く楽しくて、毎週両親にせがんでは連れて行ってもらっていた。勢いよく滑り過ぎて後頭部を強打したり、転んでひざを強く打ったりしてもめげずに遊んでいた。
ここでは昼に食べるラーメンが格別に美味く、食というのは環境に左右され、暑い時には冷たい物、寒い時には熱い物が良いということを強く認識した場所でもあった。そしてもう一つ、アニメのキャラクターの形をした『巨大なバルーン』があって、その中で遊んだのをよく覚えている。確か一回300円ほどで入れて、中がトランポリンみたいにボヨンボヨン跳ねる仕様になっていて、妹と二人で遊んでいた。
ぼくの両親は全国転勤に慣れていたこともあってか、大変だったろうにわりと遠くまでぼくたち兄妹を連れて行ってくれていた。そのことで普段できない貴重な経験ができたことに今でも感謝している。
2010年代に入り日本は未曽有の少子高齢化社会となってしまっているが、不況の世の中であってもなんとか工夫して自分の子供にも同じことがしてあげられたらいいなと思っている。
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今回公開できるのはここまでです。フルバージョンはあと1章(50ページほど)あります。
あと、読んで頂いて面白いと感じて頂いた方は、少しだけ話を聞いてほしいです。
僕は今月36歳になり、作家として活動できる限界の年齢に達してしまいました。
この作品は32歳の時に書き終えたものなのですが、文学賞に応募したり、
出版社に直接送ったりしましたが、未だに全く日の目を見ていません。
そこで、崗本 健太郎の作品が面白かったと周りの数人でもいいので広めて頂ければ幸いです。
皆さま一人一人の力が大きな結果を生み出します。コメントなども頂ければ嬉しいです。
そしてAmazon-kindle、BOOK WALKERで100円で販売しているものを購入して頂けましたら望外の喜びです。
これからも作家として生きて行きたいです。よろしくお願い致します。
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みんなの感想(1件)
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