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いなり寿司
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「うぅ~、地上はまだなのか?」
宮下夕乃は、半泣きになりながら呟く。
彼女が今いるのは、都営浅草線の「浅草」駅構内。時刻は午前9時半にも関わらず、駅は多くの観光客で溢れかえっていた。
地上に出るためには何回も階段を登らないといけない。
ただ階段を登るだけならまだいい。夕乃はキャリーケースを引いていた。それは重いキャリーケースを。
浅草駅の中は深く長い。おまけに階段がいくつも続く。そこにたくさんの人がいれば、それだけ体力も消耗する。
だが始まりがあれば必ず終わりが来る。
上を見上げれば、人口のものではない自然の光。地上に到達した瞬間だった。
漸く地上に着いた夕乃は、一息付く間もなくそのまま大通りへ向かう。
向かう先は、雷門でも浅草寺でもなく…。
「浅草公会堂はまだか~」
夕乃は習い事をしている。着付け教室に通っている。
元々着物が好きだったのだが、友人の浴衣の着付けを行ったのをきっかけに本格的に着付けの勉強を始めようと思い、近所にある着付け教室の門戸を叩いた。
今まで知らなかったことを学べることは大変ありがたいが、ただめちゃくちゃイベントが多い。
お出かけイベントは勿論、勉強会や催事などやたらと企画が多い。夕乃はどちらかといえばそういうイベント事は苦手な方だ。
だが先生の押しに負けてしまい、参加することの方が多い。今回彼女が浅草にいる理由もその一つだ。
「着付け技術を競う大会に参加して欲しい。」
会場となる浅草公会堂は、浅草寺のすぐ近くにある。初めて行く場所だが、迷うことなく会場にたどり着いた。
受付を済ませ、指示された控え室に入る。会場入りが早かったせいもあってか、まだ控え室には誰もいなかった。
夕乃は手頃な場所を陣取り、重いキャリーケースをおろした。そしてゆっくりとケースを開き、荷物を取り出した。
出てきたのは、豪奢な花模様があしらわれた黒い着物。留袖である。留袖とは、結婚式で新郎新婦の親族、主にミセスが纏うことが多い礼装用の着物である。
そして礼装にふさわしいめでたい文様の袋帯。長襦袢、帯枕に帯揚げ、帯締め、和装用小物エトセトラ…。
普段から着物を着ている夕乃にとっては当たり前のことだが、着物を着るのにこれだけのアイテムが必要なのだ。正確には端折れるところは端折れるのだが、今回は礼装。着崩しNG、教科書通りの一糸乱れぬ装いをしなければならない。
しかも大会なので、審査員の見ている前で留袖の自装をするので、誤魔化しがきかないのである。
はあ、帰りたい...。
夕乃はすでに憂鬱になっていた。
けど、ここまで来たらやるしかない!
夕乃は大会の準備を始めた。
それからしばらくして…。
夕乃は再び控え室へ戻っていた。
時刻は16時前、大会は無事に終わりを迎えていた。
夕乃の結果はと言うと、散々なものだった。
一応時間まで着付けできたが、衿は出ていないわ、衣紋の抜けが甘いわ、帯も形が崩れているわで思うような結果にならなかった。
だが強制的に参加させられた大会、これで夕乃は御役御免となる。
ようやく解放される。
そう思う夕乃だが、何故だかモヤついていた。
素直に嬉しいはずなのに、何故かそう思えない。
不思議に思いながらも、夕乃は片付けを終え、そのまま会場を後にした。
夕方になっても人で溢れかえっていた。流石は浅草。
浅草公会堂から駅まではさほど時間は掛からない。朝来た道をそのまま戻っていると、朝には見なかった路面店が顔を出していた。カゴの中には、いくつかのお弁当が並べられていた。
何気なくカゴの中を見ていたら、「きゅう」とお腹がなった。そういえば大会中は食べる暇もなかった。大会が終わって気が緩んだんだろう。お腹がエネルギー補給を促していた。
夕乃は迷うことなくカゴの中のパックを取り、手早く会計を済ませた。
夕乃は駅に向かわず、そのまま隅田川に向かった。キャリーケースを椅子替わりに腰を下ろし、先程買ったパックを開けた。
出てきたのは、大きないなり寿司が二つ。
「いただきます。」
夕乃は割り箸を使わず、そのまま手掴みで食べ始めた。
甘じょっぱいお揚げがジュワッと口の中に広がり、酢飯の酸味がじんわりと染み渡る。
酢飯の中に味がよく染みたしいたけやゴマがいいアクセントになっていた。
少し大きいがよく見かける俵型のいなり寿司。ゆっくり味わいながら、空きっ腹を満たしていく。時々、麦茶で小休止を取りながらゆっくりといなり寿司を味わい続けた。
「ごちそうさまでした。」
夕乃はいなり寿司を食べ尽くし、終わりの挨拶をした。
そして満たされた腹を擦りながら、夕乃は感じた。先程までモヤついていた心が晴れ始めたことを。
そしてモヤついていた「原因」もわかってきた。
「あー、私悔しかったんだ。」
お義理で出場した大会。だが決して手を抜いたわけではなかった。大会まで練習を重ね続け、それなりに準備をしてきた。そして本番も全力を尽くしたのだ。
尽くした結果、賞をとることが出来なかった。事実上「負けた」のだ。
これが悔しくないわけがない。
いなり寿司で満たされた腹と引替えに理解した感情。
この感情は決して忘れてはいけない。
夕乃は目を閉じ深呼吸をし、再び目を開いてこう宣言した。
「次は絶対負けない!」
宮下夕乃は、半泣きになりながら呟く。
彼女が今いるのは、都営浅草線の「浅草」駅構内。時刻は午前9時半にも関わらず、駅は多くの観光客で溢れかえっていた。
地上に出るためには何回も階段を登らないといけない。
ただ階段を登るだけならまだいい。夕乃はキャリーケースを引いていた。それは重いキャリーケースを。
浅草駅の中は深く長い。おまけに階段がいくつも続く。そこにたくさんの人がいれば、それだけ体力も消耗する。
だが始まりがあれば必ず終わりが来る。
上を見上げれば、人口のものではない自然の光。地上に到達した瞬間だった。
漸く地上に着いた夕乃は、一息付く間もなくそのまま大通りへ向かう。
向かう先は、雷門でも浅草寺でもなく…。
「浅草公会堂はまだか~」
夕乃は習い事をしている。着付け教室に通っている。
元々着物が好きだったのだが、友人の浴衣の着付けを行ったのをきっかけに本格的に着付けの勉強を始めようと思い、近所にある着付け教室の門戸を叩いた。
今まで知らなかったことを学べることは大変ありがたいが、ただめちゃくちゃイベントが多い。
お出かけイベントは勿論、勉強会や催事などやたらと企画が多い。夕乃はどちらかといえばそういうイベント事は苦手な方だ。
だが先生の押しに負けてしまい、参加することの方が多い。今回彼女が浅草にいる理由もその一つだ。
「着付け技術を競う大会に参加して欲しい。」
会場となる浅草公会堂は、浅草寺のすぐ近くにある。初めて行く場所だが、迷うことなく会場にたどり着いた。
受付を済ませ、指示された控え室に入る。会場入りが早かったせいもあってか、まだ控え室には誰もいなかった。
夕乃は手頃な場所を陣取り、重いキャリーケースをおろした。そしてゆっくりとケースを開き、荷物を取り出した。
出てきたのは、豪奢な花模様があしらわれた黒い着物。留袖である。留袖とは、結婚式で新郎新婦の親族、主にミセスが纏うことが多い礼装用の着物である。
そして礼装にふさわしいめでたい文様の袋帯。長襦袢、帯枕に帯揚げ、帯締め、和装用小物エトセトラ…。
普段から着物を着ている夕乃にとっては当たり前のことだが、着物を着るのにこれだけのアイテムが必要なのだ。正確には端折れるところは端折れるのだが、今回は礼装。着崩しNG、教科書通りの一糸乱れぬ装いをしなければならない。
しかも大会なので、審査員の見ている前で留袖の自装をするので、誤魔化しがきかないのである。
はあ、帰りたい...。
夕乃はすでに憂鬱になっていた。
けど、ここまで来たらやるしかない!
夕乃は大会の準備を始めた。
それからしばらくして…。
夕乃は再び控え室へ戻っていた。
時刻は16時前、大会は無事に終わりを迎えていた。
夕乃の結果はと言うと、散々なものだった。
一応時間まで着付けできたが、衿は出ていないわ、衣紋の抜けが甘いわ、帯も形が崩れているわで思うような結果にならなかった。
だが強制的に参加させられた大会、これで夕乃は御役御免となる。
ようやく解放される。
そう思う夕乃だが、何故だかモヤついていた。
素直に嬉しいはずなのに、何故かそう思えない。
不思議に思いながらも、夕乃は片付けを終え、そのまま会場を後にした。
夕方になっても人で溢れかえっていた。流石は浅草。
浅草公会堂から駅まではさほど時間は掛からない。朝来た道をそのまま戻っていると、朝には見なかった路面店が顔を出していた。カゴの中には、いくつかのお弁当が並べられていた。
何気なくカゴの中を見ていたら、「きゅう」とお腹がなった。そういえば大会中は食べる暇もなかった。大会が終わって気が緩んだんだろう。お腹がエネルギー補給を促していた。
夕乃は迷うことなくカゴの中のパックを取り、手早く会計を済ませた。
夕乃は駅に向かわず、そのまま隅田川に向かった。キャリーケースを椅子替わりに腰を下ろし、先程買ったパックを開けた。
出てきたのは、大きないなり寿司が二つ。
「いただきます。」
夕乃は割り箸を使わず、そのまま手掴みで食べ始めた。
甘じょっぱいお揚げがジュワッと口の中に広がり、酢飯の酸味がじんわりと染み渡る。
酢飯の中に味がよく染みたしいたけやゴマがいいアクセントになっていた。
少し大きいがよく見かける俵型のいなり寿司。ゆっくり味わいながら、空きっ腹を満たしていく。時々、麦茶で小休止を取りながらゆっくりといなり寿司を味わい続けた。
「ごちそうさまでした。」
夕乃はいなり寿司を食べ尽くし、終わりの挨拶をした。
そして満たされた腹を擦りながら、夕乃は感じた。先程までモヤついていた心が晴れ始めたことを。
そしてモヤついていた「原因」もわかってきた。
「あー、私悔しかったんだ。」
お義理で出場した大会。だが決して手を抜いたわけではなかった。大会まで練習を重ね続け、それなりに準備をしてきた。そして本番も全力を尽くしたのだ。
尽くした結果、賞をとることが出来なかった。事実上「負けた」のだ。
これが悔しくないわけがない。
いなり寿司で満たされた腹と引替えに理解した感情。
この感情は決して忘れてはいけない。
夕乃は目を閉じ深呼吸をし、再び目を開いてこう宣言した。
「次は絶対負けない!」
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