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第一合

第13話

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「けしからんって……?」
「美味しすぎてけしからんと言っておるのじゃ~」


 一転、ぴりかの険しい顔が至福の色に染まった。
 頬が紅に染まり、唇からは吐息が噴き出す。


「そんな褒め方してるやつ初めて見たわ。まぎらわしい」
「儂なりの最大の賛辞じゃぞ」


 とりあえず俺はほっと胸を撫で下ろした。
 だがまだ安心はできない。
 確認しなければならないことがもうひとつある。
 どちらかと言えばそちらのほうが重要だ。
 何せ彼女はアレルギー持ちの人外なのだから。


「体の具合はどうだ? 苦しくなったりどこか変じゃないか?」
「大事ない。むしろ体が喜んでおる。さすがひかり、いいものを用意してくれた!」
「手作り、しかも余計なものはまったく入っていないからな。どうだすごいだろう、と言いたいところだけど、実はこれ、俺の力だけで作ったものじゃなくて秋田小町さんっていう恩師に手伝ってもらったもので、今いるこの家だって――」
「ぱくぱくもぐもぐ、ぱくぱくもぐもぐ」


 もう聞いてない。
 ここに至るまでのことをまとめて解説しようとした俺だったが、そんなことそっちのけでぴりかは肉じゃがを食していった。
 続いて白滝、さらにメインの牛肉。
 本音をいえば作り手として感想を具体的に訊いてみたかったが、その必要はなかった。咀嚼を繰り返し表情をとろけさせたぴりかの口からは、のべつまくなしに言葉が溢れたからだ。


「おお、箸が止まらぬ。箸が加速する。加速していく。音の壁を越えて光速になるわ。おっ、いま音を置き去りにしたぞ。ブンッ」


 オーバーだわ。
 普通の速度にしか見えないぞお前。


「この吸引力、まるでダイソンじゃ。最早これは味のダイソンじゃ」


 例えがよくわかんねーよ。
 だいたい何故ダイソンを知っている。


「味が隅々までよく染みていて唾液が一向に止まらぬ。これはまるで唾液の滝だ」
「喜んでくれるのは幸いだけど、頼むから口を閉じて食べてくれ」


 何故こんなことを言ったかというと至近距離にいて面と向かっていた俺の鼻は彼女の唾と食べかすにまみれにまみれていたからだ。


「すまぬ。だが美味しかったら語らずにはおれぬ」
「まあ悪い気はしないけどさ。おかずだけじゃなくてそっちのごはんも食べろよ。一緒に食べるとさらにうまいぞ」
「どれどれ、おかずとごはんを一緒に……うひょおーーー。これはまるで」
「おい口を閉じろって」


 やれやれとライトノベルの主人公みたいに辟易していた俺だったが、内心まんざらでもなかった。
 過剰気味なのは困るけれど褒められて嫌な人なんていないのだ。
 自身の創作物をけなされたい人なんていない。
 そのとき遅ればせながら苦労した甲斐があったなと思うことができた。
 これが小町先生の言っていた料理人への報酬というやつなのだろうか。
 ならなんという心地いいものなのだろう。
 俺みたいなしょうもないやつでも誰かを笑顔に出来た。
 その事実は俺のことも笑顔にしてくれた。
 それはきっとすごく素敵なことだった。


「のう、ひかり」


 俺がある感慨に浸っていると、ふとぴりかが俺を呼んだ。
 我に返ると彼女が手を止めていた。
 どうも小食だからというわけではなさそうだった。
 ぴりかの顔が形容しがたい、申し訳なさそうな顔をしていた。
 

「どうした?」
「えっとじゃな……」
「やっぱり口に合わなかったか?」
「んーん」
「まさかっ、体の具合が悪くなってきたのか?」
「そうじゃのーて」
「らしくないな。はっきり言えよ。どこか変だったか?」


 どんな中傷にも対応できるように心の準備をした俺に彼女が言ったのはとても意外な一言だった。


「ひかりは、これ食べなくてもよいのか? このままだとこんな素晴らしいものを儂ひとりで平らげてしまうぞ」
「え、肉じゃがのこと?」
「そうじゃ」
「いいよ、全部食べてさ」
「ひかりはお腹すいてないのか?」
「そういや、すいてたな」
「ならお主も食べたいじゃろ……?」
「でも、お前のこと見てたらいつの間にか満腹なってたわ」
「食べてないのに満腹じゃと? 妙なことを言うな」
「ああ、もう食べなくてもよさそうだ」
「ほんとにか?」
「ああ」
「むー、変なやつじゃ」
「ああ、なんか変だな俺」
「じゃあ残りも食べてよいのだな?」
「いいよ。遠慮なんかしてないで好きなだけ食え」


 失笑して俺が勧めるとまたぴりかが嬉しそうな顔をして食事を再開した。
 彼女の食べ方は実に爽快で面白い。
 男みたいに眉間に皺を寄せたかと思えば、次にはそこへぱっと花が咲く。
 口のほうは常に動きっぱなしだ。二重の意味で。


「よく凝縮された甘辛さ。ほくほくしてコロコロしたもの。食感がたまらない細いやつ。肉のにくにくしさ。すべて美味しい。汁まで美味しい。やめられないとまらない。これはまるであれじゃ」


 よく語りよく噛んで、あっという間にぴりかは肉じゃがを完食してしまった。
 後には微塵も残してはいない。残り汁すらごくんと飲み干す。
 まさに清々しいまでの食べっぷりだった。
 それらを見ていて、やはり俺は不思議な感覚に囚われていた。
 俺は生まれてから常に作らせる側で作ったことがなかったから、何から何まで新鮮で衝撃的だったからだろう。
 この想いを今はまだうまく言語化できそうにない。


「お腹は膨れたか?」


 手で汗ばんだ首のあたりはたいているぴりかに俺は尋ねる。


「余は満足じゃ。肉じゃが、まことに素晴らしい食べ物であった」
「それはよかった」
「こんなエクセレントなものを食べさせてくれるひかりはきっと神に違いない」
「おいおい大袈裟だって」


 ふっ、俺が神だってさ。
 ふふふ。
 そういうことにしておいてもいいかもなっと。


「いや待て。違うな。こんなエクセレントなものを食べさせてもらえる儂こそが神なんじゃ。そうじゃ、そうに違いない! これからは儂を神と呼べ」
「調子にのんなよおいこら、糞ガキ」
「座敷童じゃ」
「ともかく約束は守ったぞ」
「わかっておる。ひかり、人間はこんなものを他にもたくさん作れるのか?」
「おう、まだまだ美味しいものはあるぞ。数えきれないほどにな」
「すごいな」
「人間なめんな」
「おっと、また忘れるところじゃった。締めの挨拶をせねば」
「別にいいって」
「作ってくれたひかりへの礼儀じゃ」
「そっか。じゃあ言ってもらおうかな」
「では言わせて頂こう」
「うん」
「お地蔵さまでした」
「どうしてそうなった」


 お地蔵さまでしたって、じゃあ今は何なんだ。


「よし儂は決めたぞ。お主に座敷わらってやる」
「座敷わらうってなに? そんな動詞まったく聞いたことないんだけど……」
「もーにぶいのう。ひかりの傍に座敷童の儂が居座ってやると言っておるのだ」
「それってつまり噂に聞く幸運が俺に訪れるのか。おおさすがは妖怪」
「いやもうそんな力は儂には残っておらん」
「ん、それってつまり……」
「ただ傍にいるだけじゃ。これからも美味しいものをよろしくの、ひかり♪」
「ただのパラサイトニートじゃねえかあああ!」


 全力で追い払いたかった俺だったが、ぎゅっと抱き付かれてしまい、もう手遅れな感が半端なかった。 
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