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第二合

第16話

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 ぴりかを連れ歩けば鬱陶しいことは想像に難くなかったのでなるべく置いていきたかったが、こちらの指示を聞きそうにもなかったので仕方なく一緒にスーパーに行くことになった。
 それはいいとして、


「どうして俺とそんなにくっつく?」


 俺が尋ねたのは外に出てからすぐ、ぴりかの小さな掌がこちらの手を握ってきたからだ。
 しかも軽くとかじゃなく、ギュッとだ。
 こういった行為は妹や弟がいない俺にとって非常に不慣れで抵抗がある。


「なーに、ひかりが迷子にならないようにな。しっかり捕まえておくから安心せい」
「迷子になるってどっちがだ」


 彼女のえらそうな回答には釈然としなかったが手をつないだまま並んで横断歩道を渡りスーパーへ入る。
 開店したばかりなので客はまばらだ。
 女性より老人が目立つ。レジも稼働数が少ないようだ。


「えっと、納豆だったな」


 二度目なので目的の場所はだいたいは見当がついた。
 ひとりごちて歩こうとした俺だったが、何かにひっかかったようにうまく進めなかった。
 何かって、無論ぴりかだ。
 見ると彼女は立ち止まっていて動こうとしない。


「ほら、行くぞ」


 俺は促したが彼女はこちらを向かない。


「あれはなんじゃろ」


 ぴりかがそう言って視線を釘付けにされていたのは入口付近にならんでいるボックス、いわゆるガチャガチャだった。
 俺は嘆息する。
 興味の持つものまでまんま子供だな。


「ガチャだよ。お金を入れるとおもちゃが入ったカプセルが出てくるやつ。ただ種類がいくつもあって出てくるものはランダムで選べない」
「おお、ならURやSSRもあるのだな」
「何故それは知っているし」
「前の家で座敷童をしているときに断片的に聞いたことがあるのじゃ」
「人の話を盗み聞ぎしているから知識が偏向しているのか」
「あれやりたい」
「無駄使いはしない」
「やらせてくれないと座敷わらうぞっ」
「頼むからそれを脅し文句に使うのやめてくれ」
「やーだ」
「わかったよ。帰りにな」


 それでなんとか納得させてとっとと納豆売り場に移動し、絶句する。
 これまた種類が多いのだ。
 砂糖の比ではない。
 最早ガチャのラインナップレベルだ。
 ここにもRやSRなどの外れ当たりがあるとは思えないが、たくさんある。


「こんなにあるのかよ。コンビニだと二種類くらいしか置いてないのに」


 丸いカップが三つセットのもの。
 四角いパックが三つセットのもの。
 長方形のもの。
 納豆のコーナーには色とりどりで多彩な商品がびっしり詰め込まれしのぎを削っていた。
 値段は税込みで100円ちょっとから250円くらいと幅がある。
 名前も勝負をしているが如くどれも個性的だ。
 とろっ豆納豆。
 骨元気。
 におわなっとう。
 おかめ納豆。
 黒酢の納豆。
 しその納豆。
 つるのこ納豆。
 黒豆納豆。
 たまご醤油。
 国産納豆。
 有機納豆。
 などなど、まだまだある。
 俺にわかるのはせいぜい小粒と大粒とひきわりの差異くらいだ。
 

「ひかりぃ、この中のどれが納豆なんじゃ?」


 などと屈託なく訊いてくるぴりかを尻目に俺は即座に小町先生に電話する。
 幸いすぐ出てくれた。


「何だ?」


 あの、女性にしては出方がぶっきらぼうすぎやしませんか。


「あのですね、納豆の種類が想像してたよりも多くてですね、それでどれを買ってよいものかアドバイスを頂こうかなーっと」
「納豆すらまともに選べんのかお前は」
「すんません。どれもこれも主張が強すぎて」
「いまタクシーで移動中だから、つくまでならいいぞ」
「ありがとうございます。これって何が違うんです」
「極小粒と小粒と大粒とひきわりだ」
「それはさすがに理解してます。ぶっちゃけ納豆なんてぜんぶ同じなんでしょ?」
「いいや。使っている菌が違う」
「菌? 納豆菌のことですか?」
「ああ。企業努力だな。たとえば匂いを出しにくい納豆菌を研究の末に見つけて作ったのがにおわ納豆だ」
「あ、ここにあります」
「他には黄色いパッケージのとろっ豆納豆はとても柔らかくしっとりしている。普通はネバつきに水分をとられて乾燥してるもんなんだが、それはネバつきを抑える菌を使い水分を保持してある。だから柔らかくごはんによく合う」
「菌にも種類があるんですね」
「みんな同じ出来では商売にならんからな。あとそうだ、タレには添加物が入ってるから絶対に使うなよ」
「ああ、そういうのにも気を配らないといけないですよね」
「あの子に食べさせるなら醤油を使えよ」
「昨日買ったやつですね。俺も醤油派なのでそうします」
「とはいえ基本的に各社はタレで味の個性を出しているところが多いんだがな。あと違いは国産か外国産かとかもあるな」
「でかでかと国産アピールしてあるのもありますね」


 納豆といえば日本なのにあたかも国産がレアであるかのようなアピールだ。


「いまや外国産の方が多いくらいだからな」
「日本食なのに。なんか衝撃」
「原材料を見ればどこの国のものかわかる」
「この有機っていうのは?」


 国産の他に有機というのを謳っている商品もある。


「そういえばお前にはそれを教えないといけなかったな。有機とはオーガニック。農薬や化学肥料に頼らず自然の恵みだけで作られたもののことだ。遺伝子組み換えなど論外とばかりにな。それには検査済みと安全の証明として有機JASマークというものがついている。JASとはJapanese Agricultural Standardの略。意味は日本の農産物の基準だ」
「ならぴりかには打ってつけじゃないですか。これ一択ですね」
「いいやそうとも限らない」
「え、何故です?」
「条件を満たしていれば外国産のものでも有機を名乗れるからだ。お前の目の前にある有機納豆は恐らく外国産のはずだ。日本だとコスト面や他の事情で有機納豆を作るのは至難だからな」
「でも有機なら安全なんですよね?」
「外国は日本とは環境が違う。大気汚染、使っている水が悪質なものだったり。有機JASマークをつける条件を満たしていてもただ条件だけ満たしているだけで完璧とは言い切れないのがいかんせん外国産なんだ。遠すぎて監視もいちいちできんしな」
「なら国産を買えばいいんですね」
「それもそうとは言い切れない」
「ファッ?」


 予想していなかった返答につい変な声が出てしまった。


「国産のものには農薬がよく使われている。揃いも揃って有機と書けないのがいい証拠だ」
「でも農薬って大抵のものには使われてるんでしょ。気にしすぎなんじゃ」
「世界一位」
「え」
「かつて日本は農薬使用率が世界1位だった。いまもベスト3位を維持し続けている。使用料はあのアメリカの約5倍とも言われている。しかも他の国では禁止されている農薬も平気で使われている」
「ちょ、ちょっと待ってください。じゃあ農薬を大量に使っているかも知れない国産と、知らずに汚染されているかも知れない外国産だったらどちらを選べばいいんですかー」 
「それはお前が決めるんだ。国産を妄信している人もいる。外国産を気にしない人もいる。体に悪い物をとっても大量にとらなければ平気なこともある。体に悪い物を大量にとっても何事もなく死んでいく人もいる。そういうのは自分で決めることなんだ」
「話を聞いたらますますどれを買えばいいかわからなくなってきた……」
「自分で調べ、考え、選択することは重要なことだ」
「うーん」
「ひかり、私がこうやって懇切丁寧にお前に教えているのは何も全ての意見を押し付けたいからじゃない。脅したいからでもない。自分で選ぶという判断力を身に着けてほしいからだ」
「判断力……」
「食とは死ぬまで続く腐れ縁。最大の隣人だ。それができなくてどうする」
「そう、ですね。でも納豆って体にいいって有名だからどれを買ってもプラスになりますよね? よ、ね」
「そうとは限らないな」
「またーっ?」


 また否定されてしまった。


「本来の、本物の納豆とは藁に包んで時間をかけて発酵させたものだ。だが庶民の私たちが食べているのは菌をふりかけて短期間で急速発酵させた大量生産ものだ。発酵していない大豆というのは自己防御が強くてそのまま食べると毒になる。だから市販のきちんと発酵しきれていないものは健康にいいとは言い難い。まあ健康にいい点があるのも事実だから、あくまで食べ過ぎはよくないと言っているだけだがな」
「そんなの信じたくありません。健康にいいってテレビでも言ってるのに」


 素の大豆にしたって豆まきの日に俺めっちゃ食ってたぞ。毒性があるなんて知らなかった。


「どうして健康で美味しいものが3パックでそんなに安く大量に売られているか考えてもみろ」
「そんな……。ならその藁で作った昔ながらの本物を買います」
「スーパーにそんなの売っていない。作っているところだって日本で片手で数えるほどだ。しかもべらぼーに高い」
「じゃあどうしろっていうんです」
「食べるか食べないかの判断も自分でするものだ。その子の親代行をやるならよく考えて決めてやれ。子供にファーストフードをよく食べさせている親がいるが、与える食べ物には常に責任が伴う」
「うー」
「じゃあもうついたから切るぞ」
「あ、え、ちょっと」


 一方的に懊悩させるようなことを言い放して小町先生は通話を終了させてしまった。


「でひかり、どれが納豆なんじゃ? なんじゃなんじゃ」


 退屈そうに待っていたぴりかが呑気なことを頭を抱えている俺へ訊く。


「しらん」


 食とは奥が深い。
 同時に闇も深い。
 納豆ひとつでここまで話が広がるのか。
 さんざんっぱら迷った挙句、とりあえず俺は国産と有機外国産の納豆をふたつを買って帰ることにした。
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