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第二合

第21話

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 彼女が挑戦しようとしているのは制限食、というのだろうか。
 それは気まぐれなダイエットや減塩とも違う。
 みんなが楽しそうに食べているものを自分だけが食べられないというのは一体どんな気分なんだろう。
 それは文字通り指をくわえて見ているだけを意味する。
 みじめさ。
 悔しさ。
 または疎外感。
 それとも孤独感。
 幸い俺はこれまでそんな理不尽を体験したことはない。
 ないけれど、つらいことくらい俺にだってわかった。
 やはりやめるべきだったと反省する。
 食べたいものを見ているだけなんて罰ゲームみたいなものだ。
 あいつはきっと、こっちの気持ちも知らないで美味しそうに食いやがって馬鹿野郎と思ったに違いない。
 なら俺に怒ったから出て行ったのか。
 最悪このままはぐれてしまうかも知れないと焦った俺だったが、すぐ道端で立ち尽くしているぴりかを見つけて安堵した。


「こんなところで何してるんだ?」


 背中を向けたままの彼女へ控えめに俺は声をかける。


「何も」


 返って来る返事はいつになく素っ気ない。
  

「何もって、さっきいきなり出ていったろ?」
「ふん、出て行ったら儂のこと追いかけてきてくれるかなぁーと思っての」
「変なところで女の子してんな……」
「ふん、友達とやらはもうよいのか?」
「ちゃんと言ってきた」
「ふん」
「ずっとふんふん言ってるけど怒ってるのか?」
「怒ってないふん」
「怒りすぎて語尾が変なキャラみたいになってんぞ」
「ふん、儂のことなんてほうっておいて他の奴らと存分に浮気してくるがいいわ」
「あれのどこか浮気なんだよ」
「儂意外と食事をするのは列記とした浮気じゃあ」
「どうしてそうなる」
「なんちてな。怒ってはおらん。ただ、ちょっと、耐えられなかっただけじゃ」
「……その、悪かったな」
「何故に謝るのじゃ。すべて儂が言い出したこと。ひかりは悪くないぞ」
「でもさ」
「それより何かないのか、儂が食べられるもの」
「ん、そうだな。少し探してみるか」


 結局ぴりかはそのまま振り返って俺を見てはくれなかった。
 当てなどなかったがとりあえず思いつくまま近場のコンビニへとダメ元で入る。
  加工品ばかりなのは百も承知だが、少しくらいぴりかが食べられそうな軽食があるかも知れないと淡い期待を抱いたのだ。


「何かあるといいんだけどなー」


 大人しいぴりかに気休めを言って、俺はざっと店内を徘徊する。
 いくつか体によさげな商品を発見したものの、困ったことに良し悪しを判別できなかった。
 ぴりかに買い与えていいものか逡巡する。
 思えば何を基準にすればいいのか決めていなかった。
 どこからが安全で、どこからが危険か、見分け方が曖昧なままだ。検査の詳細もわかっていない。
 しゃがみ込んで思案していたそのとき、思い出したのは昨夜に聞いた小町先生のアドバイスのひとつだった。


『外で買うときは原材料を見る癖をつけたほうがいいぞ。カロリーのようにパッケージの裏やシールにすべて載っている。何が使われているのかや、添加物保存料の有無までな。ただし一括表記されているものは私たち消費者には知る由もない。なーに、食品について専門知識などなくてもやばいものっていうのはいかにも薬品っぽい字面でだいたい察しはつく。悪人が悪そうな顔してるのと一緒だな。ふははっ。それと憶えておくといいのは、原材料の表記は内容量が多い順に表記されているという点だ。これがとても重要なことだ。たとえば様々なものを混ぜて作られているお菓子があったして、最初に書かれているのが砂糖だったならばそれは大半が砂糖で出来ているということだ。わかりやすいだろ? そういうふうに避けたいものがどの位置にあるかを確認し取捨選択をすることは食生活改善の第一歩だ。若い女の子たちもカロリーばかり気にするんじゃなくてそこも見るようになったらいいんだがな』


 そんなことを言っていた。
 原材料は量が多い順に表記されている、か。
 俺は試しに適当に近くにあったハンバーグ弁当を手に取って原材料を検分する。
 そして吃驚する。
 目を疑った。
 書かれているものの多さにだ。
 聞いたこともないカタカナがこれでもかと並んでいる。
 他にもpH調整剤、調味料(アミノ酸等)、増粘多糖類、着色料、発色剤、香料、酸味料、乳化剤、酸化防止剤。
 出るわ出るわ。
 さながら希望の入っていないパンドラの箱のようだった。
 これまでじっくり見たとがなかったがこんなにも入っているなんて正直ショックだった。
 俺はこんなものを毎日のように食べていたのだ。
 小町先生が俺を案じるのも無理もない。


「弁当だけでこれって……」


 独り言を漏らし俺は憑りつかれたように別の商品を裏返し次々にチェックしていく。
 サンドイッチ、おにぎり、麺類、汁もの。
 どれも全滅だった。
 結果は成分名が違うだけで似たり寄ったりの様相だった。
 体の危惧はもとより、ぴりかが食べれそうなものなどやはりひとつもなかった。
 タンパク質がとれてヘルシーとの評判のサラダチキンすらも得体の知れないものがたっぷり羅列されている。
 菓子パンなんてもっとひどくて使用されているものがあまりに多く文字が小さくなっているほどだった。
 比較的に無害そうな塩おにぎりすら何かしら入っている始末だ。
 小町先生が料理を俺へ教えようとしたわけがわかった。
 彼女のぴりかへの対応の仕方は正しかった。
 要するに安全なものを食べようと思ったら作るしかない、ということだ。
 あの人はこうなることをすべてをわかっていたのだ。
 憮然とした俺はふと目についたバナナを一本だけ買ってぴりかと一緒にコンビニを後にした。




「儂のお昼はこれだけかあ」
 

 すっかり意気消沈しているぴりかはバナナを見下ろし呟く。
 俺たちは公園のブランコにのってぼんやりしていた。
 こっちは先のことをあれかれ慮っていたが彼女は何を思っていただろう。


「そう言うな。フルーツだって美味しいんだぞ」
「ひかりはハンバーガーという超美味しいそうなものをぱくついたがの」
「まだ怒ってるのか」
「別にいいもーんじゃ」
「いいから食べてみろ。甘くてうまいぞ」


 俺が勧めるとぴりかはバナナの皮を乱暴に向いて口に頬張る。
 しばし彼女の生々しい口の音だけが辺りに響いた。


「ふむー、こりゃ甘いのー。疲れがぶっ飛ぶ甘さじゃ」
「なっ、悪くないだろ?」
「でものう……」
「だよな」


 ぴりかの言わんとしていることはわかった。
 逆の立場だったらきっと俺も同じことを思っただろうからだ。
 そういえば朝食からもうずいぶんと経ってしまっている。つまり彼女の昼食はバナナ一本ということだ。
 そんなひもじいことはない。
 そんな姿なんか見たくない。


「ぴりか、しばらく俺の傍にいるのか?」
「そりゃお主に座敷わらったからの」
「ひとりだけハンバーガー食ってバナナしか与えてやれないひどい男だぞ」
「いいや肉じゃがと納豆ご飯を食べさせてくれた最高の男じゃ」
「でも俺は料理なんかあれが初めてだし他の人の家に居座ったほうがいいと思う」
「いいや儂はひかりがいい」
「どうして俺なんだ?」
「ひかりが儂を見つけてくれたからじゃ」
「そっか」
「そうじゃ」


 どうやら俺がこれからやろうとしていることは想定上に険しく多難を極めそうだ。


「まずはごはんの炊き方と、あと味噌汁か。いろいろ教えてもらわないとな」


 俺は密かな目標を小声にする。


「ひかり何か言ったか?」
「いやなんでもない。あとのお楽しみだ」
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