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第二合

第22話

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「そうか、ついにお前も本気で自炊する気になったか。重畳重畳」


 夕方、仕事から直帰してきた小町先生に俺が炊飯の仕方について教えを乞うとそう歓迎された。
 それは大変ありがたかったのだが腑に落ちないことがある。
 先程から気になって気になって仕方がないことだ。


「あのっ。話の途中でなんなんですけどー、なんでバニー姿なんですかね?」


 俺が身も蓋もないことを聞いたのもむべなるかな。
 彼女はタクシーに乗って降り道をほどほど歩きエレベーターを利用して自宅まで辿り着いたはずなのだが、どういうわけか破廉恥なコスプレをしていた。
 つい目が吸い寄せられる超ハイレグ。
 網目の大きいタイツ。
 お尻についている雪玉みたいなボンボン。
 ぴんと伸びた兎耳。
 そんな完全武装のバニーモードで彼女は身振り手振り平然と話していた。
 恥ずかしげもなく。
 三十路なのに。
 大事なことなのでもう一度。
 三十路なのに。


「言っただろ。コスプレで写真撮影があると」
「聞きましたよ。訊きたいのは何故いまもその姿なのかということです。人目があるのにどうやってここまで帰ってきたんですか?」
「ん、普通に」
「普通になんだ……」
「ここは私のうちだ。そして私の人生だ」
「はい」
「なんか文句あっか?」
「ありませんですはい」
「結構」


 いつまでも恩師の家で厄介になるわけにもいかないので今日中に俺は自宅にぴりかを連れて戻る予定だった。
 ただそれまでにいくつか指南してもらわなければ立ち行かないのは確実だ。
 せめて肉じゃがのような料理初級編のノウハウくらいはもう少し会得してマスターしていきたい。
 まずは基本であるごはん。
 それと最高のコンビでもあるお味噌汁。
 このふたつが作れるようになればいまよりずっとましになるだろう。
 というか本来そこがスタート地点だ。
 そんなわけで俺は自称、美しすぎる料理研究家の小町先生の授業を受けることとなった。


「まずは米について軽く少し語ろうか。米には大きく分けて玄米、白米、無洗米の三つがある。白米は洗って炊く一般的に使われているものだ。値段は10kgが3000円くらいが安い目安かな。無洗米は逆に洗わずにそのまま使える便利なものだ。面倒くさがりにはぴったりのものだな。ただその分やや値段は高めとなる。玄米は精米する前、つまり糠がついたままの茶色のものを言う。値段は安いが精米機でいちいち精米しなくてはならないのが難点だ。精米にはマイ精米機を購入するか、店に設置されているものを利用する」


 水で洗わなくてはいけないのが白米。
 水で洗わなくてもそのまま使えるのが無洗米。
 精米しなくてはならないのが玄米。
 俺はスマホでメモアプリに記録する。
 ちなみに昨夜の肉じゃがの作り方も就寝前にここへまとめてある。


「そこからさらに種類が分かれる。つまり品種だな。日本には実になんと300種類以上が存在する。注意したいのは同じ品種でも産地が違うだけで味がかなり違う点だ。こだわりたいなら産地にもこだわれ。例を挙げると有名なコシヒカリ。あれは南魚沼産が最高峰だ。あとは、米には等級というものがあってきちんと差別化されている。最高の評価を受けたものを一等米と言い、他は二等米、三等米、規格外となっている。証明するマークを口でそれぞれ説明するのは難しいからざっくり言うと一等米のマークは二重丸って感じだ。もっというと米には美味しさを表す指標が二つある。収穫後に目視などを用いて受ける農産物検査で決まるいま言った等級と、炊いてから試食し食味官能試験を受けて決まる食味ランキングのふたつだ。前者の最高評価は一等米、後者の最高評価は特A。要するに一等米の特Aの米が最強ってことだ。もし身近な米の評価が知りたかったら【日本穀物検定協会】でググるといい。細かいことは置いといてここで知っておいてほしいのは、米というのはものによってうまさが格段に変わってくるということだ。もちろん好みもある。硬めがいいとか柔らかいのがいいとかな。口コミ、ブランド、等級、食味ランク、それらを自分で調べていろいろ試食してみればきっと自分に合った最高の米と出会えるはずだ。出会えたなら、そいつは生涯の友となるだろう」


 見た目や素のクオリティを示すものが等級。
 人の舌でチェックした評価が食味ランク。
 意外と細かい。
 というかごはんにそんな評価ランキングがあること自体を知らなかった。
 

「ブランドとかよくわかんないんですけど、有名で美味しいお米っていうとどんなものがあるんですか?」


 米の品種など気にせず生きてきた俺はずばり訊いてみる。


「最も有名なのはさっき言った魚沼産コシヒカリかな。これは間違いない。艶、粘り、甘味、攻守最強といえる」
「名前だけなら聞いたことあります」
「他には山形産つや姫。粒揃いで炊きあがりの艶が名前に恥じぬ素晴らしさだ」
「艶の姫って言うくらいですから美味しいんでしょうね」
「他にも大粒でどんな料理にも合う岩手県産ひとめぼれ」
「どんな料理にもって、合う合わないとかあるんですか?」
「もちろんだ。硬さや粘り気などで料理によって相性が出てくる。たとえば冷めても美味しいタイプはおにぎりに合うとかな。他にもチャーハンにはこれ。カレーにはこれ。丼ものにはこれというふうにな。コンビニのおにぎりなんかはそこらへんをよく考えて作られているんだぞ」
「だからあんなに米が美味しいのかぁ」


 紅鮭。昆布。ツナマヨネーズ。
 これまで大抵のものを買ってきたがまずいなんてものはひとつもなく、どれも文句なしだった。特にローソンのおにぎりやシリーズがお気に入りだ。


「冷めても美味しいといえば山形県産はえぬきが挙げられる」
「名前もいろいろですけど、いろいろな県のものがあるんですね」
「それぞれ風土などでしか作れないものがあるからな。たとえば北海道は最近すごいぞ。前まで米のイメージなどなかったのにいまや立派な米どころとなってる。評価も評判も共にとてもいい。私も食べたが噂通りだったな」
「へー。北海道、確かに米のイメージ全然ないですね。どういうものがあるんです?」
「程よいあっさりした甘さで嫌味のない、ななつぼし。ふっくらとした柔らかさが特徴のふっくりんこなどがあるな」
「いかにも食べたくなりそうな名前ですね」


 それにつや姫やらふっくりんこやらどうも名は体を表すものが多い印象だ。


「だが一番はやはりゆめぴりか、だな。あれはいいぞー」
「え、ゆめぴりか?」


 俺は聞き覚えのあるネーミングに反応する。
 同じく遠くでテレビにかじりついていたぴりかも反応している。


「呼んだかー?」と彼女は言ったがいや呼んでいない。


「何だ? 何を驚いている?」
「いや。ほらあいつの名前がぴりかだからそれで」
「そう言われてみればそうだな。ふふ。米と名前がかぶっているとはなんて面白いやつなんだ。はっはっは」
「……」

 偶然の一致に秋田小町先生は豪快に笑った。
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