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第三合

第30話

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 「ということなんですよ」


 回想終了。
 途中でこれ変な誤解をされかねん内容だなと思っていたが小町先生はいい大人なのできっとスルーしてくれるだろう。


「何だ、てっきり見られたのはひとりでナニを――」


 してくれなかった。


「シャラップ!」
「まだ言ってないぞ」
「言わなくてもだいたいわかりますから」
「だってな、寝静まった時間に少年が」
「そんな相談するわけないでしょ!」
「だがしかし、お菓子の問題か」


 彼女は初めて原稿を置いてこちらを向いた。
 ようやく真剣なテーマであると受け取ってくれたようだ。


「そうなんです。ご飯は何とか作れますがこればかりは……」
「私もそこまで気が回らなかったな。だがあの子がそれに興味を持つのは時間の問題だったな。何せ見た目も中身も子供だからな」


 食事が至福の時間なら、間食は夢の時間だ。
 街中で食べ歩きしている人もいるだろう。
 色気より食い気なぴりかが関心を抱くのは自明の理だった。


「その場はなんとか宥めて治めましたが次の日に事件は起きました。家に帰るとぴりかが床でぐったりしていたんです。傍には俺が隠していたスナック菓子があって」
「あちゃー。食への好奇心を甘く見たな」
「あいつやたら食い意地はってて我慢できなかったんです。それでアレルギーが。顔が紅潮して喉も喘息のような感じになっていました」


『ぴりか、大丈夫か? それアレルギーの症状だろ?』
『大丈夫じゃ。すぐよくなる』
『大丈夫って、病院行かないと』
『自分の体のことは自分がいちばんよくわかる。このお菓子は駄目だったみたいじゃな』
『なんで勝手に食べたりしたんだ?』
『ひかりが食べてるものは儂だって食べたいもん』
『もんて……』
『なあひかり、儂はお菓子は食べれないのか?』 


「返す言葉がありませんでした。それから要求されてて。顔を合わす度にくれくれですよ」
「くくく、にしてもそれを見越してコソコソ隠れて食べていたとはひかりもやるじゃないか」
「笑いごとじゃないですよ。さすがの俺だってお菓子が体によくないことくらいわかってます。ニキビできるし太るし。あいつ身も心も清いから人間の食べ物はきっと毒なんですよ」
「手がないわけじゃないぞ」
「まさか俺に女の子がやっているようなお菓子作りを勧めるんじゃないでしょうね。しかも特殊な材料でクッキーだのケーキだのなんて無理ですからね」


 最近ただでさえ主婦っぽくなって女子力が急上昇中なのにこれより上げてどうしてくれる。


「そこまでは期待していないさ。料理に加えて手間のかかるお菓子まで作っていたんじゃお前の身が持たない」
「無理です無理無理」
「市販のお菓子には砂糖系と油系がある。砂糖系とはチョコレートのような甘いもの。油系はいわゆるスナックだ。白砂糖は知っての通り百害あって一利なし、油は消費者に渡った時点で酸化していて体に有害だ。なのでどちらも悩ましい」
「やっぱり」
「砂糖は置いといて、スナック系はノンフライと表示されているものが最低限の基本となるだろう」
「馬鹿っぽい質問で恐縮ですけど、油ってそんなに悪いですか?」
「脂質は三大栄養素のひとつだからまったくとらないのは逆によくない。が、絶対にとるべきではないタイプがある。それがトランス脂肪酸だ」
「何ですそれ」
「恐ろしい、人を死に至らしめるものだよ」
「死って、脅かさないでくださいよ」
「脅しじゃないさ。WHO、天下の世界保健機関が注意喚起を促している。先進国の代表でもあるアメリカではとっくに規制されていて、いち早く規制に動いたデンマークでは規制後ある病気の死者数が半減したというデータもある。その他の国では使用量の表示を法律で義務付けている」
「……そんなものが俺らの周りにあるんですか?」
「そこかしこにあるな。たとえばフライドポテトなどの揚げ物にはほぼ使われているはずだ。あとドーナツもそう」
「めっちゃ身近! それ日本では規制されてないんですか?」
「まったく。野放し状態で使う量は自由で自主規制に任せてある。たとえばドーナツの専門店であるミスドなんかはある時期から低トランス脂肪酸に切り替えているぞ。さすが他より良心的だな」
「知らなかった。フライドポテトは? 俺の大好物であるマックのポテトは?」
「ガンガンいこうぜ、だろうな」
「どうか作戦名を変えてほしい……」


 頼むからめいれいさせろ。


「成分表示で見る場合、ショートニングと書かれているものがそれに当たる。あと植物油脂なども大半がたぶんそうだろうな」


 え、ショートニングって色々なものに入ってたような。
 うろ憶えだがパンなんてほぼすべてに書いてあった記憶がある。


「ずいぶんと曖昧な言い方しますね。植物っていうくらいだから体に良さそうなイメージですけど」
「そこが落とし穴だ。だいたい危険か危険でないか以前に加工商品に含まれている油は植物油脂としか説明されないことが多い」
「どんなものも植物油脂で片づけられてしまうと?」
「ああ。消費者にはどの油で揚げてあるかなんて知る由もない。メーカーに問い合わせるとかしないとな。答えてくれるかは保証しないが」
「アバウトですね」
「つまり大抵のものにトランス脂肪酸は含まれていると言えるってことさ。もちろん少量なら問題ないだろうがな」
「知らなかったじゃ済まされませんね」
「厄介なのはトランス脂肪酸は脂溶性だから体に蓄積されやすく排出されにくい点だ。何事もなく過ごしていても日に日にだんだん脂肪に溜まり、あるときいきなり害を受けることもありえる。これは余談だが、どんなものでも食いつくゴキブリさえトランス脂肪酸には近づかないそうだ」
「それを俺らは日常的に食べてるんですか……?」
「加工品では含まれていないのを探す方が難しいだろうな」
「ちょ。具体的に人体への害ってどんなものなんすか?」
「悪玉コレステロール増加による肥満、アトピーなどの皮膚病、喘息などアレルギーの誘発、血管系の病気、記憶力の低下、不妊症、精子の減少、まだまだある」
「明日から全力で気をつけます……」
「だからあの子には市販のスナックや揚げ物などは食べさせるべきではないことは確かだ。どうしてもというなら妥協してノンフライしかない」
「ノンフライがまだましなのはわかりますが、それ以前に原材料でアウトだと思うんです」


 健康志向の強まりからかノンフライのお菓子も最近では増えつつあるのは知っている。
 味は悪くなく油っぽさもなくあっさりした食べ応えが特徴だ。
 手が従来のようにべたべたになりにくい利点もある。
 しかし油をクリアしても他がアウトでは意味がない。


「あちらが立てばこちらが立たずだな。カップラーメン、ノンフライだけどスープに添加物たっぷり、みたいなな」
「ぴりかは小麦粉が特に駄目みたいですし」
「難しいところだ。私が良いと思うものに『マクロビ派ビスケット』というものがあるんだが、それは動物性原料や白砂糖、バターなど余計な添加物を使用せずマクロビ素材だけで作られたお菓子だ。しかしビスケットである以上は小麦粉が使われているから駄目だな」
「マクロビってなんです?」
「マクロビオティックの略だ。長くなるからざっくり言うと長寿のための思想ないし食事法のことを指す。アメリカが発祥みたいな雰囲気があるが提唱したのは列記とした日本人だ」
「へー。えっとそれで、どうすればいいでしょう。手がないわけじゃないってどういう意味ですか?」
「お菓子と呼べるかわからないが、間食に適したものなら結構あるという意味だ」
「たとえば?」
「フルーツはどうだ?」
「それは試しました。でもお腹が膨れないって言われてしまいまして」


 ぴりかが不満そうに口を尖らせている光景が甦る。


「駄目だったか。まあフルーツの大半は水分で出来ているからな。すいかなんて全部が水分で出来ているようなものだし、思うような満足感は得られないだろう」
「詰みじゃないですか」
「なら焼き芋、干し芋、甘栗、餅、ドライフルーツ、ナッツ。これならどうだ?」
「それなら間食にいけますね」
「焼き芋や干し芋は素材そのまま甘くてお腹も膨れる。餅は海苔を巻いて醤油をつけると最高だし、砂糖醤油につけるのもいける。ドライフルーツは食べ応えがあるし栄養が凝縮されてる。しかも水溶性と不溶性の食物繊維がバランスよく入っていて老廃物除去にもいい。プルーンが便秘に効くというのはそのためだ。美味しく健康に、というのは理想だろう」


 候補として焼き芋は自分的にグッドだ。
 買いやすいし、作りやすいし、元となるサツマイモの名前は歴史によく出てくる薩摩が由来となっているので日本人としても親近感がある。
 餅もいい。
 正月は食べ過ぎて体重が増えるくらいだ。
 なのに原材料はもち米のみ。
 砂糖と醤油は先生に教わった体にいいものを使えばいい。
 うってつけだ。


「いいっすね。ナッツというのは?」
「アーモンド、くるみ、カシューナッツ、マカダミアナッツ、それらを合わせたミックスナッツなどのことだ。ただし無塩の素焼きじゃないと駄目だぞ」
「ああ、木のみも自然なものですもんね」
「何だその薄いリアクションは。お前は知らないだろうがナッツはちょっとしたブームになってるくらいなんだぞ」
「ブーム? そんなめちゃくちゃ美味しいイメージはないですけど」
「特にアーモンドの人気がすごい。アーモンドは天然のサプリメントと言っていいくらい栄養が豊富なんだ。一日に25粒が推奨数で、毎日とるだけで健康になれると評判だ。ダイエット、美肌効果。アンチエイジング。作用は多岐に渡る。それがテレビや雑誌などで取り上げられて健康を志す女性の間ではよく食べられているようになった。楽天のランキングではしょっちゅう上位になってる。その効果に目をつけてアーモンド効果という飲み物まで出てるくらいだ」
「間食しつつ健康になれるっていいですね」
「ただカロリーが高いから食べ過ぎに注意が必要になる。私なんかついつい食べ過ぎてしまう」
「ぴりかには向かないかな。あいつ一袋まるまる食いそう」
「これはお前にも勧めてるんだぞ。食べるだけで健康になれるなんてもの、そうそうないからな」
「値段はどれくらいなんです?」
「スーパーなら100g400円くらいはする」
「お菓子と考えると相当ですね……」
「だからみんな安くまとめ買いできるネットで買うのさ。楽天なら1㎏で1500円くらいだったと思う」
「そんなに違うんだ」
「毎日続けるつもりなら断然ネットで注文したほうがいい。たまに食べるならコンビニか、もしくは100円ショップのダイソーで買うのもありだ」
「100円ショップにそんなものが?」
「あそこのお菓子コーナーは意外と充実してるぞ。素焼きアーモンドの他に素焼きカシューナッツのとかあるから一度行ってみるといい。私のおすすめは120gも入って100円の『有機栽培栗100%こだわりのむき甘栗』だ。コスパ最強だぞ」
「聞いてたらいろいろ選択肢が増えてきましたね。とりあえず焼き芋を作ってみます。といっても焼くだけですけど」
「ああ。なるべく自然なものを食べさせてやれ。あとどうしても口さみしいときは飴という手もある」
「飴ってそれこそ白砂糖の塊なんじゃ」
「その通りだ。だが市販品の中にひとつだけ例外がある。『はちみつ100%のキャンディー』という飴だ。これは原料がはちみつだけという安心安全で潔い飴だぞ」
「砂糖を使わずはちみつだけで飴なんて作れるんですか?」
「特許をとっている独自の製法でな。本物のはちみつだ。甘くて美味しいぞ。味はレモン、レモン、生姜とかもあっていろいろ楽しめる」
「それなら口さみしくありませんね。ぴりかが喜ぶ」
「あとそう、もし塩分系がほしいならおしゃぶり昆布やスルメなどもあるからな。あの子が気に入るかは定かではないがな」
「ああー、それも試してみます」
「だがそんなものをあちこち探し回ると面倒だろうからとっておきのお店を紹介してやる」
「といいますと?」
「健康志向の食品ばかりを扱っている専門店さ」
「そんなものがあるんですか?」
「需要があれば製品は作られ、それだけを扱う店が出来るのは必然だ。ただ数は少ないがな」
「選択肢が増えてきましたね」
「なんでお前が嬉しそうなんだ?」
「え。そりゃぴりかが喜ぶからですよ」


 やはり小町先生に相談して正解だった。
 どれもお菓子と呼べないものなのかも知れないけれど、それでも代替品はいくらか見つかった。
 白砂糖やスナックに頼らなくても心を満たしてくれそうなものはあったのだ。
 きっと俺が知らないだけで他にも探せばあるんだろう。
 食の世界は広く深い。
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