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第三合

第32話

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 本日、今晩の献立は鶏そぼろと、具だくさんの豚汁と、冷ややっこである。
 鶏そぼろはとても簡単で、鶏の挽き肉を買ってただ炒めるだけだ。
 調味料は砂糖醤油それぞれ大さじ1、みりん小さじ1。
 最後に生姜を適当におろし器に削って混ぜる。
 あとは水分が飛ぶまで炒める。
 これで完成だ。
 鶏そぼろの素晴らしいところはピリッとした生姜によって食欲が増進することと、何より保存がきくところだ。
 冷ましてから密封できる瓶やタッパーなどに詰めて冷蔵庫に入れておけば三、四日は余裕で持つ。
 なので次の日の弁当のおかずにも使える。
 うちではすっかり定番となってしまった。
 超楽で便利。
 ちなみに牛肉や合い挽きの挽き肉を使い調味料のバランスを変えれば三食丼にもなる。黒い以外の残りの二色は玉子なりピーマンなりエンドウ豆なり好きにすればいい。
 豚汁は最初に根菜類や肉を炒めて煮こみ、菜箸で柔らかさを確認したあといつもの通りだ。
 冷ややっこはお腹を壊さないようにレンジで少しだけ温める。
 以上をテキパキとこなし夕食タイム。
 それではいただきます。


「はふはふはふ」


 よほど空腹だったのか、ぴりかはおかしな呼吸音をさせつつ食べ進める。


「もう少しよく噛んで食べろよ」


 注意してすっかり保護者っぽいことを言うようになったものだと俺は自嘲する。


「わかっておーるー。ふー、しかしこの豚汁とやらはいつ食べてもいいのう。砂糖とは違う不思議な甘味を感じるわ」
「砂糖は入ってない。けど甘いだろ。具だくさんだからいろんな素材の味が染みだしてるんだ。うん。自分でいうのもなんだけどうまい。肉汁、大根の甘味、ごぼうのアクセント、ひとつでも欠けたらまた違うものになってしまうくらい、それぞれがいい味を出してる」
「これは具材の宝石箱やー」
「どこで覚えたんだよそれ……」


 行儀が悪いという人もいるかも知れないけれど、こうやっておしゃべりをしながら食べるのも食事の醍醐味のひとつだ。
 他愛のないこと。
 変哲のないこと。
 今日はあったこと。
 いつかのこと。
 これからのこと。
 リラックスしている時間だからこそ出来る話題がある。
 俺はそれが好きで、以前から好きだったことを彼女に思い知らされた。
 友達とわいわい外食するのもいいけれど、家で過ごすものはそれとはどこか違う気がする。
 何が、と訊かれてもうまく答えられないけれど。


「おじぞうさまでした」
「ごちそうさまでした」


 今日も同時にフィニッシュ。
 彼女、こんな小さい体で俺と同じペースだから恐れ入る。


「さすがひかり、いいものを作りよるわ」
「プロに比べれば普通すぎるけど、健康的な点においては自負を持ってるつもりだ」
「あまり調味料を使っておらぬようだしな」
「最低限のもので最大限のうまさを引き出す。これが目標だからな」
「良きこだわりじゃな」
「こだわりなら他にもあるぞ」
「ほう、どんな?」
「俺にとって大切なのは満腹度と満足度のふたつ」
「一緒じゃろそれ」
「んーと。噛み砕いて言うと、満腹度は量、満足度は質のことを計ったものなんだ。このふたつが揃って初めて俺にとって最高の評価になる。たとえばいくら量があって腹が膨れても味がいまいちだったら駄目だし、いくら味がよくても気取っていて量が少なかったら駄目なんだ。だからまずい店はもっての外だし、ちまちま小皿で上品ぶったものを運んでくる高級店も俺にとってはNG。俺は食後に不満なんてあるべきではないと強く思ってるから」
「なるほどな」
「そんな感じだから自分で作るときもなるべくそうなれるように努力してる。限られた材料の中で味噌汁を具だくさんにしているのはそのためさ」
「うむ。確かに野菜たっぷりで満腹度も満足度もあった」
「そう言ってもらえると作り甲斐があるよ」
「で、ひかりよ」
「ん」
「今日のお菓子の件はなんじゃー?」
「いま満腹って言わなかったか?」
「お菓子は別腹じゃ」
「そのシステム妖怪にもあるのか……」
「今日という今日は退かぬぞ」
「いつも退かないだろ」
「はーやーくーぅ」
「まあそういうと思って学校の帰りに買ってきてあるよ」
「さすがわかっておるうー」
「サツマイモから作る焼き芋っていうんだけど――」


 スーパーで購入したのはシルクスイートという品種のサツマイモだ。
 シルクでスイート、いかにも甘そうな名前だ。
 とみつ金時や紅はるかなど他の種類もあったが糖度がべらぼうに高いとのことだったのでこちらを選んだ。
 最高糖度は軽く四十度を超えるらしい。
 一般的なすいかの糖度が十二度であることを考えるとかなり破格なのがわかる。
 それを表すようにネットの掲示板で誰かがこうレビューしていた。
 この焼き芋はもはやスイーツのそのものだと。
 こんな書き込みを見たらもう食べるしかない。
 と、買ってきた次第である。
 実はぴりかより俺のほうが楽しみにしていたりして。
 近くに専門店があればいいが、無い場合はスーパーでも完成品が手に入る。最近では一部のファミリーマートでも買えるらしい。
 ネットでは冷凍のものも売っていて、それはレンジで温めるだけでいいらしい。すごい時代だ。
 一から作るにしても簡単だ。
 焼き芋の作り方は至ってシンプル。(ネット参照)
 洗って熱するだけ。
 これだけ。
 加熱に適した器具はレンジ、トースター、フライパン、ストーブの上などがあるが、それぞれアルミホイルを巻いたり巻かなかったり、新聞紙を使ったり使わなかったりと調理法に若干の違いがある。
 ひとつだけはっきりしていることがあるとすれば、焼き芋は時間をかけるほど甘味が増すということだ。
 これは熱することによりデンブンがだんだん糖に変化するためらしい。
 したがって本物の焼き芋を食べたいならレンジは向かないし、他の方法でも根気がいる。
 俺は使ってなかった石油ストーブを出してきて早速アルミホイルと濡れた新聞紙でくるんだシルクスイートを温める。そして気長に待つ。
 かなり待たされるが冬に颯爽と現れる焼き芋屋さんだって専用の石の上でかなり時間をかけているはずなのでひたすら我慢する。


「ひかり、まだか?」


 まだストーブを稼働してから間もないのにぴりかはもう訊いてくる。


「ゲームでもしてたらすぐさ」
「いやここで待つ」
「おいおい」
「儂、山の如し」
「どこの武将だよ」
「ひかり、まだか」
「いま訊いたばかりだろ」
「ひかり」


 そんなしつこいやり取りをしつつ一時間、無事に完成した。
 そのまま持つと火傷してしまうので皿に乗せてフォークで頂くことにする。
 アルミホイルを開いて俺は感嘆した。
 やや焦げた皮のあちこちから粘液が溢れだしていたのだ。
 蜜。
 圧倒的蜜。
 もう我慢も待つこともできなかった。
 息で冷まして焼き芋のひとかけらを一口。
 瞬間――意識の中に広がったのは桃源郷だったか、はたまた天国だったか。
 甘味が脳を突き抜ける。
 芋がトロットロだ。
 高糖度の蜜がネットリと舌に絡みつく。
 あまりの甘さにほぼイキかけていた俺がふと横を見ると、ぴりかのやつはヘヴン状態となっていた。
 つまり目を潤ませ頬を紅潮させて感じ入っていた。
 さらにビクンビクンしている。


「ぴりか、これやばいな」
「ああ、やばいぞこれ」


 どうも人は想像を絶するものに出会うと語彙力が低下するようだ。
 ぱない。
 嗚呼まじぱない。


「シルクスイートってこんなに甘いのか。品種が違うと蜜の量もこんなにまで。俺がいままで食べたことのあるサツマイモはジャガイモだった」


 焼き芋は戦時中の臨時食とパサパサしている印象があまりにも強くて食べてこなかったが、大きな思い違いだったようだ。
 俺の知らない間に進化している。


「呑み込むのがもったいなくて、このままずっと口に入れておきたくなる。これはもう甘味の暴力じゃな」


 またレポーターみたいなことをぴりかが言っている。
 しかし決して過言ではない。
 焼き芋はスイーツ、という謳われ方に偽りはなかった。
 おかげで焼き芋はお菓子の代用品になることが実証された。
 作戦大成功。
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