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第三合

第34話

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 ぴりかが珍しく家で寝込んでいた。
 アレルギーかとも思ったが過去のどの症状とも一致しない。
 倒れるでもない。
 血反吐を吐くわけでもない。
 湿疹が出るわけでもない。
 熱が出るわけでもない。
 喘息でもない。
 でも風邪というふうでもなかったのでさすがの俺もちょっと焦っていた。


「具合はどうだ?」


 それっぽい言い訳で早退し帰宅した俺はまっすぐ彼女のところへ行き様子を尋ねた。


「もう儂は駄目もしれん」
「縁起でもないこと言うな」
「夕食はまだか?」
「食欲はめっちゃあるようだな」


 ベッドに横たわる彼女は苦しそうではないものの顔色はあまり優れない。
 別に立って歩けないなどということではなく、ただ本調子ではないというだけで、ぴりか自身もどこが悪いのか理解できていないようだった。


「儂から食欲をとったら何が残るというんじゃ」
「自分でいうな。座敷童なんだろ」
「栄養をとらないと座敷わらえないのじゃ」
「よくわからないけどわかった。栄養がとれるように今日は腕によりをかけて元気になりそうな料理を作ってやる」
「いつもそうしてくれておろう」
「まあそうだけど、今日は奮発するさ」
「甘いお菓子も頼むぞ」
「わかってるって。今日のお菓子はぜんざいにするか」
「わーい」


 ぜんざいの作り方はスーパーで買った缶入りのゆで小豆に塩と甜菜糖を入れて煮るだけだ。
 あとは食べたい分だけ焼いた餅をぶっ込んで完成。
 短簡で安いのに心身ともに満たされる。
 これをもし甘味処で注文したらきっと何倍も高くつくことだろう。
 自然と節約に繋がるのは自炊のいいところのひとつである。
 ぴりかのため張り切って料理や間食を用意した俺だったが、しかしそれから彼女の体調は一向によくなる気配はなかった。
 もちろん小町先生にも相談済みだったが彼女ですら原因が特定できずにいて、俺としてはもうお手上げだった。
 そんな折のことだ。
 小町先生から喫茶店に呼び出されたのは。


 待ち合わせに指定されたのは星野珈琲店という喫茶店だ。
 ぴりかは連れてきていないので必然的に小町先生と俺のふたりきりでの話し合いになるのだろう。
 どちらかの自宅でないことに違和感を覚えつつも俺は時間通りに店へ到着した。
 中に入って見渡すと彼女は既に来ていて角側の席を陣取っていたので合流する。
 軽く歩いただけで周囲にコーヒーの香ばしい香りが漂っているのがわかった。
 ブラックコーヒーが苦手な俺ですらも飲みたくなるようなそんないい匂いだ。
 依然はあるものが目当てで何回も足を運んだことがあったので星野珈琲店は初めてではない。
 内装は落ち着いた暗めの色調で統一されていて、いかにも大人っぽい雰囲気がある。
 ゆったりできる深めのソファに、味わい深い木のテーブル。
 ストレスにならない程度の控えめな照明。
 制服のせいか店員さんもどことなく品があって落ち着き払っていて好印象。
 お洒落なのはもちろんのこと、居心地は抜群だ。
 コメダ珈琲店とはまた違った良さがある。


「悪いな、私のスイーツタイムに付き合ってもらって」


 新聞を読んでいたらしい小町先生は俺に気づき顔を上げて言った。
 今日は芸能人みたいな眼鏡と帽子を被っていていつもより華やかだ。


「いえ、いつも付き合ってもらってるのは俺のほうですし」


 俺は決して謙遜したわけではなく十中八九その通りで、今回は稀有なケースなのだ。


「あの子は?」
「ぴりかのやつは今日は調子がまあまあいいらしくゲームしています」
「でもまだ悪いままなんだろう?」
「良好とは言えませんね」
「だが最悪というわけでもないと」
「なんというか前より元気がない感じですね。表情も冴えなくて」
「なのにアレルギーというわけでもない、だな?」
「なんなんでしょうね」


 ひょっとして気候が合わないとかか。
 にしては最初の頃は平気そうだったし。
 やはりさっぱりだ。
 僅かに会話した頃、店員さんが注文を取りにきたのでメニュー本を開く。
 俺は迷った挙句、なんとなく健康によさそうな豆乳ラテだけを頼む。
 彼女は炭火焙煎珈琲と窯焼きスフレパンケーキを頼んだ。
 先述した目当てのあるものとはこれである。
 というのもここのパンケーキはまるでタイヤのようにごく厚で、魅力的かつ独特なのだ。
 通常の薄焼きを重ねたものとはまったく大違いで、今風に言えばインスタ映えもする。
 付属するシロップはメープルと蜂蜜と黒蜜の中から選べて、どれにしたとしても外れはない。
 さらに追加料金を払えば生クリームやアイスクリームもトッピングできるのも嬉しいところだ。
 焼きたてで出てくるので外はカリカリ、中はふかふか。
 ひとたびナイフを入れれば湯気が顔まで立ち昇り心躍る。
 そりゃリピートだってしたくなる。
 だけど今日は我慢だ。
 ぴりかだってそうしてるんだし。
 我慢我慢。


「いくつか質問をしたいんだがいいか?」


 俺がメニューの写真を見て涎を垂らしていると小町先生はそう切り出した。
 面持ちは真剣だ。


「はい。そのために呼んだんですよね」
「ああ。あの子が不調になったのはどれくらい前だ?」
「正確なことは本人にしかわかりませんが、俺が知る限りは二週間前くらいかと思います」
「そうか」
「今日はその話ですか? 何か思い当たる節が?」
「いや思い違いかも知れない。だから確認したくてな」
「可能性があるだけでもいいんで教えてください」
「食事に変化はないんだな」
「ええ。変なものは食べさせません」
「やはりそうなのか、いや……」
「何です?」


 彼女は神妙な顔をしているが俺には理由が毫ほども分からない。


「お前は否定しているが、二週間前から食生活に変化があったはずだ」
「だからありませんて」
「思い出せ。お前は二週間前に私の家に来て何の助言を求めた」
「うーん、助言なんていくつも受けているので。あ」


 困窮、助言、変化。
 それらのキーワードが重なるエピソードが確かにあった。


「思い出したか?」
「まさかとは思いますが、お菓子の件ですか?」
「そうだ。それしかない」
「ちょっと待ってください。俺は俺なりにあいつのことを考えているつもりです。だから体に悪い物やアレルギーが起こりそうなものは与えていません」
「それはわかっている」
「絶対に……え。わかってる?」
「ああ、それは疑っていない」


 そこで飲み物が運ばれてたので話は中断する。
 店員が去ったのを確認して身を乗り出す勢いで俺は続きを再開した。


「どういうことか説明してください」
「あくまで仮説の域を出ないが、恐らくこれだろうと私は思っている」
「お菓子が悪いと? でもさっきも言いましたけど悪い物はなにひとつ」
「具体的に何をお菓子として食べさせている?」
「ぴりかは甘いものが好きなので最近は焼き芋やぜんざいや干し芋が主ですね。あとせんべいも好きですね」
「どれくらいの頻度で食べてる?」
「毎日ですけど」
「量は?」
「かなりですね。制限してるんでせめて量は好きなだけ食べさせてあげたいと思って」
「うーん。やはりそうか」
「いい加減に教えてください。何です? 何がいけないんです?」
「だからそのお菓子さ」
「焼き芋にアレルギーを持ってるっていうんですか? そんなはずは」
「いいや。もしそうなら不調程度では済まないだろう」
「じゃあ何が原因だっていうんですか?」
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