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母
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日比谷通りを黙々と歩く。久しぶりに全身が震えあがり、拒絶していた気持ちを切り替える事が出来たらしい。父への態度、母への思いに漸く踏ん切りが付けそうな気がしてきた。なるべく早めに決めておかないと、今後生きて行く上で支障が出てくるのではないかという恐さがあった。恐さ故に、僕は周りの言葉を無視して突き進んでしまう。たとえ間違っていたとしても、自分の中では「必要な事だったんだ」と言い聞かせて、全力でそれを受け入れようとする。他人に迷惑が掛からない程度でそれを肯定し、自我を確立する不器用な生き方。そんな自分をいつも傍で見てくれていたのが母さんだった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版。漸く完成し上映となった3月。僕は上映から2週目の土曜日に日比谷へ出向いて観賞した。父子の関係に決着が着くのだろうかと漠然とした気持ちを抱えて映画館に入って行った。映画は時としてリアリティから抜け出せると同時に、そのリアリティにおける大切な何かを僕達の魂に呼びかけてくる。その呼びかけに気付いた時、自然と涙を零すのだ。そしてその流した涙を糧に、人生における設計を立て直す。「こういう事が僕には欠けていたのかな」「こういう生き方も悪くないよな」「今まで荒んでいた様に思えたけど、全然そんな事無かったよな」こういう感情と共に、館内で思いは昇華していき、リフレッシュした自分自身がまた、リアリティの世界に溶け込んでいく。映画館は浄化作用を人間に齎してくれる。そういった意味で静かに暗い所で大きなスクリーンに流れる映像を楽しむ娯楽は、今後も生き続けてほしい文化だと思った。
さて、そんなシン・エヴァンゲリオン。思った以上に自分の今の心境と重なり、久しぶりに感情移入して愉しむ事ができた。全ての台詞が心に突き刺さっていった。それはどんな人が観ても同じ様な心境に陥っていくのだろうと感じた。僕としては、父母に関する事を軸に、一つ一つの台詞が突き刺さり、接し方を変えて行こうと思えた。映画の後半はほぼほぼ、シンジくんとゲンドウさんの親子に関する内容ばかり。今まで面と向かって話す事が無かった二人が、二人だけの空間の中で心と心をぶつけ合い、言葉の損害保険を無くして、裸の言葉でぶつけ合うシーンが印象的だった。最後まで人間の真理を追求したエヴァンゲリオンは、どこまでも新しく、いつの時代にも響いてくる作品となっていた。決して希望に縋らないゲンドウさんの思いは、父さんの「希望は希望でしかない」という言葉と重なると同時に、母さんの希望に頼らない姿と重なる部分があった。「希望」は希望でしかないのだから、縋るのではなく、その望みに近付くのが本来あるべき姿であった。
あの時、僕が原因を断定し、反対を押し切って電話した事は、希望に近付く為の一歩だったと、今更ながら美化する様に整理を付けようと思った。こんな言い方は各方面から批判を喰らいそうだが、あの状況下においてむしろ遅すぎる判断だったと言っても過言ではない。いずれにせよ批判は付きものだろうと思っている。父さんは「判断は間違いじゃなかった」と言ってくれた。半年以上も前の出来事を今もずっと検証している。もう取り返しが付かず、二度と戻る事の無い出来事なのに、邂逅に縋ってしまっているのか検証を繰り返してしまっている。
先に話した「希望に縋らない」から、僕は未だに脱していないのかもしれない。
ーーー転換ーーー
桜が咲いていた。いつもより少し早いらしい。
段々と暖かくなり、蜜蜂も飛び交う様になっていた。
鳩と烏は相変わらず空を駆けている。猫はゆったりと歩きながら餌を求めている。
植物は太陽に向かって背伸びしている。そして、肉体から離れた魂は風となり、今日も地球を駆け巡る。そうやって巡った後、魂は全ての生命に寄り添ってくれる。
季節を感じれる事は、生きる上での喜びだ。閉じこもってしまってはその喜びに触れる事ができなくなる。風に当たらないと人間は生きた心地がしなくなる。多少隙間風が吹く家の方が動物的に過ごせるのかもしれない。そんな中、貴方を支えていたのはポトスであった。ポトスは適度に水をやっていれば新しい葉を生やしてくれる。そうやって目配りしながら育てていると、生きる為の喜びへと繋げる事が出来る。12年前に自信を無くした貴方は、めっきり外へ出る事が減ってしまった。でも、ポトスと寄り添い、ポトスの生きる方針を定めて水やりを続けていたからか、どことなく生き生きとしていて安心感を覚えたのを記憶している。最近ではサボテンを仲間入りさせて、ポトスの周りが賑やかになってきている。花を咲かせたサボテンを見て、ポトスはどう感じるだろうか。土も少しやるようになり、すくすくと育っているように思える。ポトスへの愛着はより一層深まった気がした。12年も寄り添っているのだから当然の事なのだろうか。
そんなサボテンの花は、昼下がりには咲こうとしていた。未だに水管理はよく分からないが、見た感じで「あげた方が良さそう」と判断した時に上げるようにしている。暫く水やりを2日に1回にしてみようかと思う。植物によっては、水をやり過ぎる事で根腐りをさせてしまうものもあるらしい。私の買ったサボテンの花は白で形が整った花を咲かせてくれる。その綺麗な花を毎度咲かせる為にも、水管理は徹底して行った方が良さそうだ。
貴方がまだあの家に居た頃、ポトスに対する水やりも同じ量を同じ時間に上げていたような気がする。適度適量を保つ事で、生やし過ぎず、また生命力を最大限引き出しながら育てていた。限られた寿命を最大限生かす様な感覚で。
貴方は「寿命」に対して「限られたもの」という解釈をしていた。「寿命は伸びるものではなく、タイムリミットがあるもの」と。決して伸ばすことは出来ないんだと言っていた。だから延命治療を嫌っていたし、限られた寿命がいつ終わるか分からないから、「毎日を真剣に、大切に生きなさい」とも話していた。それは生きるもの全てに対して、平等公平に言える事で、そこは分け隔てが無いのだと教えてくれた。
風になった貴方は僕に吹き抜ける時、その事を語りかけてくるように巡ってくるね。
ーーー転換ーーー
「今回の流行病は致死率が低いんだよねって関係者が言っちゃったら何も言い返せなくなる。言い返すつもりはないけど、その事を言ってしまっていいのだろうかと。死ななくて済んだ命が亡くなってしまって、哀しみに暮れる遺族たちが活路を見出している最中なのに、それを言ってしまっていいのだろうか。私はその発言が真実だったとしても今言うべき事ではないだろうと思ったがね。」
当事者になって分かる事が山ほどあるこの世界。そんな中、「当事者になる前に分かる」というのは偽善者がよく使う常套句になりつつある。この世は偽善者が一定数居る事で、絶望の淵に立たされた一定数の人々を救っている。「救ってくれ」と誰も言っていないのに、勝手に寄り添い、相手の気持ちを分かった風に装って、「さぁ、貴方の居る場所はココじゃないよ。」と吹き込んで、その人に「偽りの希望」を差し伸べる。絶望の淵に立たされてる人は「希望」の良し悪しの判別がつかなくなっているから、いとも簡単にその人の言葉を信じて着いていってしまう。その人は偽りの希望を本当の希望と勘違いし、残りの人生を歩んでいく。偽善者は言う、
「偽りだろうと真実だろうと「希望」をその人に差し伸べて、その希望を頼りに余生を過ごしていくのだから何が悪いんだ。手助けをしたじゃないか。結果的に尊い命を救ったのだから、君に何か言われる筋合いは無いはずだ。」と。
逆に、最後まで偽善者に着いていかなかった者は、
「偽善者は至って傲慢だ。自分の考えをあたかも正しい視点と言わんばかりに主張し、そこにあった話の流れをガラッと変えていく。そして同調圧力の名の下、その偽善者は更に発言を誇張し、否定する全てのものを圧制していく。偽善者とは恐ろしい奴等なのだ。」
と言い放つ。
この世界は経験をしていかないと語れない事が山ほどある。しかしながら、「歴史から経験として学ぶ」といった言葉がこの世界には存在する。それは大きな経験をしなくても正しい歴史から学ぶ事で、その人の生き様を一様に把握し追体験をしていくという内容だ。しかしそればかりに頼ってしまっては、その言葉本来の意味を汲み取った事にはならない。細かな出来事に関しては自身で経験をしないと解決出来ないものがある。その経験はやがてその人を大きく成長させていくのだ。
だから当事者になれば全て分かってくる。逆に当事者にならないで語る物事は、好き嫌いの判断でしかない。当事者になれないのだとしたら、それは当事者から全ての事柄を吐き出してもらい、その節々に語られた内容を記憶してアドバイスをする事に尽きる。当事者はそれをする事で、自分の中に残った凝りを取り出していけるのだ。
ーーー転換ーーー
「当事者で思い出した。そういえば今から12年前、貴方が東大附属病院に入院した時、そう、あの時は貴方の置かれた現状を理解しようと必死だった。「唯一無二の家族なのだから」と。でもそこから数年後、その当事者にならないと分からないんだなと自分の中で理解した時、これからお互いに近過ぎない関係で寄り添っていく事が、貴方にとってもこれからの生活にとっても重要なんだなって感じたの。入院するまでの間の苦しみ、その後の苦しみは話で一様に分かる事ではないんだと。そう理解したから。」
12年前の出来事は今でも鮮明に覚えていて、忘れる事は一生無いんだろうと感じている。貴方が居なくなってしまった今でも、その気持ちは増していく一方だ。
「そう、高校2年生の時、貴方が東大附属病院に入院してた時、僕はYoutubeで「海の見える街」という久石譲のジブリBGMを聞きながら、貴方の病室へ向かったんだよ。」
あの頃は夏だった。カンカンに日が照っていて、東大附属病院までの道程は少々坂道になっていて、その場所までは遠かったのを記憶している。時折、大きな木の陰に入り暑さを凌いでいた。中に入り受付で貴方の名前を尋ねるとすぐ部屋の番号を教えてくれた。貴方は入院服を着ながら少しだけ笑顔になって僕に会釈してくれた。窓際で空と木々が見える良い病室だったのも記憶している。「この病院に搬送されて良かった」と少しだけ安堵した。
「あら、りょうちゃん。学校は終わったの?」
「今日はテストだったから早く終わったんだよ。テストは大体出来たから、いい報告が出来ると思うよ。」
「あら、それは良かった。一安心。」
摘出手術を終えて一段落。手術の内容も貴方は全て納得いったようで、滞りなく終えられた事にホっとしていたんだと思う。僕も「良かった」とその時思えた。テスト中、貴方の事ばかりを考えていたから、正直集中は出来なかった。
貴方はすっかりと元気を取り戻し、久々に笑顔を見る事ができた。
「優しい笑顔はいつ振りだろうか」そう思い、恐らくこれからこの笑顔を見る事は無いんだろうと思った。家族は少しずつ崩壊し始めていた。頼り甲斐がなく無関心な父に母は愛想をつかせていた。そしてその時から少しずつ弱くなっていったように思える。身体だけでなく心も、そして考え方も。どこか守りの体制に変わっていったような気がした。
ーーー転換ーーー
「人間には捨てられない記憶がある。ゴミに見えてもそれは大切な思い出。だからゴミではない。たとえ役に立たなくても、それは遺族にとって大切な記憶なの。」
ドラマで放たれた台詞。「あぁ、捨てなくても良いんだ。無理に遺品整理しなくてもいいんだ。良かった。」そう思えるようになった。少しだけ捨ててしまった物があったけど、普段から使っている物は全て遺してある。いつ帰って来ても大丈夫な様に、あまり模様替えなどはせずに、部屋を綺麗にして普段から使っていた物はちゃんと遺す様にした。
ーーー転換ーーー
母のお骨の中を見た事がある。母は元から小さかったから、骨壺もこじんまりとしていた。真っ白の骨壺に真っ白の御骨。繊維状の物が張り巡らされた骨。少しカビてしまったのか、薄っすらと青くなった骨。息を飲むとはこの事か。一瞬にして全ての音が止まり、自分の感情もすべて止まってしまった。骨は匂いがしない。母の匂いは完全に無くなっていた。
ーーー転換ーーー
2021年令和3年。延期となったオリンピックが開催に向け動き出している。本来であれば2020年令和2年に開催され、全ての日本国民と世界中の人々がその行く末を見届けるはずだった。それが今では世界中で蔓延した疫病によって、その祭典そのものの位置付けが危ぶまれている。そしてその祭典の開催意義に関しては、「疫病に打ち勝った証としての祭典」とした位置付けに変わってしまった。致し方ない事であろうと思った。その様な位置付けにしなければ、世界各国の参加を促す事が難しくなってしまいそうだったからだ。本来であれば復興五輪とした位置付けで、世界中に衝撃を与えた東日本大震災からの完全復興を成し遂げる為の五輪であった。勿論完全にこの位置付けがなくなった訳では無いが、その意味合いというのは今となっては薄らいでしまっている。
さて、東京五輪2020に関して、僕を含めた日本国民がどれだけ関心を抱いているか。それはもはや「0」に等しいのかもしれない。中止にして開催を断念し、またの機会に立候補して開催する案、2024年開催のパリ五輪をずらして日本で開催する案など様々な案が巷で飛び交っていた。しかし、IOCの賠償金を恐れてなのか、政府のメンツを崩されたくないという一心なのか、その案は全て却下する方向性で決まり、現時点では強行開催という形で動き出そうとしている。賠償金を支払うとなればその分、税金が掛かってしまう訳でもはや血税と揶揄できるレベルではなくなってしまう。幾ら金があるからとはいえ、一方での批判を抑え込む事は容易ではないだろうと想像する。
「騒ぎ始めた虫けらは駆除するのに一苦労するからね。除草剤を撒いて、その上で殺虫剤を撒いても奴等の生命力ってのはただならぬもので、必ず次の季節にはその命が宿され、また騒ぎ始める。」
ふとそんな話を思い出した。気付いたらパステルカラーに染まった夕空を眺めていた。
左側に黄桜の錆びれた看板。目の前に拡がる故郷の街並みと、奥に拡がる丸の内の街並み。
少しずつ、少しずつ星が瞬き始め、満月が丸の内の上に顔を出す。
「この世界で一番美しいのは空で、その景色はこのホシでしか見れないのかもしれない。細かい事など気にしない世界に私は住みたい。ただひたすらに毎日の幸せを感じていたいだけなのに。」
母が楽しみにいていた東京五輪。「色んな問題はあっても、開催する事に意義がある。アスリート達の苦労の結晶をその大会で目に焼き付け人生を変える人達がいる。そして私達国民は「国家大会」という位置付けの五輪を成功させる事でメリハリを付ける事が出来る。今の人達はどっちつかず、そう、自由を求め過ぎなのよ。」
母がボソッと半ば諦めたかのように言った。戯言の様に聞こえなかったから「どうすれば良いと思う?」と聞くと、
「そんなの簡単よ。どんな時も前向きになって考え過ぎない事よ。今居る環境を大切にするの。それが大切に出来ない人達はいつまで経っても騒ぎ続けて、一生幸せになんかなれやしないんだから。大丈夫。冷静に物事を見ればきっと分かってくるから。」
母がもし生きていたら、東京五輪の件に関しては「開催賛成」でやれる事をやり通すと言っていたかもしれない。臆病者の私はどっちつかずで結局結論を出さないまま流されていくんだろうと思った。真剣に何事も冷静に考えていた母がどうして先立つ事になってしまったのか。悔恨の念が未だに解消されない。母が私へずっと問いかけているのかもしれない。
ーーー転換ーーー
純情な愛への疑念。「気持ち悪い」と言われる度に、その人へ会いに行ける「道」が途絶えていくような気がした。ほんの少しな障害も乗り越えられない僕は、「もうダメだ」と思い込み、試しもしないでブレーキを踏み続けてしまう。更にその臆病な心へ喝を入れるように、グッと怒りを込め続けるのだろう。やがて、その怒りは「贖罪」として抱えるようになり、僕は後悔していくのだろう。「純情な愛への疑念」を抱いたばかりに…と。
純情な愛を注いだのに、どうして心が歪んだのだろうか。僕はどうして純情ではない「歪んだ愛」へと変えてしまうのだろうか。それは「純情な愛とは何なのか」を突き詰める事にあるのだろう。様々な
人生の「愛」に焦点を絞った時、滲み出る「歪み」が「純情」に対する思いを強くしていくのだろう。そういえば、母に対する愛も一種、歪んでいた様な気がした…。
「どうやったら幸せを見出せるのか分からないよ。母を亡くした今、あらゆる行事や出来事を思い出す事が増えてきた。それは母が生きている時に何度も感じてきたはずなのに、亡くなってからより一層に感じる様になってきた。胸に迫る様な思いが僕を圧倒してくる。そしてこの圧倒する思いは僕が全て受け止めて消化していかないといけない「贖罪」なのだと感じた。母が生きている時は、言葉で伝えて、何かしらさり気無くプレゼントして終わっていた。愛情表現に乏しい僕は、そうやってギコチナイやり方でやたら高い商品を購入し、プレゼントして満足するというやり方しか知らなかった。それ以上のやり方を知ろうという関心が芽生えていなかった。だから、今思う事は、貴方への純情な気持ちを確りと伝えておくべきだったという悔恨が残っている、ただそれだけなのです。」
純情とは単純に当人がどこまで素直に、裸な状態で居られるかどうか。取り繕わず、灯りを暗くして誤魔化すことなく、ありったけの自分を相手にどれだけ見せられるか。その姿を自分が恥ずかしいと思った時、人は「歪んだ愛」への第一歩を踏み出してしまうのだろう。まぁ、それが出来れば造作も無いことなのだろうけれども、実現するには中々に難しい実情もある。しかし、その実情に臆病になっては、いつまで経っても足踏みするだけ。ブレーキを踏み続け、やがてそのブレーキを破砕し身動きが取れなくなってしまうだけ。一度力を緩め、状況を見て進んでみてもいいんじゃないか。そうやって少しずつ自分を変えていく事に躊躇わず、ゆっくりと加速していければいいんじゃないか、最近、そう思える様になってきた。こう感じるまでに長い時間を費やしてしまった。
ーーー転換ーーー
8月の上旬、ホテル療養を終えた私が家へ帰った時、妹は何かを決心した様な面持で家の中の片付けを始めていた。ありとあらゆる物を整理し始め、その中で自分の物と私の物、父の物、母の物と一塊にしてまとめていた。私はホテル療養から帰ってきたばかりなので、その整理をしたいのだが、足の踏み場も無い状態だった為、少しだけイラついていた。
「ごめんね。今日中には整理つくと思うから。」
「整理つかない物は一旦元に戻して、取り敢えず生活出来る状態に戻してほしい。」
「分かった。整理付かせるから待ってて。」
母が入院している最中に始まった妹としての整理。それは妹が母にべったりだった関係から自立しようという決心が見え隠れした。良い傾向ではあるが、そこまでして急ぐものなのか…。
時は数週間前に遡る。私がホテル療養をしている時だ。仕事も無ければ外に出る事すら許されない。ホテルの一室でずっと缶詰状態である。毎朝酸素飽和度と体温を計る日々。そして決められた時間に支給されるお弁当を持って食事を取る。その間は部屋の中であれば自由に過ごしてよい。一応Switchを持ってはきたが殆ど使う事は無かった。ベットの上で寝転ぶか、幸い景色の良い所だった為、空を眺め、街並みを眺め、変わらぬ日常を見続けた。
これ程に何もしない時間があっただろうかと思う位、のんびりとした時間を過ごしていた。ホテルから見える景色とお弁当の内容を写真に収めた。いつか母に見せようという事で撮り溜めた。そんな矢先、一本の電話が掛かってきた。母が入院している墨東病院の担当医、中村さんからの一報だ。
「もしもし、山本さんでしょうか。私担当医の中村と申します。」
「お世話になっております。山本です。妹の桃子と連絡付かなかったのでしょうか。」
「それが、一度連絡をして内容を説明したのですが、途中話を聞いて頂ける状況に無かったので、第二連絡先のお兄様へ連絡をさせて頂きました。」
「そうだったんですね。御足労おかけしました。母の容態、あまりよろしくないのでしょうか…。」
「今ECMOという人工肺を使って懸命に治療にあたっておりますが、少しずつ肺が固くなってしまっています。改善の兆しもあったのですが、今は状況を見続けるしか無い状態です。勿論、様々な方法を模索して治療にあたっております。何かまたありましたらこちらに連絡を入れますので。」
「本当にありがとうございます。何かあった際は連絡お願い致します。万が一危険な状態になった場合は、母が生前「延命治療だけはやめてほしい」と言っておりましたから、その様な状態になった場合はそれだけは避けて頂けると助かります。」
「そうなんですね。私たちは医師でありますから、お母様の助かる糸口があれば全て対応させて頂きます。そこだけはご理解頂けると幸いです。お兄様のお気持ち、それからお母様のお気持ち、分かりました。」
「長期戦になるかどうか分かりませんが、どうか母の事、何卒よろしくお願い致します。」
「分かりました。全力で治療にあたります。」
恐らく若いお医者様で、声を震わせながらそして少し涙ぐむ様子を見せながら、担当の中村さんは僕にそう話しかけて下さった。担当の中村さんは、恐らく他の患者様の様子を見たりしてる中で、精神的にも参ってしまっている状態にも関わらず、言葉一つ一つを選びながら話して下さった。「母もきっと安心しているのだろう」と勝手に解釈をしながら、その一報の折り合いをつけようとしていた。それと同時に「母はもう厳しいのかもしれない」と心のどこかで思い始めていた。
この一報を聞いた後、妹、父、母の弟さんへ連絡を入れた。いずれも「容態はあまり芳しくはないが、経過が必要」という趣旨の連絡だ。父は淡々とその話を聞き理解を示した。妹は半ば泣きながらも一所懸命にその話を聞いてくれた。そして母の弟さんは半ば泣きそうになりながらも、僕の事を気にしてくれながら話を聞いてくれた。
その時からおおよそ数週間で、妹の心境が大きく変わったのかもしれない。
妹も半ば「母はいよいよ厳しい状態で…」と思い、「母さんが帰ってきた時の為に、整理できなかった所を整理してるんだ」と言いながらも、自分なりに母との自立を模索する中で、家の中の整理を始めたのだろう。自分の心の整理をする為に、まずは出来る事からやってみて、それで一段落つけようという事なんだろう。
自分も出来ればそうしたかった。しかしながら、母の遺した物の整理というのは、生きている間にするべき事なのだろうかと考えあぐねていた。担当医からの話では、厳しいけれども助かる見込みが全く無い訳では無いというものだったから、今はその言葉に縋っていたいという気持ちの方が強かった。誰が何と言おうと、僕はその言葉を「希望」と位置付けて縋り続ける。それが結果として僕の気持ちに整理を付けさせる唯一の手段なのだろうと思った。
しかし、それは間違っていたようだ。妹の様に心の整理を付ける為に片付けをする一方で、私は心の整理が付かないから片付けを躊躇った。する事が出来なかった。終いには、言葉に縋ってそれを解釈する事で心の整理を都合よくつけさせようとしていた。何と弱くいつまでも逃げる様な精神をしているのだろうか。現実を受け止められない自分がこの時、本当に憎かった。今も尚、その傾向は前に出る事がある。
そして数週間後、母は8月14日にこの世を去った。誕生日から丁度5ヶ月目の頃だった。享年57歳。あまりにも早過ぎる死に、僕と妹、そして父は落胆した。そして親戚、ご友人、当時PTAで一緒に活動していたお母様方も含めて。何よりも感情的になっていたのは、母の従姉妹さんだった。唯一骨壺をそっと抱き締めてくれた。自分の中に母を取り込もうとしていたのかもしれない。私にはそう映った。
ーーー転換ーーー
どうしても過去に捕らわれて、そこから抜け出せなくなってしまっている。
2019年。日本国はお祝いムードの中で新しい元号「令和」の発表を心待ちにしていた。発表された時、多くの国民はその元号に安らぎやトキメキを抱いたに違いない。そして意味や出典などを聞いて、その気持ちをより一層に深め、今後の人生設計を立て直したり、未来へ希望を託すようになったりと、人々はそのお祝いムードの中でそれぞれの「道」を歩み始めた。
今でも覚えている。GW中に即位礼正殿の儀が行われた。最初は小雨が降っていたが、天皇陛下の即位が行われた瞬間、雲の合間から光りが差し込んだ。その直後、大砲の音が皇居から日本全国に鳴り響き、万歳三唱の声がこだました。荘厳な儀式は僕の心を突き動かした。
そして初めて自分の目で確認した天皇皇后両陛下の御姿。車両の中にいらっしゃったが、多くの国民が万歳三唱をしながら、日本国旗を振りパレードを楽しんでいた。
その後の国民の祭典も嵐の歌で皇后陛下が涙する場面があった。胸にこみ上げてくるものがあったのであろう。歌は人の心を動かす。音は人を楽しませる力がある。この地球(ほし)ならではの楽しみ方なのかもしれない。
そういえば母は相田みつをの事が好きでカレンダーを持っていた。トイレに飾る日めくりカレンダーである。31日分付いていて、朝トイレに入る度にめくっていた。ある日、「1日」の用紙を僕が破ってしまった事があった。そこに書かれていた文字は
「そのときの出逢いが」
という文言だった。下には詳細が書かれていて、
「出逢いそして感動。人間を動かし、人間を変えてゆくものはむずかしい理論や理屈じゃないんだよなぁ。感動が人間を動かし、出逢いが人間を変えてゆくんだなぁ・・・・・」
と書かれていた。その紙は今でも自分の部屋の中に飾っている。時折見上げてその言葉の意味を再認識する。人との出逢いを大切にしているかどうか。母にもこの事は注意深く言われていた部分があったから、尚更その言葉を肝に銘じる思いで、その日めくりカレンダーを仰ぐのだ。
その事を改めて胸に問いかけると、母との出逢いを私は大切にしていたのだろうかという問いに辿り着く。2019年の即位礼正殿の儀は天皇陛下の御姿をテレビで拝見し、母と一緒にその時間を過ごしたのを覚えている。親子でこの瞬間に立ち会えた事は、この上ない慶びであるというのを二人とも実感していた。自分の人生が大きく変わるという事ではないが、その瞬間というのは、正にこの国の歴史に残っていくものだから、そう実感する事は造作も無かった。そして、その慶びはその瞬間を最期に、次が訪れる事は無かった。翌年も、5年後も、10年後も、何かしらの形で「慶び」を分かち合えると信じていたが、呆気なくその願いは消えていってしまった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版。漸く完成し上映となった3月。僕は上映から2週目の土曜日に日比谷へ出向いて観賞した。父子の関係に決着が着くのだろうかと漠然とした気持ちを抱えて映画館に入って行った。映画は時としてリアリティから抜け出せると同時に、そのリアリティにおける大切な何かを僕達の魂に呼びかけてくる。その呼びかけに気付いた時、自然と涙を零すのだ。そしてその流した涙を糧に、人生における設計を立て直す。「こういう事が僕には欠けていたのかな」「こういう生き方も悪くないよな」「今まで荒んでいた様に思えたけど、全然そんな事無かったよな」こういう感情と共に、館内で思いは昇華していき、リフレッシュした自分自身がまた、リアリティの世界に溶け込んでいく。映画館は浄化作用を人間に齎してくれる。そういった意味で静かに暗い所で大きなスクリーンに流れる映像を楽しむ娯楽は、今後も生き続けてほしい文化だと思った。
さて、そんなシン・エヴァンゲリオン。思った以上に自分の今の心境と重なり、久しぶりに感情移入して愉しむ事ができた。全ての台詞が心に突き刺さっていった。それはどんな人が観ても同じ様な心境に陥っていくのだろうと感じた。僕としては、父母に関する事を軸に、一つ一つの台詞が突き刺さり、接し方を変えて行こうと思えた。映画の後半はほぼほぼ、シンジくんとゲンドウさんの親子に関する内容ばかり。今まで面と向かって話す事が無かった二人が、二人だけの空間の中で心と心をぶつけ合い、言葉の損害保険を無くして、裸の言葉でぶつけ合うシーンが印象的だった。最後まで人間の真理を追求したエヴァンゲリオンは、どこまでも新しく、いつの時代にも響いてくる作品となっていた。決して希望に縋らないゲンドウさんの思いは、父さんの「希望は希望でしかない」という言葉と重なると同時に、母さんの希望に頼らない姿と重なる部分があった。「希望」は希望でしかないのだから、縋るのではなく、その望みに近付くのが本来あるべき姿であった。
あの時、僕が原因を断定し、反対を押し切って電話した事は、希望に近付く為の一歩だったと、今更ながら美化する様に整理を付けようと思った。こんな言い方は各方面から批判を喰らいそうだが、あの状況下においてむしろ遅すぎる判断だったと言っても過言ではない。いずれにせよ批判は付きものだろうと思っている。父さんは「判断は間違いじゃなかった」と言ってくれた。半年以上も前の出来事を今もずっと検証している。もう取り返しが付かず、二度と戻る事の無い出来事なのに、邂逅に縋ってしまっているのか検証を繰り返してしまっている。
先に話した「希望に縋らない」から、僕は未だに脱していないのかもしれない。
ーーー転換ーーー
桜が咲いていた。いつもより少し早いらしい。
段々と暖かくなり、蜜蜂も飛び交う様になっていた。
鳩と烏は相変わらず空を駆けている。猫はゆったりと歩きながら餌を求めている。
植物は太陽に向かって背伸びしている。そして、肉体から離れた魂は風となり、今日も地球を駆け巡る。そうやって巡った後、魂は全ての生命に寄り添ってくれる。
季節を感じれる事は、生きる上での喜びだ。閉じこもってしまってはその喜びに触れる事ができなくなる。風に当たらないと人間は生きた心地がしなくなる。多少隙間風が吹く家の方が動物的に過ごせるのかもしれない。そんな中、貴方を支えていたのはポトスであった。ポトスは適度に水をやっていれば新しい葉を生やしてくれる。そうやって目配りしながら育てていると、生きる為の喜びへと繋げる事が出来る。12年前に自信を無くした貴方は、めっきり外へ出る事が減ってしまった。でも、ポトスと寄り添い、ポトスの生きる方針を定めて水やりを続けていたからか、どことなく生き生きとしていて安心感を覚えたのを記憶している。最近ではサボテンを仲間入りさせて、ポトスの周りが賑やかになってきている。花を咲かせたサボテンを見て、ポトスはどう感じるだろうか。土も少しやるようになり、すくすくと育っているように思える。ポトスへの愛着はより一層深まった気がした。12年も寄り添っているのだから当然の事なのだろうか。
そんなサボテンの花は、昼下がりには咲こうとしていた。未だに水管理はよく分からないが、見た感じで「あげた方が良さそう」と判断した時に上げるようにしている。暫く水やりを2日に1回にしてみようかと思う。植物によっては、水をやり過ぎる事で根腐りをさせてしまうものもあるらしい。私の買ったサボテンの花は白で形が整った花を咲かせてくれる。その綺麗な花を毎度咲かせる為にも、水管理は徹底して行った方が良さそうだ。
貴方がまだあの家に居た頃、ポトスに対する水やりも同じ量を同じ時間に上げていたような気がする。適度適量を保つ事で、生やし過ぎず、また生命力を最大限引き出しながら育てていた。限られた寿命を最大限生かす様な感覚で。
貴方は「寿命」に対して「限られたもの」という解釈をしていた。「寿命は伸びるものではなく、タイムリミットがあるもの」と。決して伸ばすことは出来ないんだと言っていた。だから延命治療を嫌っていたし、限られた寿命がいつ終わるか分からないから、「毎日を真剣に、大切に生きなさい」とも話していた。それは生きるもの全てに対して、平等公平に言える事で、そこは分け隔てが無いのだと教えてくれた。
風になった貴方は僕に吹き抜ける時、その事を語りかけてくるように巡ってくるね。
ーーー転換ーーー
「今回の流行病は致死率が低いんだよねって関係者が言っちゃったら何も言い返せなくなる。言い返すつもりはないけど、その事を言ってしまっていいのだろうかと。死ななくて済んだ命が亡くなってしまって、哀しみに暮れる遺族たちが活路を見出している最中なのに、それを言ってしまっていいのだろうか。私はその発言が真実だったとしても今言うべき事ではないだろうと思ったがね。」
当事者になって分かる事が山ほどあるこの世界。そんな中、「当事者になる前に分かる」というのは偽善者がよく使う常套句になりつつある。この世は偽善者が一定数居る事で、絶望の淵に立たされた一定数の人々を救っている。「救ってくれ」と誰も言っていないのに、勝手に寄り添い、相手の気持ちを分かった風に装って、「さぁ、貴方の居る場所はココじゃないよ。」と吹き込んで、その人に「偽りの希望」を差し伸べる。絶望の淵に立たされてる人は「希望」の良し悪しの判別がつかなくなっているから、いとも簡単にその人の言葉を信じて着いていってしまう。その人は偽りの希望を本当の希望と勘違いし、残りの人生を歩んでいく。偽善者は言う、
「偽りだろうと真実だろうと「希望」をその人に差し伸べて、その希望を頼りに余生を過ごしていくのだから何が悪いんだ。手助けをしたじゃないか。結果的に尊い命を救ったのだから、君に何か言われる筋合いは無いはずだ。」と。
逆に、最後まで偽善者に着いていかなかった者は、
「偽善者は至って傲慢だ。自分の考えをあたかも正しい視点と言わんばかりに主張し、そこにあった話の流れをガラッと変えていく。そして同調圧力の名の下、その偽善者は更に発言を誇張し、否定する全てのものを圧制していく。偽善者とは恐ろしい奴等なのだ。」
と言い放つ。
この世界は経験をしていかないと語れない事が山ほどある。しかしながら、「歴史から経験として学ぶ」といった言葉がこの世界には存在する。それは大きな経験をしなくても正しい歴史から学ぶ事で、その人の生き様を一様に把握し追体験をしていくという内容だ。しかしそればかりに頼ってしまっては、その言葉本来の意味を汲み取った事にはならない。細かな出来事に関しては自身で経験をしないと解決出来ないものがある。その経験はやがてその人を大きく成長させていくのだ。
だから当事者になれば全て分かってくる。逆に当事者にならないで語る物事は、好き嫌いの判断でしかない。当事者になれないのだとしたら、それは当事者から全ての事柄を吐き出してもらい、その節々に語られた内容を記憶してアドバイスをする事に尽きる。当事者はそれをする事で、自分の中に残った凝りを取り出していけるのだ。
ーーー転換ーーー
「当事者で思い出した。そういえば今から12年前、貴方が東大附属病院に入院した時、そう、あの時は貴方の置かれた現状を理解しようと必死だった。「唯一無二の家族なのだから」と。でもそこから数年後、その当事者にならないと分からないんだなと自分の中で理解した時、これからお互いに近過ぎない関係で寄り添っていく事が、貴方にとってもこれからの生活にとっても重要なんだなって感じたの。入院するまでの間の苦しみ、その後の苦しみは話で一様に分かる事ではないんだと。そう理解したから。」
12年前の出来事は今でも鮮明に覚えていて、忘れる事は一生無いんだろうと感じている。貴方が居なくなってしまった今でも、その気持ちは増していく一方だ。
「そう、高校2年生の時、貴方が東大附属病院に入院してた時、僕はYoutubeで「海の見える街」という久石譲のジブリBGMを聞きながら、貴方の病室へ向かったんだよ。」
あの頃は夏だった。カンカンに日が照っていて、東大附属病院までの道程は少々坂道になっていて、その場所までは遠かったのを記憶している。時折、大きな木の陰に入り暑さを凌いでいた。中に入り受付で貴方の名前を尋ねるとすぐ部屋の番号を教えてくれた。貴方は入院服を着ながら少しだけ笑顔になって僕に会釈してくれた。窓際で空と木々が見える良い病室だったのも記憶している。「この病院に搬送されて良かった」と少しだけ安堵した。
「あら、りょうちゃん。学校は終わったの?」
「今日はテストだったから早く終わったんだよ。テストは大体出来たから、いい報告が出来ると思うよ。」
「あら、それは良かった。一安心。」
摘出手術を終えて一段落。手術の内容も貴方は全て納得いったようで、滞りなく終えられた事にホっとしていたんだと思う。僕も「良かった」とその時思えた。テスト中、貴方の事ばかりを考えていたから、正直集中は出来なかった。
貴方はすっかりと元気を取り戻し、久々に笑顔を見る事ができた。
「優しい笑顔はいつ振りだろうか」そう思い、恐らくこれからこの笑顔を見る事は無いんだろうと思った。家族は少しずつ崩壊し始めていた。頼り甲斐がなく無関心な父に母は愛想をつかせていた。そしてその時から少しずつ弱くなっていったように思える。身体だけでなく心も、そして考え方も。どこか守りの体制に変わっていったような気がした。
ーーー転換ーーー
「人間には捨てられない記憶がある。ゴミに見えてもそれは大切な思い出。だからゴミではない。たとえ役に立たなくても、それは遺族にとって大切な記憶なの。」
ドラマで放たれた台詞。「あぁ、捨てなくても良いんだ。無理に遺品整理しなくてもいいんだ。良かった。」そう思えるようになった。少しだけ捨ててしまった物があったけど、普段から使っている物は全て遺してある。いつ帰って来ても大丈夫な様に、あまり模様替えなどはせずに、部屋を綺麗にして普段から使っていた物はちゃんと遺す様にした。
ーーー転換ーーー
母のお骨の中を見た事がある。母は元から小さかったから、骨壺もこじんまりとしていた。真っ白の骨壺に真っ白の御骨。繊維状の物が張り巡らされた骨。少しカビてしまったのか、薄っすらと青くなった骨。息を飲むとはこの事か。一瞬にして全ての音が止まり、自分の感情もすべて止まってしまった。骨は匂いがしない。母の匂いは完全に無くなっていた。
ーーー転換ーーー
2021年令和3年。延期となったオリンピックが開催に向け動き出している。本来であれば2020年令和2年に開催され、全ての日本国民と世界中の人々がその行く末を見届けるはずだった。それが今では世界中で蔓延した疫病によって、その祭典そのものの位置付けが危ぶまれている。そしてその祭典の開催意義に関しては、「疫病に打ち勝った証としての祭典」とした位置付けに変わってしまった。致し方ない事であろうと思った。その様な位置付けにしなければ、世界各国の参加を促す事が難しくなってしまいそうだったからだ。本来であれば復興五輪とした位置付けで、世界中に衝撃を与えた東日本大震災からの完全復興を成し遂げる為の五輪であった。勿論完全にこの位置付けがなくなった訳では無いが、その意味合いというのは今となっては薄らいでしまっている。
さて、東京五輪2020に関して、僕を含めた日本国民がどれだけ関心を抱いているか。それはもはや「0」に等しいのかもしれない。中止にして開催を断念し、またの機会に立候補して開催する案、2024年開催のパリ五輪をずらして日本で開催する案など様々な案が巷で飛び交っていた。しかし、IOCの賠償金を恐れてなのか、政府のメンツを崩されたくないという一心なのか、その案は全て却下する方向性で決まり、現時点では強行開催という形で動き出そうとしている。賠償金を支払うとなればその分、税金が掛かってしまう訳でもはや血税と揶揄できるレベルではなくなってしまう。幾ら金があるからとはいえ、一方での批判を抑え込む事は容易ではないだろうと想像する。
「騒ぎ始めた虫けらは駆除するのに一苦労するからね。除草剤を撒いて、その上で殺虫剤を撒いても奴等の生命力ってのはただならぬもので、必ず次の季節にはその命が宿され、また騒ぎ始める。」
ふとそんな話を思い出した。気付いたらパステルカラーに染まった夕空を眺めていた。
左側に黄桜の錆びれた看板。目の前に拡がる故郷の街並みと、奥に拡がる丸の内の街並み。
少しずつ、少しずつ星が瞬き始め、満月が丸の内の上に顔を出す。
「この世界で一番美しいのは空で、その景色はこのホシでしか見れないのかもしれない。細かい事など気にしない世界に私は住みたい。ただひたすらに毎日の幸せを感じていたいだけなのに。」
母が楽しみにいていた東京五輪。「色んな問題はあっても、開催する事に意義がある。アスリート達の苦労の結晶をその大会で目に焼き付け人生を変える人達がいる。そして私達国民は「国家大会」という位置付けの五輪を成功させる事でメリハリを付ける事が出来る。今の人達はどっちつかず、そう、自由を求め過ぎなのよ。」
母がボソッと半ば諦めたかのように言った。戯言の様に聞こえなかったから「どうすれば良いと思う?」と聞くと、
「そんなの簡単よ。どんな時も前向きになって考え過ぎない事よ。今居る環境を大切にするの。それが大切に出来ない人達はいつまで経っても騒ぎ続けて、一生幸せになんかなれやしないんだから。大丈夫。冷静に物事を見ればきっと分かってくるから。」
母がもし生きていたら、東京五輪の件に関しては「開催賛成」でやれる事をやり通すと言っていたかもしれない。臆病者の私はどっちつかずで結局結論を出さないまま流されていくんだろうと思った。真剣に何事も冷静に考えていた母がどうして先立つ事になってしまったのか。悔恨の念が未だに解消されない。母が私へずっと問いかけているのかもしれない。
ーーー転換ーーー
純情な愛への疑念。「気持ち悪い」と言われる度に、その人へ会いに行ける「道」が途絶えていくような気がした。ほんの少しな障害も乗り越えられない僕は、「もうダメだ」と思い込み、試しもしないでブレーキを踏み続けてしまう。更にその臆病な心へ喝を入れるように、グッと怒りを込め続けるのだろう。やがて、その怒りは「贖罪」として抱えるようになり、僕は後悔していくのだろう。「純情な愛への疑念」を抱いたばかりに…と。
純情な愛を注いだのに、どうして心が歪んだのだろうか。僕はどうして純情ではない「歪んだ愛」へと変えてしまうのだろうか。それは「純情な愛とは何なのか」を突き詰める事にあるのだろう。様々な
人生の「愛」に焦点を絞った時、滲み出る「歪み」が「純情」に対する思いを強くしていくのだろう。そういえば、母に対する愛も一種、歪んでいた様な気がした…。
「どうやったら幸せを見出せるのか分からないよ。母を亡くした今、あらゆる行事や出来事を思い出す事が増えてきた。それは母が生きている時に何度も感じてきたはずなのに、亡くなってからより一層に感じる様になってきた。胸に迫る様な思いが僕を圧倒してくる。そしてこの圧倒する思いは僕が全て受け止めて消化していかないといけない「贖罪」なのだと感じた。母が生きている時は、言葉で伝えて、何かしらさり気無くプレゼントして終わっていた。愛情表現に乏しい僕は、そうやってギコチナイやり方でやたら高い商品を購入し、プレゼントして満足するというやり方しか知らなかった。それ以上のやり方を知ろうという関心が芽生えていなかった。だから、今思う事は、貴方への純情な気持ちを確りと伝えておくべきだったという悔恨が残っている、ただそれだけなのです。」
純情とは単純に当人がどこまで素直に、裸な状態で居られるかどうか。取り繕わず、灯りを暗くして誤魔化すことなく、ありったけの自分を相手にどれだけ見せられるか。その姿を自分が恥ずかしいと思った時、人は「歪んだ愛」への第一歩を踏み出してしまうのだろう。まぁ、それが出来れば造作も無いことなのだろうけれども、実現するには中々に難しい実情もある。しかし、その実情に臆病になっては、いつまで経っても足踏みするだけ。ブレーキを踏み続け、やがてそのブレーキを破砕し身動きが取れなくなってしまうだけ。一度力を緩め、状況を見て進んでみてもいいんじゃないか。そうやって少しずつ自分を変えていく事に躊躇わず、ゆっくりと加速していければいいんじゃないか、最近、そう思える様になってきた。こう感じるまでに長い時間を費やしてしまった。
ーーー転換ーーー
8月の上旬、ホテル療養を終えた私が家へ帰った時、妹は何かを決心した様な面持で家の中の片付けを始めていた。ありとあらゆる物を整理し始め、その中で自分の物と私の物、父の物、母の物と一塊にしてまとめていた。私はホテル療養から帰ってきたばかりなので、その整理をしたいのだが、足の踏み場も無い状態だった為、少しだけイラついていた。
「ごめんね。今日中には整理つくと思うから。」
「整理つかない物は一旦元に戻して、取り敢えず生活出来る状態に戻してほしい。」
「分かった。整理付かせるから待ってて。」
母が入院している最中に始まった妹としての整理。それは妹が母にべったりだった関係から自立しようという決心が見え隠れした。良い傾向ではあるが、そこまでして急ぐものなのか…。
時は数週間前に遡る。私がホテル療養をしている時だ。仕事も無ければ外に出る事すら許されない。ホテルの一室でずっと缶詰状態である。毎朝酸素飽和度と体温を計る日々。そして決められた時間に支給されるお弁当を持って食事を取る。その間は部屋の中であれば自由に過ごしてよい。一応Switchを持ってはきたが殆ど使う事は無かった。ベットの上で寝転ぶか、幸い景色の良い所だった為、空を眺め、街並みを眺め、変わらぬ日常を見続けた。
これ程に何もしない時間があっただろうかと思う位、のんびりとした時間を過ごしていた。ホテルから見える景色とお弁当の内容を写真に収めた。いつか母に見せようという事で撮り溜めた。そんな矢先、一本の電話が掛かってきた。母が入院している墨東病院の担当医、中村さんからの一報だ。
「もしもし、山本さんでしょうか。私担当医の中村と申します。」
「お世話になっております。山本です。妹の桃子と連絡付かなかったのでしょうか。」
「それが、一度連絡をして内容を説明したのですが、途中話を聞いて頂ける状況に無かったので、第二連絡先のお兄様へ連絡をさせて頂きました。」
「そうだったんですね。御足労おかけしました。母の容態、あまりよろしくないのでしょうか…。」
「今ECMOという人工肺を使って懸命に治療にあたっておりますが、少しずつ肺が固くなってしまっています。改善の兆しもあったのですが、今は状況を見続けるしか無い状態です。勿論、様々な方法を模索して治療にあたっております。何かまたありましたらこちらに連絡を入れますので。」
「本当にありがとうございます。何かあった際は連絡お願い致します。万が一危険な状態になった場合は、母が生前「延命治療だけはやめてほしい」と言っておりましたから、その様な状態になった場合はそれだけは避けて頂けると助かります。」
「そうなんですね。私たちは医師でありますから、お母様の助かる糸口があれば全て対応させて頂きます。そこだけはご理解頂けると幸いです。お兄様のお気持ち、それからお母様のお気持ち、分かりました。」
「長期戦になるかどうか分かりませんが、どうか母の事、何卒よろしくお願い致します。」
「分かりました。全力で治療にあたります。」
恐らく若いお医者様で、声を震わせながらそして少し涙ぐむ様子を見せながら、担当の中村さんは僕にそう話しかけて下さった。担当の中村さんは、恐らく他の患者様の様子を見たりしてる中で、精神的にも参ってしまっている状態にも関わらず、言葉一つ一つを選びながら話して下さった。「母もきっと安心しているのだろう」と勝手に解釈をしながら、その一報の折り合いをつけようとしていた。それと同時に「母はもう厳しいのかもしれない」と心のどこかで思い始めていた。
この一報を聞いた後、妹、父、母の弟さんへ連絡を入れた。いずれも「容態はあまり芳しくはないが、経過が必要」という趣旨の連絡だ。父は淡々とその話を聞き理解を示した。妹は半ば泣きながらも一所懸命にその話を聞いてくれた。そして母の弟さんは半ば泣きそうになりながらも、僕の事を気にしてくれながら話を聞いてくれた。
その時からおおよそ数週間で、妹の心境が大きく変わったのかもしれない。
妹も半ば「母はいよいよ厳しい状態で…」と思い、「母さんが帰ってきた時の為に、整理できなかった所を整理してるんだ」と言いながらも、自分なりに母との自立を模索する中で、家の中の整理を始めたのだろう。自分の心の整理をする為に、まずは出来る事からやってみて、それで一段落つけようという事なんだろう。
自分も出来ればそうしたかった。しかしながら、母の遺した物の整理というのは、生きている間にするべき事なのだろうかと考えあぐねていた。担当医からの話では、厳しいけれども助かる見込みが全く無い訳では無いというものだったから、今はその言葉に縋っていたいという気持ちの方が強かった。誰が何と言おうと、僕はその言葉を「希望」と位置付けて縋り続ける。それが結果として僕の気持ちに整理を付けさせる唯一の手段なのだろうと思った。
しかし、それは間違っていたようだ。妹の様に心の整理を付ける為に片付けをする一方で、私は心の整理が付かないから片付けを躊躇った。する事が出来なかった。終いには、言葉に縋ってそれを解釈する事で心の整理を都合よくつけさせようとしていた。何と弱くいつまでも逃げる様な精神をしているのだろうか。現実を受け止められない自分がこの時、本当に憎かった。今も尚、その傾向は前に出る事がある。
そして数週間後、母は8月14日にこの世を去った。誕生日から丁度5ヶ月目の頃だった。享年57歳。あまりにも早過ぎる死に、僕と妹、そして父は落胆した。そして親戚、ご友人、当時PTAで一緒に活動していたお母様方も含めて。何よりも感情的になっていたのは、母の従姉妹さんだった。唯一骨壺をそっと抱き締めてくれた。自分の中に母を取り込もうとしていたのかもしれない。私にはそう映った。
ーーー転換ーーー
どうしても過去に捕らわれて、そこから抜け出せなくなってしまっている。
2019年。日本国はお祝いムードの中で新しい元号「令和」の発表を心待ちにしていた。発表された時、多くの国民はその元号に安らぎやトキメキを抱いたに違いない。そして意味や出典などを聞いて、その気持ちをより一層に深め、今後の人生設計を立て直したり、未来へ希望を託すようになったりと、人々はそのお祝いムードの中でそれぞれの「道」を歩み始めた。
今でも覚えている。GW中に即位礼正殿の儀が行われた。最初は小雨が降っていたが、天皇陛下の即位が行われた瞬間、雲の合間から光りが差し込んだ。その直後、大砲の音が皇居から日本全国に鳴り響き、万歳三唱の声がこだました。荘厳な儀式は僕の心を突き動かした。
そして初めて自分の目で確認した天皇皇后両陛下の御姿。車両の中にいらっしゃったが、多くの国民が万歳三唱をしながら、日本国旗を振りパレードを楽しんでいた。
その後の国民の祭典も嵐の歌で皇后陛下が涙する場面があった。胸にこみ上げてくるものがあったのであろう。歌は人の心を動かす。音は人を楽しませる力がある。この地球(ほし)ならではの楽しみ方なのかもしれない。
そういえば母は相田みつをの事が好きでカレンダーを持っていた。トイレに飾る日めくりカレンダーである。31日分付いていて、朝トイレに入る度にめくっていた。ある日、「1日」の用紙を僕が破ってしまった事があった。そこに書かれていた文字は
「そのときの出逢いが」
という文言だった。下には詳細が書かれていて、
「出逢いそして感動。人間を動かし、人間を変えてゆくものはむずかしい理論や理屈じゃないんだよなぁ。感動が人間を動かし、出逢いが人間を変えてゆくんだなぁ・・・・・」
と書かれていた。その紙は今でも自分の部屋の中に飾っている。時折見上げてその言葉の意味を再認識する。人との出逢いを大切にしているかどうか。母にもこの事は注意深く言われていた部分があったから、尚更その言葉を肝に銘じる思いで、その日めくりカレンダーを仰ぐのだ。
その事を改めて胸に問いかけると、母との出逢いを私は大切にしていたのだろうかという問いに辿り着く。2019年の即位礼正殿の儀は天皇陛下の御姿をテレビで拝見し、母と一緒にその時間を過ごしたのを覚えている。親子でこの瞬間に立ち会えた事は、この上ない慶びであるというのを二人とも実感していた。自分の人生が大きく変わるという事ではないが、その瞬間というのは、正にこの国の歴史に残っていくものだから、そう実感する事は造作も無かった。そして、その慶びはその瞬間を最期に、次が訪れる事は無かった。翌年も、5年後も、10年後も、何かしらの形で「慶び」を分かち合えると信じていたが、呆気なくその願いは消えていってしまった。
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