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<残酷な薬>
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「はぁーいリリちゃん。いらっしゃーい。おれ、結城 俊哉(ゆうき しゅんや)です。よろしくね」
食事が終わり、身支度を整えて研究所の人達が詰めている部屋に入った。
最初に呼ばれたのはオレで、いささか緊張しながらドアを開いたんだけど、迎えてくれたのはニコニコと笑う結城さんだけだった。
「リリちゃんって何ですか……」
この人には直接酷い事をされたんでついつい視線を尖らせてしまう。
「『すずもりりん』ちゃんだからリリちゃん。うちのモモちゃんと呼び名を揃えてみました。可愛いでしょ?」
「やめてください」
可愛くない。二十三の男相手にリリなんて恥ずかしくないんだろうか。
「八雲部門長は……?」
「あぁ。部門長なら今、モモちゃんにお仕置き中。ま、しょーがないよね。あんな可愛い顔で、『初めての彼氏が凜君でよかった』なーんて言っちゃったんだから。あの人がモモちゃんを名前呼びする時はほんっきでキレちゃってるから、しばらく時間掛かっちゃうかもね」
「な……!? ど、どこに、いるんですか!? 止めないと――」
「そう慌てないで。お仕置きって言っても超気持ちいい方のお仕置きだから、邪魔しちゃ駄目よ。中途半端で止められたらモモちゃんが可哀相でしょ」
「……!」
悔しいけどその通りだ。立ち上がってしまった体をソファに戻した。
「大体リリちゃんもさぁ、そろそろ気が付いたがいいんじゃない? 君は八雲サンの怒りに火を付けるだけの存在だってことにさ。モモちゃんは君が傍にいたらどうしても君を心の拠り所にしてしまう。モモちゃんに執着しているあの人がいい顔するわけないじゃない。モモちゃんと距離を置くこと。それだけが君に出来る事だよ」
「そんなこと言われなくても判ってます。オレが何も出来ない事も充分知ってます。でも、百瀬さんを放置するなんて出来ません……!」
「ふーん」
興味なさそうに呟いてから、結城さんは足を組み変えた。
「ほんっとリリちゃんは真っ直ぐで可愛いねぇ。冷徹な嘘吐きの叶が惹かれるのもわかるわ」
「叶さんまで侮辱しないでください! あの人は冷徹でも嘘吐きでもない!」
激昂するオレを他所に結城さんは面白そうに笑う。
「『荒事の内三』。叶が所属する監査内部統制部三課がどんな部署か聞いた事ぐらいはあるでしょ? ただでさえ魑魅魍魎跋扈する部署の中でも鬼って呼ばれるぐらい仕事の出来る男なんだぜアイツは。冷徹じゃなきゃ勤まんねーよ」
「それは仕事だから――」
「ウチの部門長もそう思ってるんじゃないかなー。モモちゃんを苛めるのも『仕事だから』って。なんだかんだ言って、これだけ薬が効いてるのは君とモモちゃんだけなんだ。データは取れるうちに取れるだけとっとかないと、ね? それが気が狂うぐらいに辛い事でも」
そんなの詭弁だ。悔しいのに言い返せない。
「ごめんねリリちゃん。話がそれちゃったね。君を怒らせるつもりじゃなかったんだ。可愛いからついついからかいたくなる悪い大人を許して。えーと、まずはそうね、赤坂の話からだな」
机の上に書類が並べられた。赤坂先輩の――重責解雇!?
「一日目に君を殴りつけた挙句オナニーの手伝いさせたり、次からしないことを約束させて続けさせてみれば、私物を持ち込んで被験者の全裸の撮影ときた。まぁ、妥当な処分だよね。あ、画像は責任持っておれが削除したから安心して。もし今後、赤坂に接触されても応じないでいいからね。――まぁ、部門長が徹底的に脅してたから……生まれ変わりでもしない限り接触してくることなんてないだろうケドさ」
先輩が姿を見せなくなったのは処分されたからだったんだ……。
「赤坂が選ばれたのは、君が何も反応もしない……どころか、嫌っている相手だったからだよ。モモちゃんの相手が八雲部門長だってことは知ってるよね? モモちゃんは常に運命の相手が傍に居る状態で数値を観測し続け、君は反応しない相手との接触で数値の変化を調査した。結果は、君も知っての通り。数値は毎日上昇し続けた。誰も接触しない状態でも同じだ。つまり、君達は常に免疫情報の違う相手の傍に居ないと駄目ってこと。――違うか。別に居なくてもいいんだけど、時間が開けば開くほど、次に接触した時に気持ち良くなっちゃうってわけだ」
「……」
「臨床試験へのご協力ありがとうねリリちゃん。君のお陰で……少なくとも、モモちゃんは嫌いな相手との接触の試験は受けずに済みそうだよ。まぁ、実際、部門長がモモちゃんの体を他の男に体を触らせるのか?――って聞かれたら疑問も残るけどね。つかそもそもモモちゃんが一番嫌ってるのは部門長だって気もしないでもないけどさ」
嫌ってる通り越して怖がってる? なんて結城さんが首を傾げる。
「ま、どっちでも一緒か。リリちゃん、あーんして」
計測器だ。言われるがままに口を開いて、少しだけ舌を突き出した。
「わーエローイ。別なもの突っ込みたくなっちゃう」
うるさいです。早くしてください。
「うん。やっぱり、数値が極端に下がってる。叶に中出ししてもらったのかな? これならしばらくは、叶の傍にいても興奮はしないと思うよ。良かったねー日常生活に支障は出ないよ。でも、どっちにせよ体液を摂取したら気持ち良くなることには変わり無いから注意して」
な……、なか……!?
この人嫌いだ……。
ノックの音が響いた。
結城さんが答えると、八雲部門長が入って来た。
「話は進みましたか?」
「はい。あらかた終わりました。リリちゃん、何か質問ある?」
「百瀬さんに会わせてください」
立ち上がり部門長を睨み付ける。さっきまで白衣を着てたのに今は着ていなかった。
顔には相変わらず、人を安心させる穏やかな笑顔を顔に浮かべていた。
百瀬さんに乱暴をするなんてとても思えない、どんな子どもだろうとたちどころに懐いてしまいそうな穏やかな微笑を。
「百瀬は疲れて眠っていますからそっとしておいてあげてください」
「……!!」
百瀬さんに何を、そう切り出そうとした途端に、また、ノックの音がした。
『叶です。まだ、鈴森の話は終わりませんか?』
叶さん……!
緊張が解けて肩から力が抜けた。
「丁度終わった所です。どうぞ」
部門長が答えドアが開き叶さんが入ってくる。
オレの顔を見て安心した表情になった。何かされてないかと心配してくれてたのかもしれない。
この人が冷徹な嘘吐きだなんてやっぱり嘘だ。この人は誰よりも優しい。
「まず、説明をいただきたいのですが、鈴森の傷はどういうことですか?」
叶さんはオレの手を上げ、服のスソを下げた。
そこにはまだ擦過傷と痣が青黒く残ってた。
「鈴森は何も話そうとしませんが、これは拘束痕でしょう。臨床試験のために拘束までするなんて、このまま警察に貴方を突き出すこともできますが」
警察!? そうだ、その手があったんだ。
どうして今まで忘れてたんだ。こんなの、犯罪だ。
この人が逮捕されれば百瀬さんは解放される――――!
八雲部門長は微笑を崩さないまま、ゆったりと答えた。
「叶さんもご存知かと思いますが『運命の赤い糸プロジェクト』は国と連携して進めている研究です。社員が騒ぎ立てても警察も相手にはしないでしょうね。鈴森君を悪戯に傷つける結果に終わるだけです」
――!! この人を警察に突き出すためには、オレが証言しないと駄目なんだ!
赤坂先輩にされたこととか、全部、人に話さなきゃ駄目なんだ。
オレの相手が叶さんだって事も、全部。
でも、待て。オレが恥をかけば百瀬さんはこの人から解放されるんだ。
何も部門長が逮捕されなくてもいい。
会社の上層部に二人を引き離してもらえればそれで。
研究所は一つだけじゃない。騒ぎになって、この人がどこかに左遷でもされれば百瀬さんは救われる。
「当然、百瀬も」
オレの考えは部門長の一言で綺麗に霧散した。
百瀬さんは優秀な研究者だ。
新薬の特許だけでもいくつも持ってると聞いた。
容姿もあいまり、当然、バイオ業界での有名人だった。
今回のスキャンダルが表ざたになったら、誰よりも傷つくのは百瀬さんだ。
今後の人生をこの人に狂わされるリスクと、この先、色んな人達に好奇の視線――それも、性欲を滲ませた視線で見られるリスク、どちらが軽いかなんて、オレには判断ができない。
駄目だ。やっぱり、手立ては無い。
下手に騒ぎ立てて良い事じゃないんだ。
「叶さん、オレの為に怒ってくれてありがとうございます。でも、ほんとに、大したことは何もなかったんです」
「凜」
眼鏡の奥の目を険しくし眉を潜める叶さんに笑った。
「んじゃ、後は大人のお話ってことで、リリちゃんは部屋に戻っていいよ。何か質問があったら、お気軽にコチラにどうぞ」
結城さんの名刺を渡された。
特に欲しくなかったけど、とりあえず受け取り、部屋を出た。
食事が終わり、身支度を整えて研究所の人達が詰めている部屋に入った。
最初に呼ばれたのはオレで、いささか緊張しながらドアを開いたんだけど、迎えてくれたのはニコニコと笑う結城さんだけだった。
「リリちゃんって何ですか……」
この人には直接酷い事をされたんでついつい視線を尖らせてしまう。
「『すずもりりん』ちゃんだからリリちゃん。うちのモモちゃんと呼び名を揃えてみました。可愛いでしょ?」
「やめてください」
可愛くない。二十三の男相手にリリなんて恥ずかしくないんだろうか。
「八雲部門長は……?」
「あぁ。部門長なら今、モモちゃんにお仕置き中。ま、しょーがないよね。あんな可愛い顔で、『初めての彼氏が凜君でよかった』なーんて言っちゃったんだから。あの人がモモちゃんを名前呼びする時はほんっきでキレちゃってるから、しばらく時間掛かっちゃうかもね」
「な……!? ど、どこに、いるんですか!? 止めないと――」
「そう慌てないで。お仕置きって言っても超気持ちいい方のお仕置きだから、邪魔しちゃ駄目よ。中途半端で止められたらモモちゃんが可哀相でしょ」
「……!」
悔しいけどその通りだ。立ち上がってしまった体をソファに戻した。
「大体リリちゃんもさぁ、そろそろ気が付いたがいいんじゃない? 君は八雲サンの怒りに火を付けるだけの存在だってことにさ。モモちゃんは君が傍にいたらどうしても君を心の拠り所にしてしまう。モモちゃんに執着しているあの人がいい顔するわけないじゃない。モモちゃんと距離を置くこと。それだけが君に出来る事だよ」
「そんなこと言われなくても判ってます。オレが何も出来ない事も充分知ってます。でも、百瀬さんを放置するなんて出来ません……!」
「ふーん」
興味なさそうに呟いてから、結城さんは足を組み変えた。
「ほんっとリリちゃんは真っ直ぐで可愛いねぇ。冷徹な嘘吐きの叶が惹かれるのもわかるわ」
「叶さんまで侮辱しないでください! あの人は冷徹でも嘘吐きでもない!」
激昂するオレを他所に結城さんは面白そうに笑う。
「『荒事の内三』。叶が所属する監査内部統制部三課がどんな部署か聞いた事ぐらいはあるでしょ? ただでさえ魑魅魍魎跋扈する部署の中でも鬼って呼ばれるぐらい仕事の出来る男なんだぜアイツは。冷徹じゃなきゃ勤まんねーよ」
「それは仕事だから――」
「ウチの部門長もそう思ってるんじゃないかなー。モモちゃんを苛めるのも『仕事だから』って。なんだかんだ言って、これだけ薬が効いてるのは君とモモちゃんだけなんだ。データは取れるうちに取れるだけとっとかないと、ね? それが気が狂うぐらいに辛い事でも」
そんなの詭弁だ。悔しいのに言い返せない。
「ごめんねリリちゃん。話がそれちゃったね。君を怒らせるつもりじゃなかったんだ。可愛いからついついからかいたくなる悪い大人を許して。えーと、まずはそうね、赤坂の話からだな」
机の上に書類が並べられた。赤坂先輩の――重責解雇!?
「一日目に君を殴りつけた挙句オナニーの手伝いさせたり、次からしないことを約束させて続けさせてみれば、私物を持ち込んで被験者の全裸の撮影ときた。まぁ、妥当な処分だよね。あ、画像は責任持っておれが削除したから安心して。もし今後、赤坂に接触されても応じないでいいからね。――まぁ、部門長が徹底的に脅してたから……生まれ変わりでもしない限り接触してくることなんてないだろうケドさ」
先輩が姿を見せなくなったのは処分されたからだったんだ……。
「赤坂が選ばれたのは、君が何も反応もしない……どころか、嫌っている相手だったからだよ。モモちゃんの相手が八雲部門長だってことは知ってるよね? モモちゃんは常に運命の相手が傍に居る状態で数値を観測し続け、君は反応しない相手との接触で数値の変化を調査した。結果は、君も知っての通り。数値は毎日上昇し続けた。誰も接触しない状態でも同じだ。つまり、君達は常に免疫情報の違う相手の傍に居ないと駄目ってこと。――違うか。別に居なくてもいいんだけど、時間が開けば開くほど、次に接触した時に気持ち良くなっちゃうってわけだ」
「……」
「臨床試験へのご協力ありがとうねリリちゃん。君のお陰で……少なくとも、モモちゃんは嫌いな相手との接触の試験は受けずに済みそうだよ。まぁ、実際、部門長がモモちゃんの体を他の男に体を触らせるのか?――って聞かれたら疑問も残るけどね。つかそもそもモモちゃんが一番嫌ってるのは部門長だって気もしないでもないけどさ」
嫌ってる通り越して怖がってる? なんて結城さんが首を傾げる。
「ま、どっちでも一緒か。リリちゃん、あーんして」
計測器だ。言われるがままに口を開いて、少しだけ舌を突き出した。
「わーエローイ。別なもの突っ込みたくなっちゃう」
うるさいです。早くしてください。
「うん。やっぱり、数値が極端に下がってる。叶に中出ししてもらったのかな? これならしばらくは、叶の傍にいても興奮はしないと思うよ。良かったねー日常生活に支障は出ないよ。でも、どっちにせよ体液を摂取したら気持ち良くなることには変わり無いから注意して」
な……、なか……!?
この人嫌いだ……。
ノックの音が響いた。
結城さんが答えると、八雲部門長が入って来た。
「話は進みましたか?」
「はい。あらかた終わりました。リリちゃん、何か質問ある?」
「百瀬さんに会わせてください」
立ち上がり部門長を睨み付ける。さっきまで白衣を着てたのに今は着ていなかった。
顔には相変わらず、人を安心させる穏やかな笑顔を顔に浮かべていた。
百瀬さんに乱暴をするなんてとても思えない、どんな子どもだろうとたちどころに懐いてしまいそうな穏やかな微笑を。
「百瀬は疲れて眠っていますからそっとしておいてあげてください」
「……!!」
百瀬さんに何を、そう切り出そうとした途端に、また、ノックの音がした。
『叶です。まだ、鈴森の話は終わりませんか?』
叶さん……!
緊張が解けて肩から力が抜けた。
「丁度終わった所です。どうぞ」
部門長が答えドアが開き叶さんが入ってくる。
オレの顔を見て安心した表情になった。何かされてないかと心配してくれてたのかもしれない。
この人が冷徹な嘘吐きだなんてやっぱり嘘だ。この人は誰よりも優しい。
「まず、説明をいただきたいのですが、鈴森の傷はどういうことですか?」
叶さんはオレの手を上げ、服のスソを下げた。
そこにはまだ擦過傷と痣が青黒く残ってた。
「鈴森は何も話そうとしませんが、これは拘束痕でしょう。臨床試験のために拘束までするなんて、このまま警察に貴方を突き出すこともできますが」
警察!? そうだ、その手があったんだ。
どうして今まで忘れてたんだ。こんなの、犯罪だ。
この人が逮捕されれば百瀬さんは解放される――――!
八雲部門長は微笑を崩さないまま、ゆったりと答えた。
「叶さんもご存知かと思いますが『運命の赤い糸プロジェクト』は国と連携して進めている研究です。社員が騒ぎ立てても警察も相手にはしないでしょうね。鈴森君を悪戯に傷つける結果に終わるだけです」
――!! この人を警察に突き出すためには、オレが証言しないと駄目なんだ!
赤坂先輩にされたこととか、全部、人に話さなきゃ駄目なんだ。
オレの相手が叶さんだって事も、全部。
でも、待て。オレが恥をかけば百瀬さんはこの人から解放されるんだ。
何も部門長が逮捕されなくてもいい。
会社の上層部に二人を引き離してもらえればそれで。
研究所は一つだけじゃない。騒ぎになって、この人がどこかに左遷でもされれば百瀬さんは救われる。
「当然、百瀬も」
オレの考えは部門長の一言で綺麗に霧散した。
百瀬さんは優秀な研究者だ。
新薬の特許だけでもいくつも持ってると聞いた。
容姿もあいまり、当然、バイオ業界での有名人だった。
今回のスキャンダルが表ざたになったら、誰よりも傷つくのは百瀬さんだ。
今後の人生をこの人に狂わされるリスクと、この先、色んな人達に好奇の視線――それも、性欲を滲ませた視線で見られるリスク、どちらが軽いかなんて、オレには判断ができない。
駄目だ。やっぱり、手立ては無い。
下手に騒ぎ立てて良い事じゃないんだ。
「叶さん、オレの為に怒ってくれてありがとうございます。でも、ほんとに、大したことは何もなかったんです」
「凜」
眼鏡の奥の目を険しくし眉を潜める叶さんに笑った。
「んじゃ、後は大人のお話ってことで、リリちゃんは部屋に戻っていいよ。何か質問があったら、お気軽にコチラにどうぞ」
結城さんの名刺を渡された。
特に欲しくなかったけど、とりあえず受け取り、部屋を出た。
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