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第一章 異常な日々の始まり
12、ジュン姉の付き人に
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0404/10:40/ジュン姉・園田/頭地区の森
「あ、ごめん。しゃべらないで! そのまま聞いて」
ジュン姉は、そう言って制止するように僕に右の掌を向けてきた。
「…………っ」
思わず「ジュン姉」と叫びそうになっていたが、ぐっと我慢する。
鬱蒼とした森の中で彼女の周りだけが妙にまぶしかった。
それはジュン姉がもともと素敵な女性、だからじゃない。白いワンピースを着ていたから、白いタコのようなお面を被っていたから神々しく見えた……とかいうことでもない。
物理的に、きらきらした何かを身にまとっていたのだ。
それはまるでこの世のものとは思えないような美しさだった。陽の光をキラキラと浴びて、清涼な風をその身に一心に受けて、その姿はいつもより数百倍美しく見える。
僕がその光景にうっとりしていると、ジュン姉がまたつぶやいた。
「リュー君……とりあえず、コワガミサマからの言葉を伝えたいの。わたしも、今はコワガミサマの言う通りにした方がいいと思ってるから」
何を? と言おうとして、僕は口をつぐんだ。
それはジュン姉が、また右手を向けてきたからじゃない。ジュン姉の背後に、よくわからない、わずかに発光する半透明の物体が出現しはじめたからだった。
それは細長いひものようなものだった。
いくつもいくつもひもを伸ばして、ジュン姉のまわりを取り巻いていく。
それは夜に見た黒いひも状の煙とは違って、とても清浄なものに感じられた。
何本かの先端は地面にまで到達し、またいくつかは宙をさまよい続けていた。とにかく、それはとても異様でありながら、神秘的な光景で……。
【矢吹龍一、お前に「役」を与える】
突然、あの男の声がした。
低い低い、地の底のような声。
コワガミサマの声だ。
はっとして顔を上げると、いつのまにかその半透明のひもの塊は二メートルほどの大きさになっていた。シルエットから、どうも髪の長い男の人になっているように見える。
これが、コワガミサマ……?
僕に「役」とは、いったいどういう風の吹き回しだろう。
【このままではお前は頭地区の者に捕まり、一生この神社の地下牢で過ごすこととなろう。それは我の嫁、日向純が望まぬこと……】
半透明の神様が、ゆらゆらとその髪をなびかせながら語る。
ジュン姉が望まない?
だから、そうならないようにしたいってこと?
コワガミサマが?
なんだかそれは、とてもイレギュラーなことのように思えた。
【最悪な事態を回避するため、お前には日向純の付き人という役目を与えようと思う】
付き人?
付き人の役目とは、いったいどういうものなのだろう。そんな役回り、シゲ婆さんの時にはなかった気がする。いったいどういう状況なんだ。
【その役目を担えば、頭地区の者もそうそう手出しができぬようになる。ただし、これは一時的なものだ。状況によっては、この任はいつでも解かれることとなる……】
一時的?
ますますもってわからなかった。いったい全体どういうつもりなのか。
コワガミサマの言葉を引き継いで、今度はジュン姉が語る。
「あのねリュー君……わたし、まだ夜が苦手なの。ヨソモノたちにも……会うのが怖い。夜のお役目なんて、とてもひとりじゃできそうにない。だからね、リュー君……夜の間だけ、わたしの側についていてほしいの。そうしたら、きっと頑張れると……思うから」
そういうことか。
ようやく合点がいった。
そうだ。ジュン姉はいままでだって夜をとても怖がっていた。だから昨夜も、僕はジュン姉を助けに行こうと思ったんだ。
昨夜。
そう、昨夜はたしか……ジュン姉は……。
ちゃんとお役目を果たすことができたんだろうか? わからない……。
それでも、今言われたことはどうにかしてやりたいと思った。
またコワガミサマが語る。
【お前が付き人でいられる期限は……日向純が夜の役目を単独でもこなせるようになるまでだ。一時的と言ったのはその期間だ。さあ、どうする? 我としてはこの状況は面白くない……が、夜のお役目は今のままだと滞ってしまっている。この方法は我も、我の嫁も、お前も、三者すべてが得をする案だ。さあ、さあどうする?】
おい、あそこにいたぞ、という男たちの声が後方から聞こえてくる。
もうためらっている暇はない。そう思った。
この申し出を断ったら、きっと僕はあの人たちに捕まってしまうだろう。でも、この「付き人」の役を得れば……そうだ、今よりは断然いいに違いない。
それに少しでも、ジュン姉の力になれるなら……。
僕はゆっくりとうなづいた。
「わかり……ました。その役、お引き受けいたします」
そう言って、僕はコワガミサマを見上げる。
【良し。ではお前に我が嫁の「付き人」の任を命ずる】
半透明の毛先の一つがぐぐぐっと僕の方に伸びてきた。いったい何をされるのかと覚悟していると、僕の目の前にふいに、あの「お守り」がぶら下げられた。
これは……僕がジュン姉に作って渡したものだ。どうして……と思っていると、それがするりと僕の首にかけられた。
【この中には、我の生み出した『分身』があった。これを常に持て】
お守りの表面にさらにコワガミサマの毛先が触れる。すると、そこがキラキラと輝きだして――。
「おいっ、お前! 何をしてる!」
「コワガミサマの……お嫁さん? 何故ここに!」
「離れろ! 無礼だぞ! おい!」
男たちが追い付き、そこでようやく気が付く。
僕のそばにジュン姉がいることを。
その中の一人がこれはいけないと焦って僕に駆け寄ってくる。
「おい、お前! 早く離れろ!」
「やめてっ!」
ジュン姉がとっさに叫ぶ。すると、僕を捕まえようとした男の人の足元に、ビシッとコワガミサマの毛の先端が振りおろされた。
「ひっ!」
一瞬の後に、地面にはスコップでえぐられたような深い穴が開く。
僕を捕まえようとした人はその後ろで尻餅をついた。
【お前たち……この者を捕えてはならぬ。この者はこれより、未熟な我の嫁、日向純の「付き人」となった。役目が果たされるその時まで、いっさい妨害をしてはならぬ。よいな?】
コワガミサマの言葉が、男たちに向かって突きつけられる。
だが、宮内あやめの運転手、園田だけは臆せず前に進み出てきた。
「……かしこまりました。ちなみに、その具体的な『役目の内容』、『役目が果たされたと判断される時』とは? いったいどういうものなのでしょうか。良かったらお聞かせ願えませんか?」
園田の質問に、コワガミサマは僕にしたのと同じような説明を繰り返した。
園田はその話にしばらく黙って耳を傾けていたが、やがて話が終わると男たちを率いて元来た道を戻っていった。
僕はようやくホッと胸をなでおろす。
「はあ……」
ふと見ると、胸元のお守りの光は消えていた。
「えっ? なんで……」
驚いたが、もともと普通のお守りに戻ったようだった。
僕はなんと言っていいかわからず、ぼんやりとジュン姉の方を見つめる。
お面に隠れて見えないけど、たぶん、ジュン姉はいま困ったような顔をしていると思った。
「リュー君。あのね……今はこのまま帰って。それと、夜になったら『また』鎖和墓地に来てほしいの。わたし、あそこから、村に下りれなくって……。だから、お願い」
ジュン姉がそんなことを言う。
また。
またってなんだ?
鎖和墓地……。
その場所を聞くと、なぜかズキリとこめかみが痛む。
なんでだろう。その場所に何か強い思い出があるような気もするけど、思い出せない。
僕たちが子供のころによく遊んでいた場所……?
いや、それは七折階段だ。その先の鎖和墓地は薄気味悪くて、あまり行ったことがなくて……。そこにまた来てほしい、だなんて。おかしいと思った。
また。
また?
またってなんだ。わからない。頭痛が、頭痛がして……。
気が付くと、ジュン姉は消えていた。
静かな森の中。
僕はいつのまにか、また一人きりにされていた。妙な頭痛はその後しばらく続いた。
「あ、ごめん。しゃべらないで! そのまま聞いて」
ジュン姉は、そう言って制止するように僕に右の掌を向けてきた。
「…………っ」
思わず「ジュン姉」と叫びそうになっていたが、ぐっと我慢する。
鬱蒼とした森の中で彼女の周りだけが妙にまぶしかった。
それはジュン姉がもともと素敵な女性、だからじゃない。白いワンピースを着ていたから、白いタコのようなお面を被っていたから神々しく見えた……とかいうことでもない。
物理的に、きらきらした何かを身にまとっていたのだ。
それはまるでこの世のものとは思えないような美しさだった。陽の光をキラキラと浴びて、清涼な風をその身に一心に受けて、その姿はいつもより数百倍美しく見える。
僕がその光景にうっとりしていると、ジュン姉がまたつぶやいた。
「リュー君……とりあえず、コワガミサマからの言葉を伝えたいの。わたしも、今はコワガミサマの言う通りにした方がいいと思ってるから」
何を? と言おうとして、僕は口をつぐんだ。
それはジュン姉が、また右手を向けてきたからじゃない。ジュン姉の背後に、よくわからない、わずかに発光する半透明の物体が出現しはじめたからだった。
それは細長いひものようなものだった。
いくつもいくつもひもを伸ばして、ジュン姉のまわりを取り巻いていく。
それは夜に見た黒いひも状の煙とは違って、とても清浄なものに感じられた。
何本かの先端は地面にまで到達し、またいくつかは宙をさまよい続けていた。とにかく、それはとても異様でありながら、神秘的な光景で……。
【矢吹龍一、お前に「役」を与える】
突然、あの男の声がした。
低い低い、地の底のような声。
コワガミサマの声だ。
はっとして顔を上げると、いつのまにかその半透明のひもの塊は二メートルほどの大きさになっていた。シルエットから、どうも髪の長い男の人になっているように見える。
これが、コワガミサマ……?
僕に「役」とは、いったいどういう風の吹き回しだろう。
【このままではお前は頭地区の者に捕まり、一生この神社の地下牢で過ごすこととなろう。それは我の嫁、日向純が望まぬこと……】
半透明の神様が、ゆらゆらとその髪をなびかせながら語る。
ジュン姉が望まない?
だから、そうならないようにしたいってこと?
コワガミサマが?
なんだかそれは、とてもイレギュラーなことのように思えた。
【最悪な事態を回避するため、お前には日向純の付き人という役目を与えようと思う】
付き人?
付き人の役目とは、いったいどういうものなのだろう。そんな役回り、シゲ婆さんの時にはなかった気がする。いったいどういう状況なんだ。
【その役目を担えば、頭地区の者もそうそう手出しができぬようになる。ただし、これは一時的なものだ。状況によっては、この任はいつでも解かれることとなる……】
一時的?
ますますもってわからなかった。いったい全体どういうつもりなのか。
コワガミサマの言葉を引き継いで、今度はジュン姉が語る。
「あのねリュー君……わたし、まだ夜が苦手なの。ヨソモノたちにも……会うのが怖い。夜のお役目なんて、とてもひとりじゃできそうにない。だからね、リュー君……夜の間だけ、わたしの側についていてほしいの。そうしたら、きっと頑張れると……思うから」
そういうことか。
ようやく合点がいった。
そうだ。ジュン姉はいままでだって夜をとても怖がっていた。だから昨夜も、僕はジュン姉を助けに行こうと思ったんだ。
昨夜。
そう、昨夜はたしか……ジュン姉は……。
ちゃんとお役目を果たすことができたんだろうか? わからない……。
それでも、今言われたことはどうにかしてやりたいと思った。
またコワガミサマが語る。
【お前が付き人でいられる期限は……日向純が夜の役目を単独でもこなせるようになるまでだ。一時的と言ったのはその期間だ。さあ、どうする? 我としてはこの状況は面白くない……が、夜のお役目は今のままだと滞ってしまっている。この方法は我も、我の嫁も、お前も、三者すべてが得をする案だ。さあ、さあどうする?】
おい、あそこにいたぞ、という男たちの声が後方から聞こえてくる。
もうためらっている暇はない。そう思った。
この申し出を断ったら、きっと僕はあの人たちに捕まってしまうだろう。でも、この「付き人」の役を得れば……そうだ、今よりは断然いいに違いない。
それに少しでも、ジュン姉の力になれるなら……。
僕はゆっくりとうなづいた。
「わかり……ました。その役、お引き受けいたします」
そう言って、僕はコワガミサマを見上げる。
【良し。ではお前に我が嫁の「付き人」の任を命ずる】
半透明の毛先の一つがぐぐぐっと僕の方に伸びてきた。いったい何をされるのかと覚悟していると、僕の目の前にふいに、あの「お守り」がぶら下げられた。
これは……僕がジュン姉に作って渡したものだ。どうして……と思っていると、それがするりと僕の首にかけられた。
【この中には、我の生み出した『分身』があった。これを常に持て】
お守りの表面にさらにコワガミサマの毛先が触れる。すると、そこがキラキラと輝きだして――。
「おいっ、お前! 何をしてる!」
「コワガミサマの……お嫁さん? 何故ここに!」
「離れろ! 無礼だぞ! おい!」
男たちが追い付き、そこでようやく気が付く。
僕のそばにジュン姉がいることを。
その中の一人がこれはいけないと焦って僕に駆け寄ってくる。
「おい、お前! 早く離れろ!」
「やめてっ!」
ジュン姉がとっさに叫ぶ。すると、僕を捕まえようとした男の人の足元に、ビシッとコワガミサマの毛の先端が振りおろされた。
「ひっ!」
一瞬の後に、地面にはスコップでえぐられたような深い穴が開く。
僕を捕まえようとした人はその後ろで尻餅をついた。
【お前たち……この者を捕えてはならぬ。この者はこれより、未熟な我の嫁、日向純の「付き人」となった。役目が果たされるその時まで、いっさい妨害をしてはならぬ。よいな?】
コワガミサマの言葉が、男たちに向かって突きつけられる。
だが、宮内あやめの運転手、園田だけは臆せず前に進み出てきた。
「……かしこまりました。ちなみに、その具体的な『役目の内容』、『役目が果たされたと判断される時』とは? いったいどういうものなのでしょうか。良かったらお聞かせ願えませんか?」
園田の質問に、コワガミサマは僕にしたのと同じような説明を繰り返した。
園田はその話にしばらく黙って耳を傾けていたが、やがて話が終わると男たちを率いて元来た道を戻っていった。
僕はようやくホッと胸をなでおろす。
「はあ……」
ふと見ると、胸元のお守りの光は消えていた。
「えっ? なんで……」
驚いたが、もともと普通のお守りに戻ったようだった。
僕はなんと言っていいかわからず、ぼんやりとジュン姉の方を見つめる。
お面に隠れて見えないけど、たぶん、ジュン姉はいま困ったような顔をしていると思った。
「リュー君。あのね……今はこのまま帰って。それと、夜になったら『また』鎖和墓地に来てほしいの。わたし、あそこから、村に下りれなくって……。だから、お願い」
ジュン姉がそんなことを言う。
また。
またってなんだ?
鎖和墓地……。
その場所を聞くと、なぜかズキリとこめかみが痛む。
なんでだろう。その場所に何か強い思い出があるような気もするけど、思い出せない。
僕たちが子供のころによく遊んでいた場所……?
いや、それは七折階段だ。その先の鎖和墓地は薄気味悪くて、あまり行ったことがなくて……。そこにまた来てほしい、だなんて。おかしいと思った。
また。
また?
またってなんだ。わからない。頭痛が、頭痛がして……。
気が付くと、ジュン姉は消えていた。
静かな森の中。
僕はいつのまにか、また一人きりにされていた。妙な頭痛はその後しばらく続いた。
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