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しおりを挟む伊織は机に突っ伏しながら、小さなため息を吐いた。
そして昨日母親から渡された一枚の紙切れを見つめながら更にもう一度ため息を零した。
紙にはお世辞でも綺麗とは言い難い字で『そろそろ限界かも』と書かれている。
夏休み、時雨と藍の誕生日プレゼントを探しに行くと決めたあの日の前日の夜から伊織の母親と義父は喧嘩は始まった。そして時雨との約束の日、遂に二人は爆発。その喧嘩に巻き込まれた伊織は待ち合わせの時間に大幅に遅れてしまった。
しかし、藍の誕生日が近いこともあり仲直りした……はずだったのだがまた二人は喧嘩を始めてしまった。その喧嘩の原因はとても些細なことで、伊織は心底呆れていたりする。朝起きれば珍しく二人揃っていると思ったら口喧嘩の最中で、嫌気がさした。
もしこの喧嘩に終止符がついた時、その結末が離婚だったとしたら恐らく自分はこの街から出ていくことになるだろう。
別れの際に悲しく、そして辛くならないようにとあまり親しい交友関係の人間をつくらないようにしてきたはずだったのに……。
伊織はその紙をくしゃりと握り締めた。
母親の再婚相手に連れ子が居ると聞いた時、自分と同じで苦労しているのかな? と少し期待したが相手の連れ子はまだ六歳だった。
こんなに小さいのにこの子も大変だな、と伊織は思った。そしてそれと同時に自分と同じ思いはさせたくないと思った。
伊織は幼い頃から一人で過ごす事が多かった。
弁護士のため、事務所にこもりきりになってしまう母親と、単身赴任が多く滅多に家にいない父親。寂しかったけれど我慢した。我慢すれば皆困らずに笑顔でいてくれたからだ。そんな中、この街に連れてきてくれた。その時撮った写真は今でも大切にしているが母親には秘密にしている。もし見つかってしまったりしたら捨てられてしまいそうな気がして。
「槙野。お前、暇か?」
「もう帰るんだけど」
机に突っ伏す伊織へと声を掛ける男子生徒。
伊織のクラスの学級委員を務める佐藤祐希だった。
整った用紙に黒い髪。インテリ風な黒縁メガネをかけており、元生徒会長。
女子からの人気も高く、頼れる先輩……といった感じの彼だが実は根っからのオタクである。右手に握られたペンケースにつけられた缶バッチがそれを物語っている。
「三年の俺らにはあまり関係ないけど、文化祭そろそろ始まるな」
「勉強の息抜きに参加する三年多いみたいだね」
「槙野は参加しないのか?」
「迷ってる。てか、文化祭終わったら直ぐ体育大会だし、イベント多すぎ。受験の息抜きとは言ってもさ……。ねぇ、元生徒会長だよね? 何とかしてよ」
「俺に言うなって」
眉を下げ、困った表情を浮かべる祐希。
三年は出し物はせず、一二年生の出し物を楽しむ事になっている。
一学年五クラスまであるので様々な出し物があって楽しいのは楽しいのだが文化祭前になると「一緒に回ろう」と言ったお誘いが次々くるため面倒臭いというのが本音だった。
「モテる奴はいいよな。女の子から沢山お誘い来てるんだろ?」
「彼女いるじゃん、お前」
「まぁな! でも、二次元にはまけるなー!」
「佐藤…………それ、絶対に彼女には言うなよ」
心底残念過ぎる祐希に呆れつつ伊織は助言をした。
しかし、こんな残念な彼だが伊織がここに転校してきた頃一番最初に声を掛けてくれたのが彼だった。
二年の頃から学級委員を務める彼は面倒見がよく、とても親切な男だ。
残念なところも多々あるが、それが佐藤祐希という人間なのだと伊織は理解している。
「…………って、俺もう帰んないと!?」
気づけば時計の短い針は五の数字を指しており、時刻は五時で藍を保育園へ迎えに行かなければいけない時間になっていた事に気づいた。
「槙野っていつも帰るの早いけど塾とか行ってるのか?」
「違うけど」
「ま、人それぞれ事情があるしな。取り敢えず急いだ方がいいんじゃないか? 」
「そうだね。じゃあ、明日」
伊織はそう言い残すと、駆け足で下駄箱へと向かう。
一番の友と呼べる祐希にさえも親が再婚してこの地に来たとか、義理の妹が居るという事を一切打ち明けてもいない。
何度も打ち明けようと思った。
けれど、どうせ今だけの付き合いだ。
そう思ったら話す気力は無くなってしまった。
パタパタと上履きを鳴らし、伊織は下駄箱へと向かう中、ふとある事を考えた。
───時雨ちゃん、まだいるかな?
あまり人には深入りしない。
そう決めていたはずなのにあの春、時雨と出会ってからは自らその言葉と真逆のことをしてしまっている自覚はある。
初めて会った時は最悪だと思った。
なにせ女子という生き物を伊織は心底嫌っていたからだ。
それは身近にいた母親からの印象がそのまま女性への印象になってしまっていたからだろう。
執着心は強いくせに飽きたら直ぐに捨てる。
そんな身近な母親を傍でずっと見てきた。
『愛』なんてくだらない。
それが伊織の正直な気持ち。
「今度こそは運命の人よ!」なんてキラキラと輝かせ自信満々に言う母親を傍で見てきた。だからこそ分かる。『愛』とか『運命』とかそんなモノ存在しないということが。
これまでに数え切れないほどの女の子に告白された。
その度に振って、悲しませてきた。
けれど次の日になればケロリとしていたり、別の男と付き合い始めた奴だって居た。
ほんと、訳が分からない。
下駄箱へと辿り着けば、そこには見慣れた少女の姿があった。
「時雨ちゃん」
そう名を呼べばその少女はビクリと肩を動かし、顔を赤らめた。
いちいち反応があってついつい笑ってしまいそうになるので見ていて飽きない。
「槙野先輩! 誰かに見られたらどうするんですか!?」と顔を真っ赤にさせながらそう言った時雨に、伊織は笑って誤魔化した。
彼女は言った。
自分に迷惑がかかるだろうから、と。
本当になんていい子なんだろうとしみじみ思ったし、こういう優しい「女」の人も居るんだなと初めて分かった。
最初はあまり関わらないようにしようと思っていた。
けれど彼女のことを徐々に知っていくうちにもっと知りたいと思うようになっていた。
時雨が動く度に揺れる一つに束ねられた髪を見つめ、伊織は口元を緩める。
頼って欲しい。
そう言われた時は驚いたけれど、内心はとても嬉しかった。
溢れ出そうな涙を必死に堪えた。泣き顔なんて恥ずかしくて見せられない。
ずっと一人で声を抱え込んできた。
辛いことも、苦しいことも全部全部全部。
誰にも話さずに、自分の心の奥底に閉まっていた。それで良かった筈なのに時雨に出会ってからというもの溜め込むことがあまり無くなった。
もしかしたら彼女は
「……女神様なのかも」
そう伊織がポツリと零すと、時雨が後ろを振り向き首を傾げ「先輩?」と言った。そんな時雨に「何でもない」とだけ返し、二人は並んで校門を出た。
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