恋するように、歌うように

せんりお

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Risoluto 〔決然と〕

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二度と戻ってこないつもりで出てきた部屋に、すぐに戻ってきてしまった。自分の間抜けさに苦笑する。真尋に連絡を取ろうと、落としてあったスマホの電源を入れると、画面が着信を知らせた。
愁だ。昨日からメッセージをたくさん入れてくれてあった。返事が出来ていなかったので、心配をかけてしまっただろう。放置することもできなくて、通話ボタンを押すと、愁の声が耳に突き刺さった。

「あ! やーっと、でた! 何回着信入れたと思ってんの!」

「ごめん」

「いやそれよりも! 奏始のα最高過ぎ!」

「は?」

「さっきのいってらっしゃいテレビ、久しぶりに腹抱えて笑った」

「うん?」

「あ、やばい。俺仕事行かなきゃ。ま、大変だろうから落ち着いたらまた連絡してよね! 飲み行こう!」

ぶつりと通話が切れる。奏始の返答なんて何一つ聞いちゃいなかった。嵐のような電話がいかにも愁らしい。それにしても、なんだったんだ。いってらっしゃいテレビとは、真尋が生放送で出演しているはずの番組だ。そこで何かがあったのか。慌ててテレビをつけて、レコーダーを立ち上げる。2人で出演する予定だったので録画をしてあったのだ。早送りで真尋の姿を見つけて、再生する。直後、違和感を覚えた。ヴァイオリンを持っていない。というかソファにアナウンサーと向かい合って座っている? 演奏だけの予定だったはずなのになぜ? 真尋はいつものにこやかな好青年然とした様子ではなく、冷ややかな表情で座っている。静かな怒りを秘めてそこに座しているのがわかった。

『今朝はゲストの宮瀬真尋さんをお迎えしております。宮瀬さんは世界で活躍するヴァイオリニストで、最近はピアニストである香坂奏始さんとユニットを組んで活動しておられます。本日は宮瀬さんのみの出演、また予定を変更して演奏をお聞かせいただくのではなく、お話をお伺いする形となりました。ご了承ください』

アナウンサーが頭を下げるのに対して、真尋は軽く首を傾げるような動作のみ。その不遜な態度にハラハラする。にしても、なぜ対談? 奏始が出られなくなったから? でも真尋の演奏だけでも十分なコーナーになるはずだ。真尋もこんな変更があったとは言っていなかった。混乱する奏始を余所に、映像は進んでいく。

『では、宮瀬さん。よろしくお願いいたします』

『よろしくお願いします』

『……今日は香坂さんをお呼び出来ずに申し訳ありません』

『いえ、事情はわかっています。その分、私も演奏ではなくこうしてお話させていただく形を希望したんですから大丈夫ですよ』

『まず、何か宮瀬さんからお話ししたいことはありますか?』

『ええ、では少しだけ。まず今回の件で世間の皆様をお騒がせしてしまっていること、心苦しく思います。ああ、今回の件というのは香坂がΩだということですが』

前触れなく切り込んだ真尋に、心臓が跳ねた。一体何を言うつもりなのか。

『インタビューを受けている方の発言を少し訂正したくて』

『訂正、ですか』

『はい。その方は俺たちのコンサートに足を運んでくれたと言っていました。2週間前のコンサートだと。その際に香坂のフェロモンを感じて、また会場にいたαも反応していたと』

『はい』

『それはあり得ないんです』

『あり得ない、とは?』

『私たちは1ヶ月も前に番契約を交わしていますから』

奏始が、ひゅっと息を飲むのと同時にスタジオの空気がざわりと動いた。

『番契約を交わしたΩのフェロモンは相手のαにしか影響しません。もしあのコンサートで香坂に惹かれたというのなら、それはただ彼が持つ魅力に嵌まっただけですね』

しれっと言い放たれた言葉に唖然となる。

『加えて、もし番でないとしても、あの規模のホールで客席にいる方がフェロモンに当てられるというのもあり得ない話ですね。抑制剤を飲んでいるのなら尚更。そもそも発情期であっても、その影響範囲はそう広くありません。フェロモンが影響し合うのは、広くてお互いの手を広げてぶつからない程度の範囲まで』

『それは宮瀬さん自身の経験からのお話ですか?』

『自分もそうですが、医学的な話も含めてです。ああ、α値が低いから感じないだけでは、という反論があるかもしれないので先に言っておきますが、α値が最高ランクである私からの意見であるということも覚えておいていただきたいですね』

なんだこれ。口角が上がりそうになって、とっさに唇を噛み締めた。平然とした表情で話を進めているが、内容はとんでもなくぶっ飛んでいる。

『今回、香坂さんがΩであるということが問題として取り上げられてしまったのですが、これについてはどういった思いがありますか?』

『そうですね……正直な話をすると』

『はい』

『Ωだとかαだとか、そんなことどうでもいいんですよね』

堪えきれず奏始は吹き出した。余りにもすぱっと言い切りすぎている。アナウンサーが言葉に詰まってしまって、スタジオが異様な空気に包まれているのが画面のこちらにも伝わった。番組側としては、「Ωにも権利を」だったり、「番の扱いが不満です」というような話を期待していたんじゃないだろうか。真尋がそれをわからない訳が無い。わかっていて、無視したんだ。

『音楽を追求する上で性別なんて何の関係もないんですよ。強いて言うなら、Ωが不当な扱いをされているせいで、世に出るはずだった素晴らしい音楽が消えてしまったかもしれないことに腹が立っています』

目に涙が滲んで、画面がゆらりと歪む。指の先で水滴を拭って、そのまましばし奏始は目を閉じた。初めて会った時から互いに感じていたことが、今、カチリと音を立てて重なった気がした。いつだったか、真尋に「お前は音を食べて生きているのか」と言われたことがある。自分を棚に上げて何を言うのだと思った。お前だって同類だ。奏始も真尋も、音を食べて、吸って、吐いて、生きているのだ。それがない自分たちなんてどうだっていいと思って生きている。真尋に出会えてよかった。この孤独を分かち合える相手に出会えたことが奇跡だと思えた。

『香坂は、Ωである彼らは、きっといろんなことを飲み込んで生きている。私なんかがそれを語るのは傲慢です。……だけど、この報道が出たとき、香坂はきっと音楽を辞めるつもりだった。そんなこと許さない。俺の側でずっと笑ってピアノを弾いててもらわなきゃ困るんですよ』

ここまで流暢に話してきた真尋の、少し言葉を探して詰まる声にそっと目を開く。困ったように眉を下げる真尋の顔が目に映って、奏始はまたぎゅっと目を閉じた。心臓が痛い。目が熱い。次に真尋と顔を合わせた途端に自分はきっと彼の腕に飛び込むんだろうと思った。まだこの夢を続けていいのか。まだ、隣にいていいのか。そんな葛藤を吹き飛ばす言葉をもらった。
テレビでは、コーナーが終わろうとしている。アナウンサーが締めの言葉を言いかけたとき、真尋が『あ、最後にこれだけ』とそれを遮った。

『来年の話になるんですが、同じヴァイオリニストのリッキー・マディソンとドイツでコンサートをすることになりました。もちろん私は香坂と出ます。見に来ていただける方はぜひ』

最高にいい笑顔で言い放った真尋を最後に、コーナーは移り変わった。そっとテレビの電源を落とす。静かになった部屋に奏始の笑い声が響いた。腹の底が震えて、やがてその震えは強張った体の力を取り去っていった。ぱたりと後ろに寝転がる。天井を見上げながら思うのは、これからのことだった。ずっと気を張っていた。いつΩだとバレて、糾弾されるかわからない。まるで薄氷の上を歩くような。でもそんなこと、すべて真尋が吹き飛ばしてくれた。母の言葉を思い出す。「世界が憎いでしょ」確かにそれは事実だった。奏始はずっと暗く濁った世界を見ていた。でも、今は違う。明るく開けた世界に解き放たれた気がした。

着信音が鳴って、スマホを目の前に翳すと、今もっとも会いたい人の名前が表示されていた。

「もしもし」

「見たか?」

「うん、見た」

「俺も見た」

「え?」

「お前のインタビュー」

「……そっか」

「で、どうする?」

「世界一を目指す。俺と、お前で」

「よし」

満足気な声に笑う。たったそれだけで、その表情まで鮮明に思い描くことができた。

「じゃあ今すぐ空港集合な。パスポート持ってきてくれ」

「はいはい。他は?」

「なくてもなんとかなるだろ」

「了解」

最悪な気分で詰め込んだスーツケースの荷物の隙間。真尋のパスポートとありったけの楽譜を入るだけ詰め込んで奏始は再び家を出た。

空港に着くと、エントランスで真尋が待っていた。広げられた腕に迷わず飛び込む。痛いほどの力で抱きしめられた。数秒、数分。お互いの気が済むまでそうして心臓を重ねて呼吸した。
離れる瞬間は同時で、そして視線が合わさるのも同時だった。そして、笑う。

「どこ行く?」

「とりあえず1番早く乗れる飛行機はどこ行きだ?」

「あー……シンガポール?」

「ありだな」

「ありだね」

「……そっからまたどっか飛べばいいか」

「そうしよ」

思案する真尋の声は弾んでいる。きっと奏始も同じなんだろう。だって最高にわくわくしている。
まずは煩わしい全てを振り切るところから始めよう。そして2人で音楽を奏でるのだ。きっとそれは世界一、幸せに満ちた音楽になるだろう。
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