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1章・モエ
チトとの出会い・9
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「後輩たちの中には、俺を慕って中学から高校に、追いかけて来てくれてた奴もいたからさ。がっかりさせちゃったみたいなんだ」
「でも、笑うのはよくないです」
「うん……、でも、しかたないんだ。みんな、自分の足じゃないからね。やっぱり、他人事ではあるんだよ。自分のことなら笑えなくても、他人のことなら、笑って話せんじゃないのかな」
後輩たちの会話を聞いて、怒りはなかった。ただ、自分が情けなくて、元に戻らない足を思うと悲しかった。それから、頭にくるほど図星だった。
自分が感じていたことを、周囲も感じている。アキレス腱を切ったあとも頑張っているようだけど、弱くなったと、周囲はそう思っているんだとわかったとき、体の中で、必死に繋ぎとめていたものが、プツン――と切れたような感じがあった。それから、モエは無気力になってしまったのだ。
もう頑張ってもどうしようもない。この足も、自分の強さも元には戻らないのだとわかり、しばらくはリハビリもやめた。冬の間はそれでもなんとか踏ん張ったが、春を迎え、高校3年生に上がって、新入生が入ってきたとき、猛烈な恐怖感に襲われて、モエは剣道部を退部したのだ。
高校最後の公式試合が続く季節を前に、そこでレギュラーになれない可能性や、出たとしても活躍できないで「モエ先輩はかわいそうだね」と言われるかもしれない。それを思うと、今すぐそこから逃げ出したくなった。
「顧問の先生――、本多先生でしたっけ。止められませんでした?」
「止められた、止められた。本多先生にもだけど、吉川と結城にも止められた。でも、もう無理だったんだよ。気力がないっつーか、剣道のこと考えるとつらくて、潰れちゃいそうだったから」
「そっか……。もうやらないんですか」
「どうかなぁ。当分はやりたくないけど。じいさんになって、どうしてもヒマになったら、庭先で素振りくらいはやるかも。健康のためにね!」
冗談めかしてそう言ってから、きっとやらないだろうな、と思い直す。素振りをするたび、モエは必ず思い出してしまうからだ。アキレス腱の傷のこと。後輩の言葉。そして、自分がもう、前の自分とは違ってしまっていることも。
「コウモリなのに、飛べないなんて……、笑っちゃうよな……」
ひとり言のように、笑みを混じらせ、ぼそりとそうこぼした。チトはしばらく無言になって、黙々と雑草をむしっていたが、しばらくして、すくっと立ち上がると、一度、天を仰いでから、黒縁眼鏡を指で押し上げた。
「モエくん……」
「え、なに?」
「翼がなくて飛べなくなっても、コウモリなら足がありますよ」
チトはそう言って、モエの足を指差した。モエはぱちぱちと瞬きをして、彼の指先と、自分の足を交互に見つめる。
「え……、足……?」
「僕は飛べなくなったコウモリが、道端を這っているのを見たことがあるんです。コウモリは歩けます」
「はあ……」
「コウモリだけじゃない。すべての動物がそうです。どんなに弱っていても、足があれば必ず地面を歩けます。すると、空を飛んでいるときには見えなかったものが見つかるようになる。地面を這って歩いていたほうが案外おもしろいものが見つかるかもしれません。たとえば、はい! こちら!」
「お……?」
「見てください、この下草! これは斑入りのアマドコロなんですが、この斑入り、緑色の葉にわずかに黄色がかったような、なんとも神秘的な色味の斑が入っています。希少な入り方なんですよ、もうたまらないでしょ!」
彼は地面に膝をつき、早口でまくし立てるようにして、モエに珍しい種類の植物を紹介してくれた。だが、専門用語や聞いたことのない植物の名前を言われても、モエにはそれがなんなのかさっぱりわからない。
「えっと、ごめん……。フイリ……ってなに?」
ひとまず、植物の名前よりも、一番意味のわからない言葉を拾って訊ねてみる。すると、チトは得意げに口角を上げ、説明をはじめた。
「緑色の葉っぱに、こうやって違う色が混ざっているものを、斑入りと言うんです。園芸品種には、斑入りが多く、そして人気も高いんですよ。はい、リピートアフターミー、斑入り!」
「オウ……、フ、フイリ……」
「オーケー! 庭を彩る植物って、華やかなバラとか、桜とか、花のイメージが強いと思いますが、意外にこういう下草が美しいんです。モエくんが昼間、ボキボキにしたギボウシさんたちも、斑入りで綺麗でしょう!」
言われて、昼休みに蕾の茎を折ってしまった場所に振り返る。
「あぁ、ほんとだ……。ごめん……」
罪悪感がぶり返した夏風邪のようにやってきて、途端に気分が落ちる。だが、そんなモエにかまいもせず、チトは言った。
「だから、地面を歩いても、きっと楽しいと思うんです。今までみたいに飛べなくたって、歩くのも悪くないですよ。僕、僕――……」
「あの、チトくん……?」
「僕……っ、え、園芸部員の名に懸けて、モエくんがこれから歩く道が楽しくなるように……、綺麗な花や美しい下草を、いっぱい植えておきますから!」
叫ぶように言った、その言葉を聞いた瞬間。モエの胸がじわっと熱くなった。同時に言いようのない熱い感情が、腹の底から込み上げてくる。気付いたとき、モエはチトに飛びついて抱きしめていた。
「モエくん……? あの……」
戸惑っているようなチトの声を耳元で聞いて、思わず、くくっと笑みがこぼれる。
「なに、今の! スーパーかっけえ! なんか告白みたいだったんだけど!」
「えぇっ!」
驚いた表情で、徐々に顔を赤らめていくチトの反応が好ましく、笑いが止まらない。モエはひとしきり笑ってから、じわりと滲んだ目の涙を拭うと、チトをもう一度抱きしめて言った。
「ありがと。チトくん。すっげえ元気出た!」
そう言って、モエはまたひとしきり笑う。笑っているのに、涙が少しずつ滲んでくるのが少し恥ずかしかったが、こんなに笑ったのは久しぶりで、こんなに嬉しいのも久しぶりだった。モエがその日、出会ったばかりのチトに、ほかの誰とも違う好感を持ってしまったのは、言うまでもなかった。
「でも、笑うのはよくないです」
「うん……、でも、しかたないんだ。みんな、自分の足じゃないからね。やっぱり、他人事ではあるんだよ。自分のことなら笑えなくても、他人のことなら、笑って話せんじゃないのかな」
後輩たちの会話を聞いて、怒りはなかった。ただ、自分が情けなくて、元に戻らない足を思うと悲しかった。それから、頭にくるほど図星だった。
自分が感じていたことを、周囲も感じている。アキレス腱を切ったあとも頑張っているようだけど、弱くなったと、周囲はそう思っているんだとわかったとき、体の中で、必死に繋ぎとめていたものが、プツン――と切れたような感じがあった。それから、モエは無気力になってしまったのだ。
もう頑張ってもどうしようもない。この足も、自分の強さも元には戻らないのだとわかり、しばらくはリハビリもやめた。冬の間はそれでもなんとか踏ん張ったが、春を迎え、高校3年生に上がって、新入生が入ってきたとき、猛烈な恐怖感に襲われて、モエは剣道部を退部したのだ。
高校最後の公式試合が続く季節を前に、そこでレギュラーになれない可能性や、出たとしても活躍できないで「モエ先輩はかわいそうだね」と言われるかもしれない。それを思うと、今すぐそこから逃げ出したくなった。
「顧問の先生――、本多先生でしたっけ。止められませんでした?」
「止められた、止められた。本多先生にもだけど、吉川と結城にも止められた。でも、もう無理だったんだよ。気力がないっつーか、剣道のこと考えるとつらくて、潰れちゃいそうだったから」
「そっか……。もうやらないんですか」
「どうかなぁ。当分はやりたくないけど。じいさんになって、どうしてもヒマになったら、庭先で素振りくらいはやるかも。健康のためにね!」
冗談めかしてそう言ってから、きっとやらないだろうな、と思い直す。素振りをするたび、モエは必ず思い出してしまうからだ。アキレス腱の傷のこと。後輩の言葉。そして、自分がもう、前の自分とは違ってしまっていることも。
「コウモリなのに、飛べないなんて……、笑っちゃうよな……」
ひとり言のように、笑みを混じらせ、ぼそりとそうこぼした。チトはしばらく無言になって、黙々と雑草をむしっていたが、しばらくして、すくっと立ち上がると、一度、天を仰いでから、黒縁眼鏡を指で押し上げた。
「モエくん……」
「え、なに?」
「翼がなくて飛べなくなっても、コウモリなら足がありますよ」
チトはそう言って、モエの足を指差した。モエはぱちぱちと瞬きをして、彼の指先と、自分の足を交互に見つめる。
「え……、足……?」
「僕は飛べなくなったコウモリが、道端を這っているのを見たことがあるんです。コウモリは歩けます」
「はあ……」
「コウモリだけじゃない。すべての動物がそうです。どんなに弱っていても、足があれば必ず地面を歩けます。すると、空を飛んでいるときには見えなかったものが見つかるようになる。地面を這って歩いていたほうが案外おもしろいものが見つかるかもしれません。たとえば、はい! こちら!」
「お……?」
「見てください、この下草! これは斑入りのアマドコロなんですが、この斑入り、緑色の葉にわずかに黄色がかったような、なんとも神秘的な色味の斑が入っています。希少な入り方なんですよ、もうたまらないでしょ!」
彼は地面に膝をつき、早口でまくし立てるようにして、モエに珍しい種類の植物を紹介してくれた。だが、専門用語や聞いたことのない植物の名前を言われても、モエにはそれがなんなのかさっぱりわからない。
「えっと、ごめん……。フイリ……ってなに?」
ひとまず、植物の名前よりも、一番意味のわからない言葉を拾って訊ねてみる。すると、チトは得意げに口角を上げ、説明をはじめた。
「緑色の葉っぱに、こうやって違う色が混ざっているものを、斑入りと言うんです。園芸品種には、斑入りが多く、そして人気も高いんですよ。はい、リピートアフターミー、斑入り!」
「オウ……、フ、フイリ……」
「オーケー! 庭を彩る植物って、華やかなバラとか、桜とか、花のイメージが強いと思いますが、意外にこういう下草が美しいんです。モエくんが昼間、ボキボキにしたギボウシさんたちも、斑入りで綺麗でしょう!」
言われて、昼休みに蕾の茎を折ってしまった場所に振り返る。
「あぁ、ほんとだ……。ごめん……」
罪悪感がぶり返した夏風邪のようにやってきて、途端に気分が落ちる。だが、そんなモエにかまいもせず、チトは言った。
「だから、地面を歩いても、きっと楽しいと思うんです。今までみたいに飛べなくたって、歩くのも悪くないですよ。僕、僕――……」
「あの、チトくん……?」
「僕……っ、え、園芸部員の名に懸けて、モエくんがこれから歩く道が楽しくなるように……、綺麗な花や美しい下草を、いっぱい植えておきますから!」
叫ぶように言った、その言葉を聞いた瞬間。モエの胸がじわっと熱くなった。同時に言いようのない熱い感情が、腹の底から込み上げてくる。気付いたとき、モエはチトに飛びついて抱きしめていた。
「モエくん……? あの……」
戸惑っているようなチトの声を耳元で聞いて、思わず、くくっと笑みがこぼれる。
「なに、今の! スーパーかっけえ! なんか告白みたいだったんだけど!」
「えぇっ!」
驚いた表情で、徐々に顔を赤らめていくチトの反応が好ましく、笑いが止まらない。モエはひとしきり笑ってから、じわりと滲んだ目の涙を拭うと、チトをもう一度抱きしめて言った。
「ありがと。チトくん。すっげえ元気出た!」
そう言って、モエはまたひとしきり笑う。笑っているのに、涙が少しずつ滲んでくるのが少し恥ずかしかったが、こんなに笑ったのは久しぶりで、こんなに嬉しいのも久しぶりだった。モエがその日、出会ったばかりのチトに、ほかの誰とも違う好感を持ってしまったのは、言うまでもなかった。
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