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1章・モエ
園芸のススメ・4
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モエには今、あんなふうにひたむきになれるものがない。以前は剣道がモエにとってのそれだったが、あまりに自分の中で大きかった存在がなくなってしまって以来、心の中はいまだ、がらんとしている。穴がぽっかり空いたままになって、そこにすき間風が入り込んでいるような感覚だ。ただし――。
チトくんのこと見てると……、そういうの忘れちゃうんだよな……。
不思議なことに、チトと一緒に放課後、園芸作業をしているときや、彼と話しているときだけは、その感覚が少し薄れた。心の穴は空いたままでも、そこがじわりとあたたかくなっていく心地がする。あたたかい感情がじわじわとそこを温めて、穴をふさいでいくようでもあり、穴自体が小さくなっていくようでもある。おそらく、そのせいだろう。まだ2日目にして、彼とふたりで園芸作業をする放課後の時間が、モエは楽しくてしようがなかった。
今まで、植物にも園芸作業にも、興味なんてこれっぽっちもなかったのにな……。
植物が好きか、と訊かれると、今もよくわからない。けれど、知りたいのだ。チトが話す世界や、見ている世界のことを。もっとちゃんと知って、理解したいと思う。そうして、もっと彼の役に立ちたいとすら思う。ついでに言うと、これがまったく妙なことだが、昨日から気持ちが浮ついてしようがないのだ。
モエはちょっとだけ寄り道をして、駅前の本屋へ向かった。そこで、園芸関連の雑誌や、植物図鑑を手に取る。意外にも、園芸関連の本というのは多いようだった。
厚みのある植物図鑑は全ページがカラーで、目次も索引もしっかりあって見やすい。見た目もなんだかしゃれている。だが、裏側をひっくり返して驚愕した。お値段が想像以上に高い。
これは無理だな……。高すぎる。
一方で雑誌のほうは、ファッション雑誌と変わらない金額だ。これなら、高校生のモエも手が出せる。モエは「園芸のススメ」という雑誌を手に取ると、迷わずレジへ持っていき、それを購入した。これを読んで、急激にレベルアップをするわけではないだろうが、なにもやらないよりはずっといいだろう。
よし。帰ったら、読んでみっか。
そう信じて、足早に本屋を出る。だが、ちょうどその時だった。
「おーい、モエ!」
本屋を出て、自転車に乗ろうとしたところで、不意に馴染みの声に呼ばれた。振り向くと、そこにいたのは吉川だ。彼は本屋にいたのだろう。モエを見かけて、慌てて追ってきたようだった。
「吉川じゃん……。なに、お前も本屋に来てたんだ」
「うん。今日、剣道魂の発売日だったから」
「あぁ、なるほどね」
月刊・剣道魂――。それは、モエにとっても馴染み深いタイトルだった。毎月、15日に発売される剣道雑誌、「剣道魂」は、全日本剣道大会に出場経験のある有名な選手のインタビューや、期待の高校生剣士を取材した記事などが載っている。要するに、剣道専門のスポーツ雑誌だ。去年までは、モエもそれを毎月買って読んでいたが、退部とともに、みんな捨ててしまった。
「あいかわらず、吉川は真面目だな」
「お前には負けるって。それで、お前は?」
「え?」
「お前はなに買ったの?」
吉川はそう言って、自転車のカゴに入った紙袋に目をやる。モエがその中身を見せると、吉川は途端に目を丸くしたあと、到底理解できない、とでも言うかのように、眉をしかめた。
「お前……、まさか園芸部に入る気なのか?」
「いや、そうじゃないんだけど。もうちょっと園芸のこと、ちゃんと知っておこうと思って。今、チトくんにおんぶに抱っこだからさ。話ももっとわかるようになりたいし」
「意外だな……。もうそんなに仲良くなったんだ、チトと」
「いやいや。まぁ……、それほどでも」
笑みを浮かべて、そう返す。仲良くなったなんてもんじゃない。まだ出会って2日なんて信じられないほど、モエとチトは仲を深めている。
「モエとチトじゃ、気が合うようには思えないけどな……」
「なんだよ。お前、昨日俺に、チトはお前と似てる、とか言ってたじゃん」
「あぁ、あれは根っこが似てると思っただけ。似た者同士だからって気が合うとは限らないだろ」
「そうか?」
「そうだよ」
モエは昨日、チトがくれた言葉を、ここで吉川に話して、自慢したい衝動に駆られた。だが、同時に恥ずかしさをも感じて、ひとまずぐっとこらえる。それに、なによりもあれは、チトとモエが交わした、大事な約束のようなものだ。誰かにしゃべってしまうのはなんだかもったいない。
もっと言うと、モエはチトと仲良くなったというより、これからもっと仲良くなりたいのだ。しかし、モエがそうとは知らない吉川は、笑みを浮かべるモエを見つめ、これは妙だ――と言わんばかりに眉をひん曲げていた。
チトくんのこと見てると……、そういうの忘れちゃうんだよな……。
不思議なことに、チトと一緒に放課後、園芸作業をしているときや、彼と話しているときだけは、その感覚が少し薄れた。心の穴は空いたままでも、そこがじわりとあたたかくなっていく心地がする。あたたかい感情がじわじわとそこを温めて、穴をふさいでいくようでもあり、穴自体が小さくなっていくようでもある。おそらく、そのせいだろう。まだ2日目にして、彼とふたりで園芸作業をする放課後の時間が、モエは楽しくてしようがなかった。
今まで、植物にも園芸作業にも、興味なんてこれっぽっちもなかったのにな……。
植物が好きか、と訊かれると、今もよくわからない。けれど、知りたいのだ。チトが話す世界や、見ている世界のことを。もっとちゃんと知って、理解したいと思う。そうして、もっと彼の役に立ちたいとすら思う。ついでに言うと、これがまったく妙なことだが、昨日から気持ちが浮ついてしようがないのだ。
モエはちょっとだけ寄り道をして、駅前の本屋へ向かった。そこで、園芸関連の雑誌や、植物図鑑を手に取る。意外にも、園芸関連の本というのは多いようだった。
厚みのある植物図鑑は全ページがカラーで、目次も索引もしっかりあって見やすい。見た目もなんだかしゃれている。だが、裏側をひっくり返して驚愕した。お値段が想像以上に高い。
これは無理だな……。高すぎる。
一方で雑誌のほうは、ファッション雑誌と変わらない金額だ。これなら、高校生のモエも手が出せる。モエは「園芸のススメ」という雑誌を手に取ると、迷わずレジへ持っていき、それを購入した。これを読んで、急激にレベルアップをするわけではないだろうが、なにもやらないよりはずっといいだろう。
よし。帰ったら、読んでみっか。
そう信じて、足早に本屋を出る。だが、ちょうどその時だった。
「おーい、モエ!」
本屋を出て、自転車に乗ろうとしたところで、不意に馴染みの声に呼ばれた。振り向くと、そこにいたのは吉川だ。彼は本屋にいたのだろう。モエを見かけて、慌てて追ってきたようだった。
「吉川じゃん……。なに、お前も本屋に来てたんだ」
「うん。今日、剣道魂の発売日だったから」
「あぁ、なるほどね」
月刊・剣道魂――。それは、モエにとっても馴染み深いタイトルだった。毎月、15日に発売される剣道雑誌、「剣道魂」は、全日本剣道大会に出場経験のある有名な選手のインタビューや、期待の高校生剣士を取材した記事などが載っている。要するに、剣道専門のスポーツ雑誌だ。去年までは、モエもそれを毎月買って読んでいたが、退部とともに、みんな捨ててしまった。
「あいかわらず、吉川は真面目だな」
「お前には負けるって。それで、お前は?」
「え?」
「お前はなに買ったの?」
吉川はそう言って、自転車のカゴに入った紙袋に目をやる。モエがその中身を見せると、吉川は途端に目を丸くしたあと、到底理解できない、とでも言うかのように、眉をしかめた。
「お前……、まさか園芸部に入る気なのか?」
「いや、そうじゃないんだけど。もうちょっと園芸のこと、ちゃんと知っておこうと思って。今、チトくんにおんぶに抱っこだからさ。話ももっとわかるようになりたいし」
「意外だな……。もうそんなに仲良くなったんだ、チトと」
「いやいや。まぁ……、それほどでも」
笑みを浮かべて、そう返す。仲良くなったなんてもんじゃない。まだ出会って2日なんて信じられないほど、モエとチトは仲を深めている。
「モエとチトじゃ、気が合うようには思えないけどな……」
「なんだよ。お前、昨日俺に、チトはお前と似てる、とか言ってたじゃん」
「あぁ、あれは根っこが似てると思っただけ。似た者同士だからって気が合うとは限らないだろ」
「そうか?」
「そうだよ」
モエは昨日、チトがくれた言葉を、ここで吉川に話して、自慢したい衝動に駆られた。だが、同時に恥ずかしさをも感じて、ひとまずぐっとこらえる。それに、なによりもあれは、チトとモエが交わした、大事な約束のようなものだ。誰かにしゃべってしまうのはなんだかもったいない。
もっと言うと、モエはチトと仲良くなったというより、これからもっと仲良くなりたいのだ。しかし、モエがそうとは知らない吉川は、笑みを浮かべるモエを見つめ、これは妙だ――と言わんばかりに眉をひん曲げていた。
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