【完結】君と風のリズム

いなば海羽丸

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ウィンダミアへ(1-1)

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 空は晴れ渡り、心地のいい風が吹く。なだらかな丘はどこまでも続いている。僕はひとり、列車に乗り、湖水地方の玄関口であるウィンダミア駅を目指していた。

 おろしたての服を着て、おろしたての帽子をかぶり、祖父からプレゼントされた腕時計をして、まるでこんな列車には、乗り慣れているという素振りで、窓から景色を眺める。だが、内心はそわそわして落ち着かない。何度も何度も腕の時計に目を落とし、静かにため息をく。もうすぐだ。もうすぐ、この列車はウィンダミア駅に到着する。

 緊張するなぁ……。

 ロンドンから約四百キロ離れたウィンダミア。僕――オリバー・トンプソンは、今日から、その湖のほとりにある乗馬クラブに、住み込みで働くことになっている。

 ウィンダミアには馴染なじみがなく、友人も親戚も、誰ひとりいない。そこへ行けば、僕はひとりぼっちだ。勤務先の乗馬クラブのオーナーからは「到着時間には迎えを出すよ」と言われているものの、その人がどんな人なのかも、僕はあまりよく知らなかった。

 ただ、祖父の昔の知り合いの、そのまた知り合いで、トーマス・ウィリアムズという名前であること。猫の手も借りたいほど忙しい乗馬クラブを経営しているということ。それから「若い男の手があるならぜひ欲しいね」と言って、ふたつ返事で僕を雇ってくれた男の人、ということだけだ。

 声だけ聞けば、彼は善人であるような気がしたが、本当にそうなのかどうかもわからない。ただ、優しい祖父の知り合いのそのまた知り合いだ。きっといい人に違いない。今はそう信じるよりほかなかった。

 僕にとって家族は、一緒に暮らしてきた祖父母だけ。祖父母はとても優しく、愛情をめいっぱいそそいで僕を育ててくれた。おかげで、父や母がいなくて寂しいと思うことはあっても、愛情に飢えるということは一度もなかったように思う。

 もちろん、生まれたときからそうだったわけではない。昔は父と母がいた。聞きわけのいい、かわいい弟もいた。僕にとって彼らは、なによりも大事な宝物だった。だが、彼らはある日突然、いなくなってしまった。



***



 あれは、僕がまだ十二の頃。誕生日の夜だった。夜中に起きた火事で、僕は父と母、そして弟を亡くした。それはたったひと晩のこと。たったひと晩で、僕は大事な家、大事な人、すべてを失ってしまった。

 当時、消防関係者の調査では、火事の原因は不明。出火原因は特定できなかったという。つまりは、それほどに激しく燃えてしまったということ。それを聞いたとき、僕は、偶然生き残ったことにすら絶望し、悲しみに暮れることすら、忘却した。

 その後、間もなく僕は祖父母に引き取られ、彼らの家でともに暮らした。先にも述べたが、祖父母はふたりとも、とても優しかった。暮らしは質素だが、静かで、途方もなく穏やかで、思いやりに溢れていた。

 それでも、父と母、弟を亡くした悲しみは、あとから古傷のようにやってきて、僕を苦しめた。それは今も変わらない。時折、思い出せば、寂しくも悲しくもなる。そんな僕が今日まで希望を失わずに生きていられたのは、祖父母との暮らしがあったからだ。だから、本当なら彼らと離れたくなんかなかった。

 しかし、現実を見れば、十八歳を迎えた今、僕はいつまでも祖父母に世話になっているわけにはいかなかった。ただでさえ、祖父母は高齢だ。祖父は庭師として働いていたが、もともと、手を悪くしていたので、近年では徐々に仕事が減りつつあった。祖母は近所の花屋で働いてはいるものの同じく高齢なので、そろそろ楽な生活をさせてあげたい。それにはまず、僕が自ら賃金を稼ぎ、自立して生きていく。これが先決だった。

 ただ、生まれてはじめて訪れる土地で、初めて出会う人の中で暮らし、働くのはどんなものだろう。ほんの数時間先のことを考えてみても、とにかく緊張してしまう。もう覚悟も決意も、何度もしているのに、僕は祖父母の笑顔を思い出すと、列車を降りて、故郷へ引き返してしまいたい衝動に駆られた。

 ウィンダミアは古い町だといている。観光産業ではもっぱら有名らしいのだが、僕はそこをあまりよく知らない。ただし、写真で見るからに、そこはイングランド内でも有数の、美しい土地であることは間違いなかった。景観もひと目で見て気に入った。建物の古さや質素な雰囲気、どこか田舎らしい町並みまで、なにもかも好きだと思った。

 祖父母は、その写真を見て「落ち着いたらきっと訪ねるよ」と言ってくれた。それから「電話をする」とも言ってくれた。この二千年代になっても、祖父母はケータイというものを嫌がって使おうとしなかったから、家には今も固定電話機が一台あるだけだ。その電話機の横には数えきれないほどのナンバーがメモ書きされ、貼られている。そこの一番、目につく場所に、彼らは僕のケータイの番号を書き足してくれた。

 ――大丈夫。誰だって初めて仕事をする日はこんな気持ちなんだ。きっとおじいちゃんもそうだった。おばあちゃんも。父さんだって、きっと。

 ウィンダミアが近づくにつれ、何度も、何度も、僕は心の中でくり返し、自分自身に言い聞かせる。
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