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涙戦
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「……ついに、ここまで来たのね……」
暗闇の中、鋭く尖ったいくつもの塔を屹立させ、死を連想させるほどの、恐ろしい魔力を纏わせる漆黒の城を目前にして、私はそう呟いていた。
この城に辿り着くまでに、一体どれほどの命が犠牲になっただろうか? 歩んできた道を振り返れば、仲間たちの亡き骸が、どこまでも続いているに違いない。
「ダレン、私はあなたを……」
階段を登り、禍々しく佇む、両開きの扉の前に立つ。この扉を開いた時、私達白魔導士と、彼が率いる、黒魔導士との最後の戦いの幕が、切って落とされるのだ……。
決心と魔力を込め、右側の扉に手をかける。さあ、始めよう――。勢いよく扉を開き、光の無い空間の中に足を踏み入れる。
すると、私が進むべき道を指し示すかのように、宙に浮いた蝋燭に明かりが灯り、赤い絨毯が敷かれた通路と、上階へと続く段の始まりが露わになる。
「よく来たな、カミリア」
低くて威圧感のある声が聞こえ、まるでスポットライトのように、階段の先の踊り場にいくつもの光が当てられてゆく。
「ダレン……」
光が当てられたその先には、赤と金で彩られた、玉座のごとく豪華な椅子に座る男――ダレン・アトウッド――の姿があった。
白魔導士だった頃と変わらず、彼の容姿は、通常の人間とは大きく異なったままだ。彼の四肢の大部分は、黒くて醜い毛と皮で覆われ、両足は蹄のある足に変形してしまっている。
その上、額からは山羊のような角が後部へと捻じ曲がって伸び、背中の左側からは黒色の爛れた翼が生えてきており、悪魔の化身を連想してしまうほどに、彼の姿を悍ましく仕立て上げていた。
「お前に再び出会える瞬間を、俺はずっと心待ちにしていた。俺のものになれ、カミリア。そうすれば、この世界のすべてを、俺達のものにすることができるだろう」
右手を私に差し出し、彼は優しく諭すように言った。その指先の爪は、黒く長く、そして鋭く尖っている。
「ダレン、確かに私達は、お互いを愛し合い、どんな困難にも立ち向かって行こうと、そう誓ったわ……。だけどあなたは、白魔導士を裏切り、数多の同胞の命を奪ってきた。そして今は、この世界の秩序を、平和を脅かそうとまでしている。そんなあなたを、私は裁かなければならない。……だからあなたを、今ここで討つ!」
左手に持っていた杖を右手に持ち替え、水晶が取り付けられたその先端を彼の顔に向ける。
「……そうか。どうやらお前には、少し躾をしてやらないといけないようだな」
彼の体から禍々しい魔力が溢れ出す。その魔力の強大さに、私は思わず後ずさりをしてしまいそうになる。
「あなた、一体どうやってそれほどの力を!?」
彼は歪んだ微笑みを浮かべ、答えた。
「驚くのも無理はない。白魔導士だった頃の俺は、弱くはなかったにせよ、お前ほどは、飛びぬけた力を持てていなかったからな……。だが、今は違う。黒魔導士となった今の俺は、世界を支配できる力を手に入れたのだ。……さあ、どこからでもかかってくるが良い」
彼は右手の指先を向こう側に引き寄せるように振り、私を手招きした。
「私は、決してあなたの力には屈しない! あなたを断罪し、この世界の秩序を守ってみせる!」
杖の先端の水晶に魔力を込め、術式展開を始める。
「白魔法・白蓮砲弾!」
呪文を唱え、魔力を凝縮させた十数個の弾丸を、水晶を中心とした円状の魔術空間に出現させる。
「ほう、白蓮砲弾か。面白い。俺もそれなりの魔術で対応させてもらおう。――黒蓮砲弾」
彼がそう唱えると、いくつもの魔弾が彼の周りに展開されてゆく。彼の作り出した魔弾の数は、私の『白蓮砲弾』
の二倍はあるように見える。
「く、数が多い……!」
「どうした、攻めてこないのか?」
攻めようにも、この戦力差では、こちらから仕掛けるのは危険すぎる。
「……ならば、俺の方から攻めさせてもらうとしよう!」
彼の『黒蓮砲弾』の半分ほどが私に向けて発射される。
「この程度!」
――白魔法・白神眼!
魔法を発動し、動体視力と反応速度を極限まで高め、飛んでくる弾丸をこちらの魔弾で打ち落とす。
「なるほどな。通常なら魔術防壁で防ぐしかない魔弾を、その卓越した魔術裁きで相殺しているわけか。防御に徹したところで、この俺の『黒蓮砲弾』に敵うわけもないからな。……だがしかし、それでいつまで耐えられるのだろうなあ?」
何度も『白蓮砲弾』を発動し直し、魔弾を装填して対抗するが、一度に展開できる弾数の差のために、どうしても防戦一方になってしまう。
「ふはははははは! どうした! もうそろそろ終わりが見えてきたぞ!」
「ぐ、うう……!」
時間が経過すると共に、防御にもどんどんと余裕が無くなっていく。
「これで終わりだ!」
魔弾が無くなり、『白蓮砲弾』を発動し直そうとした時、彼の魔弾が杖の先端に命中し、魔術展開を支援していた水晶が砕け散った。
「く、しまった!」
杖を捨て、次の攻撃に対応すべく身構える。
「ふん、弾遊びはもうおしまいか。あっけないものだったな」
彼は残っていた魔弾を自ら消滅させた。
「さあ、次の技を出してみろ。どんな抵抗も、この俺の前では無力なのだということを、思い知らせてやる」
彼は余裕のこもった笑みを浮かべ、再び私に手招きをした。
「……いいわ、ならあなたを葬ってあげる! 私の最高の魔術で!」
両手の指を合わせ、三角形、あるいは山のような形をした空間が、その間にできるように構える。
「白魔法奥義・白狼爆花!」
両手から膨大な魔力を放出し、白く猛々しい、狼の形に練り上げてゆく。
「なるほど、それがお前の隠し玉か」
彼は満足そうに笑い、強大な魔力を体から放出させ始めた。
「そうよ! これが私の白魔法奥義! この技からは、誰も逃れられない!!」
そうだ。この『白狼爆花』は、狙った相手をどこまでも追跡し、ベストな距離で自身を爆発させることができる。たとえ魔術防壁を張ろうとも、その爆風から逃れることは絶対にできないのだ。
「さあ、これで終わりよ! ダレン!!」
『白狼爆花』を、彼のいる玉座に向かって飛び掛からせる。
「いいだろう。今見せてやる、この俺が黒魔導士になって得た真の力を。――支配魔法・黒死縛鎖!」
白狼が彼に触れるまで、あと一メートルという所まで近づいたとき、地面から、黒紫色の魔力を纏った鎖が数本現れ、私の狼を空中で縛りつけた。
「鎖!? でも無駄よ! この距離なら、充分に効果を発揮させることができる! 『白狼爆花』!」
呪文を唱え、『白狼爆花』を起爆させようとするが、まったく変化が見られない。それどころか、白狼は苦しそうに鳴き声を上げながら、黒い魔力に覆われ霧散していった。
「そんな!?」
「驚いたか。これが俺の得た力、『黒死縛鎖』だ。この力の前では、白魔導士も黒魔導士も、この世界の全ての存在は、この俺の魔力に屈服せざるを得ないのだよ」
「そんな、そんな馬鹿な!? この世界のすべてを支配できる魔法なんて、そんなものあるはずがないわ!」
「今見ただろう? これが現実だ。……くく、俺はこの力を使い、まず黒魔導士どもを恐怖で支配した。連中が頭を垂れ、跪く様子を眺めるのは、実に心地がよかったぞ。……それから、やつらを下僕としてまとめ、白魔導士どもを殺しまくった時は……あははははははは! 今でも笑いが止まらないぞ!!」
彼は歯を剥き出しにして、狂ったように笑い声を上げた。
「魂までも腐り果てたのか!! ダレン!!」
「腐り果てただと? はは、笑わせるなあ。……俺を迫害したのは、白魔導士どもだったではないか。こんな醜い姿に生まれた俺のことを、奴らは、『悪魔の子』、だのなんだのと言って、まともに、人として扱わなかっただろう?」
「それでも、こんなことをして、許されるわけがない!」
「カミリア、なぜわからない? この世界に生きる人間に、所詮価値などない。価値があるのは、お前ひとりだけだ。……なあカミリア、俺のことを理解し、支えてくれたのは、お前だけだった……」
「お前は俺とは違い、白魔導士どもから『神童』ともてはやされていたが、俺もお前も、根っこの部分では大して変わらなかったのだ。俺たちは二人とも『孤独』だった。連中が見ていたのはお前の力であり、お前自身ではなかった。俺も同じだった」
「利用価値があるから、白魔法をそこそこ使いこなすことができていたから、なんとか生き延びることができただけだった……。だから、俺はお前と出会えた時、本当に嬉しかったのだ。お前は俺のことを認めてくれた。他者から蔑まれ、虐げられていた俺のことを、お前はいつも全力で守ってくれたな」
「……だが、だがあのくそ野郎どもは俺のことを……!」
彼は歯をぎりぎりと軋ませ、目を大きく見開き、全身から黒く巨大な魔力を噴出させた。
「連中は、白魔導士どもは! 俺たちのことを無情にも引き裂いた!! 俺の最後の望みだったお前を、奴らは俺から奪っていったのだ!!」
そう、私たちが親しくしているのを、よく思わなかった白魔導士協会の者たちは、私たちを遠く離れた地域の部隊に転属させた。『神聖なる神の御子のそばに、あのような醜い姿の者がいてはならない』、それが彼らの言い分だった。
「そして、飛ばされた見知らぬ地で戦い、黒魔導士どもの命を刈り取っていくうちに、俺は、自らの中に隠された力に気づいた! それからの日々は実に楽しかったぞ! 黒魔導士としてクズどもを屠りながら力を蓄え、ついにはその頂点にまで俺は立った! この世界も、あともう少しで俺のものとなる!」
彼は激情のままに言葉を振り撒き続けた。そして落ち着きを取り戻すと、今度は優しい微笑みを浮かべ、私に手を差し向けた。
「だからな、カミリア。俺たちの邪魔をする者など、もうどこにもいないんだよ。今度こそ、俺たちはずっとそばにいられるんだ。さあ、俺のもとに来い。俺の力をお前に、君に分け与えよう」
ダレンが私を手招く。彼の右目は……薄い黄色を纏いながらも、見ている情景次第で何色にも染まる、その純粋な瞳の右目は……かつて共に戦場を駆け巡り、蜜約を交し合ったあの頃のように、私への優しさと愛情に、包まれているようにも思われた。
――胸が軋む。心臓の鼓動が痛くて痛くてしょうがない。だけど、私は……。
口にしたい言葉を、唾と共に強く喉奥に飲み込み、私は、白魔導士として、世界の秩序を守るものとして、言うべき言葉を口にする。
「ダレン、たとえどんな理由があろうとも、私はあなたを許さない。私はここで、あなたを殺す!」
自分に言い聞かせるように、神に宣誓するように、ここに来たとき告げたその言葉を、私は再び言い放つ。
「そうか」
ダレンの顔から一切の表情が消えた。
そして、黒色の白目と山羊の瞳孔の左目で、私に冷たい視線を向け、彼は言う。
「ならば死ね」
彼の周囲にいくつもの黒き魔弾が現れる。
「白魔法・白刃防壁!」
私の前方に半球状の透明な魔術防壁を構築し、攻撃に備える。
「無駄だ! 黒蓮砲弾!」
二十数個の魔弾が、私に向けて撃ち放たれる。それらの魔弾が私の『白刃防壁』に触れた瞬間、本来進むべき方向
とは真逆の方角――彼の座っている玉座――に向けて魔弾が再発射される。
「何!?」
軌道が少しずれた魔弾が城内を破壊し、集中砲火を浴びた彼の周辺に、砂煙単語が立ち上がる。
「今度こそ終わりよ!」
煙が晴れると、無数の鎖に覆われたダレンが、無傷のまま姿を現した。
「だから無駄なんだよ。この『黒死縛鎖』は、使用者が危機に陥った時には、自動的に発動するように調整してあるのだ。変な期待をさせて悪かったな」
ダレンが指を鳴らし、『黒死縛鎖』が、先端を向けて私に襲い掛かってくる。
「白刃防壁!」
もう一度魔法を発動させるが、『白刃防壁』の力は無効化され、鎖が私を後方へと突き飛ばした。ぶつかった衝撃で、私の付けていたネックレスのチェーンがちぎれ、飾りの十字架が赤い絨毯の上に落ちる。
「ふははははははは! 十字架が堕ちたか! どうやらついに、お前は神からも見放されてしまったみたいだなあ!」
なんとか転ばずに態勢を保ち、次の魔術展開を開始する。
「白狼――」
「遅いぞ!」
私の立っている場所の左右両側面から、黒紫色の鎖が出現し、私の両手に巻き付いてきた。
「魔法が発動しない!?」
彼がくくっと可笑しそうに笑う。
「だから言っただろう? 俺のこの『黒死縛鎖』は、この世の全てを『支配』することができるのだと。魔導士本人を『支配』すれば、当然魔法の発動も無効化できるのだよ」
鎖が私の両足をも縛り、いよいよ身動きが取れなくなってしまう。
「まったく、本当に愚かなことだ。この絶対的な力を前にして、ここまで無意味な抵抗を続けるなんてな……」
ダレンはその高御座から立ち上がり、ゆっくりと階段を下りてくる。
「俺がその『黒死縛鎖』に魔力を込めれば、お前は魂のない人形と成り果てる。愚かな女、カミリア・ロペスシーよ。最後に何か言い残したいことはあるか?」
漆黒のマントを翻しながら、彼はこちらへと歩を進めてゆき、あと三メートル程の位置で立ち止まった。
「……ありがとう」
「ん? なんだって? よく聞こえなかったぞ?」
「ありがとう。ここまで近づいてきてくれて」
「お前は何を――」
ダレンが言葉を紡いだその刹那、彼と私の間に落ちていた十字架が、強烈な光を放った。
「ぐあああああああ!」
彼は眼を抑えて後ろに下がる。それと同時に、私を縛っていた鎖も消滅した。
チャンスは今しかない。腰の左側に備えていた短剣を引き抜き、彼に刃を向け、全力で走り出す。
――今度こそ!
私がダレンに差し向けた短剣が、あと数センチで、彼の腹部を捉えられるという距離まで達したとき、頑強で透明な障害物が私の刃を止めた。
「魔術防壁!?」
「惜しかったな。だがやはり、お前がいくら努力しようとも俺には届かぬ」
「……いいえ、あなたもこれで終わりよ」
青緑の宝石で飾り付けられた短剣に、自らの体に残された魔力を全て注ぎ込む。私の魔力を吸った短剣は、眩いほどの輝きを放ち、その刀身を凄まじい速度で伸長させ、魔術防壁ごと彼の体を貫いた。
「がはっ!?」
魔剣・ダーインスレイヴに腹部を吹き飛ばされた彼は、血を吐きながら私の体に倒れ掛かった。
「ぐ……。この俺が負けた、だと? なぜだ……。俺の力は、お前の術を圧倒していたというのに……」
「簡単なことよ。あなたは、驕り高ぶり、私を倒せるチャンスを見逃していた。それに対して私は、あなたを殺すために最善の準備をし、自らの命をも捨てる覚悟で、ここまで来た。……この覚悟の差が、今の結末をもたらしたのよ……」
「まだ、まだだ……! 俺はこの世界の全てを……!」
そう言った後、私にしがみついていた彼の腕は力を無くし、彼の口からは何の言葉も発されなくなった。
「これで、終わったのね……」
動かなくなった彼を抱き締め、一切の光が無くなった空間に座り込む。
「ダレン、今までつらいことがたくさんあったわね。私たちはいつも孤独だった。あなたは他人から認めてもらえないでいて、私はみんなからいつも称賛されていて……。けれど、私をちゃんと見て、私の心を理解してくれたのは、あなただけだったわね……」
体から少しずつ力が抜けていく、全ての魔力を使い果たした人間は、その命を失う。それが、この世界の摂理だ。
「ごめんね、私が守り切れていれば……。ダレン、みんな……ごめん、ごめんね……」
もうほとんど体を動かすことはできず、いよいよ、呼吸をするのも難しくなってくる。
――さようなら、私の愛しき世界よ。もし叶うなら、今度は二人で幸せに――。
心臓の鼓動が止まり、私の心は暗闇の中に溶けていった――――。
その世界のどこかで、こんな御伽噺が、民の間に広まっていったという。
〝恩恵承りし魔導士たちが、与えられた運命に飲み込まれ、自らの信念を鮮血により果たさんと争いを起こしたとき、神の園より一対の天人が舞い降りる。天人は、時に悪魔の、時に神使の姿をして現れ、世界に訪れた混沌を正すために、人々を率いて戦いを治める。そして、役割を果たした二人は、元いた場所、神の園へと帰ってゆく〟
人々は二人の住まう園のことを、彼らが困難の先に辿り着く祝福の地、という意味を込めて、『エデン』と呼んだ。
暗闇の中、鋭く尖ったいくつもの塔を屹立させ、死を連想させるほどの、恐ろしい魔力を纏わせる漆黒の城を目前にして、私はそう呟いていた。
この城に辿り着くまでに、一体どれほどの命が犠牲になっただろうか? 歩んできた道を振り返れば、仲間たちの亡き骸が、どこまでも続いているに違いない。
「ダレン、私はあなたを……」
階段を登り、禍々しく佇む、両開きの扉の前に立つ。この扉を開いた時、私達白魔導士と、彼が率いる、黒魔導士との最後の戦いの幕が、切って落とされるのだ……。
決心と魔力を込め、右側の扉に手をかける。さあ、始めよう――。勢いよく扉を開き、光の無い空間の中に足を踏み入れる。
すると、私が進むべき道を指し示すかのように、宙に浮いた蝋燭に明かりが灯り、赤い絨毯が敷かれた通路と、上階へと続く段の始まりが露わになる。
「よく来たな、カミリア」
低くて威圧感のある声が聞こえ、まるでスポットライトのように、階段の先の踊り場にいくつもの光が当てられてゆく。
「ダレン……」
光が当てられたその先には、赤と金で彩られた、玉座のごとく豪華な椅子に座る男――ダレン・アトウッド――の姿があった。
白魔導士だった頃と変わらず、彼の容姿は、通常の人間とは大きく異なったままだ。彼の四肢の大部分は、黒くて醜い毛と皮で覆われ、両足は蹄のある足に変形してしまっている。
その上、額からは山羊のような角が後部へと捻じ曲がって伸び、背中の左側からは黒色の爛れた翼が生えてきており、悪魔の化身を連想してしまうほどに、彼の姿を悍ましく仕立て上げていた。
「お前に再び出会える瞬間を、俺はずっと心待ちにしていた。俺のものになれ、カミリア。そうすれば、この世界のすべてを、俺達のものにすることができるだろう」
右手を私に差し出し、彼は優しく諭すように言った。その指先の爪は、黒く長く、そして鋭く尖っている。
「ダレン、確かに私達は、お互いを愛し合い、どんな困難にも立ち向かって行こうと、そう誓ったわ……。だけどあなたは、白魔導士を裏切り、数多の同胞の命を奪ってきた。そして今は、この世界の秩序を、平和を脅かそうとまでしている。そんなあなたを、私は裁かなければならない。……だからあなたを、今ここで討つ!」
左手に持っていた杖を右手に持ち替え、水晶が取り付けられたその先端を彼の顔に向ける。
「……そうか。どうやらお前には、少し躾をしてやらないといけないようだな」
彼の体から禍々しい魔力が溢れ出す。その魔力の強大さに、私は思わず後ずさりをしてしまいそうになる。
「あなた、一体どうやってそれほどの力を!?」
彼は歪んだ微笑みを浮かべ、答えた。
「驚くのも無理はない。白魔導士だった頃の俺は、弱くはなかったにせよ、お前ほどは、飛びぬけた力を持てていなかったからな……。だが、今は違う。黒魔導士となった今の俺は、世界を支配できる力を手に入れたのだ。……さあ、どこからでもかかってくるが良い」
彼は右手の指先を向こう側に引き寄せるように振り、私を手招きした。
「私は、決してあなたの力には屈しない! あなたを断罪し、この世界の秩序を守ってみせる!」
杖の先端の水晶に魔力を込め、術式展開を始める。
「白魔法・白蓮砲弾!」
呪文を唱え、魔力を凝縮させた十数個の弾丸を、水晶を中心とした円状の魔術空間に出現させる。
「ほう、白蓮砲弾か。面白い。俺もそれなりの魔術で対応させてもらおう。――黒蓮砲弾」
彼がそう唱えると、いくつもの魔弾が彼の周りに展開されてゆく。彼の作り出した魔弾の数は、私の『白蓮砲弾』
の二倍はあるように見える。
「く、数が多い……!」
「どうした、攻めてこないのか?」
攻めようにも、この戦力差では、こちらから仕掛けるのは危険すぎる。
「……ならば、俺の方から攻めさせてもらうとしよう!」
彼の『黒蓮砲弾』の半分ほどが私に向けて発射される。
「この程度!」
――白魔法・白神眼!
魔法を発動し、動体視力と反応速度を極限まで高め、飛んでくる弾丸をこちらの魔弾で打ち落とす。
「なるほどな。通常なら魔術防壁で防ぐしかない魔弾を、その卓越した魔術裁きで相殺しているわけか。防御に徹したところで、この俺の『黒蓮砲弾』に敵うわけもないからな。……だがしかし、それでいつまで耐えられるのだろうなあ?」
何度も『白蓮砲弾』を発動し直し、魔弾を装填して対抗するが、一度に展開できる弾数の差のために、どうしても防戦一方になってしまう。
「ふはははははは! どうした! もうそろそろ終わりが見えてきたぞ!」
「ぐ、うう……!」
時間が経過すると共に、防御にもどんどんと余裕が無くなっていく。
「これで終わりだ!」
魔弾が無くなり、『白蓮砲弾』を発動し直そうとした時、彼の魔弾が杖の先端に命中し、魔術展開を支援していた水晶が砕け散った。
「く、しまった!」
杖を捨て、次の攻撃に対応すべく身構える。
「ふん、弾遊びはもうおしまいか。あっけないものだったな」
彼は残っていた魔弾を自ら消滅させた。
「さあ、次の技を出してみろ。どんな抵抗も、この俺の前では無力なのだということを、思い知らせてやる」
彼は余裕のこもった笑みを浮かべ、再び私に手招きをした。
「……いいわ、ならあなたを葬ってあげる! 私の最高の魔術で!」
両手の指を合わせ、三角形、あるいは山のような形をした空間が、その間にできるように構える。
「白魔法奥義・白狼爆花!」
両手から膨大な魔力を放出し、白く猛々しい、狼の形に練り上げてゆく。
「なるほど、それがお前の隠し玉か」
彼は満足そうに笑い、強大な魔力を体から放出させ始めた。
「そうよ! これが私の白魔法奥義! この技からは、誰も逃れられない!!」
そうだ。この『白狼爆花』は、狙った相手をどこまでも追跡し、ベストな距離で自身を爆発させることができる。たとえ魔術防壁を張ろうとも、その爆風から逃れることは絶対にできないのだ。
「さあ、これで終わりよ! ダレン!!」
『白狼爆花』を、彼のいる玉座に向かって飛び掛からせる。
「いいだろう。今見せてやる、この俺が黒魔導士になって得た真の力を。――支配魔法・黒死縛鎖!」
白狼が彼に触れるまで、あと一メートルという所まで近づいたとき、地面から、黒紫色の魔力を纏った鎖が数本現れ、私の狼を空中で縛りつけた。
「鎖!? でも無駄よ! この距離なら、充分に効果を発揮させることができる! 『白狼爆花』!」
呪文を唱え、『白狼爆花』を起爆させようとするが、まったく変化が見られない。それどころか、白狼は苦しそうに鳴き声を上げながら、黒い魔力に覆われ霧散していった。
「そんな!?」
「驚いたか。これが俺の得た力、『黒死縛鎖』だ。この力の前では、白魔導士も黒魔導士も、この世界の全ての存在は、この俺の魔力に屈服せざるを得ないのだよ」
「そんな、そんな馬鹿な!? この世界のすべてを支配できる魔法なんて、そんなものあるはずがないわ!」
「今見ただろう? これが現実だ。……くく、俺はこの力を使い、まず黒魔導士どもを恐怖で支配した。連中が頭を垂れ、跪く様子を眺めるのは、実に心地がよかったぞ。……それから、やつらを下僕としてまとめ、白魔導士どもを殺しまくった時は……あははははははは! 今でも笑いが止まらないぞ!!」
彼は歯を剥き出しにして、狂ったように笑い声を上げた。
「魂までも腐り果てたのか!! ダレン!!」
「腐り果てただと? はは、笑わせるなあ。……俺を迫害したのは、白魔導士どもだったではないか。こんな醜い姿に生まれた俺のことを、奴らは、『悪魔の子』、だのなんだのと言って、まともに、人として扱わなかっただろう?」
「それでも、こんなことをして、許されるわけがない!」
「カミリア、なぜわからない? この世界に生きる人間に、所詮価値などない。価値があるのは、お前ひとりだけだ。……なあカミリア、俺のことを理解し、支えてくれたのは、お前だけだった……」
「お前は俺とは違い、白魔導士どもから『神童』ともてはやされていたが、俺もお前も、根っこの部分では大して変わらなかったのだ。俺たちは二人とも『孤独』だった。連中が見ていたのはお前の力であり、お前自身ではなかった。俺も同じだった」
「利用価値があるから、白魔法をそこそこ使いこなすことができていたから、なんとか生き延びることができただけだった……。だから、俺はお前と出会えた時、本当に嬉しかったのだ。お前は俺のことを認めてくれた。他者から蔑まれ、虐げられていた俺のことを、お前はいつも全力で守ってくれたな」
「……だが、だがあのくそ野郎どもは俺のことを……!」
彼は歯をぎりぎりと軋ませ、目を大きく見開き、全身から黒く巨大な魔力を噴出させた。
「連中は、白魔導士どもは! 俺たちのことを無情にも引き裂いた!! 俺の最後の望みだったお前を、奴らは俺から奪っていったのだ!!」
そう、私たちが親しくしているのを、よく思わなかった白魔導士協会の者たちは、私たちを遠く離れた地域の部隊に転属させた。『神聖なる神の御子のそばに、あのような醜い姿の者がいてはならない』、それが彼らの言い分だった。
「そして、飛ばされた見知らぬ地で戦い、黒魔導士どもの命を刈り取っていくうちに、俺は、自らの中に隠された力に気づいた! それからの日々は実に楽しかったぞ! 黒魔導士としてクズどもを屠りながら力を蓄え、ついにはその頂点にまで俺は立った! この世界も、あともう少しで俺のものとなる!」
彼は激情のままに言葉を振り撒き続けた。そして落ち着きを取り戻すと、今度は優しい微笑みを浮かべ、私に手を差し向けた。
「だからな、カミリア。俺たちの邪魔をする者など、もうどこにもいないんだよ。今度こそ、俺たちはずっとそばにいられるんだ。さあ、俺のもとに来い。俺の力をお前に、君に分け与えよう」
ダレンが私を手招く。彼の右目は……薄い黄色を纏いながらも、見ている情景次第で何色にも染まる、その純粋な瞳の右目は……かつて共に戦場を駆け巡り、蜜約を交し合ったあの頃のように、私への優しさと愛情に、包まれているようにも思われた。
――胸が軋む。心臓の鼓動が痛くて痛くてしょうがない。だけど、私は……。
口にしたい言葉を、唾と共に強く喉奥に飲み込み、私は、白魔導士として、世界の秩序を守るものとして、言うべき言葉を口にする。
「ダレン、たとえどんな理由があろうとも、私はあなたを許さない。私はここで、あなたを殺す!」
自分に言い聞かせるように、神に宣誓するように、ここに来たとき告げたその言葉を、私は再び言い放つ。
「そうか」
ダレンの顔から一切の表情が消えた。
そして、黒色の白目と山羊の瞳孔の左目で、私に冷たい視線を向け、彼は言う。
「ならば死ね」
彼の周囲にいくつもの黒き魔弾が現れる。
「白魔法・白刃防壁!」
私の前方に半球状の透明な魔術防壁を構築し、攻撃に備える。
「無駄だ! 黒蓮砲弾!」
二十数個の魔弾が、私に向けて撃ち放たれる。それらの魔弾が私の『白刃防壁』に触れた瞬間、本来進むべき方向
とは真逆の方角――彼の座っている玉座――に向けて魔弾が再発射される。
「何!?」
軌道が少しずれた魔弾が城内を破壊し、集中砲火を浴びた彼の周辺に、砂煙単語が立ち上がる。
「今度こそ終わりよ!」
煙が晴れると、無数の鎖に覆われたダレンが、無傷のまま姿を現した。
「だから無駄なんだよ。この『黒死縛鎖』は、使用者が危機に陥った時には、自動的に発動するように調整してあるのだ。変な期待をさせて悪かったな」
ダレンが指を鳴らし、『黒死縛鎖』が、先端を向けて私に襲い掛かってくる。
「白刃防壁!」
もう一度魔法を発動させるが、『白刃防壁』の力は無効化され、鎖が私を後方へと突き飛ばした。ぶつかった衝撃で、私の付けていたネックレスのチェーンがちぎれ、飾りの十字架が赤い絨毯の上に落ちる。
「ふははははははは! 十字架が堕ちたか! どうやらついに、お前は神からも見放されてしまったみたいだなあ!」
なんとか転ばずに態勢を保ち、次の魔術展開を開始する。
「白狼――」
「遅いぞ!」
私の立っている場所の左右両側面から、黒紫色の鎖が出現し、私の両手に巻き付いてきた。
「魔法が発動しない!?」
彼がくくっと可笑しそうに笑う。
「だから言っただろう? 俺のこの『黒死縛鎖』は、この世の全てを『支配』することができるのだと。魔導士本人を『支配』すれば、当然魔法の発動も無効化できるのだよ」
鎖が私の両足をも縛り、いよいよ身動きが取れなくなってしまう。
「まったく、本当に愚かなことだ。この絶対的な力を前にして、ここまで無意味な抵抗を続けるなんてな……」
ダレンはその高御座から立ち上がり、ゆっくりと階段を下りてくる。
「俺がその『黒死縛鎖』に魔力を込めれば、お前は魂のない人形と成り果てる。愚かな女、カミリア・ロペスシーよ。最後に何か言い残したいことはあるか?」
漆黒のマントを翻しながら、彼はこちらへと歩を進めてゆき、あと三メートル程の位置で立ち止まった。
「……ありがとう」
「ん? なんだって? よく聞こえなかったぞ?」
「ありがとう。ここまで近づいてきてくれて」
「お前は何を――」
ダレンが言葉を紡いだその刹那、彼と私の間に落ちていた十字架が、強烈な光を放った。
「ぐあああああああ!」
彼は眼を抑えて後ろに下がる。それと同時に、私を縛っていた鎖も消滅した。
チャンスは今しかない。腰の左側に備えていた短剣を引き抜き、彼に刃を向け、全力で走り出す。
――今度こそ!
私がダレンに差し向けた短剣が、あと数センチで、彼の腹部を捉えられるという距離まで達したとき、頑強で透明な障害物が私の刃を止めた。
「魔術防壁!?」
「惜しかったな。だがやはり、お前がいくら努力しようとも俺には届かぬ」
「……いいえ、あなたもこれで終わりよ」
青緑の宝石で飾り付けられた短剣に、自らの体に残された魔力を全て注ぎ込む。私の魔力を吸った短剣は、眩いほどの輝きを放ち、その刀身を凄まじい速度で伸長させ、魔術防壁ごと彼の体を貫いた。
「がはっ!?」
魔剣・ダーインスレイヴに腹部を吹き飛ばされた彼は、血を吐きながら私の体に倒れ掛かった。
「ぐ……。この俺が負けた、だと? なぜだ……。俺の力は、お前の術を圧倒していたというのに……」
「簡単なことよ。あなたは、驕り高ぶり、私を倒せるチャンスを見逃していた。それに対して私は、あなたを殺すために最善の準備をし、自らの命をも捨てる覚悟で、ここまで来た。……この覚悟の差が、今の結末をもたらしたのよ……」
「まだ、まだだ……! 俺はこの世界の全てを……!」
そう言った後、私にしがみついていた彼の腕は力を無くし、彼の口からは何の言葉も発されなくなった。
「これで、終わったのね……」
動かなくなった彼を抱き締め、一切の光が無くなった空間に座り込む。
「ダレン、今までつらいことがたくさんあったわね。私たちはいつも孤独だった。あなたは他人から認めてもらえないでいて、私はみんなからいつも称賛されていて……。けれど、私をちゃんと見て、私の心を理解してくれたのは、あなただけだったわね……」
体から少しずつ力が抜けていく、全ての魔力を使い果たした人間は、その命を失う。それが、この世界の摂理だ。
「ごめんね、私が守り切れていれば……。ダレン、みんな……ごめん、ごめんね……」
もうほとんど体を動かすことはできず、いよいよ、呼吸をするのも難しくなってくる。
――さようなら、私の愛しき世界よ。もし叶うなら、今度は二人で幸せに――。
心臓の鼓動が止まり、私の心は暗闇の中に溶けていった――――。
その世界のどこかで、こんな御伽噺が、民の間に広まっていったという。
〝恩恵承りし魔導士たちが、与えられた運命に飲み込まれ、自らの信念を鮮血により果たさんと争いを起こしたとき、神の園より一対の天人が舞い降りる。天人は、時に悪魔の、時に神使の姿をして現れ、世界に訪れた混沌を正すために、人々を率いて戦いを治める。そして、役割を果たした二人は、元いた場所、神の園へと帰ってゆく〟
人々は二人の住まう園のことを、彼らが困難の先に辿り着く祝福の地、という意味を込めて、『エデン』と呼んだ。
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