虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

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Ⅰ 強奪

1. ラルカの街にて

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淡い翳りを帯びた夕暮れ時を過ぎ、すっかり日の落ちたラルカの街は、昼間とはまた違った喧噪に包まれていた。

宿屋や酒場が軒を連ねる大通りでは、仕事を終えた人々が憩いの場を求めて行き交い、店の窓から零れ落ちた灯りが、賑やかな酒場の音楽と共に、ちらちらと石畳の上を踊っている。

そんな中、一人の若者がゆっくりと歩いていた。

彼は裾の擦り切れた丈の長いマントをはおり、旅荷物の他、弓と矢筒を背負い、腰からは長剣を下げている。
通商の重要な拠点であるラルカの街には、商人たちが方々から集まる。彼らは大抵、荷を守るために腕に覚えのある護衛を雇うのだが、この若者も、そのうちの一人だった。

しかし彼の発する柔和な雰囲気からは、とてもそのような荒くれ稼業に就いているとは思えず、物々しい装備と彼自身の風貌が、互いにせめぎ合って不協和音を醸し出している。

加えて、顔立ちは美青年と言っても差し支えないにも関わらず、そう表現するには何かためらいがある。

それというのも、若者の大きな蜂蜜色の瞳が、何かおもしろいことがあれば一つも見逃すまいと言わんばかりに、茶目っ気たっぷりにきらきらと輝き、口角の上がった口元が、新しいいたずらを思いついた子供のように、あどけない印象を漂わせているからだろう。

――彼の名は、レイ。

人間界のギルドに登録して、仕事をもらうようになってから5年が経ち、レイは今年で22歳になった。

レイは生まれつき非常に魔力が高く、また、師に恵まれた運も手伝って、15の頃には既に、数多くの高位の魔道術を習得していた。

普通、人間は魔力を持たずに生まれてくる。
何かの拍子で魔力を具えて生まれてくる者もいるが、その場合でも、高位の魔道術には手が届かないのが常だ。
レイのように人間の姿をしていながら、高位の魔道術を使いこなす者は、かなりめずらしい。

人間界にいて稀有けうな存在であるレイは、ギルドにとっても貴重な人材で、若輩であるにも関わらず、仕事の依頼にはいつも事欠かなかった。

魔道に加えて、剣や弓の腕前にも長けていた彼は、商人や貴人の護衛から、行方不明者の捜索、果ては畑の豊作祈願や若い娘の恋占いまで、幅広く依頼を受け、着実にこなしていた。
確かな腕前と誠実な仕事ぶり、そしてレイの人柄の良さは、次第にギルド内でも有名となり、最近では彼を指名しての依頼も少なくない。

そんな風にレイの現在は順調だが、最初の頃は若さゆえの無知と、持ち前の正義感が災いし、ずいぶんと無謀なこともした。
その結果、仲間内では 「好奇心過多で、愚かさと紙一重の怖い物知らず」と評されるようになり、一時期はよくからかわれたものだ。
魔道の才に恵まれたレイを妬んで嫌がらせをする者もいたが、大抵の者は明るく天真爛漫な性格のレイに好感を持ち、 「~ 怖い物知らず」の評の続きを、「しかし魔道と愛想の良さは超一級品」としめくくった。

その評の通り社交的なレイだったが、最近では付き合いを断ることも多かった。

今夜もギルドで仕事の報告をした際、その場にいた顔見知りから「飲みに行かないか」と誘われたが、当たり障りのない言葉を選んで断り、今こうして、一人で通りを歩いている。

いつもなら仕事明けに誰かと騒ぐのは大歓迎なのだが――レイには思うところがあった。

(そろそろ――会いにくるはずだ)

レイには、予感があった。
ある男が、自分に会いに来るという予感が。
そのために付き合いを断り、わざわざ時間を用意して待っているのだ。

部屋を取っている馴染みの宿の方向へ、表通りから脇道に入ったとき――数歩先に待ち望んだ気配を感じ、レイは仄暗い路地の隅に目を凝らした。

ドクン――とレイの心臓が大きくひとつ、跳ね上がる。

それまで何もないように見えた空間に、目深にフードを被った大柄な男が、すっと闇の中から浮かび上がり、圧倒的な存在感を発しながら、音もなくレイに近付いた。

「……元気にしていたか、レイ」

フードの奥で、二つの赤い瞳と、魔族特有の額の感覚器官が、瞳と同じ色を湛えて宝石のように美しく輝いている。

「やあ……魔王。そろそろ来る頃だと思って、待っていたよ」

その言葉に、男の顔がほころぶ。

「そうか……。いつもの宿だな?」

「ああ。『踊るイルカ亭』。二階の、表通りに面した西端の部屋だ」

「分かった。先に入っている」

魔王と呼ばれた男は辺りを警戒しながら、現れたときと同様、すっと闇に溶けていなくなった。


人間界のグルダス国、その北西に位置するラルカの街の近くには、魔界に通じる〈界門かいもん〉がある。
〈界門〉とは、異なる世界を繋ぐ門のことで、自然に出来たものと人為的に開かれたものがあるが、前者は安定しない為、通常〈界門〉と称されるものはすべて、後者である。

今のところ、人間界には〈界門〉が六つあり、そのうち四つは魔界へ、二つは仙界へと繋がっている。

魔界は魔力に満ち溢れた古い世界で、夜空には三つの月が君臨し、未だに神話の時代の生き物が棲息している。
そこに暮らす人々は「魔族」もしくは「魔人」と称され、大抵が生まれながらに魔力を具え、日常的に魔導術を使い、生活している。
彼等は魔力だけでなく、肉体的にも人間より優れており、魔族は総じて背が高く、筋骨逞しい。
人間と異なる魔族の外見的特徴としては、尖った大きな耳を持ち、額に魔力の源とされる重要な感覚器官――『額瞳がくどう』を具えている。宝石のように美しく輝く額瞳は、大抵その者の瞳と同じ色をしている。

現在、魔界と人間界はおおむね良好な関係を築いており、〈界門〉を通じて交易や人の行き来が盛んに行われている。

はるか昔には、魔王の軍隊が人間界に攻めてきて悪行の限りを尽くし、人間の勇者が魔王を成敗しに行く――などということもあったらしいが、もはや伝説の域になっており、今はもう、吟遊詩人や遊興の演じ物で供されるお話しでしかない。

しかし、そのような魔王と勇者の伝説が生まれるのも無理はない。人間は昔から、魔力と体格に優れた魔族に、畏怖の念を抱いだいてきたからである。
もし彼等が〈界門〉から攻めてきたとしたら、人間に勝ち目はない――そんな恐怖を発端とした印象を、人間は魔族に、ひいては魔界に対して持ち続けてきたのである。

他にも、人間が魔族を脅威とみなし、敬遠する気持ちに拍車をかける理由があった。
その一つは魔族の吸血行為である。

魔族は精力に溢れ、非常に好色で、性行為の際には互いの血を貪り合うと言われている。
吸血行為を忌むべきものとする人間界の風潮から思えば、人間にとって魔人――ひいては魔界は、なかば理解の範疇はんちゅうを超えていた。

しかし、この人間界のラルカの街のように、〈界門〉がごく近くにある環境では、魔族は見慣れた存在で、人間も魔族も分け隔てなく、お互いさまざまな取引が行われている。

レイが魔王と知り合うきっかけになった事件も、このラルカの街で起こった。

二年前この街で、レイは偶然、魔界から誘拐されてきた魔王の幼い弟と出会い、彼を魔界へと連れ戻した。その際、誘拐犯の一味と誤解されて、ひと悶着あったのだが、やがて真相が明らかとなり、レイは王弟を救った英雄として、異界人としては異例の特別待遇を受ける身分となったのである。

以来レイは、何度も魔界の王宮に遊びに行ったことがあり、また、魔王自身が直接、彼に会いに来ることも度々あった。

ギルドに登録する人間界の「何でも屋」レイと、魔族の頂点に立つ魔界の王――奇妙な取り合わせの二人は、次第にかけがえのない友情を育むことになった。

いや――友情と思っていたのは、レイの方だけだったのだろう。

少なくともレイはまだ、胸の奥を焦がすその感情を、自覚してはいなかった。

しかし、出会ったとき、その瞬間から、魔王の方は気付いていた。――求めていた、たった一人の者が、やっと目の前に現れたことを。 
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