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幕間 師匠との再会
197.勝敗の果てに
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――キィィィィン、ィィィン、ィィィン、ィィン、ィン……
人里離れた山間の森、その更に奥の奥。
木々の間でリフレインするのは余りにも硬く、澄んだ音色。
「お師匠様っ!」
少年は急ぎ二人の元へと駆け寄ろうとする。
しかし、どうした事だろう。
その両足は、彼の意に反して全く動こうとしない。
逸る心を抑えつつ、少年は再び二人へと視線を向けた。
勝負は一瞬であった……のだろう。
神域とも呼べる電光石火の剣戟に、少年はその太刀筋を見極める事すら出来なかったのである。
少なくとも師の放った赤龍の矛先は、眩いばかりの光跡を残し、姉弟子の左肩に吸い込まれている。
片や、姉弟子の振り下ろした大刀は、師の足元の雪面に、深くめり込んだ状態だ。
両者、その体勢のまま微動だにしていない。
少年は、ようやくここで、自分が『なぜ動けない』のかを理解する。
それは、この戦いの決着が、未だついていない事が原因であると。
そして、そんな状態であるからこそ、この神聖な試合に末弟の自分が土足で上がり込んで良いはずが無いと。
いや、二人の間では、既に決着が付いているのかもしれない。
どちらか一方が投了し、勝者に対して敗者が膝を屈する。
その瞬間を待っているのではないだろうか。
そう、どちらか片方が負けを認めぬ限り、戦いは続いているのである。
「ごくりっ……」
固唾を呑んで、その瞬間を見守る少年。
すると、突然。
糸が切れた操り人形の如く、その場にへたり込んだのは、師匠のヴァシリオスであった。
「ヴァシリオス様っ!」
声の限りに己が師の名を叫ぶストラトス。
姉弟子の大刀は、完全に師の足元まで振り下ろされており、場合によっては即死の可能性も否定できない。
しかし、せめて、せめて一言で良い。
師匠の辞世の言葉を聞き、後世に残さねばならない。
それこそが、弟子の自分に遺された最後の義務であるとも思う。
溢れそうになる涙を唇をかみしめる事で何とか堪え、今まさに師匠の元へと駆け寄ろうとしたその時、少年の頭上から聞きなれない音が。
――ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン……
「えっ?」
頭上を見上げるストラトス。
「ストラトスッ! 避けろっ!」
突然の命令に驚く間もなく、とにかく後方へと飛び退るストラトス。
――ヒュン、ヒュン、ヒュン……バスッ!
独特の風切り音を残し、少年の目の前に鈍色の物体が突き刺さった。
「あっ! こっ……これっ!」
数十合に及ぶ打ち合いの結果なのだろう。
刃こぼれはしているものの、美しい刃文を持つ両刃の剣。
ただ、その剣は根元の部分で真っ二つに断ち切られ、その切断面は磨き上げられた鏡面の如く光り輝いていた。
「ストラトスッ! ストラトスッ! 何をしておるストラトスっ!」
あまりの事に茫然とその場に立ち尽くすストラトス。
しかし、突然の叱責が、彼を現実の世界へと引き戻す。
「ストラトスッ! 急げっ、とにかく家にあるシーツを全部っ! 全部持って来るのじゃっ!」
「はいっ、お師匠様っ!」
少年は弾かれた様に家の中へ駆け込むと、シーツと言わず、洋服と言わず。
とにかくありったけの布を持って二人の元へと舞い戻る。
「アルっ! アルよっ! 死ぬなっ! ワシが、ワシが何とかするっ! アルよっ、アルよぉぉ!」
血まみれの姉弟子を胸に抱き、半ば狂乱の域に達しようとする師匠の姿がそこにあった。
「ストラトスッ! 何をボーっとしておるっ! アルを、アルを包むのじゃ。早く、早くせねばアルが、アルが死んでしまうっ!」
師に促されるまま、彼女へとシーツを掛けようとしたものの、蒼白を通り越し、既に死相の現れた姉弟子の顔を見た途端、思わずその手が止まってしまう。
「えぇぇいっ! 何をしておるっ!、お前には任せられん。ワシに、ワシに寄越せっ!」
そう言うなりヴァシリオスは少年からシーツを奪い取ると、彼女の左肩をキツく縛り上げ始めた。
「アルよっ、アルよぉぉ。死ぬなあっ!」
「……お……師匠……様……」
と、その時、師の呼びかけに応じるかの様に、彼女が薄っすらと目を開けたのだ。
「おぉ、アル、気が付いたかっ! しっかりせいっ! アル、アルやっ!」
「お師匠……さま……わたし……やっぱり、負けてしまいました……」
血の気の引いた顔で、無理やり笑顔を作ろうとする彼女。
「何を言う、お前は強かった! 既にワシでは歯が立たぬぐらいに強かったぞっ!」
彼女を励ます様に語り聞かせるヴァシリオス。
しかし、実の所、それが本心であったのかもしれない。
心、技、体、どれをとっても師であるヴァシリオスと遜色の無いアルテミシア。
いや、体だけで言うならば、既に師を超えていると言っても過言では無い。
では、なぜこの様な結果になったのか。
それは、ひとえに剣の差……と言う事に他ならない。
もしも、ヴァシリオスが普通の槍を使っていたなら。もしも、アルテミシアが宝具に匹敵する武器を手にしていたなら。
戦いに『もしも』は無い。そんな事は分っている。
それにしても、考えない訳には行かない。
もしそうであれば、この勝敗の行方は、もっとシンプルなものになっていた事だろう。
そんな師匠の気持ちを知ってか知らずか。
彼女は、師の腕の中で、力なく首を振っている。
「いいえ、私は……負けて……しまいました。……やはり、私では、皇子様のご指南役……は、荷が重い……様で……ございます」
「アルテミシア。分かった。もう分かったから、余りしゃべるな」
今度は彼女の体力の消耗を恐れ、何とか黙らせ様とするヴァシリオス。しかし、アルテミシアはそれでもその話をやめようとしない。
「お師匠……様……私……亡き後、何卒……何卒……皇子様を……お見守り……頂けまいか?」
「いやいや、だめじゃ、だめじゃ。アルは死なん。死なんぞぉ、ワシが死なさんっ! だからこれ以上しゃべるなっ! おい、ストラトスッ! すぐにソリじゃ、ソリを用意せよっ!」
そう弟子に指示を出している間にも、刻一刻と彼女の命の炎は弱まって行く。
あまりにも、血を流し過ぎたのだ。
この状態では、とても街までは持つまい。
――ギリッ!
そんな彼女の様子に、思わず歯噛みするヴァシリオス。
そして彼は天を仰ぎつつ、遂に決断した。
「エヴァよっ! まだそこに居るのであろうっ! エヴァ! 皇子様からのご下命っ、謹んでお受けすると。たった今、このヴァシリオスが承知したと伝えよっ!」
彼は更に声を張り上げる。
「その代わり、アルを。このアルテミシアを助けてくれっ! それが、それだけがワシの望みじゃ!」
すると、どうしたことだろう。
森に面した木々の一部が僅かに揺蕩い始めると、その中から真紅のローブを纏った女性が現れたのだ。
人里離れた山間の森、その更に奥の奥。
木々の間でリフレインするのは余りにも硬く、澄んだ音色。
「お師匠様っ!」
少年は急ぎ二人の元へと駆け寄ろうとする。
しかし、どうした事だろう。
その両足は、彼の意に反して全く動こうとしない。
逸る心を抑えつつ、少年は再び二人へと視線を向けた。
勝負は一瞬であった……のだろう。
神域とも呼べる電光石火の剣戟に、少年はその太刀筋を見極める事すら出来なかったのである。
少なくとも師の放った赤龍の矛先は、眩いばかりの光跡を残し、姉弟子の左肩に吸い込まれている。
片や、姉弟子の振り下ろした大刀は、師の足元の雪面に、深くめり込んだ状態だ。
両者、その体勢のまま微動だにしていない。
少年は、ようやくここで、自分が『なぜ動けない』のかを理解する。
それは、この戦いの決着が、未だついていない事が原因であると。
そして、そんな状態であるからこそ、この神聖な試合に末弟の自分が土足で上がり込んで良いはずが無いと。
いや、二人の間では、既に決着が付いているのかもしれない。
どちらか一方が投了し、勝者に対して敗者が膝を屈する。
その瞬間を待っているのではないだろうか。
そう、どちらか片方が負けを認めぬ限り、戦いは続いているのである。
「ごくりっ……」
固唾を呑んで、その瞬間を見守る少年。
すると、突然。
糸が切れた操り人形の如く、その場にへたり込んだのは、師匠のヴァシリオスであった。
「ヴァシリオス様っ!」
声の限りに己が師の名を叫ぶストラトス。
姉弟子の大刀は、完全に師の足元まで振り下ろされており、場合によっては即死の可能性も否定できない。
しかし、せめて、せめて一言で良い。
師匠の辞世の言葉を聞き、後世に残さねばならない。
それこそが、弟子の自分に遺された最後の義務であるとも思う。
溢れそうになる涙を唇をかみしめる事で何とか堪え、今まさに師匠の元へと駆け寄ろうとしたその時、少年の頭上から聞きなれない音が。
――ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン……
「えっ?」
頭上を見上げるストラトス。
「ストラトスッ! 避けろっ!」
突然の命令に驚く間もなく、とにかく後方へと飛び退るストラトス。
――ヒュン、ヒュン、ヒュン……バスッ!
独特の風切り音を残し、少年の目の前に鈍色の物体が突き刺さった。
「あっ! こっ……これっ!」
数十合に及ぶ打ち合いの結果なのだろう。
刃こぼれはしているものの、美しい刃文を持つ両刃の剣。
ただ、その剣は根元の部分で真っ二つに断ち切られ、その切断面は磨き上げられた鏡面の如く光り輝いていた。
「ストラトスッ! ストラトスッ! 何をしておるストラトスっ!」
あまりの事に茫然とその場に立ち尽くすストラトス。
しかし、突然の叱責が、彼を現実の世界へと引き戻す。
「ストラトスッ! 急げっ、とにかく家にあるシーツを全部っ! 全部持って来るのじゃっ!」
「はいっ、お師匠様っ!」
少年は弾かれた様に家の中へ駆け込むと、シーツと言わず、洋服と言わず。
とにかくありったけの布を持って二人の元へと舞い戻る。
「アルっ! アルよっ! 死ぬなっ! ワシが、ワシが何とかするっ! アルよっ、アルよぉぉ!」
血まみれの姉弟子を胸に抱き、半ば狂乱の域に達しようとする師匠の姿がそこにあった。
「ストラトスッ! 何をボーっとしておるっ! アルを、アルを包むのじゃ。早く、早くせねばアルが、アルが死んでしまうっ!」
師に促されるまま、彼女へとシーツを掛けようとしたものの、蒼白を通り越し、既に死相の現れた姉弟子の顔を見た途端、思わずその手が止まってしまう。
「えぇぇいっ! 何をしておるっ!、お前には任せられん。ワシに、ワシに寄越せっ!」
そう言うなりヴァシリオスは少年からシーツを奪い取ると、彼女の左肩をキツく縛り上げ始めた。
「アルよっ、アルよぉぉ。死ぬなあっ!」
「……お……師匠……様……」
と、その時、師の呼びかけに応じるかの様に、彼女が薄っすらと目を開けたのだ。
「おぉ、アル、気が付いたかっ! しっかりせいっ! アル、アルやっ!」
「お師匠……さま……わたし……やっぱり、負けてしまいました……」
血の気の引いた顔で、無理やり笑顔を作ろうとする彼女。
「何を言う、お前は強かった! 既にワシでは歯が立たぬぐらいに強かったぞっ!」
彼女を励ます様に語り聞かせるヴァシリオス。
しかし、実の所、それが本心であったのかもしれない。
心、技、体、どれをとっても師であるヴァシリオスと遜色の無いアルテミシア。
いや、体だけで言うならば、既に師を超えていると言っても過言では無い。
では、なぜこの様な結果になったのか。
それは、ひとえに剣の差……と言う事に他ならない。
もしも、ヴァシリオスが普通の槍を使っていたなら。もしも、アルテミシアが宝具に匹敵する武器を手にしていたなら。
戦いに『もしも』は無い。そんな事は分っている。
それにしても、考えない訳には行かない。
もしそうであれば、この勝敗の行方は、もっとシンプルなものになっていた事だろう。
そんな師匠の気持ちを知ってか知らずか。
彼女は、師の腕の中で、力なく首を振っている。
「いいえ、私は……負けて……しまいました。……やはり、私では、皇子様のご指南役……は、荷が重い……様で……ございます」
「アルテミシア。分かった。もう分かったから、余りしゃべるな」
今度は彼女の体力の消耗を恐れ、何とか黙らせ様とするヴァシリオス。しかし、アルテミシアはそれでもその話をやめようとしない。
「お師匠……様……私……亡き後、何卒……何卒……皇子様を……お見守り……頂けまいか?」
「いやいや、だめじゃ、だめじゃ。アルは死なん。死なんぞぉ、ワシが死なさんっ! だからこれ以上しゃべるなっ! おい、ストラトスッ! すぐにソリじゃ、ソリを用意せよっ!」
そう弟子に指示を出している間にも、刻一刻と彼女の命の炎は弱まって行く。
あまりにも、血を流し過ぎたのだ。
この状態では、とても街までは持つまい。
――ギリッ!
そんな彼女の様子に、思わず歯噛みするヴァシリオス。
そして彼は天を仰ぎつつ、遂に決断した。
「エヴァよっ! まだそこに居るのであろうっ! エヴァ! 皇子様からのご下命っ、謹んでお受けすると。たった今、このヴァシリオスが承知したと伝えよっ!」
彼は更に声を張り上げる。
「その代わり、アルを。このアルテミシアを助けてくれっ! それが、それだけがワシの望みじゃ!」
すると、どうしたことだろう。
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