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第二十三章 海辺での争奪戦(ルーカス/ミランダルート)

243.暗闇に蠢く人影

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「……うっ、うぅぅっ……い、いやっ、助け……助けて……」


 弱々しいながらも、突然うわ言の様につぶやき始める少女。

 すぐそばで、彼女のやつれた顔を見つめていたは、その声を聞いたとたん、彼女の耳元へと顔を寄せた。


「大丈夫か、ミランダ。聞こえるか? ミランダ、ミランダ!」


 その声に呼応するかの様に、次第にその目を開き始める彼女。


「良かった、ようやく気付いた様だな。ミランダ、大丈夫だ、安心しろ。ここは俺達のアジト。もう、安全だ。……あぁ、俺の事は覚えているか? エニアスだ、ルーカスの知り合いのエニアスだよ」


 彼の話し掛ける言葉に、彼女は何の反応も示さない。

 恐らく……いまにも切れそうな記憶の糸を手繰たぐり寄せながら、自身の置かれている状況を、何とか把握しようと試みているのかもしれない。

 今はただ、ゆっくりとそのうつろな瞳を動かしているだけ。

 エニアスが彼女の目の前に顔をのぞかせてみても、その視線は遥か遠くを彷徨さまよっているかの様だ。

 やがて彼女は無表情のまま、自身の右腕へと視線を向ける。

 そこにはひじから先の部分が、完全に欠損している右腕が。

 応急処置なのか、上腕にキツく縛られている布には、赤く血がにじみ出している。

 最初は、ただ茫然ぼうぜんとその様子を眺めていた彼女。

 しかし、次第にその表情にはけわしさが加わり始め、やがてその瞳を大きく見開くまでに。


「……は……は……はっ……はっ、はっ、うぅぅっ、くっ! はぁぁっぁあ!」

 
 突然激しくなる呼吸。

 彼女は両目を見開いたまま、ガタガタと小刻みに震えだし、やがて、その痙攣けいれんが全身へと広がって行く。


「落ち着け、ミランダッ! ゆっくり息をするんだっ! 聞こえるかっ! ミランダ、ミランダッ!」


 全身を硬直させたまま、突然暴れ始めるミランダ。

 エニアスは、そんな彼女を全身で抑え込む様に抱きかかえつつ、自身の左腕を彼女の口元へと無理やり押し込んで行く。


「くっ……!」


 彼女の鋭い歯が、エニアスの左腕に容赦なく食い込み始める。

 あまりの痛みに、思わず顔をしかめるエニアス。


 ――ギリッ


 しかし、永遠に続くかとも思われた彼女の発作も、暫くすると、急激にその力が失われて行く。

 既に体力の限界を超えてしまっている所為せいなのだろう。

 終いには、まるで何事も無かったかの様に、力無く横たわる彼女。


「ミランダ、もう怖がらなくていいんだよ」


 エニアスは、そう優しく声を掛けると、ゆっくりと少女の口元から自身の左腕を抜き取った。


「ふぅぅ。ふぅ……」


 呼吸も落ち着いて来た様だ。

 ようやく正気を取り戻したのだろう。

 ただ、未だ震える彼女の口元からつむぎ出された言葉は、短くも切ないものだった。


「……わたし……死ぬの……?」


 少女のエメラルドグリーンの瞳には、大粒の涙が浮かび始める。


「そんな事無いさ。大丈夫だよ。安心して。私が付いているからね」


 エニアスは優しい笑顔を見せながら、ゆっくりと少女の頬を撫でてあげる。

 ただ、彼は知っていた。

 この怪我では、長くは持たない事を。

 これまで、何人もの仲間を来た経験が、彼にそう告げているのだ。

 もちろん、そんな事はおくびにも出さない。

 何も、これから死に逝く人を、わざわざ不安におとしいれる事はあるまい。

 せめて、静かに見送ってやるべきだ。


 今思えば、とにかく発見が遅すぎた。

 毎日様子を見に来ていたこのアジト。

 しかし、今日に限って、なぜか市中にマロネイア家の兵士が溢れ、なかなかこのアジトへと近付けなかったのだ。

 ようやく日の沈む頃に立ち寄ってみれば、入り口付近で血まみれのミランダが倒れているでは無いか。

 もう少し到着が遅ければ、夜行性のレッサーウルフに、跡形あとかたもなく食われていた事だろう。

 連れていた舎弟を、急ぎ仲間の元へと走らせてはみたものの、未だ助けは来ない。


(……おかしい。何かあったか?)


 少女の頬を撫でながら、思考を重ねるエニアス。

 丁度その時、


 ――バサッ、ガラガラガラッ


 天井付近の洞窟の割れ目から、非常用の縄梯子なわばしごが投げ込まれて来たのだ。


若頭カシラ、お待たせしやした」


 仲間の一人が、手慣れた様子で縄梯子なわばしごを降りて来る。


『どうした? 何があった?』


 無言のまま、いぶかし気に問い正すエニアス。

 マヴリガータのギルドメンバーが得意とする読唇術である。

 ようやく落ち着いてきたミランダ。そんな彼女に配慮しての行動なのだろう。 

 仲間の方も、そこは阿吽あうん呼吸こきゅうである。

 しっかり、唇だけで答えを返して来た。


若頭カシラマズいですぜ。このアジト、監視されてやす』


「……!」


 あまり取り乱した所を、ミランダに見せる訳には行かない。

 エニアスは静かに彼女の傍を離れると、後から降りて来た他の仲間にミランダを任せ、最初に降りて来た男を連れて、洞窟の入り口の方へと歩いて行く。


「それで、相手は誰だ?」


「兵装からすると、ありゃあ、マロネイア家の野戦兵ですぜ」


「マロネイア家だと? しかも野戦兵とはどう言う事だ?」


「理由は分りやせんが、十人隊コントゥベルニウムですな。しかも、野戦用の完全武装ですわ。ヤツら、本気ですぜ」


 二人は洞窟入り口付近の岩陰から、そっと外の様子を探ってみる。

 時刻は既に真夜中を過ぎ、岩場の多い海岸線は漆黒しっこくの闇が支配していた。

 月が出るまでには、まだ間があるのだろう。

 わずかな星明りだけを頼りに辺りを見回してみると、確かに遠くの岩陰にうごめく何かが……。


「この距離では判別出来んが、確かに誰かいるな」

 相手が何者かは分からない。

 しかし、重傷の少女を抱え、こんな所で騒ぎを起こす訳には行かない。


 ……仕方がない。


 エニアスは、非常口からの脱出を決断。

 その場を離れようとした、ちょうどその時。


「ん? ちょっと待て、何だ、あの声は……」


 暗闇の彼方から、男たちの怒鳴り会う声が聞こえてきたのだ。
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