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Ep.3 本歌取りに学ぶ(蚊は落ちません)
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オリジナリティとはなんぞや。
創作活動をする方なら考えたことのある事柄かもしれません。
音楽の話が続きましたので、ついでに今回も引き合いに出しますが、創作全般に言えることが多々含まれるかなと思っています。
いつものようにごく個人的な意見なのですが、音楽を作る人でことさらオリジナリティを連呼する人、そこにやたら拘る人の作る音楽が意外につまんないと感じることが多いんです。
どうしてかな? と理由を考えたときに思い当たったのが、このエッセイでも前々回に書いた音楽の系統樹の話です。
ざっくり言うと現在流通している商業ベースの音楽は基本的にヨーロッパとアフリカが出会って生まれた音楽をルーツとして持っていて、そこから派生してきたというもの。
そうして生まれた音楽はしばしばジャンルという区分けをされます。ジャンル自体は音楽を楽しむ上であまり意味はありませんが、系統的に見た場合区分としてはある程度便利なものです。そしてあるジャンルを別のジャンルと区別するものは何でしょうか。それはある種の様式美である場合がほとんどです。
ロックンロールがどうやって生み出されたのか詳しいことは知りませんが、あの時代のロックンロールといえば典型とか作法というものが明らかに存在してしますよね。そのロックンロールの成り立ちにも背景があって、系統を辿ればブルースやカントリーなどの土台の上に誕生したと言われています。
新しい音楽というのは大抵の場合文脈上に生まれてくるもので(もちろん突然変異的に生まれる音楽もあるのですが、過去の音楽と全く無関係とは言い切れません)、もしミュージシャンが、過去の音楽資産をまるで無視してリスペクトを抱かずにオリジナリティと叫んでいたとしたら、音楽への理解が浅すぎるのじゃないかと感じてしまうのです。あくまでわたし個人としてはということですが。
音楽好きのミュージシャンの間では、作った曲とか弾いたフレーズに対して、「お、何々みたいだね」「お、分かってくれる?」みたいなやり取りとか、「何々みたいな感じで弾いて」といったオーダーがあったりします。
どちらも音楽マニアのミュージシャンにとって楽しいやり取りなのですが、そこに「何かに似てるなんて言うのは相手に失礼だ」と言ってくるオリジナリティ厨がたまにいるんですよね。
日本には古くから本歌取りという文化があります。これは元々は和歌の世界の作法ですが、有名な古い和歌の一部を引用して新しい歌を作るという方法です。
俗に『パクリ』という手法があって時々世間を賑わしますが、本歌取りというものはそれとは一線を画す知的な遊びですね。和歌を受け取った相手も、本歌について知っているだけのインテリジェンスがあるという前提での引用です。
『パクリ』は出典がバレてしまって困ったことになるというものですから、一見似ているようで全然違うものですよね。
音楽においてこの本歌取りの文化と似ているのが、俗にオマージュと呼ばれる手法です。親の世代になってしまいますが、かつて渋谷系と呼ばれるジャンルがありました。この人たちは、時代に埋もれた古い名曲たちのかっこいいフレーズやリフを引用して新しいものを作るという、正に本歌取りの手法を取り入れたやり方で一時代を築きました。聴く側も、元ネタを知っているコアな音楽マニアに主に受け入れられたのですが、その滑稽洒脱なサウンドやアートワークから、おしゃれに敏感なライト層にも広く受け入れられることとなりました。
文学の世界も基本的には同じような道を辿っていて、やれプロレタリア文学だ、白樺派だ、いやいや自然主義でしょ、何甘っちょろいこと言ってんだよ無頼派だろ、ふ、そこは耽美派一択だろ等々、いろんな流派派閥があったにしても、いずれにしても日本文学の太い幹から枝分かれしてにょっきり生えてきたものです。
基本的にルーツがあってその土台の上に成り立っているのは音楽と同じですよね。
では違いを生み出しているのは何ですか。
その人の個性の大きな部分を締めているのは、何かを創作し、表現する際に、過去から引き継いだ膨大な遺産から何を取捨選択するかではないかと思うのです。
異論はもちろん認めますよ。ここはちらしの裏面。書き殴っている内容はあくまでわたしの個人的意見ですから。
結局、ある表現者が自分だけのアイディアを盛り込んだオリジナリティの部分って、創作物のほんの数パーセントもあれば立派なものと言えるのじゃないかと思います。
オリジナリティ厨みたいな人だって、じゃあ楽器をどうやって学んだのか、歌をどうやって覚えたのかと突き詰めていったら、過去の楽曲のコピーをしながら学ぶのが普通です。何の土台もなくいきなり楽器が弾けた、作曲ができた、歌で思うように表現できたとは考えにくいですね。
仮にそんな人がいたとして、じゃあその人の創作物が魅力的なものなのかと考えてみたら、その可能性もやはり相当低いのではないかと考えます。
いい演奏って、過去の名演奏を散々聴いたりコピーしたりした中から、ある種の型を学び取り、自分の中の引き出しに貯えた良いものを適切な場面で取り出してくるってことですからね。
だから創作をする人は、何のジャンルであれ過去の偉大なる先輩方が残した膨大な文化的な遺産を系統的に学ぶというのは正しいのじゃないかなと思います。
理想は楽しくてついつい掘っちゃうんだよねという感じかと思いますが。
おわっ。気がつけばまた長々と書き殴っちゃったなぁ……。ゴメンなさい(>人<;)
※書かれている内容は、あくまで個人の意見です。
創作活動をする方なら考えたことのある事柄かもしれません。
音楽の話が続きましたので、ついでに今回も引き合いに出しますが、創作全般に言えることが多々含まれるかなと思っています。
いつものようにごく個人的な意見なのですが、音楽を作る人でことさらオリジナリティを連呼する人、そこにやたら拘る人の作る音楽が意外につまんないと感じることが多いんです。
どうしてかな? と理由を考えたときに思い当たったのが、このエッセイでも前々回に書いた音楽の系統樹の話です。
ざっくり言うと現在流通している商業ベースの音楽は基本的にヨーロッパとアフリカが出会って生まれた音楽をルーツとして持っていて、そこから派生してきたというもの。
そうして生まれた音楽はしばしばジャンルという区分けをされます。ジャンル自体は音楽を楽しむ上であまり意味はありませんが、系統的に見た場合区分としてはある程度便利なものです。そしてあるジャンルを別のジャンルと区別するものは何でしょうか。それはある種の様式美である場合がほとんどです。
ロックンロールがどうやって生み出されたのか詳しいことは知りませんが、あの時代のロックンロールといえば典型とか作法というものが明らかに存在してしますよね。そのロックンロールの成り立ちにも背景があって、系統を辿ればブルースやカントリーなどの土台の上に誕生したと言われています。
新しい音楽というのは大抵の場合文脈上に生まれてくるもので(もちろん突然変異的に生まれる音楽もあるのですが、過去の音楽と全く無関係とは言い切れません)、もしミュージシャンが、過去の音楽資産をまるで無視してリスペクトを抱かずにオリジナリティと叫んでいたとしたら、音楽への理解が浅すぎるのじゃないかと感じてしまうのです。あくまでわたし個人としてはということですが。
音楽好きのミュージシャンの間では、作った曲とか弾いたフレーズに対して、「お、何々みたいだね」「お、分かってくれる?」みたいなやり取りとか、「何々みたいな感じで弾いて」といったオーダーがあったりします。
どちらも音楽マニアのミュージシャンにとって楽しいやり取りなのですが、そこに「何かに似てるなんて言うのは相手に失礼だ」と言ってくるオリジナリティ厨がたまにいるんですよね。
日本には古くから本歌取りという文化があります。これは元々は和歌の世界の作法ですが、有名な古い和歌の一部を引用して新しい歌を作るという方法です。
俗に『パクリ』という手法があって時々世間を賑わしますが、本歌取りというものはそれとは一線を画す知的な遊びですね。和歌を受け取った相手も、本歌について知っているだけのインテリジェンスがあるという前提での引用です。
『パクリ』は出典がバレてしまって困ったことになるというものですから、一見似ているようで全然違うものですよね。
音楽においてこの本歌取りの文化と似ているのが、俗にオマージュと呼ばれる手法です。親の世代になってしまいますが、かつて渋谷系と呼ばれるジャンルがありました。この人たちは、時代に埋もれた古い名曲たちのかっこいいフレーズやリフを引用して新しいものを作るという、正に本歌取りの手法を取り入れたやり方で一時代を築きました。聴く側も、元ネタを知っているコアな音楽マニアに主に受け入れられたのですが、その滑稽洒脱なサウンドやアートワークから、おしゃれに敏感なライト層にも広く受け入れられることとなりました。
文学の世界も基本的には同じような道を辿っていて、やれプロレタリア文学だ、白樺派だ、いやいや自然主義でしょ、何甘っちょろいこと言ってんだよ無頼派だろ、ふ、そこは耽美派一択だろ等々、いろんな流派派閥があったにしても、いずれにしても日本文学の太い幹から枝分かれしてにょっきり生えてきたものです。
基本的にルーツがあってその土台の上に成り立っているのは音楽と同じですよね。
では違いを生み出しているのは何ですか。
その人の個性の大きな部分を締めているのは、何かを創作し、表現する際に、過去から引き継いだ膨大な遺産から何を取捨選択するかではないかと思うのです。
異論はもちろん認めますよ。ここはちらしの裏面。書き殴っている内容はあくまでわたしの個人的意見ですから。
結局、ある表現者が自分だけのアイディアを盛り込んだオリジナリティの部分って、創作物のほんの数パーセントもあれば立派なものと言えるのじゃないかと思います。
オリジナリティ厨みたいな人だって、じゃあ楽器をどうやって学んだのか、歌をどうやって覚えたのかと突き詰めていったら、過去の楽曲のコピーをしながら学ぶのが普通です。何の土台もなくいきなり楽器が弾けた、作曲ができた、歌で思うように表現できたとは考えにくいですね。
仮にそんな人がいたとして、じゃあその人の創作物が魅力的なものなのかと考えてみたら、その可能性もやはり相当低いのではないかと考えます。
いい演奏って、過去の名演奏を散々聴いたりコピーしたりした中から、ある種の型を学び取り、自分の中の引き出しに貯えた良いものを適切な場面で取り出してくるってことですからね。
だから創作をする人は、何のジャンルであれ過去の偉大なる先輩方が残した膨大な文化的な遺産を系統的に学ぶというのは正しいのじゃないかなと思います。
理想は楽しくてついつい掘っちゃうんだよねという感じかと思いますが。
おわっ。気がつけばまた長々と書き殴っちゃったなぁ……。ゴメンなさい(>人<;)
※書かれている内容は、あくまで個人の意見です。
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