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05 お戯れを
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あの後の僕はそりゃあもう使いものになりゃあしないポンコツとして一日過ごすよりなかった。
モブ中のモブであるこの僕。
朝早く登校して学校内最高峰のアイドルである羽深ららさんと同じ空気を吸う時間だけが学校に来る楽しみみたいなこの僕に、ここ何日かで起こっている異常な出来事……そう異常だ。
羽深さんとの今までのハッブル望遠鏡でも見えないのじゃないかというくらいの距離間がここにきての急接近。
もうこれは惑星衝突くらいの大事だ。
人生におけるラッキーのパラメーターをここに全振りしたのかとしか思えない状況じゃなかろうか。
もしかしなくてもそろそろ僕の人生終わりそうじゃないかな。
多分すでにもう一生分のラッキー値使い果たした気がする。
そんなわけで、自宅で毎日欠かさずしているドラムのルーディメンツも今ひとつ身の入らない状態だった。
ルーディメンツというのは左右のスティックコントロールを自由自在にできるようにするための地味な基礎練習の一種だ。
父に言わせれば、
「最近のドラマーはどいつもこいつもルーディメンツをキッチリやっていて上手いんだけどどいつもこいつもおんなじでつまんね」
だそうだ。
僕もちょっと言いたいことは分かるけど、いろんなバンドで叩く都合上、いろんなスタイルに適用できるようにある程度こういう基礎練は積んでおく必要があってやっている。
自分のスタイルを前面に出してやっていいバンドの場合には、敢えてルーディメンツで身についているものを無視したやり方をしたりもするんだけど。
あ、僕の父は若い頃からバンドをやっていてドラム担当だったのだ。
その影響で僕もドラムを叩くようになった。
とは言っても、母親が家でピアノ教室をしていたお陰で、実は僕が一番得意な楽器はピアノだったりする。
他にギターもまあまあ弾けるかな。
幸い我が家には父親が使っていたドラムセットとそれを叩ける環境があったので、やり手の少ないドラムを叩くようになったというわけだ。
それはそれとして、羽深さんがあの調子なら僕が普通に話しても意外に普通に会話が成り立ったりするんじゃないかなと都合のいい妄想をしがちな今日この頃である。
得意の脳内シミュレーションが捗ってしょうがない。世間では妄想というらしいが。
「おはよう。今日は何聴いてるの、羽深さん?」
「あ、おはよう楠木君。わたしが聴いてるのはねー。ウフ、秘密だよ」
「えー、いいじゃんいいじゃん。ねー何聴いてんの? 教えてよぉ~」
「もぉ~。しょうがないなぁ。今聴いてたのはぁ。楠木君のオリジナル曲だよ。キャ、言っちゃった!」
なんて意外に普通に話せたりするんじゃない?
……てかなにこれ。
いいっ! 凄くいいねっ、これ!
くぅーーーっ。来たコレッ!
たまらーーーーん!
ってまあ一旦落ち着こうか……。
ふぅ。
浮かれてるな。
花咲爺さんのエピソードをもう一回思い出そうか。
舌切り雀も思い出そうか。
な。調子に乗ってると最後はしっぺ返しだ。
いずれも勝利者は無欲の勝利だ。
謙虚にならなきゃな。
こういう時は一旦何もかも忘れて叩きますか。
僕はスマホと例のイヤモニとMacBookを手に取ってドラムセットが置いてある防音室に向かった。
今度手伝うことになっているバンドのデモ音源をモニターしながら全体のリズムパターンの組み立てを考える。
イメージ通りに叩けるか一通り音源に合わせて叩いてみる。
大体イメージを掴んだところで音源をMacに取り込む。
これでスマホからでなく、音源と自分が叩くドラムの音をマイクで収音した音とをミックスした状態でモニターできるようになるのだ。
それからしばらくの間は無心になってというか、ただ音楽のことだけを考えてひたすらドラムを叩き続けた。
ある程度プレイが固まったところで録音してみた。
自分が演奏している時と録音して後で聴いたときとでは印象が全然違って聞こえるものなのだ。
特に初心者のうちなんかは録音や録画で自分の演奏を知ると結構心が折れるものだ。こんなに酷いのかと。
ドラムの場合だと叩いている時に聴いている音と、バンドの中で、しかもオーディエンス側に聞こえている音は大きく異なるものだ。
その差を埋めるには、こうして録音してみて聴くことが効果的なのだ。
そうすると自分がこんな具合に叩いている時にはこんな風に聞こえているという経験値を積むことができる。
これが大事だ。
そういうことをしているドラマーは、音量のバランスもいい。
音量のバランスというのは、ハイハいット、スネア、キック、シンバルなどのドラムセットで使われる各パートの音量バランスのこと。
センスのないドラマーほどハイハットを馬鹿力で叩きつけているのが多い。多分これは一般的な利き手である右手を使うことと、ビートの刻みが一番細かいことに起因するのかもしれない。
しかしいいドラマーはキックが一番強く、スネア、ハイハットの順に弱くなる。
利き手の能力値をパワーでなく繊細なコントロール方向に振ってるわけだ。
なーんて。ちょっと薀蓄が過ぎたかな。
まあともかく、一心不乱にどうにか音楽に集中することができたわけだ。
羽深さんの気まぐれに翻弄されまくっている僕だが、クイーンのお戯れなどいつ飽きられて気が変わってしまうか分からない。
しっかりと地に足をつけていないとな。
こんなに浮ついていたんでは身がもたないぞ。
ひとしきり音楽に没頭していたことで、ようやく少しは頭の中をリセットすることができたようで、冷静に考えられるようになった。
とは言え早朝の教室での至福の時は今の所外せない。
僕は今日も性懲りも無くいそいそとクイーンの待つ教室へと足取りも軽やかに向かうのだ。
別に彼女が僕を待ってるわけじゃないのは知ってるが……。
「あ、おはよう。楠木君。昨日はありがとう!」
「おはよう……ございます?」
っと、またやっちゃった。
「むぅっ……もぉ~。楠木君、今日からわたしには敬語禁止!」
叱られた。
「は、はい……」
「んー、それも敬語っぽいからやり直し!」
えぇーー……。
じゃあなんと返事すれば……?
取り敢えず……。
「うん……?」
とか?
「あ、いいねー。その感じでよろしくぅー。はい、これ。昨日のお礼」
そう言って羽深さんは僕の手元に紙袋を差し出した。
僕は取り敢えず両掌でそれを受け取ると、もう一度羽深さんを見た。
「何? 不思議そうな顔しちゃって。危険物じゃないからそんな顔しないで欲しいんだけど?」
僕がよほど不思議そうな顔をしていたようで、羽深さんはちょっとだけむくれた様子で僕を睨んでいる。
もちろん本気で怒っている感じではなく、僕の目にはそんな様子ですらかわいらしく映る。
「あ、ありがとう……ございます?」
しまった、懲りずにまたやってしまった。
神々しいまでの彼女の美しさを前にすると、言ってからやっぱり丁寧な言葉にしなきゃダメなんじゃないかっていう気持ちがわき起こっちゃうんだもの。
「またぁーーーっ。どうしたら仲良くしてもらえるのかなぁ……? わたしこれでも結構頑張ってるんだよぉ?」
仲良く……だと……!?
こんな底辺の僕に向かって、仲良くしてもらえるのかなぁ……だって!?
くうぅっ。かわいすぎるぅっ!
やっぱり幻か? 僕は今集中治療室で生死の境目を漂いつつ見ている夢の中にいるのか?
分からん! 夢か現実か判断しかねる!
「それ……」
指差す先は僕の掌の上にちょんと乗っかっている紙袋だ。
「ビスコッティ。昨夜焼いたの。よかったら食べてもらえると嬉しいんだけど……」
っ!?
なんですとぉーーーーっ!
ビスコッティってなんのことやら分からないけど、響きからすると手作りお菓子っぽいっ!?
ふぉーーーーーーーーーっ!!
思わず卒倒しそうになるが辛うじて正気を保つ。
生死の境を漂っているくせに卒倒だなんてみっともなさすぎる。危篤状態なのに卒倒を重ねるなんてなんだか頭痛が痛いみたいじゃないか。
「楠木君のために焼いたんだから」
と駄目押しに上目遣いからの捨て台詞……いや違うな。
しかし確実に殺傷力の高い言葉と仕草にもう僕はなすすべもなくズキューーーーンされたのだった。
モブ中のモブであるこの僕。
朝早く登校して学校内最高峰のアイドルである羽深ららさんと同じ空気を吸う時間だけが学校に来る楽しみみたいなこの僕に、ここ何日かで起こっている異常な出来事……そう異常だ。
羽深さんとの今までのハッブル望遠鏡でも見えないのじゃないかというくらいの距離間がここにきての急接近。
もうこれは惑星衝突くらいの大事だ。
人生におけるラッキーのパラメーターをここに全振りしたのかとしか思えない状況じゃなかろうか。
もしかしなくてもそろそろ僕の人生終わりそうじゃないかな。
多分すでにもう一生分のラッキー値使い果たした気がする。
そんなわけで、自宅で毎日欠かさずしているドラムのルーディメンツも今ひとつ身の入らない状態だった。
ルーディメンツというのは左右のスティックコントロールを自由自在にできるようにするための地味な基礎練習の一種だ。
父に言わせれば、
「最近のドラマーはどいつもこいつもルーディメンツをキッチリやっていて上手いんだけどどいつもこいつもおんなじでつまんね」
だそうだ。
僕もちょっと言いたいことは分かるけど、いろんなバンドで叩く都合上、いろんなスタイルに適用できるようにある程度こういう基礎練は積んでおく必要があってやっている。
自分のスタイルを前面に出してやっていいバンドの場合には、敢えてルーディメンツで身についているものを無視したやり方をしたりもするんだけど。
あ、僕の父は若い頃からバンドをやっていてドラム担当だったのだ。
その影響で僕もドラムを叩くようになった。
とは言っても、母親が家でピアノ教室をしていたお陰で、実は僕が一番得意な楽器はピアノだったりする。
他にギターもまあまあ弾けるかな。
幸い我が家には父親が使っていたドラムセットとそれを叩ける環境があったので、やり手の少ないドラムを叩くようになったというわけだ。
それはそれとして、羽深さんがあの調子なら僕が普通に話しても意外に普通に会話が成り立ったりするんじゃないかなと都合のいい妄想をしがちな今日この頃である。
得意の脳内シミュレーションが捗ってしょうがない。世間では妄想というらしいが。
「おはよう。今日は何聴いてるの、羽深さん?」
「あ、おはよう楠木君。わたしが聴いてるのはねー。ウフ、秘密だよ」
「えー、いいじゃんいいじゃん。ねー何聴いてんの? 教えてよぉ~」
「もぉ~。しょうがないなぁ。今聴いてたのはぁ。楠木君のオリジナル曲だよ。キャ、言っちゃった!」
なんて意外に普通に話せたりするんじゃない?
……てかなにこれ。
いいっ! 凄くいいねっ、これ!
くぅーーーっ。来たコレッ!
たまらーーーーん!
ってまあ一旦落ち着こうか……。
ふぅ。
浮かれてるな。
花咲爺さんのエピソードをもう一回思い出そうか。
舌切り雀も思い出そうか。
な。調子に乗ってると最後はしっぺ返しだ。
いずれも勝利者は無欲の勝利だ。
謙虚にならなきゃな。
こういう時は一旦何もかも忘れて叩きますか。
僕はスマホと例のイヤモニとMacBookを手に取ってドラムセットが置いてある防音室に向かった。
今度手伝うことになっているバンドのデモ音源をモニターしながら全体のリズムパターンの組み立てを考える。
イメージ通りに叩けるか一通り音源に合わせて叩いてみる。
大体イメージを掴んだところで音源をMacに取り込む。
これでスマホからでなく、音源と自分が叩くドラムの音をマイクで収音した音とをミックスした状態でモニターできるようになるのだ。
それからしばらくの間は無心になってというか、ただ音楽のことだけを考えてひたすらドラムを叩き続けた。
ある程度プレイが固まったところで録音してみた。
自分が演奏している時と録音して後で聴いたときとでは印象が全然違って聞こえるものなのだ。
特に初心者のうちなんかは録音や録画で自分の演奏を知ると結構心が折れるものだ。こんなに酷いのかと。
ドラムの場合だと叩いている時に聴いている音と、バンドの中で、しかもオーディエンス側に聞こえている音は大きく異なるものだ。
その差を埋めるには、こうして録音してみて聴くことが効果的なのだ。
そうすると自分がこんな具合に叩いている時にはこんな風に聞こえているという経験値を積むことができる。
これが大事だ。
そういうことをしているドラマーは、音量のバランスもいい。
音量のバランスというのは、ハイハいット、スネア、キック、シンバルなどのドラムセットで使われる各パートの音量バランスのこと。
センスのないドラマーほどハイハットを馬鹿力で叩きつけているのが多い。多分これは一般的な利き手である右手を使うことと、ビートの刻みが一番細かいことに起因するのかもしれない。
しかしいいドラマーはキックが一番強く、スネア、ハイハットの順に弱くなる。
利き手の能力値をパワーでなく繊細なコントロール方向に振ってるわけだ。
なーんて。ちょっと薀蓄が過ぎたかな。
まあともかく、一心不乱にどうにか音楽に集中することができたわけだ。
羽深さんの気まぐれに翻弄されまくっている僕だが、クイーンのお戯れなどいつ飽きられて気が変わってしまうか分からない。
しっかりと地に足をつけていないとな。
こんなに浮ついていたんでは身がもたないぞ。
ひとしきり音楽に没頭していたことで、ようやく少しは頭の中をリセットすることができたようで、冷静に考えられるようになった。
とは言え早朝の教室での至福の時は今の所外せない。
僕は今日も性懲りも無くいそいそとクイーンの待つ教室へと足取りも軽やかに向かうのだ。
別に彼女が僕を待ってるわけじゃないのは知ってるが……。
「あ、おはよう。楠木君。昨日はありがとう!」
「おはよう……ございます?」
っと、またやっちゃった。
「むぅっ……もぉ~。楠木君、今日からわたしには敬語禁止!」
叱られた。
「は、はい……」
「んー、それも敬語っぽいからやり直し!」
えぇーー……。
じゃあなんと返事すれば……?
取り敢えず……。
「うん……?」
とか?
「あ、いいねー。その感じでよろしくぅー。はい、これ。昨日のお礼」
そう言って羽深さんは僕の手元に紙袋を差し出した。
僕は取り敢えず両掌でそれを受け取ると、もう一度羽深さんを見た。
「何? 不思議そうな顔しちゃって。危険物じゃないからそんな顔しないで欲しいんだけど?」
僕がよほど不思議そうな顔をしていたようで、羽深さんはちょっとだけむくれた様子で僕を睨んでいる。
もちろん本気で怒っている感じではなく、僕の目にはそんな様子ですらかわいらしく映る。
「あ、ありがとう……ございます?」
しまった、懲りずにまたやってしまった。
神々しいまでの彼女の美しさを前にすると、言ってからやっぱり丁寧な言葉にしなきゃダメなんじゃないかっていう気持ちがわき起こっちゃうんだもの。
「またぁーーーっ。どうしたら仲良くしてもらえるのかなぁ……? わたしこれでも結構頑張ってるんだよぉ?」
仲良く……だと……!?
こんな底辺の僕に向かって、仲良くしてもらえるのかなぁ……だって!?
くうぅっ。かわいすぎるぅっ!
やっぱり幻か? 僕は今集中治療室で生死の境目を漂いつつ見ている夢の中にいるのか?
分からん! 夢か現実か判断しかねる!
「それ……」
指差す先は僕の掌の上にちょんと乗っかっている紙袋だ。
「ビスコッティ。昨夜焼いたの。よかったら食べてもらえると嬉しいんだけど……」
っ!?
なんですとぉーーーーっ!
ビスコッティってなんのことやら分からないけど、響きからすると手作りお菓子っぽいっ!?
ふぉーーーーーーーーーっ!!
思わず卒倒しそうになるが辛うじて正気を保つ。
生死の境を漂っているくせに卒倒だなんてみっともなさすぎる。危篤状態なのに卒倒を重ねるなんてなんだか頭痛が痛いみたいじゃないか。
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