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老紳士とEDAMAME
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本日はご主人様が贔屓にされている大商人のゴルバドフ様がお越しになられました。
なんでも東方の国で栽培されているグリーンビーンズを手に入れたとか。その名もEDAMAMEというらしいです。
グリーンビーンズなど、さほど珍しいものではないだろうと思っていたのですが、どうやら東方の国にあるものは鞘を食べずに中に入っている豆を食べるとか。しかもその豆はグリーンビーンズなど比にならないほど巨大なのだそうな⋯⋯。
ふむ。むくむくと興味が湧いてきました。厨房で昼食の仕度をしている召使達のところへ行って、EDAMAMEを一口味見させてもらいましょう。
豊かな白い口髭を蓄えた男は、颯爽と厨房へと向かいました。
「こ⋯⋯これはいったいどうしたことです?」
男が厨房へやってくると、なにやらよからぬ事態になっているようでした。なぜなら召使達が取っ組み合いの大喧嘩をしていたからです。まな板前にいる召使達は殴り合い、鍋の前にいる召使達は交互にビンタをやりあい、流台の前にいる召使達は肩を押し合っていました。
「あんたのせいよ!」
「私は悪くないわ!」
「じゃあ誰が悪いのよ!」
「知らないわよ!」
「旦那様に怒られる!」
「旦那様よりもシュビー様の方が怖いわ!」
「それは言えてる!」
「それで結局誰が悪いのよ!」
「あんたのせいよ!」
「私は悪くないわ!」
「じゃあ誰が悪いのよ!」
「知らないわよ!」
召使達の大喧嘩は激しさを増していきました。まず火にかけていた鍋が床に落ち、大量の熱湯が飛び散りました。
一瞬の静寂が訪れます。
そしてそれが戦いのゴングとなったのか、召使の全員が叫声あるいは雄叫びを上げて身の回りにあるものを見境なく投げ始めました。トマトが壁を赤く染め、小さく切ったイチゴときゅうりが召使達の服を赤と緑に彩っていきます。お玉やまな板といった調理道具が宙を舞い、数人の召使をノックダウンしました。
行動とは相反し、これはいよいよまずいと召使の誰もが心の中で思ったその時。
「やめなさい!!」
しばしその事態を静観していた豊かな白髭の男が一喝しました。それはまるで猛々しい雷が騒がしい鳥達の巣に落ちたようでした。もちろん雷を巣に落とされた鳥達はしんと静まり返り、雷の出所を見やります。⋯⋯そう。雷を落とした人物を。
「シュビー様!」
召使達はシュビー様、シュビー様と口々に言いながら、白髭の男の元へ集まってきました。
「君達、これはいったいどういうことですか?」
白髭の男の名はシュビー・クロッカス。このハーツ家に仕える老執事です。
執事の仕事はご主人様の身の回りのお世話をすることです。といってもただお世話をするだけではありません。ご主人様の生活をより良いものにすること。良い生活を守ることこそが執事の使命なのです。
だからこそ執事は家事の監督役も担っています。要するに召使達のリーダーです。執事が最善最適と思ったことを召使達に命じ、ご主人様の生活を守っているのです。
ですから、こうして召使達が大立ち回りをしてご主人様の昼食を台無しにしてしまったことは大いに問題でした。執事として彼女達には然るべき処置を与えなければなりません。そのためにまずは事情を聞く必要がありました。
「あ、あのですね⋯⋯シュビー様? 怒らないで聞いてくださいまし」
召使達の中にも役職があります。そのうちの料理長であるメイジーが身体の前で組んだ両手をもじもじといじりながら言いました。
「EDAMAMEが全て消えて無くなってしまったのです」
「なんですって!?」
シュビーは思わず床に膝を突き、頭を抱えてしまいます。その様子を見た召使達にどよめきが広がりました。いったいどうなされたのかと。
しかしシュビーの反応は至極当然のことでした。
それは大商人ゴルバドフ様がいらっしゃった今朝のこと。大量のEDAMAMEを編み籠に入れて持ってきたゴルバドフ様との面会にシュビーも立ち会っていたのです。ご主人様は布で包まれた網み籠の中を覗き込み、実物を見るやいなや、狂ったように踊りました。それは比喩でもなんでもありません。応接室の中を無我夢中で踊り回ったのです。「今まで見てきたEDAMAMEの中で一番大きい! 大きいぞ!」と。
しかし踊るだけなら問題はありませんでした。問題なのはEDAMAMEを手に入れるための対価です。
ご主人様は言いました。「私は東方の国の植物に目がないのだ。これほどのEDAMAMEを大量に持ってきてくれた礼だ。北領にある葡萄園の土地を譲渡しよう。その代わりこれからもEDAMAMEを手に入れたら、まず私に真っ先に売って欲しい」
これはとんでもないことです。ハーツ家といえば、広大な土地を果樹園で埋め尽くしたことで有名。もちろん収入のほとんどを果樹園から得ています。そんなハーツ家の魂とも言える果樹園の一部を譲渡するというのですから、EDAMAMEによほどの思い入れがあるということは明らかです。
そのEDAMAMEが⋯⋯ハーツ家の魂を捧げたEDAMAMEが⋯⋯全て消えて無くなってしまったと?
「誰が悪いかはもう結構! それより消えたEDAMAMEを見つけ出すのです! なんとしてでも!! さあ早くどう消えたのか説明しなさい!」
召使達は交互に顔を見合わせました。恐る恐るメイジーが手を上げます。
「それがその⋯⋯誰も見ていないんです」
「そんなバカな話があるわけないでしょう!」
「本当なんです! 湯を沸かし終わり、いざEDAMAMEを投入しようとした時に初めて気付いたんです。EDAMAMEの入った網み籠が丸ごと消えてしまったことに⋯⋯」
「そんな⋯⋯まさか」
シュビーは未だ立ち上がれずにいました。
と、その時。包丁番のメアリーが震える手を上げました。
「じ、実は⋯⋯わ、わたし見たんです。頭巾を目深に被った人が網み籠を背負って出ていくのを⋯⋯今まで怒られると思って黙っていました。すみません!」
「それは本当ですか!」
シュビーはその話を聞いた途端に立ち上がります。彼の目の奥には光が宿っていました。そして。
「その不届き者を探すのだ! メイジーはご主人様の機嫌を損ねぬように時間稼ぎを!」
意気揚々と声を上げました。まだまだシュビーの叱咤は続きます。
「この中にEDAMAMEを見た者はいますか!」
シュビーの質問に数人の召使達がゆっくりと手を挙げます。シュビーはその者達に「どんな見た目をしていたか詳細に教えてください」と伝えました。
「えっと、黄緑色で、粒が大きくて⋯⋯」
「豆一つ一つの境目がしっかりあって⋯⋯」
「境目はくびれていて⋯⋯」
「わかりました! それくらいで良いでしょう。他の皆さんは犯人を探しつつ、EDAMAMEがどこかに売っていないか探すのです!」
そう聞かされてもなお、その場でまごついている召使達を見て、シュビーはさらに声を張り上げます。
「さあ散りなさい! 期限は今から持って一時間が限界でしょう! ご主人様にバレてしまえば、暇を出されるどころではすみませんよ!!」
召使達を各方面へと駆り出したシュビーは包丁番のメアリーと二人で、とある人物を探しまわりました。
それは大商人のゴルバドフです。
なぜならゴルバドフは単身でハーツ邸にやってきました。彼が敷地内に持ち込んだのは二頭の馬を繋いだ荷車だけ。お付きの者は誰一人としていませんでした。
つまりゴルバドフ以外にEDAMAMEの存在を知っている者は、ご主人様とシュビーと召使達のみ。必然的にゴルバドフしか犯人は考えられないのです。
「シュビー様。これだけくまなく町中を走り回っても見つからないということは、もう外に逃げてしまったのでは⋯⋯」
「あり得ますね⋯⋯ならば!」
シュビーは馬小屋に颯爽と駆けていき、一頭の馬の背にまたがりました。「ハイヤー!」と鞭を打ち、これまた颯爽とメアリーの元へと戻ってきます。
「乗りなさい!」
メアリーは強引に腕を掴まれ、引っ張り上げられる形でシュビーの後ろに乗り上げました。
「全速力でいきます。掴まってなさい。貴女が見たという怪しい者の姿を見たら、すぐに言うのですよ」
「わ、わかりまし——」
「ハイヤー!」
馬が高らかに嘶き、ぐんと足を前に突き出しました。それはこれから全力疾走を始めるぞという馬なりの宣言でした。
「きゃあああああ!」
メアリーの悲鳴だけが尾を引いて、道端に残されていきます。景色はぐんぐんと後ろに流されて、遠くにあったはずの森が物凄い勢いで迫っていました。
二人は森を抜けて、隣町にやってきました。
隣町に入った途端、メアリーの目に見覚えのある人物が一瞬だけ横切ったような気がしました。
「シュビー様! 止まってください! 今、通り過ぎた人かもしれません」
「わかりました!」
シュビーが手綱を手繰り寄せ、馬に止まれと伝えます。馬はこれまた大きく嘶き、両前足を宙でバタつかせた後に停止しました。そしてすぐさまぐるりと旋回させ、後ろにいるであろう人物と向かい合う形をとりました。
「⋯⋯! シュビー様! あの人です。間違いありません!」
それは間違いなく厨房からEDAMAME入りの網み籠を盗んだ人物と思われました。背格好も、着ている服も同じだったのです。シュビーは遠くからその人物の顔を識別しようと目を凝らしました。
するとどうでしょう。着ている服は違いますし、馬も連れていませんが、その顔は間違いなくゴルバドフだったのです。
「ゴルバドフ様! わけを聞かせていただきたい!」
ゴルバドフはシュビーの姿を認めると、逃げ場はないと察したのか、観念したようにその場に立ち尽くしてシュビー達が目の前にやってくるのをおとなしく待っていました。
「やはり悪いことをするものではありませんね。神様は見ていらっしゃるのですから。こちらへいらしてください。わけをお話ししましょう」
ゴルバドフは二人を町の離れにある更地へと案内しました。
「こ、これは⋯⋯」
思わず声を漏らしたシュビーの目の前には、ごく少数の木々がありました。
「シュビー様! この木になっている実! EDAMAMEです!!」
よく見ると、木の下にポツンと網み籠が置かれていました。どう見ても今朝方、ゴルバドフが持ってきたものと同じものに見えます。
「いったいどういうことなのですか? ゴルバドフ様」
今のところゴルバドフが何を思って、EDAMAMEを盗んだのかシュビーには見当がつきませんでした。ゴルバドフは遠くへと逃げるでもなく、網み籠を隠すでもなく、隣町をぶらりと歩いていたのです。大商人と呼ばれるほどの人物なのですから、算段に長けているはず。EDAMAMEを盗むということが本当に計画的だったのであれば、このような杜撰なことをするはずがないのです。
「シュビー様。洗いざらいお話しいたしましょう。⋯⋯まずこの豆はEDAMAMEではないのです」
「なんですって!?」
それからゴルバドフは二人に説明を始めました。
彼らの目の前で実っている豆はEDAMAMEではなく、ENJUという豆であること。
EDAMAMEだと騙されて、これらENJUの木々を譲り受けたということ。
ハーツ家の領主に売った後、商人仲間からENJUだと教えられたこと。
今更になって実は違いましたと正直に明かせば、商人としての信頼を失ってしまうと思い、密かにENJUを持ち出したこと。
それでも良心に咎められ、どうしようかと途方に暮れて町を彷徨っていたこと。
「謝りに参りましょう」
シュビーはゴルバドフの告白を聞いた後、短く簡潔にそう答えました。
「⋯⋯シュビー様? しかしそれでは⋯⋯」
「大丈夫です。私のご主人様は海よりも深い優しさを持つ御方なのですから。ご主人様が生まれた頃から専属執事をやっている私が言うのですから間違いはありませんよ」
シュビーはそう言ってにこりと笑い、もう一言付け加えました。
「今ごろ召使達がご主人様に脅かされて、わけを正直に話してしまい⋯⋯笑顔のご主人様に許されているところでしょう」
シュビーの言っていることは全て本当でした。
ゴルバドフが両手を土につけて頭を下げたところ、すぐに領主は彼の手を取って立ち上がらせました。
「よくぞ正直に話してくれました。約束した通り、北領の葡萄園は貴方に差し上げます。その代わり、ENJUも約束通り頂戴させていただきます」
「しかしそれでは⋯⋯」
うろたえるゴルバドフに、シュビーのご主人様は朗らかに笑って答えました。
「お忘れですか? 私は東方の国の植物に目がないのです。なんでもENJUは薬として役に立つそうではありませんか。これは民をより幸せにする新しい可能性となります。その機会をいただけて心より感謝しています」
「領主様⋯⋯!」
ゴルバドフはなぜか目の奥から涙がこみ上げてきて、人目も気にせずその場でしばらくおいおい大泣きしました。
それからというものハーツ家の領主様のもとには、定期的に大量の“本物“のEDAMAMEが無償で送られるようになったということです。
おしまい。
なんでも東方の国で栽培されているグリーンビーンズを手に入れたとか。その名もEDAMAMEというらしいです。
グリーンビーンズなど、さほど珍しいものではないだろうと思っていたのですが、どうやら東方の国にあるものは鞘を食べずに中に入っている豆を食べるとか。しかもその豆はグリーンビーンズなど比にならないほど巨大なのだそうな⋯⋯。
ふむ。むくむくと興味が湧いてきました。厨房で昼食の仕度をしている召使達のところへ行って、EDAMAMEを一口味見させてもらいましょう。
豊かな白い口髭を蓄えた男は、颯爽と厨房へと向かいました。
「こ⋯⋯これはいったいどうしたことです?」
男が厨房へやってくると、なにやらよからぬ事態になっているようでした。なぜなら召使達が取っ組み合いの大喧嘩をしていたからです。まな板前にいる召使達は殴り合い、鍋の前にいる召使達は交互にビンタをやりあい、流台の前にいる召使達は肩を押し合っていました。
「あんたのせいよ!」
「私は悪くないわ!」
「じゃあ誰が悪いのよ!」
「知らないわよ!」
「旦那様に怒られる!」
「旦那様よりもシュビー様の方が怖いわ!」
「それは言えてる!」
「それで結局誰が悪いのよ!」
「あんたのせいよ!」
「私は悪くないわ!」
「じゃあ誰が悪いのよ!」
「知らないわよ!」
召使達の大喧嘩は激しさを増していきました。まず火にかけていた鍋が床に落ち、大量の熱湯が飛び散りました。
一瞬の静寂が訪れます。
そしてそれが戦いのゴングとなったのか、召使の全員が叫声あるいは雄叫びを上げて身の回りにあるものを見境なく投げ始めました。トマトが壁を赤く染め、小さく切ったイチゴときゅうりが召使達の服を赤と緑に彩っていきます。お玉やまな板といった調理道具が宙を舞い、数人の召使をノックダウンしました。
行動とは相反し、これはいよいよまずいと召使の誰もが心の中で思ったその時。
「やめなさい!!」
しばしその事態を静観していた豊かな白髭の男が一喝しました。それはまるで猛々しい雷が騒がしい鳥達の巣に落ちたようでした。もちろん雷を巣に落とされた鳥達はしんと静まり返り、雷の出所を見やります。⋯⋯そう。雷を落とした人物を。
「シュビー様!」
召使達はシュビー様、シュビー様と口々に言いながら、白髭の男の元へ集まってきました。
「君達、これはいったいどういうことですか?」
白髭の男の名はシュビー・クロッカス。このハーツ家に仕える老執事です。
執事の仕事はご主人様の身の回りのお世話をすることです。といってもただお世話をするだけではありません。ご主人様の生活をより良いものにすること。良い生活を守ることこそが執事の使命なのです。
だからこそ執事は家事の監督役も担っています。要するに召使達のリーダーです。執事が最善最適と思ったことを召使達に命じ、ご主人様の生活を守っているのです。
ですから、こうして召使達が大立ち回りをしてご主人様の昼食を台無しにしてしまったことは大いに問題でした。執事として彼女達には然るべき処置を与えなければなりません。そのためにまずは事情を聞く必要がありました。
「あ、あのですね⋯⋯シュビー様? 怒らないで聞いてくださいまし」
召使達の中にも役職があります。そのうちの料理長であるメイジーが身体の前で組んだ両手をもじもじといじりながら言いました。
「EDAMAMEが全て消えて無くなってしまったのです」
「なんですって!?」
シュビーは思わず床に膝を突き、頭を抱えてしまいます。その様子を見た召使達にどよめきが広がりました。いったいどうなされたのかと。
しかしシュビーの反応は至極当然のことでした。
それは大商人ゴルバドフ様がいらっしゃった今朝のこと。大量のEDAMAMEを編み籠に入れて持ってきたゴルバドフ様との面会にシュビーも立ち会っていたのです。ご主人様は布で包まれた網み籠の中を覗き込み、実物を見るやいなや、狂ったように踊りました。それは比喩でもなんでもありません。応接室の中を無我夢中で踊り回ったのです。「今まで見てきたEDAMAMEの中で一番大きい! 大きいぞ!」と。
しかし踊るだけなら問題はありませんでした。問題なのはEDAMAMEを手に入れるための対価です。
ご主人様は言いました。「私は東方の国の植物に目がないのだ。これほどのEDAMAMEを大量に持ってきてくれた礼だ。北領にある葡萄園の土地を譲渡しよう。その代わりこれからもEDAMAMEを手に入れたら、まず私に真っ先に売って欲しい」
これはとんでもないことです。ハーツ家といえば、広大な土地を果樹園で埋め尽くしたことで有名。もちろん収入のほとんどを果樹園から得ています。そんなハーツ家の魂とも言える果樹園の一部を譲渡するというのですから、EDAMAMEによほどの思い入れがあるということは明らかです。
そのEDAMAMEが⋯⋯ハーツ家の魂を捧げたEDAMAMEが⋯⋯全て消えて無くなってしまったと?
「誰が悪いかはもう結構! それより消えたEDAMAMEを見つけ出すのです! なんとしてでも!! さあ早くどう消えたのか説明しなさい!」
召使達は交互に顔を見合わせました。恐る恐るメイジーが手を上げます。
「それがその⋯⋯誰も見ていないんです」
「そんなバカな話があるわけないでしょう!」
「本当なんです! 湯を沸かし終わり、いざEDAMAMEを投入しようとした時に初めて気付いたんです。EDAMAMEの入った網み籠が丸ごと消えてしまったことに⋯⋯」
「そんな⋯⋯まさか」
シュビーは未だ立ち上がれずにいました。
と、その時。包丁番のメアリーが震える手を上げました。
「じ、実は⋯⋯わ、わたし見たんです。頭巾を目深に被った人が網み籠を背負って出ていくのを⋯⋯今まで怒られると思って黙っていました。すみません!」
「それは本当ですか!」
シュビーはその話を聞いた途端に立ち上がります。彼の目の奥には光が宿っていました。そして。
「その不届き者を探すのだ! メイジーはご主人様の機嫌を損ねぬように時間稼ぎを!」
意気揚々と声を上げました。まだまだシュビーの叱咤は続きます。
「この中にEDAMAMEを見た者はいますか!」
シュビーの質問に数人の召使達がゆっくりと手を挙げます。シュビーはその者達に「どんな見た目をしていたか詳細に教えてください」と伝えました。
「えっと、黄緑色で、粒が大きくて⋯⋯」
「豆一つ一つの境目がしっかりあって⋯⋯」
「境目はくびれていて⋯⋯」
「わかりました! それくらいで良いでしょう。他の皆さんは犯人を探しつつ、EDAMAMEがどこかに売っていないか探すのです!」
そう聞かされてもなお、その場でまごついている召使達を見て、シュビーはさらに声を張り上げます。
「さあ散りなさい! 期限は今から持って一時間が限界でしょう! ご主人様にバレてしまえば、暇を出されるどころではすみませんよ!!」
召使達を各方面へと駆り出したシュビーは包丁番のメアリーと二人で、とある人物を探しまわりました。
それは大商人のゴルバドフです。
なぜならゴルバドフは単身でハーツ邸にやってきました。彼が敷地内に持ち込んだのは二頭の馬を繋いだ荷車だけ。お付きの者は誰一人としていませんでした。
つまりゴルバドフ以外にEDAMAMEの存在を知っている者は、ご主人様とシュビーと召使達のみ。必然的にゴルバドフしか犯人は考えられないのです。
「シュビー様。これだけくまなく町中を走り回っても見つからないということは、もう外に逃げてしまったのでは⋯⋯」
「あり得ますね⋯⋯ならば!」
シュビーは馬小屋に颯爽と駆けていき、一頭の馬の背にまたがりました。「ハイヤー!」と鞭を打ち、これまた颯爽とメアリーの元へと戻ってきます。
「乗りなさい!」
メアリーは強引に腕を掴まれ、引っ張り上げられる形でシュビーの後ろに乗り上げました。
「全速力でいきます。掴まってなさい。貴女が見たという怪しい者の姿を見たら、すぐに言うのですよ」
「わ、わかりまし——」
「ハイヤー!」
馬が高らかに嘶き、ぐんと足を前に突き出しました。それはこれから全力疾走を始めるぞという馬なりの宣言でした。
「きゃあああああ!」
メアリーの悲鳴だけが尾を引いて、道端に残されていきます。景色はぐんぐんと後ろに流されて、遠くにあったはずの森が物凄い勢いで迫っていました。
二人は森を抜けて、隣町にやってきました。
隣町に入った途端、メアリーの目に見覚えのある人物が一瞬だけ横切ったような気がしました。
「シュビー様! 止まってください! 今、通り過ぎた人かもしれません」
「わかりました!」
シュビーが手綱を手繰り寄せ、馬に止まれと伝えます。馬はこれまた大きく嘶き、両前足を宙でバタつかせた後に停止しました。そしてすぐさまぐるりと旋回させ、後ろにいるであろう人物と向かい合う形をとりました。
「⋯⋯! シュビー様! あの人です。間違いありません!」
それは間違いなく厨房からEDAMAME入りの網み籠を盗んだ人物と思われました。背格好も、着ている服も同じだったのです。シュビーは遠くからその人物の顔を識別しようと目を凝らしました。
するとどうでしょう。着ている服は違いますし、馬も連れていませんが、その顔は間違いなくゴルバドフだったのです。
「ゴルバドフ様! わけを聞かせていただきたい!」
ゴルバドフはシュビーの姿を認めると、逃げ場はないと察したのか、観念したようにその場に立ち尽くしてシュビー達が目の前にやってくるのをおとなしく待っていました。
「やはり悪いことをするものではありませんね。神様は見ていらっしゃるのですから。こちらへいらしてください。わけをお話ししましょう」
ゴルバドフは二人を町の離れにある更地へと案内しました。
「こ、これは⋯⋯」
思わず声を漏らしたシュビーの目の前には、ごく少数の木々がありました。
「シュビー様! この木になっている実! EDAMAMEです!!」
よく見ると、木の下にポツンと網み籠が置かれていました。どう見ても今朝方、ゴルバドフが持ってきたものと同じものに見えます。
「いったいどういうことなのですか? ゴルバドフ様」
今のところゴルバドフが何を思って、EDAMAMEを盗んだのかシュビーには見当がつきませんでした。ゴルバドフは遠くへと逃げるでもなく、網み籠を隠すでもなく、隣町をぶらりと歩いていたのです。大商人と呼ばれるほどの人物なのですから、算段に長けているはず。EDAMAMEを盗むということが本当に計画的だったのであれば、このような杜撰なことをするはずがないのです。
「シュビー様。洗いざらいお話しいたしましょう。⋯⋯まずこの豆はEDAMAMEではないのです」
「なんですって!?」
それからゴルバドフは二人に説明を始めました。
彼らの目の前で実っている豆はEDAMAMEではなく、ENJUという豆であること。
EDAMAMEだと騙されて、これらENJUの木々を譲り受けたということ。
ハーツ家の領主に売った後、商人仲間からENJUだと教えられたこと。
今更になって実は違いましたと正直に明かせば、商人としての信頼を失ってしまうと思い、密かにENJUを持ち出したこと。
それでも良心に咎められ、どうしようかと途方に暮れて町を彷徨っていたこと。
「謝りに参りましょう」
シュビーはゴルバドフの告白を聞いた後、短く簡潔にそう答えました。
「⋯⋯シュビー様? しかしそれでは⋯⋯」
「大丈夫です。私のご主人様は海よりも深い優しさを持つ御方なのですから。ご主人様が生まれた頃から専属執事をやっている私が言うのですから間違いはありませんよ」
シュビーはそう言ってにこりと笑い、もう一言付け加えました。
「今ごろ召使達がご主人様に脅かされて、わけを正直に話してしまい⋯⋯笑顔のご主人様に許されているところでしょう」
シュビーの言っていることは全て本当でした。
ゴルバドフが両手を土につけて頭を下げたところ、すぐに領主は彼の手を取って立ち上がらせました。
「よくぞ正直に話してくれました。約束した通り、北領の葡萄園は貴方に差し上げます。その代わり、ENJUも約束通り頂戴させていただきます」
「しかしそれでは⋯⋯」
うろたえるゴルバドフに、シュビーのご主人様は朗らかに笑って答えました。
「お忘れですか? 私は東方の国の植物に目がないのです。なんでもENJUは薬として役に立つそうではありませんか。これは民をより幸せにする新しい可能性となります。その機会をいただけて心より感謝しています」
「領主様⋯⋯!」
ゴルバドフはなぜか目の奥から涙がこみ上げてきて、人目も気にせずその場でしばらくおいおい大泣きしました。
それからというものハーツ家の領主様のもとには、定期的に大量の“本物“のEDAMAMEが無償で送られるようになったということです。
おしまい。
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